失われたもの
辛辣、凄惨な過去。
※
次にノブが回った時、ローズマリー達が見たのは初めて見る顔だった。
「よぉ、『初めまして』だな」
「!」
「……さっきの男……ネトルは何処へ? 貴様は誰だ」
クミンが入ってきた男に問えば、相手は「早速懐かれてやがる」と嗤った。
部屋に入り、男は此方側から鍵を締める。その行動にローズマリーが不安げに眉根を寄せ、フェンネルは無表情ながら鋭い目を男に向けた。
「そんなにビビるなよ。俺は、そこの『フランボワーズ』に用があるんだ」
「?」
クミンが訝しげに首を傾げる。しかし、近付いてくる男から彼女を庇うように、ローズマリーがクミンをその背後に隠した。
男の下卑た笑顔は変わらない。
「そう緊張すんなって。お前等には『まだ』何もしねぇから」
「おいおい、用があるのは俺にだろ?」
フェンネルの声に、男は彼の前へとしゃがみ込んだ。
「人質に『ヤれそうな奴』がいるって聞いて見に来てみりゃ、とんだ上玉が引っかかったモンだ」
「……こんな『汚ぇ野郎』に欲情してくれんのか? アンタも物好きだなぁ」
「『漬け込んで』売りに出すには惜しい顔だ。お前だけじゃなく、ガキ共もな」
目を細めたフェンネルの後ろで、ローズマリーも眉根を寄せる。
「……そこら辺詳しく聞きてぇな。『遊ぶ』前にお喋りでもしねぇかい?」
「その余裕ぶってる感じ、堪んねぇなぁ……別に構わねぇよ、どうせ訳わかんなくなるんだし」
男は、フェンネルの長い三つ編みに触れ唇を落とす。髪に染み込んだ香木の薫りを吸い込み、口角を上げる。
「……ウチの船長を呼び付けて、アンタ達は何がしたい? さっきの男は、『市長』がどうのと言ってたが……」
「アンバーの事か? アイツは義理の妹を『中心街』の市長に『食われた』からなぁ」
「!」
「食われた……? 愛人とかじゃなく?」
「人身売買が行われてるんだよ。知ってるか? 『混ざり者』は男に生まれる率が八十五パーを越えてるって」
「……何?」
唖然と目を見開いたフェンネルに、男が小さく笑い声を漏らした。
「男尊女卑の貴族の間で、純血に拘る家ほど女しか生まれない。だから街に出てきて適当な相手を見つけ、託卵で子供を育ててんだ」
「まさか……!」
思わず呟いたローズマリーを一瞥した男は、親指で彼女を指し示し、「最近、『街』で見なくなったと思わないか?」とフェンネルに問う。
「女のガキは、みんな人身売買で買われていった。残ってる路上孤児は男ばっかりだ」
「……オリヴェールは純血しか生まれない。そういう事か」
「御名答。純血は特に貴重だ、オリヴェールは金持ちの変態共に高く売れるんだよ」
長い髪に隠れた耳の後ろに触れ、首筋をなぞり掌で頬に触れる。ぞわ、と肌が粟立つ感覚に眉を引き攣らせるが、その反応を男は楽しんでいるようだった。
何とかしてやりたいのに、クミンの事を考えると何も出来ない。ローズマリーは、フェンネルが早く抵抗する事を祈る他無かった。
「その『アンバー』という男の義妹が、市長に食われたってのと話が繋がらねぇんだが」
「簡単な話だ。奴の義妹はオリヴェールの二人姉妹……違う『チーム』が帰宅中の二人を襲ったみたいでな、姉の方が妹を庇って一人連れて行かれた」
「……その姉は?」
「想像の通りだよ。闇オークションで奴の親父が競り落とした時には、完全に薬漬けにされて『脚の無い人形』にされてた」
先程の優しい男が抱える闇に二人は言葉を失うが、男の彼を触れる手は止まらない。
「一回『入れた』薬を抜くってのは、想像を絶する苦しみと激痛だ。耐えきれなくなったか、もしくは薬が抜けて『されてきた事』を思い出したか……見晴らしの良いT地区の屋敷で養生してたらしいが、目を離した隙に窓まで這い擦って飛び降りたんだと」
「……それが、市長の仕業だとどうやって調べた?」
細い首元に口付ける男が「アイツの家を聞かなかったのか?」と笑った。
「奴の家は、この国で一番デカい傭兵一家だ。ちょっと調べりゃ、義妹を『出品』した相手なんざすぐに分かるだろ」
「……それの復讐か。俺達は? 誰の『オモチャ』にされるんだ?」
「気が早い奴だなぁ。それだけ美人なら買い手なんか幾らでも付くんだから、先に楽しませてくれよ」
