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三話




「……おかあ、さん……?」

「起きたか、フェノン」


 自分の声で目が覚め、母と同じ緑色の瞳をした知らない女の子に名前を呼ばれて驚く。飛び起きると同時に頬に痛みを感じ、勢い余って咳き込むと全身の至る所に激痛が走った。

 思わず呻くと、その女の子は心配そうに背中を擦ってくれた。


「落ち着け、まだ傷が塞がってないんだ。無理をすると血が出るぞ」

「だ、誰……?」

「私はローズマリー。君の味方だ」

「ろーず……?」


 ローズマリー、と名乗った、自分と同じ年頃の少女。彼女は別の隊員を呼び止め、医師をこちらに回すよう頼んでいる。

 辺りをキョロキョロと見回すフェノンに、ローズマリーは頬笑みながら「ここは安全だ」とフェノンに説明した。


「しかし大変だったな。顎の傷は、誰かに殴られたようだが……その服装、フェノンはもしかして『ファーム』の自警団なのか?」


 自警団。ローズマリーの言葉を聞いてフェノンは己が爆風に飲まれた事を思い出す。

 自分はあの時、一人ではなかった筈だ。


「そ、そうだ! ローズ、私と一緒にいた人を知らないっ?」

「ん?」

「カヤ・ラピス、っていう、オリヴェール族の女の人。私と一緒にいたと思うんだけど……」


 しかし、ローズマリーは瞬く間にその表情を曇らせた。


「……すまないフェノン。残念だが……事務館周辺で生きていたのは、お前だけなんだ」

「……え」

「フェノンを守っていた女性からは、少しだが形見を貰っている。このネックレスに覚えは無いか?」


 彼女はジャケットの胸ポケットから何かを取り出し、手に乗せてフェノンに差し出す。そこには、よく知る友人が「母からもらった」と言っていた、青い石のネックレスが光っていた。

 フェノンは、言葉を失う。


「……嘘だ……」


 ローズマリーからネックレスを受け取り、静かに抱き締める幼い姿に、彼女も掛ける言葉が見つからず俯いてしまう。

 しかし、疲れた顔をしたまま表情を動かさないフェノンは、静かに言葉を絞り出した。


「……『ハウス』の……娼館の人達は、どうなったの?」


 少し驚いた様子を見せたローズマリーだったが、すぐに目を伏せて首を横に振る。

 それを意味するのは、絶望だった。


「………………」


 フェノンはネックレスを大切に握り締めたまま、ローズマリーに向けて顔を上げた。


「……皆に『会える』?」


 この時のフェノンは、まさに行き場の無い地獄を彷徨う者の眼をしていたと言える。

 子供がこの様な顔をするなど……ローズマリーは、悔しさに歯を噛み締めた。


「……ああ。案内しよう」


 自分と身長もさして変わらない少女に案内され、フェノンは彼女の後を黙ってついて行く。その道すがら、フェノンは辺りの様子を伺いながら歩いていたが、何処を見ても一般人の姿が見当たらなかった。

 たまに治療を受けている者を見掛けても、その服装は自分とは別の班の自警団員ばかりだ。

 ぽつり、とフェノンは呟いた。


「……みんな、何処に行ったの?」

「……『ファーム』の皆の事か?」


 聞かれていたとは思っていなかったのか、フェノンは目を丸くして驚くいている。ローズマリーの問いに返事は無く、フェノンはただ小さく頷いた。

 ローズマリーは、出来る限り分かりやすく状況を説明した。


「……助かった人達は、みんな『ファーム』の外へ避難してるぞ。フェノンの怪我は比較的軽かったから、混雑している病院には連れて行かれなかったんだ」

「……そっか」

「ここに残っている者は、比較的怪我の浅い者か動ける者だけだ。後は皆、色んな病院に搬送されていった」

「……助かった人も、いるんだね」

「ああ。……『二割』程、だけどな」

「そう……」


 その『二割』が自警団の人口なのか『ファーム』全体の人口なのかは、ローズマリーは話してくれなかった。

 彼女に連れられ、フェノンが来たのは救護所からそれほど離れていない合同霊安場となった『ハウス』前の公園だった。ここが公園だったという事実も噴水が辛うじて現存した状態だった為に分かっただけであり、距離と方向から、自分が目覚めた場所……臨時救護所が、元々芸姑屋敷の寮があった場所だったのだと悟る。

 名前が分からない者は亡くなった区域ごとに並べられ、身元判明の情報提供を待っている状態らしい。ローズマリーは、フェノンが問えば、友人達が発見された当初の状況を詳しく教えてくれた。


