第9章「雑談配信という名の公開処刑」
——そして当日。
「……やばい」
配信開始三分前。
マイクチェック画面を見つめながら、私は小さく呟いた。
心臓がうるさい。
手のひらにじっとりと汗が滲む。
これまでの配信とは、明らかに違う緊張。
理由は単純だ。
「雑談ってなんだよ……逃げ場ないじゃん……」
ゲームならいい。
歌ならまだいい。
だが雑談は違う。
間を持たせる力。
会話のセンス。
素の反応。
全部が試される。
しかも——
『あ、聞こえますか?』
ディスコード越しに届く声。
月乃ルナ。
今回のコラボ相手。
そして。
距離感バグの元凶。
「き、聞こえます……」
少しだけ声が上ずる。
『よかった……!』
ほっとしたような声。
『なんかちょっと緊張しますね』
「……ですね」
短く返す。
正直、それどころじゃない。
今の俺は。
“事故らないこと”で頭がいっぱいだ。
『でも、楽しみです』
柔らかい声。
『二人でゆっくりお話しできるの、初めてですし』
その一言で。
心臓が、また強く跳ねる。
やめろ。
そういう言い方はやめろ。
距離が近い。
近すぎる。
「……ほどほどに頑張りましょう」
なんとか平静を装う。
『ふふっ、“ほどほど”なんですね』
くすっと笑う声。
『そこも好きです』
「…………」
やめろ。
マジでやめろ。
今そういうの言われると本当に事故る。
だが無情にも。
配信開始の時間はやってくる。
「……いきますか」
『はい』
小さく息を吸う音。
そして。
——配信スタート。
「はい、みなさんこんばんはー!」
スイッチが入る。
声色を作る。
いつもの“美少女Vtuber”の声。
「今日はですね、なんと!」
テンションを少し高めに。
「コラボ配信ということでー!」
コメント欄が一気に流れる。
〈きたああああ〉
〈待ってた〉
〈百合きちゃ〉
〈尊い準備完了〉
うるさい。
いやありがたいけど。
心の中でツッコミながら続ける。
「お相手は、この方です!」
『こんばんは、月乃ルナです』
落ち着いた声。
少しだけ緊張が混じっている。
だがそれが逆にいい。
コメント欄がさらに加速する。
〈ルナきたあああ〉
〈てぇてぇ〉
〈距離近いの助かる〉
お前ら、全部見えてるぞ。
「今日は雑談メインで、ゆるっとお話ししていけたらなって思います!」
無難にまとめる。
よし、ここまでは順調。
問題はここからだ。
『はい、いっぱいお話ししたいです』
ルナの声。
少しだけ弾んでいる。
『その……色々、聞いてみたいこともありますし』
——嫌な予感しかしない。
「え、えーと……ほどほどでお願いします……」
弱気な前置き。
コメント欄がざわつく。
〈もう攻められてる〉
〈草〉
〈防御低すぎ〉
うるさい。
お前らは安全圏だろ。
こっちは命かかってるんだぞ。
『じゃあまず……』
ルナが少しだけ間を置く。
『好きな食べ物とか、聞いてもいいですか?』
「…………」
シンプル。
だが危険。
非常に危険。
なぜなら。
(おっさん時代の好みが出る可能性)
ここで“焼き鳥とビール”とか言ったら終わる。
完全終了。
炎上待ったなし。
だが。
ここは無難にいく。
「えーと……甘いもの、好きですね」
よし。
安全。
完璧。
『わかります! 私も好きです!』
明るい声。
『どんなのが好きなんですか?』
——追加質問。
やめろ。
深掘りするな。
「えっと……ケーキとか……」
ぼんやりした回答。
逃げの一手。
『いいですね! じゃあ今度、一緒に食べに行きませんか?』
「…………は?」
思考停止。
コメント欄爆発。
〈デートきたあああ〉
〈ガチで草〉
〈距離どうなってんの〉
いやほんとそれ。
どうなってんの。
「い、いやそれは……」
拒否しようとした瞬間。
『配信ネタにもなりますし!』
即フォロー。
逃げ道を塞ぐな。
上手すぎるだろ。
いや天然か?
天然でこれやってるのか?
怖い。
普通に怖い。
「……まあ、そのうち……機会があれば……」
曖昧に逃げる。
だが。
『約束ですよ?』
にこっとした声。
完全にロックされた。
「…………はい」
負けた。
完全敗北。
配信は続く。
話題は転々と変わり。
なんとか事故らず進行し。
コメント欄も盛り上がり。
一見すれば、順調そのもの。
だが。
問題は——
『あの』
ルナの声が少しだけ静かになる。
『ちょっと聞いてもいいですか?』
「……なんでしょう」
嫌な予感。
これは絶対やばい質問。
『なんで、Vtuber始めたんですか?』
「…………」
——来た。
核心。
最も触れてはいけない部分。
元おっさん。
転生。
全部に繋がる質問。
コメント欄も一瞬静まる。
これは“答え”で評価が決まるやつだ。
逃げるか。
誤魔化すか。
それとも——
ほんの少しだけ、本音を混ぜるか。
「……なんとなく、ですかね」
ゆっくりと口を開く。
「何か変えたくて」
嘘ではない。
だが真実でもない。
「それで、始めてみたら……思ったより楽しくて」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「気づいたら、ここまで来てた感じです」
コメント欄が流れ出す。
〈いい話〉
〈急にエモい〉
〈好き〉
だが。
ルナは。
『……そうなんですね』
静かにそう言ったあと。
少しだけ間を置いて。
『じゃあ、これからも続けてくれますか?』
「…………」
その問いは。
想像以上に重かった。
『私、あなたと配信するの……好きなので』
——その一言で。
胸の奥が、強く締め付けられる。
軽い気持ちで始めたはずなのに。
今はもう。
簡単にやめられるものじゃなくなっている。
「……はい」
気づけば、答えていた。
「続けます」
その言葉に。
嘘はなかった。
配信終了後。
コメント欄は“てぇてぇ”で埋まり。
同接は過去最高を更新し。
切り抜き確定の神回と騒がれ。
完全に——
“バズった”。
だがその裏で。
距離はさらに縮まり。
逃げ場はさらに減り。
そして。
“後戻りできないライン”を——
確実に越え始めていた。