男がフェンネルの左膝を持ち上げ、手前に引いて壁際から床へと引き摺り倒す。頭を打たないよう身体を浮かせていた彼の胸を押し、脚の間に割って入った。
組み敷くように覆い被さってきた相手に、肘を付いて少し身を起こしたフェンネルは「まぁ待て」と制止の声を掛ける。
「焦るな焦るな。ガキ共が見てるぜ?」
「どうせ自分等も『可愛がって』もらうんだから、今の内に勉強させときゃ良い」
「薬漬けにされるのに?」
「一回は通さねぇと、今の時代処女は売れねぇんだよ。流行り廃りが激しい世界だからな」
「……ふーん」
その時、ローズマリーはフェンネルの目が据わるのを見た。
黒鳶の瞳から光が消え、その口元に薄い笑みが浮かぶ。
「後がつかえてるなら、早く回さなきゃ時間が無ぇ。お喋りもここまでか」
「さすが、手慣れてる人間は判断も早いな」
フェンネルが両足を上げ、相手の胴を膝で挟む。男の背中で脚を交差させ、縛られた腕に男の頭を通して頭を引き寄せる。
「色々話せて楽しかったぜ、オニーサン」
「俺もだよ、『木苺』ちゃん」
二人の口元が重なる瞬間に、ローズマリーは思わず顔を背けた。背後からも、クミンの慄き息を呑む声が漏れた。
すると数秒の内に僅かな呻きが聞こえ、布擦れと舌打ちが聞こえてゆっくりと右目だけ開いてみる。
「……クソが。酒臭ぇ」
フェンネルは自分の上に倒れ込んだ男の身体を横へ押しやり、唾を吐き捨てて肩で口を拭う。
「っこ……殺したのか……!?」
「簡単な『絞め技』で落としただけだ。そこまでの脚力も無い」
わなわなと身体を震わせるローズマリーは、フェンネルを指差して怒りを顕にした。
「お前は、もう! 無茶するなって……いつも、言ってるのに!」
「あぁ?」
ぶつけ様の無い怒りをフェンネルの肩にポカポカと殴り付け、「やめろウゼェ」と嫌がるフェンネルの首にしがみついて彼の髪に額を擦り付ける。
フェノンのアホ、おバカ、と悪態を吐くが、涙声の彼女にフェンネルは片眉を上げて溜め息を吐く。
「何なんだよ、お前。自警団の常套手段だぞ、知ってんだろ?」
「うるさいバーカ! さっきから自分を差し出すような真似ばかりして……リンデンに言うぞアホ!」
「はぁ……?」
ふと、視線を上げたフェンネルはこちらを見るクミンに気付く。その顔は涙に濡れ、ハッキリと見開かれた瞳は間違いなくこちらを捉えている筈なのに、何処か視点の合わない奇妙な感覚を覚える。
「……おい、チビの様子が変だぞ」
「ん?」
半べそで振り返ったローズマリーがクミンの名を呼ぶと、彼女は突然口を抑えて胃の中を吐き戻してしまう。
「クミン!」
駆け寄ったローズマリーが急いで対処するが、床に吐いた事で服の汚れなども特には無かった。だが、クミンは四つん這いのまま少し息を荒げ、何かを呟き始める。
「クミン、どうした?」
「踏み潰したんだ……私が、あの子を……」
「何?」
「私が……私の所為で……」
再び顔を上げた彼女は、ふらふらとフェンネルに膝を擦りながら歩み寄る。彼の膝を縋るように掴んだ彼女は、何故か「すまない」と謝罪を繰り返した。
「貴殿が名を授けて下さった子を……私は、あろう事か自らの手で……っ!」
「……何の話だクソチビ、また訳わかんねぇ事を……!」
「すまない『神官』殿……! 私は、何も守れなかっ……」
突然白目を向いた彼女は、力無く崩れ落ちるようにフェンネルの横へと倒れ込む。頭を打たないように頭を支えてやるが、その体温に彼は思わず眉間に皺を寄せた。
「……酷い熱だ」
「何だって……!?」
ウエットティッシュで口元を拭ってやり、ローズマリーが羽織っていた橙色のパーカーを枕にして横向きに寝かせる。
途端、入口のドアノブが音を立てて外れ、取れたドアノブを持ったマティアスの男が「大丈夫か」と慌てて入ってくると、そんな彼にローズマリーが指を差して怒りを爆発させた。
「遅ぉ――――いっ! 何処に言ってたんだ、ネトル君が早く来ないからこんな事態になってるんだぞ!」
「え、えぇ!?」
理不尽な怒りを受けて戸惑う彼に、フェンネルは哀れみの目を向け息を吐き出した。
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