四話
二日後。掃討作戦において、軍配給の防塵シャツとローズマリーのカーゴパンツを借りて装備を整えたフェノンは、常に彼女の後に付いて捕虜の監視や負傷兵の救護、自軍への物資配達などを受け持った。
フェノンは自分も戦闘に加わるものだと考えていたため少し肩透かしを食らった気分だったが、そんな事さえもすぐに忘れるほど、彼女の補佐任務は多忙を極めるものだった。
この日は臨時の救護所での任務で、手術や処置を終えた患者にローズマリーの作った薬を渡し、彼女に教わった通りに患者の包帯を替えて回り、意識確認のために声をかけながら一人一人のバイタルと状態を記録簿に取っていく。異変を見つけたら直ぐに看護師を呼び、時に心臓マッサージを手伝う事もあれば、頼まれた物を頼まれた場所へ運び、一息つけたと思っても、次の瞬間には新たな患者が大勢運び込まれてくる。
まさに、野戦病院。フェノンは目が回りそうだった。
夜明け前から働いて、やっと休憩を取れたのは午後三時を過ぎた頃。本日初めての食事である鮭握りを手頃な瓦礫に腰掛けたフェノンが頬張っていると、同じく区切りが付いたらしいローズマリーが彼の隣に座る。
彼女は装備を下ろす間も無かったのか、肩に掛けたままだったクロスボウと矢筒を背後の大きな瓦礫に立て掛ける。
「はーっ、疲れた疲れた」
「……………………」
「どうだフェノン、ここは大変だろう」
握り飯を飲み込んでも、フェノンは何も言わずに頷くだけだった。
「……どうした? 気分が悪いのか?」
今度は首を横に振ったフェノンだったが、「考えてた」と小さく呟いた声をアシㇼパは聞いた。
「何か、思う節があったか?」
「……向こうも、同じなのかな……って、思って」
フェノンの視線をローズマリーが辿れば、そこには地面に敷いたシートの上に、大勢の怪我人達が呻きながら並べられている。優先度で分けられた患者達の隅では、別のシートの上に、白い布を被せられて姿を隠している患者達が横たわっていた。
敵のアジトとなっていた廃村はほぼ壊滅し、見渡せば至る所から煙が上がるばかりで、戦闘の音も殆ど聞こえてはこない。
「……あっけない、か?」
苦笑するローズマリーに、フェノンは再び頷いた。
「ちょっと……虚しな、って」
「……そうか。そうだな」
ローズマリーもまた、フェノンと同じ眼差しを辺りに向ける。
「戦争や殺し合いは虚しい。何故なら、最後に残るものが『虚無』ただ一つだからだ」
「『虚無』……?」
「そう。祖国も、隣人も、命も、夢も……正義のためだ、復讐のためだと志高く決起しても、終わってしまえば何も残らない。争いなんて、本当に虚しいだけの行為なんだ」
「……うん」
「それに気付いたフェノンは、とても賢いぞ」
「……どうも」
茶を配り歩いていた看護師の一人が、二人にもプラスチックカップを手渡す。茶を貰った二人は小さく乾杯すると、束の間の休息を味わっていた。
その時、女性の叫び声が救護所の敷地に響く。怪我をした一人の捕虜が看護師を人質に取ったらしく、騒ぎ立てる怒号と数人の悲鳴が同時に聞こえてきた。
「……何?」
少し驚いた様子のフェノンが、しかし冷静に騒ぎの方へと目を向ける。すると、ローズマリーは心底呆れたような溜め息を吐きながらクロスボウを掴んだ。
その捕虜は、看護師の喉に医療用メスを突き付けたまま元気よく叫んでいる。
「よく聞け、軍の犬共!! 我々は腐敗し尽くした軍を覆す、新たな力である! 今の不平な世の中を作り出し、怠惰と色欲にまみれたこの世界を一掃するのが我々の使命なのだ! 貴様等の脅しにも、甘い言葉にも、不平等な提案にも我々は屈しない! たとえ首だけになろうと、正しい世の中に作り変え……っ?」
