二話
『ファーム』の自警団は、住民や従業員による街の防衛を目的とした、軍に所属していない独立警備隊だ。
『フランボワーズ』達や娼館の従業員、その他他店其々のスタッフも護身術の習得を義務付けられていて、年齢制限は無く、ここで生まれ育った未成年は勿論、『ファーム』外から来た出稼ぎ労働者など、幅広い住民達が四年半にわたって小銃や格闘技術を学ぶ事になる。
修了証を貰うまでは基本訓練生として実務には参加しないのだが、特例で、月毎に選出される優秀者に三度選ばれた者は、現場に出て自警団としての任務に就く事が出来た。
フェノンは「目立ってはいけない、名前が有名になってはいけない」という家族達の勧めで、友人の名を借りた偽名で申請し、己の体力も考慮して狙撃専攻で訓練を受けた。しかし、フェノンはなんと入団してたった三ヶ月で実践勤務に入る事になった。
「えっ、もう!?」
月一の優秀者選考に、三回連続で選ばれてしまう程の才能。セリに報告したフェノンは自信満々でふんぞり返っていたが、何故か神妙な顔で「おめでとう」と祝福の言葉を放つセリに、フェノンは「いけない事だったのだろうか」と少し不安そうに眉を下げる。
「……何か、ダメだった……?」
しかし、セリはフェノンを抱き締めると優しく話した。
「……ううん。フェノンが凄すぎてびっくりしちゃったよ。さすが、私達の自慢の仲間だわ」
褒められて、フェノンは恥ずかしそうにしながらも素直に喜ぶ。しかし、セリの表情は曇ったまま変わらなかった。
というより、何処か心配そうに眉根を寄せている。
「……フェノンがスゴいのは皆知ってる。でも、少しでも危険だと思ったら、絶対に無茶な事はしちゃ駄目だからね。フェノンは頑張らなくても一等賞を取れる。だからこそ、目立たないよう、浮き出ないよう、常に三番手四番手を心掛けな。いい?」
「……うん、わかった」
「本気を出すのは、自分や大切な人を守る時だけ。絶対に、軍に名前を知られるんじゃないよ」
「偽名だから、大丈夫だと思うけど……」
身を隠す事に納得がいかないのか、食い下がってくるフェノンに、セリは膝をついて視線を合わせた。
「この『ファーム』で、マティアスの子供はアンタだけなの。偽名だろうが、性別を偽ろうが、『あの家』にバレたらタダじゃ済まない。この事は話したわよね?」
「でも、自警団から軍にすっぱ抜かれるのは男だけなんでしょ?」
「前例なんか役に立たないよ。フェノンが最初の子になるかも知れない……私は怖いの。『あの家』が、じゃない。フェノンが望まない人生を送らされる事になるのが……フェノンが苦しくて辛い思いをするのが、私は一番怖いのよ」
セリは目の前のフェノンを抱き締める。彼女の肌の温かさに、フェノンも彼女の服を掴んだ。
「お願い、フェノン。もう少しだけ、アンタの保護者で居させて」
「……私は、ずっとセリちゃんの子供だよ」
「……私だけじゃないよ。カヤもハスもヤシちゃんもキリも、皆アンタの母で姉で仲間、大切な家族なんだから。私達の希望を、アンタが奪わないでね」
「……わかった。後方支援なら良い?」
「んんー……オッケー、それなら認めるわ。大好きよ、フェノン」
「私も大好き」
しかし、その事件が起きたのは、フェノンが自警団に入って一年が過ぎた頃だった。
※
《フェノン、排除対象がそっち行ったよー》
「了解。窒息させて捕まえる」
とある店に対して強盗と暴行を行い、自警団に追い掛けられていた男が、裏道を抜けて逃走していた。自警団の黒いタクティカルスーツに身を包むフェノンは小銃の装填弾をゴム弾に変え、街中至る所にある鏡を駆使して遙か先を行く対象者を狙う。男が角を曲がって路地を抜けた瞬間、射線に入ったのをフェノンは見逃さなかった。
背中から鳩尾を狙撃された男は息を詰まらせ、その場に倒れ込む。直後、彼を追ってきていた複数人の自警団に囲まれ、男は座敷牢のある事務館に連行されていった。
フェノンは長い髪をヘアゴムで簡単に結い、一仕事終えた安心感に息を吐き出す。
