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蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


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第48話 三つの軍勢

第七話 三つの軍勢


 楔の地下通路は、以前とは別の場所のようだった。


 壁の回路が白熱している。触れれば火傷しそうなほどの光を放ち、通路全体が蒼白い光に満ちていた。足元まで回路の光が透けて見える。まるで光の血管の中を歩いているようだった。

 空気が震えている。低い振動が骨に響く。遠くから、断続的に地鳴りが聞こえてくる。

「前に来たときとは、全然違う」

 僕が呟くと、ルークさんが頷いた。

「回路の出力が桁違いだ。ヴェルナーの装置が、ネットワーク全体を強制的に叩き起こしている。これは——制御された起動じゃない。ブルートフォースだ」

「ブルート何だ?」

「力ずくだ」

 ルークさんが苦い顔で言い換えた。

「鍵を持っていないのに、ドアを蹴り破ったようなものだ。回路に過負荷がかかっている。このままだと——」

「このままだと、どうなる」

「分からない。俺はこの規模のネットワーク暴走を見たことがない。——誰も見たことがない。灰原を作った五十年前の神罰以来だろう」


 通路を進んでいると、ナギさんから通信が入った。


 小型の通信具——ナギさんが手配した、魔石を動力源とする情報屋の道具——から、ナギさんの声が聞こえた。雑音が多い。魔素の乱れが通信にも影響しているのだろう。

「聞こえるか」

「聞こえる。状況は?」

「最悪だ」

 ナギさんの声は淡々としていた。皮肉屋の口調すら消えている。事態がそれほど深刻だということだ。

「三方から来てる。軍と聖騎士と魔獣だ。最悪の三つ巴だな」

「三つ巴?」

「整理するぞ。一つ目、ヴェルナーの軍。楔の地上施設を占拠して灯台計画のシステムを起動中だ。兵力は二百から三百。正規軍だから装備がいい。二つ目、イレーネの聖騎士団。西の街道からレフカに到達した。百名ほど。安全装置の暴走を止めるためだ。——やつらは、これが起きることを予見していたのかもしれないな」

「イレーネが来ている?」

 セラスさんの声が硬くなった。

「来てる。大神官自らだ。三つ目——魔獣の大群。南東の樹海から押し寄せてきている。魔素の乱れに引き寄せられたんだろう。数は不明だが——街の南東門の守備隊が増援を求めている。相当な数だ」

 通信具の向こうで、何かが崩れる音がした。

「レフカの街が戦場になりつつある。軍と聖騎士がぶつかる前に、魔獣が来た。街の守備隊が南東門で防戦中だが——持つかどうか」

「ミラは?」

「ギルドの救護班と合流した。ギルド本部の広場に臨時救護所を設置して、魔素酔いの市民と負傷者の治療にあたってる。あいつは大丈夫だ。手が早い」

 ナギさんの声にわずかな温かみが混じった。すぐに消えた。

「お前たちは楔の中枢を目指せ。ヴェルナーの装置を止めて、ネットワークの暴走を収めるのが最優先だ。外のことは——こっちで何とかする」

「何とかって——お前、戦えないだろ」

「戦わなくていい。情報を回す。誰がどこにいて、何をすべきか。それを伝えるのが俺の仕事だ。——戦うのはお前たちだ、カイ」

 通信が途切れた。


 通路の分岐点に来たとき、前方に人影が見えた。


 軍服の兵士が三人。通路を封鎖するように立っている。手に武器を構えているが——顔が蒼白だった。壁の回路が放つ異常な光に怯えている。

「止まれ! ここから先は立入禁止だ。ヴェルナー司令官の命令により——」

「どけ」

 カイさんが一歩前に出た。背中の大剣には手をかけていない。金牌を懐から取り出して、兵士たちの前に突き出した。

「冒険者ギルド金牌三、カイだ。お前らの司令官がやらかしたせいで街が壊れかけてる。今すぐそこをどけ。——それとも、俺がどかすか」

 兵士たちが顔を見合わせた。金牌の冒険者は、国家級の功績を持つ者だけに与えられる。軍の下士官程度では、判断が難しい。

「し、しかし命令が——」

「命令を出した奴のところに行くんだ。通せ」

 カイさんの声には怒気が籠もっていた。だが、同時に——兵士たちを責めているのではないと分かる声だった。命令に従っているだけの末端の兵士を、カイさんは傷つけたくないのだ。