そこまで言って、男は僅かに呻いてメスを落とした。その腕には矢羽の着いた竹の棒が刺さっており、矢を抜いた二秒後にはバッタリと倒れて動かなくなる。
フェノンの隣では、二本目の矢をセットして構えていたローズマリーが静かにクロスボウを降ろした。
「病人怪我人の中で騒ぐなんて、はた迷惑な奴がいたもんだ」
ふん、と息巻いた彼女はクロスボウからセットした矢を外し、再びフェノンの隣に腰を下ろす。向こうでは人質となっていた看護師が保護され、捕虜の確保と処置が同時かつ急速に行われている。
捕虜が暴れた際のマニュアルもしっかりと決められているのか、たった数分で救護所は先程と同じ落ち着いた空気を取り戻した。
「……殺したの?」
フェノンの質問に、ローズマリーは「まさか」と微笑む。
「即効性のある超強力な鎮静剤だ。三分もすれば目が覚めるだろう」
「何か叫んでたみたいだけど……まさか本当にあんな理由で、あいつ等は『ファーム』を攻撃したの?」
「……あれはまだマシな部類だ」
ローズマリーは神妙な面持ちで目を細め、騒ぎが起きていた方向を見た。
「戦争を起こす理由なんて、多種多様で思惑だらけだからな……人間は、学ばない生き物だから」
「……じゃあ、誰が悪いの?」
「さぁな……誰も悪くないだろうし、誰もが罪を背負っている。逆を言えば、全員が『自分は正しい』と思い切ってしまっているから、人は他人とぶつかり合い、諍いになる。それが戦争だ」
「……難しいね」
フェノンは、溜め息を一つ吐いて茶を啜った。
「和平の道は、革命を起こすよりずっと遠回りで時間も掛かる。でも、誰も傷付かずに解決していくには、話し合い、理解し合わねばならない。そのためには、もどかしくても時間を掛けるしかないんだ」
「……ローズはすごいね」
「ふふん! 私はフェノンより、ずっとお姉さんだからな!」
突然ふんぞり返るローズマリーに、フェノンは小さくも、やっと吹き出して笑う。初めて見る幼い笑顔に、ローズマリーも嬉しそうに二カッと笑って彼に返した。
※
『ファーム』襲撃テロ事件から、四年と三ヶ月の歳月が流れた。
「ほらほら、フェノンちゃーん、あと十回だよー。ラスト頑張れー」
「ぐううぅぅ……!」
額から顎へ汗を滴らせ、上半身裸で背にコンクリートブロックを乗せる彼は、震える腕で背中の重みを賢明に押し上げる。
兵舎学校の入学テストで行う体力審査のため、十五歳なったフェンネルはローズマリーや仲間達と共に鍛錬に励んでいた。
ローズマリーに「軍に入りたい」と言っていた彼だが、その目的は当初よりももっと未来を見据えたものに変わっていた。
いつか、母や養母の様に強くて賢い人になり、大切な仲間や、罪の無い子供達を守れる人間になりたい。その決意を聞いたローズマリーも涙ながらに賛同し、彼の軍入隊を許可した。
ローズマリーの船に乗せてもらってから数年の間、彼は船の仕事も覚えながら基礎勉学や雑用、軍部規則や家事に至るまで、船員や仲間達にみっちりと教え込まれた。銃器の扱い、ナイフ等の戦闘技術は誰よりも早く習得したが、如何せん持久力だけは、一般の兵士並みには届かなかった。
試験まで、残り一ヶ月。知識は可能な限り詰め込んだ。後は、体力向上に力を入れるのみだ。
生まれ付き細身で筋肉も付き辛い体質だったフェンネルだが、皆の力添えもあり、今は何とか腕立て伏せも連続で百五十回を超える程には力が付いてきた頃だ。
「おーい休憩するぞー。アニス、フェノン、手を洗ってこい」
ローズマリーが声をかければ、アニスと呼ばれた褐色肌の愛らしい顔をした少年が「はーい」と返事をする。
ヴァルテッリ族特有の金髪をハーフアップに結い、シャツの腹元で汗を拭う。彼もまた『ファーム』テロ事件を生き抜いた一人であり、現在はジャスパー副司令官の後見で専属に学び働きながら、フェンネルと共に兵舎学校の試験を目指していた。