「はー、終わった終わった。帰ろっと」
《最近、フェノンって声低くなったよね。もしかして声変わり?》
イヤホンマイクの向こう側から半笑いの声を聞いて、フェノンはムッと眉根を寄せる。
「一緒にすんなブス。そっちは終わったの?」
《完璧ですぅ。僕等は泣く子も黙るラズベリー隊だぞ?》
ラズベリー隊とは、若い男娼達で組まれた自警団の精鋭部隊だ。十歳から二十五歳までの若年層で組まれた彼等は身軽で持久力も高く、自警団の中でも特に重宝されていた。
《僕達も後は見回りだけだもんね。はぁー、早く終わんないかなぁ……バーベイン様にヨシヨシされたぁい》
「耳元で盛んないでくれる? キモいんだけど」
《ちょっとヒドくない? 同僚に辛辣だと、『ファーム』じゃ生きていけないんだからねっ』
「アンタも軍に上がるなら、餞別でお金落としてく位はしていって欲しいもんだよ。セリちゃん達のお店なら、初回は半額だし」
《はぁ!? やめてよ、僕はバーベイン様の物なの! 浮気なんかしないもん!》
「あはっ、キモいねぇ」
《うるさいブス》
直後には、フェノンはイヤホンマイクの電源を切って耳から外す。その後、昼前には張り込みの交代で自宅に帰ってくると、銃をラックに立て掛けて手を洗った。
その時、ふと、目の前の鏡に映った自分の姿を見て同僚に言われたことを思い出した。
「……やだな……」
声変わり。自分では分からないが、低くなったというのは本当なのだろうか。
最近の喉の掠れから、少しずつ身体が変わってきているのが分かる。背も伸び、腕力も体力も強くなってきた。
自分は、綺麗で美しいトメ達とは違う。
「…………………………」
男は醜く、欲に正直で汚い生き物だ。それは、フェノンが今まで生きてきた中で学んできた男性に対しての印象だった。
己が男であるが故に、イリスアゲート家は己を狙う。そして、だからこそトメは自分をイリスアゲート家から隠し、守ろうとしてくれている。
結局は、自分が男であるせいでセリ達に余計な苦労をさせてしまっている事実には違いなかった。
自分の性別を知っているのは、自警団に共に入ったたった一人の同期だけ。信頼出来る仲間ではあるが、万が一上層部に男だとバレたら、間違い無く自分はラズベリー隊に移されるだろう。
そうなれば、頻繁に視察に来ている軍の者に顔を覚えられる危険がぐっと高くなる。その前に女性としての自警団の任期が終わり、セリ達と同じ予備隊に変わったとしても、皆と店で働くためには資格を取るしかない。
しかしその資格や免許も、『ファーム』から数年は出ていかなければ取得は不可能だ。
自分が居れば、皆に迷惑を掛け続ける。しかし、自分が居なければ誰が彼女達を守れる?
自分が女だったら、ずっと側に居られたのだろうか。そうでなくとも、この劣等感は感じずに済んだかも知れない。
「……女が、良かったな」
セリ達のお陰で、自分はこの世に存在している。生まれた事を悔いてはいないが、せめて、彼女達と同じ美しい生き物であれたらと叶わぬ憧れを静かに呑み込んだ。
「ただいまぁ」
「……おかえり。早かったんだね」
リビングにやってきたセリは、先に昼食を摂っているフェノンに「おいしそー」と笑みを見せる。
「まったく、非番なのに経営方針の会議とかやってられないわ。フェノンは? いつ帰ってきたの?」
「ちょっと前。ここんとこ連勤だったから、今日はもう終わりだって」
「本当、お疲れ様。幾ら安全な昼間だからって、若い子を働かせ過ぎなのよ」
「まぁね。でも今の治安じゃ、そうも言ってられないから」
「……反乱過激派が燻ってるって噂、本当なのかしら」
「さぁ……みんなはデマだって言ってるけど」
しかし、その噂はものの二秒で現実となってしまう。突然、家に備え付けてある有線放送のスピーカーから低い警告音が鳴り響き、直後に緊迫した音声が大音量で響き渡る。
《敵襲、敵襲!! 自警団もとい雇用兵は、持ち場に集合せよ!! 直ちに持ち場に集合せよ!!》
