表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/56

第43話 灯台計画

第二話 灯台計画


 ヴェルナーが接触してきたのは、レフカに着いて三日目の夜だった。


 その三日間は、表向きは観光客のように過ごしていた。ナギさんが情報収集に動いている間、僕たちは市場を歩いたり、街を散策したり、ギルド本部を遠くから眺めたりしていた。

 ギルド本部は——想像以上に大きかった。大通りに面した五階建ての石造りの建物で、正面に巨大なギルドの紋章が刻まれている。出入りする冒険者の数も桁違いだった。銀牌や金牌の冒険者が、普通にすれ違う。

「あそこに入れば記録が残る。入るな」

 ナギさんにそう言われていたから、近づかなかった。

 三日目の夕方、ナギさんが宿に戻ってきた。いつもの外套を羽織って、いつもの無精髭で——でも、目つきがいつもと違った。

「来い。全員だ」

 ナギさんが言った。

 宿の裏口から出て、路地を幾つか曲がった。人通りのない細い路地を抜けて、小さな広場に出た。石造りの噴水が一つだけある広場で、周囲の建物は空き家のようだった。

 広場のベンチに——男が一人、座っていた。

 軍服だった。整った軍服。暗色の生地に銀の釦。背筋が真っ直ぐで、座っているのに隙がない。短く刈り込んだ灰色がかった髪。鋭い目。手帳を膝の上に置いている。

「ヴェルナーだ」

 ナギさんが低い声で言った。

「こちらから仕掛ける前に、向こうから来た」

 カイさんの体が一瞬硬くなった。右手が背中の大剣の柄に触れた。

「カイ、抜くな」

 ナギさんが制した。

「話を聞くだけだ。——あの男がここに一人で来ているのは、戦う気がないという意味だ」

 ヴェルナーが立ち上がった。

 僕を——見ていた。

 カイさんでも、ルークさんでもなく、僕を。まっすぐに。冷静で、計算されていて、でも敵意のない目だった。品定めとも違う。何かを確認するような目つきだった。

「初めまして」

 ヴェルナーが口を開いた。声は低く、落ち着いていた。軍人のように簡潔で、でも丁寧だった。

「ヴェルナーと申します。あなたがユーリさんですね」

「……はい」

「お噂はかねがね。ルークの報告で——いえ、その話はもういいでしょう。ルークが離反したことは承知しています」

 ヴェルナーの視線がルークさんに移った。ルークさんは——眼鏡の奥の目をまっすぐにヴェルナーに向けていた。逸らさなかった。

「恨んではいません、ルーク。あなたには感謝しています。多くの有用な情報を提供してもらいました」

「……世辞はいい。用件を聞こう」

 ルークさんの声は平坦だった。感情を押し殺した声。この二人の間には——言葉にならない何かがあった。かつての上司と部下。知的好奇心で繋がっていた同志。そして決別した二人。

「では、率直に」

 ヴェルナーが僕に向き直った。

「ユーリさん。あなたに協力をお願いしたい。——灯台計画に」

「灯台計画」

「ご存知ですか」

「名前だけ」

「では、説明しましょう」

 ヴェルナーがベンチに座り直した。手帳を開いたが——読むためではなく、手を動かすためのようだった。話しながら、手帳の角を指で弾いている。

「この都市の地下に、巨大な遺跡があることはご存知でしょう。我々はそれを『楔』と呼んでいます。全大陸に散在するノード——遺跡のネットワーク中継点——が、全てこの場所に集約している」

「……うん。知ってる」

「なるほど。では話が早い。——灯台計画とは、このノードネットワークを制御下に置く計画です」

 ヴェルナーの声が——少し熱を帯びた。抑制された熱。冷静な表面の下にある、信念の温度。

「ノードネットワークは、この世界の根幹を成す仕組みです。魔素の流れ、遺跡の機能、そして——禁忌の監視と神罰の発動。全てがこのネットワークを通じて行われている。我々はそう推測しています」

「推測」

 ルークさんが口を挟んだ。

「確証はあるのか」

「完全な確証はありません。しかし——十年以上の調査と、あなたが提供してくれたデータを含む膨大な情報から、確度の高い推測は立てています」

 ヴェルナーが手帳を閉じた。

「灯台計画の目的は三つです。第一に、ノードネットワークの全容を把握すること。第二に、ネットワークを通じて遺物技術を安全に解放すること。第三に——」

 ヴェルナーの声が低くなった。

「神罰を無力化すること」

 沈黙が広場に落ちた。

 噴水の水音だけが聞こえていた。

「神罰を——無力化」

 セラスさんの声が硬かった。

「神罰が何であるか、あなたは理解しているのですか」

「安全装置の一種である、と推測しています」

 ヴェルナーがセラスさんを見た。

「あなたは神聖国家の聖騎士だったそうですね。——失礼。元、聖騎士。灰原で何があったかは、我々も把握しています」

「……」

「安全装置が存在することは、灰原の一件で確実になりました。問題は、その安全装置が誰の意思で動いているのか、です。神の意思なのか、それとも——自動的な仕組みなのか」

