第7章「距離感バグとボイスチャットの地雷」
——逃げ場が、なくなった。
そんな感想が頭をよぎったのは、きっと間違いじゃない。
『あの……えっと……その……』
通話の向こうで、月乃ルナが言葉を探している。
配信のときとは違う、ぎこちない沈黙。
それがやけに生々しくて、こっちまで緊張してくる。
「……あ、あの」
何か言わないと。
そう思って口を開いた瞬間。
——やばい、何も考えてない。
結果、出てきた言葉は。
「今日の配信、コメント欄……すごかったですね」
クソみたいな無難トークだった。
いや本当に何言ってんだ俺。
もっとあるだろ。コラボの感想とかさ。
『あ、はい! すごかったです!』
だが彼女は救ってくれる。
『あの……すごく盛り上がってて……その……』
また少し間が空く。
そして、小さく。
『……すごく、嬉しかったです』
その一言。
たったそれだけなのに。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
「……そ、そうですね。俺も、楽しかったです」
反射的にそう返す。
——あ。
言った瞬間、凍りつく。
俺“も”。
今、自然に言ったか?
“俺も”って。
やばい。
やばいやばいやばい。
思考が一瞬で加速する。
今のトーン、どうだった?
男っぽくなかったか?
違和感なかったか?
終わったか?
炎上か?
引退か?
人生二度目の終了か?
『……っ』
通話の向こうで、小さく息を呑む音。
——終わった。
確信する。
だが次の瞬間。
『……今の、“俺も”って……』
「……っ!!」
心臓が止まる。
やばい。
確実に拾われた。
終わった。
完全に終わった。
『……ちょっと、かっこよかったです』
「……は?」
思考が止まる。
『なんかその……いつもの可愛い感じじゃなくて、ちょっとだけ大人っぽくて……』
少し恥ずかしそうな声。
『ギャップ、いいなって……思っちゃいました』
「…………」
え?
今の、そういう処理されるの?
バレるどころか、プラス評価?
意味がわからない。
世の中どうなってるんだ。
「そ、そう……ですか……」
なんとかそれだけ絞り出す。
声が少し震えてる気がする。
いや絶対震えてる。
だが問題はそこじゃない。
問題は——
(これ、もう何言っても“ギャップ”で処理されるんじゃ……?)
気づいてしまった。
これは危険だ。
いや、ある意味チャンスかもしれない。
だが同時に——
完全に沼だ。
『あの……もしよかったらなんですけど』
ルナの声が、少しだけ明るくなる。
『今度、二人で雑談配信とか……どうですか?』
「……雑談?」
『はい! 今日すごく楽しかったので……もっと色々お話ししたくて』
軽い提案のようでいて。
内容は爆弾だ。
雑談配信。
つまり——
ごまかしの効かない会話。
しかも視聴者付き。
コメントが全部拾う。
言い間違いも、癖も、全部。
(無理だろ……)
心の中で即答する。
無理に決まってる。
今だってギリギリなのに。
配信で長時間とか、自殺行為だ。
だが。
『……だめ、ですか?』
少しだけ不安そうな声。
その一言で。
理性が、ぐらつく。
「……い、いや。全然……大丈夫です」
——言ってしまった。
ああ、俺はバカだ。
完全にバカだ。
だが。
『ほんとですか!?』
ぱっと明るくなる声。
『やった……!』
その反応を聞いた瞬間。
不思議と、後悔は少しだけ薄れた。
「……日程、後で決めましょうか」
『はい! ぜひ!』
弾む声。
嬉しそうなそのトーンが、やけに心に残る。
……ほんと、なんなんだよこれ。
『あ、あと……』
ルナが少しだけ言い淀む。
『その……もしよかったらなんですけど』
嫌な予感がする。
こういう“もしよかったら”は大体ロクでもない。
『……ディスコード、繋ぎませんか?』
「…………」
終わった。
今度こそ終わった。
通話どころじゃない。
常時ボイスチャット可能環境。
逃げ場ゼロ。
事故率爆上がり。
人生ハードモード。
『コラボとかもやりやすくなると思いますし……その……』
少しだけ声が小さくなる。
『……もっと、お話しできたらなって』
——完全に、詰みである。
「……っ」
喉が乾く。
断るべきだ。
ここは絶対に断るべきだ。
これは一線だ。
越えたら戻れない。
分かっている。
分かっているのに。
「……いいですよ」
口が勝手に動いた。
『……!』
一瞬の沈黙。
そして。
『……ほんとに?』
信じられない、というような声。
その響きが、やけに嬉しそうで。
それだけで——
「……はい」
もう一度、肯定してしまう。
——完全に、沼に足を突っ込んだ。
数分後。
ディスコードのフレンド申請が届く。
名前は『Luna_Official』
公式感すごいな。
いやそんなこと考えてる場合じゃない。
震える指で承認する。
そして。
新しく開かれた通話画面。
『……聞こえますか?』
さっきよりも、少し近い声。
距離が縮まった証拠。
そして同時に。
逃げ場が、完全に消えた証拠。
「……聞こえます」
そう答えた瞬間。
画面の向こうで、小さく笑う気配がした。
『……これから、いっぱいお話しできますね』
嬉しそうなその一言。
その裏で。
俺の中の警報が、最大音量で鳴り響いていた。
(これ……絶対やばいやつだろ……)
だがもう。
止まれない。
元おっさん、美少女Vtuber。
百合営業(仮)。
——なお、現在ガチ恋疑惑進行中。
そして。
ボイスチャット常時接続という地雷原に突入。
この先、無事でいられる保証は——どこにもなかった。




