無邪気な恐怖
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それは数年前、ユズリハが正式に『チャーチグリム』の乗組員となった頃の話だ。
幼いフェンネルは、「ローズはしょっちゅう攫われそうになる」と話した。
「前はローズの叔父さんが守ってくれたけど、叔父さんが引退してから男手が居なくなって困ってたの。私はまだ力も弱いし」
切実なのだろう、少女のような彼の表情に冗談や悪ふざけは一切無い。
有名な船、知る人ぞ知る『導きの女神』を、身代金や革命の材料に使おうという輩は未だ多く存在した。
「任務もあるし、ずっと一緒にいる訳にいかないでしょ。だから、『もしもの時』の事を、ユズさんに覚えておいて欲しくて」
「俺だって可能な限りは二人を護るさ。何も今決めなくても……」
「ローズを完全に護るには、船に閉じ込めておくしか無い。でも、それはローズが嫌がるから駄目なの」
「でもなぁ……」
「聞いて、ユズさん」
彼が提案したのは、『身代わり作戦』だった。
「もしローズが攫われた時に私が一緒に居たら、私はすぐにユズさんを『船長』に仕立てる」
「はぁっ? いやいや、それこそ彼女の『叔父』とかいう人に相談した方が……」
「駄目。叔父さんはもう『戦えない』から」
引退した経緯をよく知らないユズリハは、『戦えない』という言葉に妙な重さを感じて言葉を飲み込む。
「相手がユズさんを探し当てた時、『娘を預かった』って言わせるように誘導するよ。いい? 『娘を預かった』、そう言われたら、『私』はローズの傍にいるってことだからね」
「……他の言われ方をされる場合がある、って事か?」
彼は表情を変えずに頷いた。
「もし相手が、『娘』じゃなくて『船長を預かった』って言ってきたら……私の事は『死んだ』と割り切って行動して欲しいの」
それを聞いたユズリハは、流石に首を振って反論した。
「そ……それは極論過ぎるぞ、フェンネル。別々の部屋に監禁されてるかも知れないし、ただ拘束されて、話が出来ない状態なだけかも知れないだろう?」
「相手が交渉を掛けてきた時点ですぐに判断出来ないと、こっちの行動が後手に回るよ。確かにユズさんの言う通り、私が話せない状況なだけでローズの近くに居たなら、それ以上のラッキーは無い。ローズはこの作戦を知らないし、私が傍に居ても話せない状況なら、ローズは正直に『自分が船長だ』って名乗っちゃうと思う」
「だったら……」
「でも、もし『別々に監禁されてる』以上の悪い状況なら、『優先順位』をはっきりさせた方が良いから」
状況が把握出来ない場合は、しっかり切り捨てた方が『生存率』が上がる。
彼が言う『生存率』とは、当然己の事ではない。『チャーチグリム』号であり、助けに向かう事になるユズリハであり、ローズマリーの『生存率』だ。
ユズリハは思わず視線を泳がせた。
「しかし、それでは……あまりにも、非情過ぎるじゃないか。お前の事は、誰が助けに行くんだよ」
「駄目だよ。間違っても、私も一緒に助けようとか考えないで」
フェンネルは迷う事なく言い切った。
「第一にローズの救助、第二にローズの身の安全確保、第三に『チャーチグリム』の安全確保。もし余裕があったら、第四に敵の鎮圧かな」
「……守らなければ?」
「出来ないならユズさんは役に立たないから、今すぐこの船を降りて」
辛辣なようで、彼なりの防衛策。
そのような状況にさせなければ良い、と、ユズリハは苦渋を飲む気持ちで頷いた。
「……ちなみにだが、『第五』とかは?」
「無いよ、そんなの」
「……それは、『先輩からの指示』で良いよな?」
「違うよ、『上司命令』。だから絶対守ってね」
そして今、ユズリハはその時の事を走馬灯のように思い返していた。
「……『娘達』、だと……?」
「オリヴェール人と、髪を染めたヴァルテッリの『姉妹』だ。心当たりがあるだろう?」