 兵士たちが道を空けた。


 さらに奥に進むと、通路が広い空間に出た。


 楔の中継層。以前訪れたときに、ルークさんが「ノードの集積場所」と呼んだ区画だ。天井が高く、壁一面に回路が走っている。複数の通路がここに集まり、さらに深部へと続いている。

 その空間の中央に——見覚えのない装置があった。

 金属の筐体に、無数のケーブルが繋がっている。ケーブルの先端が壁の回路に直接突き刺さっていた。装置の表面に魔石が複数埋め込まれており、激しく発光している。装置全体が低い唸り声を上げていた。

「これが——灯台計画の装置か」

 ルークさんが近づいた。眼鏡の奥の目が細くなった。

「なるほど。ノードの回路に直接ケーブルを突き刺して、外部から魔素パルスを送り込んでいる。——これは繊細な操作じゃない。回路を無理やりこじ開けるための装置だ」

「止められるか」

「ケーブルを引き抜けば物理的には止まる。だが——」

 ルークさんが装置の周囲を確認した。

「安全装置がかかっている。無理に引き抜くと回路が逆流して——この空間ごと吹き飛ぶかもしれない」

「吹き飛ぶって——」

「比喩じゃない。魔素の過剰放出だ。この密度で逆流が起きたら、灰原の再現になる」


 そのとき——奥の通路から足音が聞こえた。


 複数人の足音。規則正しい軍靴の音。そして、その中に一つだけ、異質な足音が混じっていた。静かで、しかし重い。


 ヴェルナーが姿を現した。


 灰色の軍服を着た男。短く刈り込んだ髪。鋭い目。表情の変化が少ない顔に——しかし今は、わずかな動揺があった。額に汗が滲んでいる。

 護衛の兵士が四人、ヴェルナーの背後に控えていた。

「カイ。——それにユーリ」

 ヴェルナーの声は、いつもの冷静な調子を保とうとしていた。だが、声の底に焦りが透けていた。

「まさか、ここまで来るとは」

「来るに決まってるだろ。お前のせいで街が壊れかけてんだぞ」

 カイさんが大剣を背中から引き抜いた。核魔石混合の刀身が、蒼い回路の光を反射して輝いた。

「装置を止めろ、ヴェルナー」

「止められない」

 ヴェルナーが答えた。声が震えていた——わずかに。

「計画は最終段階に入っている。ここで止めれば——いや、ここで止められるかどうかも分からない。システムが——予想と違う挙動を示している」

「予想と違う?」

「起動後に、システムが自律的に動き始めた。装置の制御を離れて——何かが、動いている」

 ヴェルナーの目が、壁の回路を見つめていた。回路の脈動は、もはや装置のパルスとは異なるリズムを刻んでいた。装置が送り込んだ信号に対して、ネットワーク自体が——反応している。

「……安全装置です」

 セラスさんが言った。

「ヴェルナーさん。あなたが起こしたのは、ネットワークの起動ではありません。安全装置の起動です。——神罰が、始まろうとしています」

 ヴェルナーの顔から血の気が引いた。


 その瞬間、通信具が鳴った。ナギさんの声だった。


「聞こえるか。——西の街道から聖騎士団が市内に入った。先頭にイレーネがいる」


 セラスさんの肩が震えた。


 僕たちは顔を見合わせた。楔の中枢はさらに奥にある。ヴェルナーの装置はここにあるが、すでにシステムは装置の制御を離れている。止めるには——もっと深い場所に行く必要がある。