しかし、セリとフェノンはすぐに緊張を解いて互いの顔を見合わせる。実はこの音声は緊急時にすぐ放送できるようあらかじめ録音してあったもので、近頃は頻繁に聴くようになっていた。
そのため、セリの反応も「ビックリしたぁ」という、少し苛立った一言だけだった。
「またか……」
そう呟いたのは、呆れた様子で席を立ったフェノンだった。
警報がなってしまえば、臨戦態勢を求められる自警団は決められた持ち場へ向かわなければならない。
「フェノン、どうする? 今回も空振りかもよ」
「……ううん、行ってくる。一応仕事だし……セリちゃんも行くんでしょ?」
「まぁね。アンタも真面目なのは良いけど、充分気を付けるんだよ」
「勿論。セリちゃんも気を付けて」
朝に持ち出していた装備をそのまま装着して、小銃を手に取ったフェノンは入ってきた入口を引き返すようにドアを開ける。
しかし、その時自分に降り掛かった影と声に、フェノンは唖然と口を開けて上を見上げた。
「自警団か。夜鷹のゴミ共め」
その瞬間、完全に油断していたのだ。
それは一瞬の出来事だった。フェノンは左から右へと弾き飛ばされ、視界の色が何度も反転する。顎が割れ、脳が揺れ、痛みを感じる間も無く地面に叩き付けられる。気付けば這い蹲る自分の身に何が起きたのか、フェノンは全く理解出来なかった。
「フェノンっ!!」
セリはキッチンに置かれた麺棒を握り、フェノンを殴った男の目前に一瞬で詰め寄ると、その厳つい顎を下から思い切り叩き上げた。相手は少し怯んだが、すぐに態勢を立て直してセリの腹に足を蹴り出す。くの字に身体を曲げて後ろに飛ばされたセリに、男が拳銃を向けた時だった。
フライパンの金属音と共に、一発のゴム弾を左目に受けた男。仰け反った勢いのまま天井に向けて発砲した男は、醜い叫びを上げながら後ろに数歩よろめいた。
受け身を取って舞うように体勢を立て直したセリは、直ぐ様相手の足を払い倒すと男の眉間を麺棒の先で突いて失神させる。その男をそのままに、セリは蹲るフェノンの元へと急いで駆け寄った。
「大丈夫!?」
「ふ……いぁ……!」
フェノンは両手で口を抑え、口の中を切ったのか溢れる血を手で受けようとする。打撃を受けた箇所と骨格の歪みから、顎を砕かれたのだとセリは推測した。
「酷い事を……無理に喋らなくていいわ。歩ける?」
フェノンが大きく頷く。セリはフェノンの小銃をスリングで肩に担ぎ、ふらふらと立ち上がったフェノンに肩を貸す。失神した男を放置し、二人は裏口に向けて静かに進み出した。
歩く度に振動が響くのか、フェノンが苦しげに呻いている。
「フェノン、血は飲まずに吐き出すのよ。事務館に行けば緊急の救護所になってる筈だから、そこで手当を受けよう」
「うぅ……!」
「ちょっと歩くけど、頑張りな」
事務館への移動中、二人は四方八方から鳴り響く爆発音を聞いた。至る所で悲鳴が起き、火の手が上がり、道端には動かぬ人間が力無く転がっている。
街中のスピーカーは乗っ取られたのか声明のようなラジオ音声を流し、「軍に加担する国賊共」と『ファーム』の住民達を罵っている。
「過激派の連中共め……大人しくしてると思ってたのに」
家の裏手の通りを東に歩いて数分、二人が事務館の門を潜ると、見覚えのある姿がフェノンとセリに駆け寄ってきた。
「セリ! フェノンちゃん!」
「カヤ、手伝って」
カヤも若干のパニックを起こしているのか、その頬は人目も憚らず涙に濡れている。
「あぁ、フェノンちゃん……!」
「教えて、カヤ。この一時間足らずで何が起きたの?」
カヤは鼻を啜り、数回深呼吸して気持ちを落ち着かせ、セリに説明した。
「っクラブ館横の、軍領事館が爆破されたの。その後すぐ、湧く様に奴等が現れて、街を襲い始めて……!」
「そっか……ありがとう。奴等の『頭』は?」
「噂じゃ、演劇館を拠点にしてるかもって……!」
「了解。私は持ち場に戻ってみるから、カヤはここに居て皆に情報を送って。フェノンをお願いね」