「……………………」


 自分と一緒にいた友は自分を庇ったような状態で発見され、降り掛かった爆撃をすべてその身に受けたために身体の右半分が爛れて炭化していた。

 原型を留めていない『ハウス』で発見されたらしい友人達にも『面会』できたが、彼女達は三人とも、瓦礫の下から見つかったのだとローズマリーは説明してくれた。

 ある程度綺麗な姿を保っていたはいたが、頭だったり胴だったり、絶対に生きてはいられない程の変形を身体に受けた事が、彼女達の致命傷となったようだった。

 フェノンは友人達の名前と年齢、住所をローズマリーに伝え、彼女は届け出用と本人確認用で数枚に分けてメモを取り、その内一枚は本人達の胸元にタグとして置いていく。

 フェノンは皆の頭元に、そっとしゃがみ込んだ。


「……ねぇ、ローズ」

「どうした?」

「皆からも……何か、貰っていい?」

「ああ、勿論」


 フェノンは皆から其々ブレスレット、ピアス、ブローチをもらい、己の小さな手の上で見つめる。枯れたと思った涙を拭った時、ふと、斜め左前に見覚えのあるドレスの裾を見かけた。

 ふらふらと独りでに歩き出したフェノンにローズマリーは驚くが、彼が立ち止まった場所に横たわる女性を見た彼女は思わず、はっと息を呑んだ。

 彼女は銃撃を受けて腹部数カ所の肉を抉られていたが、その顔は生前と変わらず美しい寝顔を浮かべている。無表情で女性を見下ろすフェノンに、ローズマリーが彼を知った経緯を語る。


「……フェノンの事は、彼女が教えてくれたんだ」

「……………………」

「『フェノンという子供が顎を怪我してるから、治してやってくれ』と言っていた。事務館で君を見つけた時、そんな怪我をしていたのは一人だけだったからすぐ分かった」


 ローズマリーが出逢った、セリ・メノウという女性。発見時にはまだ息があり、少しだが会話をする事が出来た。

 フェノンの事を一番に心配し、何処に息子を置いてきたのか、どの様な状態で、その怪我の部位も全て、捲し立てるようにローズマリーに伝えてきた。

 強い女性だ、とローズマリーは感じた。人体にも詳しいらしく、自分が受けた銃弾が致命傷になっている事にも気付いていたようだった。

 彼女はローズマリーの正体に気付くと、後生だと強く願ってきた。自分の代わりに、フェノンに世界を見せてやって欲しい。息子の生きる道標になってやって欲しい、と。


「この人は……フェノンの、お母さんなのか?」

「……うん」


 母の指には、あの日身に付けていたリングが手と共に焼けて煤ぼけていた。その手を取ってフェノンがリングに触れれば、その細い指はするりと滑るように指輪から抜け、力無く百の手に凭れか掛かった。

 そっと、その脈の無い手を母の腹の上に乗せる。フェノンの心は、一つの衝動に駆られていた。


「……ねぇ、ローズ。軍に入るにはどうしたらいい?」

「軍に? 何故?」

「ローズは軍の偉い人っぽいから。オリヴェール族なら、見た目が若くてもずっと年上の人もいるんでしょ?」

「確かに、それはそうだが……」

「セリちゃんは、私が軍に入るのを嫌がってた。『父親の家』に見つかると駄目だから、って」


 それを聞いたローズマリーは、一瞬訝しげに眉を顰める。

 力無く、輝きの無い眼差しで母を見下ろすフェノンは、少し笑っているように感じた。


「……でも、軍はこれから数日の間に過激派の掃討に向かう筈。私も一緒に連れてって欲しいの」

「……フェノン……」

「どうして、こんな事になったのか知りたい。一番は、皆の仇を討てたら良いけど……お願い、ローズ。私ならきっと役に立てる。何なら、こちらに一切の被害も出さずに、敵方の集団を皆殺しにする事もできるよ」


 だから、どうか。

 そう柔らかな口調で頼んでくる少年の口角は微笑むように上がっていたが、その瞳は闇に呑まれ、強烈な殺意を孕んで母達の形見を握り締めている。その小さな手は震え、暴れ出しそうな感情を必死に抑えている様子だった。

 今の状態で兵士となれば、この幼い子供は簡単に壊れてしまうだろう。ローズマリーは少し俯き、その決意を無碍にしないよう言葉と予定を瞬時に組み上げてフェノンに応えた。


「……分かった。私が口添えしてやろう」

「!……ほんと?」

「だが、軍に入るなら、私は君を一般の難民ではなく『部下』として扱うぞ」


 そう見据えてくるローズの視線に、フェノンは思わず固唾を呑んだ。


「フェノンの言った通り、私は『軍の偉い人』だ。言う事は聞いてもらうし、命令は絶対。これが守れるなら連れて行ってやる」


 フェノンは頷く。無表情の中にある強い意志を感じて、ローズマリーも胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 ふ、と息を吐き、緊張を解いてローズマリーは微笑む。