「……俺の事は、誰から聞いた?」
「お前が『娘達』の護衛に付けていた『雇われの男』だ。ちょっと脅せば、見事に全て吐いてくれたぞ」
ユズリハはカウンターに手を付く。深く吐き出された溜め息は、男達には『呆れ』の感情に読み取れたらしい。
「……ゆ、ユズリハさん……」
心配そうに声を掛けたサカキが見たのは、小さく微笑んだ彼の安心した顔だった。
全員生きている。状況はまだ分からないが、取り敢えず、『誰一人欠ける事なく』意識を持って傍にいる。それだけで、ユズリハは次の手を打つためゆっくりと顔を上げた。
「アイツは本当に……」
天井を見上げて呟いたユズリハに、男の一人が「心中お察しするが」と口を開く。
「俺達も『仕事』なんだ。娘をキズモノにしたくはねぇだろ?」
「……かすり傷一つでも付いてたら皆殺しにしてやるからな」
「『気遣いの出来る男』を見張りに付けてる。今頃は『お姫様扱い』されてるだろうよ」
睨むユズリハに、もう一人の男が「時間が無い」と腕時計を見下ろした。
「時間を掛けている余裕は無い。一緒に来てもらうぞ、船長」
「……一つだけ条件がある」
「あ? 条件を出せる立場にあると思ってるのか?」
「あそこにいる男も一緒に連れて行く」
ユズリハが指し示した先には、未だヒマワリから視線を外さないリンデンの後ろ姿がある。
男達の内一人が、その姿に鼻で嗤う。
「……許可出来ないな。仲間は置いていけ、船長一人で来てもらう」
「なら俺は行けない」
「!」
男達の顔色が変わった。だが、ユズリハは構わず言葉を続ける。
「その男は『娘達』の友人でもあるんだ。連れていけば彼女等も落ち着く」
「許可出来ない」
「皆が『死ぬ事』になるぞ」
「逆らうなら……」
その時、リンデンの足元からブザーの音が響く。その音の正体を知るサカキは慌て、ユズリハは男達に「早く決めろ」と促す。
何故か得体の知れぬ恐怖に襲われた男の一人が、「わかった」と強く叫んだ。
「分かった、分かったから」
「おい、何を勝手に……!」
「こっちには銃もあるんだ、一人増えた所で変わらねぇだろ」
相手は銃を所持している。成る程、フェンネルが大人しく人質のポジションに甘んじている理由を知ってユズリハは顔を顰める。
「リンデン、落ち着け。また『壊す』ぞ」
「……うん」
「よ、予備があります。ぼ……ぼ、僕ので、良ければ」
サカキが自分の腕から黒い機械を外し、ユズリハの手に握らせる。何食わぬ顔で彼は自分の腕に巻き直すが、リンデンから目が離せなくなっている男達は何を咎める事もなく「早く行くぞ」と口走った。
ブザーも鳴り止み、ユズリハは凭れていたカウンターから身体を離す。
「世話になったな、サカキ。『この分』はツケといてくれ」
「い……いえ、サービスですので。お、お構いなく」
「……ありがとう」
「……ご、ご武運を」
握手を交わし、剣を背負い直したユズリハはリンデンの腕を掴んで出口へと向かった。
「さぁ行くぞ、リンデン。早く合流して飯食いに行こう」
「……お土産屋さんも行く!」
「予定は詰まってんだ、ぼーっとしてる間は無いぞ」
急に、ストンと帳が落ちたように空気が軽くなる。二人が三人の前を通り過ぎようとした時、ふと、リンデンが一人の男を見つめて立ち止まった。
「リンデン?」
その視線を辿れば、三人の内、一番出口側にいた男を彼は真っ直ぐに見つめている。
「ねぇ」
赤い瞳を見開いたまま、リンデンが口を開いた。
「フェンネルに触った?」
ぞ、っと彼等の背筋が凍る。リンデンが見つめる男は顔すら上げられず、その視線から逃れるように顔を背けている。
三人を少々不憫に思いながら、ユズリハは首を横に振りつつ「行くぞ」と彼の腕を引いた。
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