セリは友人に手負いのフェノンを頼み、携えていた小銃に銃剣を取り付けると同時にゴム弾を薬室から全て排出する。フェノンが装備していたベルトポーチから実包の束を一つ取り出すと、小銃のボルトを引いて、弾薬を薬室へと一気に押し入れた。
カヤはフェノンの腰に巻かれたベルトポーチをそっと外し、涙ながらにセリに手渡す。それを受け取ったセリはベルトを自分に装着し、最後にカヤから受け取った拳銃を後ろ腰に差した。
「持ち場に顔出した後で、他の皆を迎えに行ってくる。無線は二番で出して」
「……セリ、何だか嫌な予感がするの。皆『ハウス(娼館)』の本館から帰ってきてない」
「……そうかもね」
「もしかしたら、本館の地下が奴等の侵入経路なんじゃ……だとしたら、本館は今頃……!」
「なら、尚更急がないと。奴等は人質を取ったりしないからね」
「……もう、もう手遅れかも知れないよ……!」
「もう! アンタが不安になってどうすんのよ」
セリは苦笑しながら、嗚咽を漏らすカヤの背中を強めに叩いた。
「アンタ、歴戦のオペレーターでしょ? 夜勤明けで疲れてるのは分かるけど、状況が落ち着くまではしっかりしてよ。フェノンが不安がるでしょ」
「っわ、わかってるわよ!……わかってるけど……!」
「……よく聞きな、カヤ。アンタは今、独りじゃない。フェノンも一緒にいるのよ。顎の治療が終わったら、その子に変わりの銃と装備を渡して。電音信号は習ってる筈だから、会話は出来るわ」
それじゃ、と、セリが背を向けた瞬間、彼女は袖を引かれる感覚に後ろを振り返った。
血だらけの小さな手が自分の腕を掴み、痛い筈の顔を懸命に横に振るフェノンは、ボロボロと大粒の涙を流しながら潤む瞳をセリに向けて口を動かした。
「うぁ、お……おあぁ、は……っ!」
「……え……?」
「お……か、あ……!」
二人の女性は、言葉を失った。
「……あぁ……は……!」
「……フェノンちゃん、アンタ……」
「…………フェノン……」
拙い発音で何度も繰り返し、言わんとしよう事を悟ったセリは、それでも、フェノンの手をそっと包んで自分の腕から離した。
いやいやと首を横に振り続けるフェノンの肩を掴み、セリは真っ直ぐに『我が子』を見つめる。その表情は悲痛を訴えながらも、強く優しい眼差しで笑っていた。
「……フェノン。フェンネル。よく聞きな。これだけの惨事だから、もうすぐ軍の救援部隊がここに来る。そしたら、必ず『メノウ』の姓を名乗るんだよ。もし逸れたとしても、私達の誰かがアンタを見つけてやれる」
「ううぅ……!」
「必ず迎えに来るから、それまでは強く居て頂戴。フェンネル、優しくて賢くて強い、私達の自慢の仲間。私達の天使……私だけの、可愛い子」
セリは、最後に愛しい息子を抱き締めた。
「アンタは、フェンネル・メノウ。いいわね」
顎の痛みなど忘れて、彼も母を抱き締め返す。離してしまえば泣き崩れそうな我が子に、セリは一筋の涙を流して微笑んだ。
「じゃあ頼んだわよ、カヤ」
友人も涙を流して嗚咽混じりに頷く。自分を放して再び背を向けたセリにフェノンは手を伸ばすも、その手は空を掻くだけで彼女には届かなかった。
彼女の背を追って走り出しそうなフェノンを、咄嗟にカヤが抱えて引き留める。
「あ、おあぁは……っ!」
お母さん。何度も何度も叫んだが、砕けた顎は思うように動かない。切れた口の中の出血も止まらず、口を動かすたびに唇からは血が溢れて顎を伝う。
フェノンは膝を付き、動けなくなる。そんな彼にカヤがそっと寄り添い、その華奢な肩を抱いた。
「フェノンちゃん……お願い、怪我の手当をさせて。血が止まったら装備を渡すから、一緒にセリを手伝いに行きましょ。ね?」
友人に説得され、フェノンは泣きながらも促されるまま事務館の中に向かう。
しかし、その瞬間だった。
「――――」
視界が白一色に染まる程の閃光を浴び、直後に強大な破裂音が響く。岩を砕き、物を吹き飛ばす爆風は、フェノンと友人を正面から襲った。
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