課せられたノルマを終了させたフェンネルも、身体を横に倒してブロックを背から落とした。
古い友人が貸してくれた訓練場の隅で、お茶やお菓子の準備をしていたローズマリーだったが、ふと、背後から名を呼ばれて後ろを振り返る。
「よぉ、ローズマリー」
「シダー叔父さん。お疲れ様」
「おう、お疲れ。『新人』は今日も居ないのか?」
辺りをわざとらしく見渡すシダーに、ローズマリーは首を傾げながら「ユズ君の事か?」と問い返す。
「船に乗ってもう四年経つし、そろそろ新人じゃないんだが……ユズ君は今日、船舶操縦資格の定期講習で『中心街』に出てるぞ」
「そうかそうか。また会えなかったなぁ」
「まーたそんな事言ってぇ。実は、叔父さんがわざと予定を重ねて来てるんじゃないのかぁ?」
「ははは、まさか」
シダーは笑いながらも、手提げバッグの中から一枚の紙を取り出した。
「それより、ちょっと重大な知らせがあるんだ」
「知らせ?」
「ああ。これを見てくれ」
ローズマリーは彼に手渡されたその紙にざっと目を通す。しかし、そこに記された内容に思わずシダーを見返して驚愕に目を見開いた。
「叔父さん、これは……!」
「決めるのはフェンネルだ。本人に確認してみればいい」
「……だが、これだと『仮説』が……」
「ああ……まず『間違い無い』だろうな」
二人は、黒髪の少年に目を向ける。金髪の少年が何かしでかたのか、結構に本気の鬼ごっこをしている彼等を見て、ローズマリーは小さく息を吐いた。すぐにフェンネルがアニスの腰にタックルを決めて捕まえ、三角絞めを決めた所で、ローズマリーは思い切ってフェンネルに声をかけた。
「……フェノン、ちょっといいか」
「何?」
「ちょっと待て。アニスは、また何をしたんだ?」
「顔面にくしゃみしやがった」
「おぉ……それは汚いな」
アニスを絞め落として立ち上がったフェンネルは、後ろ腰に入れ込んでいたタオルで顔を拭う。
「で?」
問い返した少年に、彼女は神妙な面持ちで話し始めた。
「……イリスアゲート閣下から内密の連絡があった」
「!」
「お前を……養子として、引き取りたいんだそうだ」
フェンネルの顔色が変わる。ローズマリーは唇を噛み締めた。
「……閣下は認めたらしい。自分こそが、フェノンの実父だと」
「……あの野郎」
「これで確定してしまった。閣下は『ファーム』テロに関わっている」
シダーとローズマリーは、顔の広さと権力を駆使して様々な方面からテロの関係者を捜索し続けていた。組織の首領で一番の首謀者は四年前の掃討作戦で逮捕、処刑されたが、その金の出処だけは未だ掴めないでいた。
組織の規模や武器買収のルートなど、軍が徹底管理をするこの国で個人が自力で武力を付けるなど不可能である。となれば、それを手助けする軍幹部か貴族が携わっていると見るのが自然だろう。
イリスアゲート閣下の名はすぐに上がり、証拠も四年間の間にある程度集める事が出来たが、決定打となるものが分からないままだった。つまり、テロに資金を提供した『根拠』、リスクしか無い『革命まがい』に手を貸し、彼が得をする『理由』が見つからなかったのだ。
しかし、それが今、判明してしまった。
「……閣下は、そこまでしてフェノンを……」
「……僕は、奴の種で唯一の男だ。たとえ『混ざり物』だったとしても、なりふり構っていられなくなったんだろうな」
「だが何故『養子』なんだ? 普通、実父だと認知したならば『我が子として』と言う筈だろうに」
「ソイツのどこが『普通』なんだよ」
タオルを首に掛けたフェンネルが言った。
「どうせ『混ざり物』をイリスアゲート家に入れるのに抵抗あるだけだろ」
「……確かに『普通』ではないな」
