第14章「隠しきれない距離と、壊れかけの均衡」
帰宅してからも。
頭の中は、ずっとぐちゃぐちゃだった。
「……何やってんだ俺」
ベッドに倒れ込みながら、天井を見つめる。
分かっている。
完全に一線を越えた。
配信。
コラボ。
百合営業。
そんなレベルじゃない。
リアルで会って。
次も約束して。
あんな空気になって。
「……どう考えても、普通じゃないだろ」
自分で言って、自分で分かる。
普通じゃない。
だが。
嫌じゃなかった。
むしろ——
「……楽しかったんだよな」
その事実が、一番厄介だった。
スマホが震える。
通知。
分かっている。
見なくても分かる。
それでも。
指が勝手に動く。
『今日は本当にありがとうございました』
ルナからのメッセージ。
『すごく楽しかったです』
その一文だけで。
胸が、少しだけ締め付けられる。
「……こっちもだよ」
小さく呟く。
そして、打ち込む。
『こちらこそ、楽しかったです』
無難な返事。
だが。
送った瞬間。
既読。
早い。
早すぎる。
そして。
『あの』
すぐに続く。
『一つ、聞いてもいいですか?』
「…………」
嫌な予感。
だが、避けられない。
『なんで、そんなに優しいんですか?』
「…………は?」
思考が止まる。
予想外。
完全に予想外の質問。
「いや、優しいって……」
思わず声に出る。
そんなつもりはない。
むしろ。
嘘をついている側だ。
隠している側だ。
優しいなんて、真逆だろ。
そう思うのに。
『今日も』
メッセージが続く。
『さりげなく助けてくれたり』
『気を使ってくれたり』
『すごく安心できました』
その言葉。
一つ一つが。
やけに重い。
「……そんなこと」
否定しようとして。
止まる。
否定できない。
無意識だった。
だが確かに、そうしていた。
それは——
ただの習慣だ。
長く生きてきた中で染みついた、処世術。
相手に合わせる。
空気を読む。
波風を立てない。
——おっさんの、生き方だ。
「……ああ、そっか」
ぽつりと呟く。
それが。
今のこの状況を作っている。
『だから』
ルナのメッセージ。
『もっと、知りたいなって思ったんです』
心臓が、強く鳴る。
『配信のあなたも好きですけど』
『今日のあなたも……好きです』
「…………」
指が止まる。
完全に。
完全に。
踏み込まれた。
(これ、もう……)
言葉にできない。
逃げ場がない。
冗談じゃない。
営業でもない。
はっきりとした——
好意。
「……ダメだろ」
声に出る。
これは。
受け取っていいものじゃない。
だって。
俺は。
(中身、おっさんなんだぞ……)
その事実が、重くのしかかる。
もしバレたら。
全部壊れる。
この関係も。
配信も。
全部。
それでも。
それでも——
『……ごめんなさい』
突然のメッセージ。
『変なこと言ってますよね』
『忘れてください』
「……っ」
胸が、強く痛む。
違う。
それは違う。
忘れろなんて。
そんな簡単な話じゃない。
「……違う」
思わず打ち込む。
『違わないです』
送信。
即既読。
だが、返信は来ない。
数秒。
いや、数十秒か。
やけに長く感じる沈黙。
そして。
『……じゃあ』
やっと届いた一文。
『もう一つだけ、聞いていいですか?』
「…………」
分かる。
これが。
最後の一線だ。
『私のこと、どう思ってますか?』
——来た。
核心。
逃げられない質問。
ここでどう答えるかで。
全部が決まる。
好きか。
好きじゃないか。
それだけの話。
シンプルなはずなのに。
言えない。
簡単に言える立場じゃない。
だって。
俺は——
「……卑怯だろ」
小さく呟く。
何も知らない相手に。
こんな状況で。
答えを求めるなんて。
いや。
違う。
卑怯なのは、こっちだ。
全部隠してる側だ。
それなのに。
この関係を続けている。
スマホを握る手が震える。
打つ。
消す。
打つ。
消す。
何度も繰り返す。
そして。
やっと。
決める。
『……好きです』
送信。
戻れない。
完全に。
戻れない。
数秒後。
『……ほんとに?』
震えるような文字。
その一言で。
現実感が、一気に押し寄せる。
「……ああ」
小さく呟く。
もう、誤魔化せない。
これは。
ただの流れじゃない。
ただの空気でもない。
自分で選んだ。
言葉だ。
元おっさん、美少女Vtuber。
バズり中。
百合営業(仮)。
そして——
ガチ恋、確定。
だが。
その裏にある“秘密”は。
何一つ、解決していなかった。