「なら、最初の命令だ。今日は傷を癒す目的もあるから、お母さんや友達を『世界樹』の枝へ行けるように祈ってやれ。一人の息子として、母を見送ってあげるんだ」


 その『命令』に、フェノンは不満げに眉根を寄せた。


「……時間が惜しいけど、それは『命令』なんだよね?」

「テロ組織への掃討作戦は二日後に予定しているが、それまでは私にも待機命令が出てるから当日まで動けない。そもそも怪我人に出来る事など何も無い事ぐらい、分かっているだろう?」

「………………」

「焦るな、フェノン。感情で動けば、その銃口は自分に向く……自警団の鉄則を忘れた訳じゃないだろ」

「……『己の都合で殺意を向けるべからず』。一応分かってるつもり」

「ならいい」


 皆の身元確認の書類を出してくる、とローズマリーはその場を離れる。フェノンはローズマリーの命令通りに母の頭元にしゃがみ込むと、その肩に額を軽く乗せた。

 しかし死んだと思っていた心は、母に触れた瞬間、堰を切った様に溢れて止まらなくなる。


「……お母さん……」


 あの時、呼べなかった言葉。もう届かない呼び名を何度も呟き繰り返しながら、フェノンは母に縋り、静かに泣いた。





「ローズマリー、ちょっと良いか?」

「シダー叔父さん」


 あれから数時間後。簡易的な事務所でもあるテントの中で、簡易ベンチで横になって眠るフェノンの側に寄り添っていたローズマリーに、シダーと呼ばれた男性が少し訝し気な顔で声を掛けた。

 ローズマリーと同じ緑色の瞳を持ち、明るい茶色の長い髪を項で結う中年の男性。彼はローズマリーの父方の叔父であり、同じ『チャーチグリム号』に乗る船員だ。


「その子の名前だが、『フェンネル・メノウ』で間違い無いか?」

「ああ。この子の母親にも、本人にも確認は取れてる。家族からは、あだ名というか幼名で呼ばれていたようだが」

「それが……自警団名簿のデータベースに入ってなくてな」

「え? そんな筈は……」


 彼は、一つのファイルをローズマリーの前に差し出した。


「他部署のヤツが見つけた。それも違う名前で」

「……どういう事だ?」

「偽名だよ。同居人の苗字と自分の名前から取った偽名で、性別も偽って登録されてた。フェニ・ラピス。聞いた事あるだろ」


 その名を聞いて、ローズマリーは更に目を丸くした。


「フェニ・ラピスって……まさか、あの《(マティアス)の申し子》か!?」


 ファイルを受け取ったローズマリーは、数枚の書類に急いで目を通す。貼り付けられた小さな顔写真を見て、書面の少女が目の前で眠る子供で間違い無いと理解した。

 何より信じられなかったのは、彼が持つその手柄の数だ。


「……検挙数が、百二十三人……だと……!」

「それも、入隊して半年間でその数だ。実質言えば自警団は研修期間が三ヶ月ほどあるらしいから、実戦に出てからを考えると……」


 ローズマリーは思わず言葉を失った。

 『ファーム』は確かに、他の地域と比べて治安が良くない傾向ではある。だが、それでもこの人数を検挙するには、あまりにも数が多いし何より短期間過ぎる。

 フェノンは常にイヤーモニター、トランシーバー、ラジオ型無線で全チャンネルを把握し、一番高い場所から逃げる犯人を尽く狙撃していた。直接狙撃は勿論、車で逃走しようが建物の影に隠れようが、人質を取ろうともフェノンには大した問題では無い。犯人の姿が見えれば、彼にはそれだけで充分だった。

 小銃使いは、自警団どころか軍ですら圧倒的に少ない。そんな中で現れた類稀なる才能に、フェノンは自警団から重宝されていたのだった。

 今回のテロを企てていた輩達も、フェノンは知らず知らずの内に仕留めている。彼のお陰で、今日まで襲撃が遅れていったと考えても過言ではなかった。


「自警団の討伐数は嘘が無い事で有名だ。その歳でこれだけの手柄があるなら、既に軍にすっぱ抜かれていてもおかしくないんだが……女で登録されてたから、見逃されたのかもな」

「……ジャスパー副司令官に、何としてでも欲しい人材が自警団にいると言われていたが……」


 彼女が口に出したジャスパー副司令官は、ローズマリーの直属の上司かつ雇い主である。


「……まさか、副司令は見抜いてたってのか?」

「いや、『フランボワーズ』と同じ給金を手配してもいいから、私の船に乗せてやってくれと言われていたんだ。純粋に軍に引き入れたかったのかも……女性は兵舎学校に入れないからな」

