第11章「現実で会ったら想像以上に近すぎた件」
——当日。
「……帰りたい」
駅前のベンチに座りながら、私は小さく呟いた。
無理だろこれ。
冷静に考えて無理だろ。
配信じゃない。
通話でもない。
リアルだ。
現実だ。
逃げ場ゼロ。
編集不可。
リテイクなし。
人生ハードモードにもほどがある。
「なんで来ちゃったんだよ……」
分かっている。
流された。
完全に流された。
だが。
だからといって。
「今からでも帰るか……?」
立ち上がりかける。
その瞬間。
『あの……!』
背後から声がした。
——止まる。
振り返るのが、怖い。
だが。
振り返らないわけにもいかない。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
後ろを向く。
そこにいたのは。
「……っ」
言葉が、出なかった。
小柄で。
少し緊張したように背筋を伸ばしていて。
髪は柔らかく揺れていて。
そして何より。
「……ルナ、さん?」
『は、はい……!』
——その声。
間違いない。
月乃ルナだ。
画面越しじゃない。
音声だけでもない。
目の前にいる。
“現実”の彼女。
「…………」
思考が止まる。
いや、違う。
処理が追いつかない。
『あの……すみません、急に声かけて……』
少しだけ焦ったような声。
『その……合ってますよね?』
「……あ、はい」
なんとか返す。
だが声が変だ。
完全に挙動不審。
いやそりゃそうだろ。
だって。
(可愛すぎるだろ……)
配信でも可愛いと思っていた。
だが。
リアルは、比べ物にならない。
表情。
仕草。
距離感。
全部が生々しい。
そしてそれが。
想像以上に破壊力がある。
『……よかった』
ほっとしたように笑う。
その笑顔が。
やばい。
直視できない。
「……今日は、その……ありがとうございます」
ぎこちない挨拶。
何言ってんだ俺。
『いえ! こちらこそ……』
少し照れたような声。
『来てくれて、嬉しいです』
——その一言で。
心臓がまた跳ねる。
やめろ。
リアルでそれはやめろ。
破壊力が違う。
とりあえず、近くのカフェに入ることになった。
店内は落ち着いた雰囲気。
人もそこまで多くない。
——だが。
「……近い」
小さく呟く。
『え?』
「い、いや何でもないです!」
やばい。
距離が近い。
席が近い。
物理的距離が近い。
当たり前だ。
同じテーブルなんだから。
だが。
これまでの“画面越し”とは次元が違う。
存在感が強すぎる。
『……なんか、変な感じですね』
ルナが小さく笑う。
『いつもは画面越しなのに』
「……ですね」
それしか言えない。
だが。
それでも。
会話は、意外と途切れなかった。
配信の話。
好きなこと。
どうでもいい雑談。
不思議と、自然に続く。
(……あれ?)
違和感。
思っていたより、普通に話せている。
いや、普通じゃないけど。
でも。
(思ったよりバレてない……?)
それどころか。
『やっぱり、直接話すといいですね』
ルナが微笑む。
『声だけより、ずっと近く感じます』
——まただ。
距離を詰めてくる。
しかも自然に。
無意識でやってるのが怖い。
「……そうですね」
なんとか返す。
だが。
油断した、その時だった。
店員が水を持ってくる。
「こちら、お水です」
「ありがとうございます」
反射で答える。
——低い声。
一瞬。
空気が止まる。
(やばい)
今の。
完全に“素”だった。
誤魔化しゼロ。
終わった。
終わった終わった終わった。
ゆっくりと。
ルナの方を見る。
『……今の』
来た。
確定。
終了のお知らせ。
『ちょっと低くて、かっこよかったです』
「…………」
なんでだよ。
なんで毎回そうなるんだよ。
バグか?
世界の仕様か?
俺の正体バレないように補正でもかかってるのか?
『なんか……ドキッとしました』
少し恥ずかしそうに目を逸らす。
——やめろ。
それ以上は本当にダメだ。
心臓がもたない。
「……それは、その……」
言葉に詰まる。
何も言えない。
だが。
そんな沈黙すら。
なぜか悪くない空気になる。
意味が分からない。
ケーキが運ばれてくる。
甘い香りが広がる。
『あ、これ美味しそう』
嬉しそうな声。
その表情を見ていると。
さっきまでの緊張が、少しだけ和らぐ。
「……どうぞ」
フォークを差し出す。
『え、いいんですか?』
「……はい」
なんとなく。
自然にそうしていた。
そして。
その距離。
その仕草。
——完全に。
カップルみたいだった。
自覚した瞬間。
顔が熱くなる。
(いやいやいやいや)
違う。
違うだろ。
これは違う。
ただの。
ただの。
『……あの』
ルナが小さく口を開く。
『今日、誘ってよかったです』
静かな声。
だが。
はっきりとした言葉。
『もっと、話したいなって思いました』
「…………」
返す言葉が、出てこない。
ただ。
その気持ちを否定できない自分がいる。
元おっさん、美少女Vtuber。
現在、リアル接触中。
そして。
ガチ恋距離——完全にゼロ。
——もう、後戻りはできなかった。