「ヴェルナー」

 カイさんが言った。

「お前がやったことの落とし前は後でつける。今は——邪魔するな」

「……どこへ行く」

「中枢だ。お前の装置じゃもう止められないなら、源を叩くしかないだろ」

 ヴェルナーは数秒間、黙っていた。それから——小さく頷いた。

「……行け。護衛を退かせる」

「殊勝だな」

「殊勝ではない。——私の計算が間違っていたことを、認めているだけだ」


 僕たちは装置のある空間を通り過ぎ、さらに奥の通路に入った。


 ここから先は、以前の調査でも到達したことのない領域だった。通路の幅が広がり、天井が高くなった。壁の回路の密度が上がっている。回路の光だけで通路全体が明るい。

 空気の質が変わった。魔素の密度が——跳ね上がっていた。

 僕の共鳴視が、断片的な情報を拾い始めた。ネットワークの中を流れる信号。それは言語ではなく、もっと原始的な何か——パターン。反復。判定。

 安全装置のプロトコルが、起動シーケンスを実行している。

 僕にはそれが「見えた」。理解できたわけではない。ただ、巨大な仕組みが動き始めていることだけが、確かに分かった。


 通路の先に——光が見えた。


 蒼ではなく、白い光。純粋で、圧倒的な光。

 中枢が、近い。


 そのとき、背後から声が聞こえた。


 凛とした声。穏やかで、しかし有無を言わせない声。

「来ましたか、セラス」

 振り返ると——白と金の法衣を纏った長身の女性が、通路の奥に立っていた。銀に近い髪。薄い紫の瞳。穏やかな微笑み。その周囲の魔素が——桁違いだった。セラスさんの何倍もの密度の魔素が、この人の身体の周囲を渦巻いている。

 イレーネ。

 大神官。

 セラスさんが立ち止まった。背筋を伸ばし、師の前に立つ弟子の姿勢で——しかし、その目には以前とは違うものがあった。

「はい。——止めに来ました」

 セラスさんの声は震えていなかった。

「あなたが来ることは、分かっていました。イレーネ様」

「ええ。分かっていたでしょうね」

 イレーネが微笑んだ。穏やかな——しかし、その奥に底知れないものがある笑みだった。

「反宗教国家の男が、愚かなことをしましたね。安全装置を知らないまま——いえ、知っていても止められなかったかもしれません。あの男の目的は理解できます。しかし手段が——」

「イレーネ様」

 セラスさんが遮った。聖騎士が大神官の言葉を遮る。それだけで、二人の関係が変わったことが分かった。

「私は——あなたの駒としてではなく、自分の意思でここにいます。この人たちと一緒に、安全装置の暴走を止めます」

「止める、ですか」

「はい」

「どうやって?」

 イレーネの問いは、嘲りではなかった。純粋な問いだった。本当に知りたいのだ。この若い聖騎士がどんな答えを持っているのか。

「この人が——ユーリが、神と対話できるかもしれません」

 セラスさんが僕を見た。僕は——少しだけ、頷いた。

 イレーネの薄紫の瞳が、僕に向けられた。魔素を通じて、何かが僕を調べるように触れた。共鳴視で見ると——イレーネの魔素は巨大で制御されていて、しかしその奥に、微かな疲労の色があった。長い間、一人で真実を背負ってきた人の疲労だ。

「……光を視る子」

 イレーネが呟いた。

「あなたの目は——私にとっても、初めて見るものです。ナノマシンの観測端末として機能する人間の目。四千年の歴史で、あなたが初めてかもしれません」

「ナノマシン?」

「いずれ分かります。——今は時間がない」

 イレーネが通路の奥を見た。白い光が脈動している。

「神罰の起動シーケンスは、もう始まっています。私が遅延させることはできますが——止めることはできません。止められるのは——おそらく、あなただけです」

 イレーネが僕を見た。

「行きなさい、光を視る子。中枢へ。——私は外で、できる限りの時間を稼ぎます」

「イレーネ様——」

 セラスさんが声を上げた。

「行きなさい、セラス」

 イレーネの声は穏やかだった。

「あなたが選んだ道を——見届けたいのですよ。私は」

 セラスさんの目に光が滲んだ。一瞬だけ。すぐに拭って、前を向いた。

「——はい」


 僕たちは走り出した。


 白い光の中へ。中枢に向かって。

 背後で、イレーネの詠唱が始まった。低く、長い詠唱。大神官の権限で——安全装置の暴走を、一時的に抑え込もうとしている。

 通路が震えた。光が揺れた。

 時間は、あまり残っていない。


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