「なら果たして……性別を偽って、しかも偽名で登録していた理由は何だ? この子が自ら望んだのか、もしくは親が強要したか……」


 ローズマリーは、「軍に入りたい」と言っていた少年の言葉を思い出した。


「……この子の母親は、我が子の才能を見抜いてたのかも知れない。だから気付かれないように隠していたとか」

「……隠す? 何から?」

「父親だと思う」


 それを聞いたシダーは、訝しげな顔でローズマリーを見る。


「フェノンは、『父親の家に見つかると駄目だ』と話していた。母親は、きっとこの子の父親から隠したかったんだろう」

「父親ったって……それに、父親の『家』だと? そんな言い回し、普通は貴族に対して使うモンだぞ」

「!」


 情報量の多さも相まって、二人の間に若干の不穏な空気が流れる。その時、眠るフェノンが小さく呻いて寝返りを打ったため、二人は少年が起きたのかと驚いて咄嗟にフェノンを凝視する。しかし、彼は目を開ける事無く、再び落ち着いた寝息を立て始めた。

 初めて出逢った時よりも、ずっと安らかな顔をしていると感じる。なのに、その顔色は未だ悪く、目元の隈も酷い。

 ローズマリーは悔しそうに唇を噛んだ。


「……理由が何だろうと構わない」

「何?」

「フェノンの母親がしたように、私がこの子を隠し通せばいいだけだ。私がこの子を守ろう」

「おいおい、まさか『また』引き取るのか?」


 シダーは呆れた様に片眉を上げる。彼がそう思うのも無理は無く、ローズマリーは孤児院を既に二箇所も所有しており、すでに施設はどちらも三十五人の定員を満たしてしまっている。

 肩を竦めるシダーに、ローズマリーは「失礼な」と頬を膨らませた。


「ちょっと叔父さん、私を節操無しみたいに言わないでくれ」

「そこまでは言わないがよ……お前の児童施設は軍の支援金で賄われているだろ? 個人情報も全て共有しているのに、軍から隠し通すなんて不可能だぞ」

「だから、私が直接引き取るんだ。この子を船に乗せる」


 堂々と胸を張ったローズマリーに、シダーは訝し気にジトッと目を細める。


「……嘘だぁ」

「いやいや、こう見えてちゃんと考えてるんだぞ? 十五までは船で共に暮らして、成人した後は新たな人生のを踏み出していけば良い。それまで私が保護者でいれば、未成年の内は引き抜きにも合わないだろうし」

「……それでも、もし『隠してた相手』に見つかったら?」

「絶対見つからないさ!」

「いやいや、お前な」


 シダーは楽観的なローズマリーに思わず溜め息を吐いた。

 しかし、ローズマリーの決意は固い。


「実際、有事の際でもフェノンの力なら自分で戦えるだろう。でも、もしこの子に害を成す存在が現れるなら、私は如何なる権力を駆使してでも排除してやる。それが、どんな相手だろうとな」

「……ほぉ、言うじゃないか」


 感心して笑んだ彼に、ローズマリーも誇らしげに胸を張った。


「保護者として当然の事だ。という訳で、早速叔父さんに手続きを頼みたいんだが」

「手続き?」

「完全な養子では、フェノンの苗字が『アイオライト』に変わってしまう。だから里子か後見人登録にして、それから……」

「待て待て、まず戸籍調べないと何もできんだろ。偽名で通してんなら、出生届けが出てるかも分かんねぇのに」

「フェノンは明後日の掃討作戦に同行させる」

「はぁ? 怪我人なのにか?」

「私と同行させるから危険は無いさ。だがフェニ・ラピスの名前だけは、私とは違う部署所属にして『戦死』させたい」

「……何?」

「今回を『彼女』の『最期の戦い』にすれば、執拗な捜索や訪問で、自警団に迷惑を掛ける事もないだろう。一応、今の内から死亡届とタグを作って貰えれば……」

「待て待て待て。ドバッと言うな、訳分からんくなってきた」


 捲し立てるように希望を述べていくローズマリーに、シダーは遂に頭を抱えてしまう。


「もう少し細かく分けて、詳しく、かつ段階的に指示してくれ。一遍に頼まれたら担当を泣かせる事になるぞ」

「頑張れ!」

「俺に応援するな!」


 鬼畜か!

 そう怒ったシダーに、ローズマリーは何処か楽しそうに笑い返していた。

 実は、寝返りを打った時点でフェノンは起きていた。知り合ってばかりの大人達ではあるが、二人の明るい声を背中に受け、フェノンは母や家族達を思い浮かべて頬を濡らしていた。



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