「僕を探し出すために組織に金出して裏に手を回したってのに、組織は関係無く攻撃を繰り出してた。僕があの時『ファーム』で死んでいれば、もしかしたら一泡吹かせられたのかな?」
「んもー、またそういう事言う」
嘲笑うように謝罪を返すフェンネルに、ローズマリーは呆れた溜め息を吐きながら再度書類に視線を落とす。
イリスアゲート閣下。次期長老候補とも言われるその男は、大貴族でありながら軍の二将でもある超大物だ。
作戦での采配は見事な腕といえど、一人の男としてどうかと問われれば良い印象はあまり無い。フェンネルの母が彼を『イリスアゲート』から隠すために女性として育てていたのだとしたら、正直、その理由も納得ができる人物と言えよう。
男尊女卑を貫く家の血筋に囚われ、女性に対し、子供を生む生き物としか考えていない時代遅れの化石。純血一族である事を重んじていた筈だが、フェンネルを狙った理由としては、恐らく純血の女児よりも混血の男児を選んだという事か。
徹底しているようで、常に見下す相手を探しているような……今回の事実で、ローズマリーはフェンネルの生物学上の父親が心底嫌いになった。
「……で、フェノンはどうする?」
「何が」
「養子の話だ。行くか?」
「……邪魔なら、出ていくけど」
「イリスアゲートの家に入り込むなら今だぞ」
「………………」
しかし、フェンネルは無表情のままだった。
「……興味無い」
「と、言うと?」
「以上でも以下でもないって事だよ。本気で興味無い。寧ろ、これ以上関わりたくない」
その言葉を聞いて、ローズマリーは胸を撫で下ろしたようにその目を細める。
「……そうか。それを聞いて安心した」
「何が?」
「寝首を掻いてでも、恨みを晴らす……少し前までは、そんな事を言い出しそうだったからな」
得意気に微笑むローズマリーに、フェンネルは呆気に取られた。
「……もし僕が『養子に行く』って言ってたら、どうするつもりだったの」
「勿論、全力で止める予定だったぞ。泣き縋ってでも説得するつもりだった」
「えぇ……?」
彼は眉を顰めて訝しんでいる。既に、随分と身長を抜かれたローズマリーは嬉しそうに笑顔を見せた。
「だって、フェノンは私の家族だぞ。お前がいないと、ただでさえ長い人生がつまらなくなるからな」
「……何それ」
「さぁ、おやつだ! お茶が冷める前に、皆で食べよう!」
照れる息子の腕を無理やり引いて、ローズマリーは先に茶を飲んでいたシダーに書類を返した。
「お、決まったのか?」
「却下だったぞ!」
「了解。良かったなぁ、ローズマリー」
「うん!」
「フェンネルも、復讐より『今』を取ったんだな。前を向いて歩けてる証拠だ」
「……本当に興味無いだけだし」
「興味が失せるのは、他に大事なものが増えたからだろ?」
ニヤニヤと論破してくるシダーに、フェンネルは露骨に嫌な顔を見せるが。
「ローズマリー、フェンネルが反抗期だぞ」
「何っ? 今夜は赤飯か!?」
「……もう、勝手にしてよ……」
それでも、フェンネルは二人から距離を置いたりせず、呆れながらも微笑みを浮かべて席に付いた。
自分の笑った顔が見たいと言ってくれた『家族達』を守る事。それこそが、フェンネルが復讐を捨てた理由だった。
「おい、アニスは?」
「忘れてた。落としたままだ」
「おいおい、ジャスパー副司令官に無理言って借りてきてんだぞ」
「どうせ放っといたら起きるだろ。おやつが優先だ」
しかし、ガバっと身を起こしたアニスがプリプリ怒ったのは言うまでも無い。
「いやいや、起こしてよ!」
「嫌だ」
「お前が悪い」
「勝手に来い」
「ひどぉい!」
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