「それは——」

 セラスさんが言葉を詰まらせた。彼女は知っている。灰原で、イレーネ様から聞いた。安全装置は自動で発動する。神の意思ではなく、パラメータに基づいて。でも——それをヴェルナーに言うべきかどうか。

「答えなくて結構です。我々には我々の情報がある」

 ヴェルナーが手を上げて制した。

「重要なのは、こちらの提案です。——ユーリさん」

 また、僕を見た。

「あなたの目——魔素が視える目。あなたはノードネットワークの回路を直接視ることができる。灰原で、記録室の回路に接触し、情報を読み取ったと聞いています」

「……ナギさん」

 僕はナギさんを見た。

「俺じゃない」

 ナギさんが首を振った。

「灰原の隠れ里には、ヴェルナーの息のかかった者がいたということだ。——俺の情報網にも穴はある」

「申し訳ありません」

 ヴェルナーが軽く頭を下げた。形式的だった。

「情報収集は我々の仕事です。——本題に戻りましょう。ユーリさん、あなたの目があれば、ノードネットワークの全容を把握し、制御することが可能です。我々の技術者だけでは、ネットワークの構造が複雑すぎて手が出ない。しかし、あなたの目があれば——回路を直接視て、構造を読み解き、制御命令を入力できる」

「制御命令」

「ネットワークを通じて、遺物技術の封印を解除する。禁忌のパラメータを書き換える。神罰の発動条件を無効化する。——それが灯台計画の最終目的です」

 ヴェルナーの目が——真剣だった。冷静さの奥に、切実さがあった。

「この国は——いえ、人類は、いつまでも禁忌に縛られているわけにはいかない。技術の発展を恐れ、知識を封じ、文明の進歩を止めている。それは——正しいことですか。人類の可能性を、恐怖で押さえつけることが」

 僕は——ヴェルナーの言葉を聞いていた。

 間違ったことは言っていない。禁忌が人類を縛っている。神罰が発展を止めている。それは事実だ。灰原を見た。神罰で一つの国が丸ごと消えた。あの恐怖が——世界を動けなくしている。

 でも。

「ユーリ」

 カイさんが横から声をかけた。低い声。いつもの軽い調子じゃない。

「お前が決めろ。俺たちは——お前の判断に従う」

 僕は——少し考えた。

 ヴェルナーの計画は、合理的だ。ネットワークを制御すれば、禁忌を書き換えられる。神罰を止められる。人類は自由になれる。それは——望ましいことのように聞こえる。

 でも。

 灰原の記録室で、僕の共鳴視が触れたもの。断片的な情報。「管理プロトコル」「人口監視」「発展抑制パラメータ」。あの言葉たちは——ただの機械的な設定ではなかった。もっと大きな何かの一部だった。

 そして——今日も含めて何度か透視で見た、レフカの地下の光。あの巨大な脈動。心臓のような鼓動。あれは——ただの機械じゃない気がした。根拠はない。でも、僕の目が——僕の目だけが——そう感じている。

「ヴェルナーさん」

 僕は言った。

「制御じゃなくて——対話、はできませんか」

「対話?」

 ヴェルナーの表情が——初めて動いた。困惑。理解できない、という顔。

「対話です。ネットワークを制御するんじゃなくて、ネットワークの向こうにあるものと——話をする」

「向こうにあるもの?」

「灰原の記録室で——回路に触れたとき、感じたんです。情報が流れ込んでくるだけじゃなくて、向こう側に——何かがいる、って」

「何か」

 ヴェルナーの目が細くなった。分析する目。データを処理する目。

「つまり——ネットワークを管理している何かがいる、と。管理者のような存在が」

「存在かどうかは分からない。でも——あの回路は、ただ動いているだけじゃなかった。反応してた。僕が触れたことに——反応した」

 沈黙。

 ヴェルナーが、しばらく黙っていた。手帳の角を弾く音が、規則的に響いていた。

「興味深い情報です」

 ヴェルナーが言った。声は冷静に戻っていた。

「しかし——対話、とおっしゃいましたね。それは科学的に言えば、機構との通信プロトコルの確立ということになります。しかし、機構には意思がない。機構は設計された通りに動くだけです。対話などできません」

「できないと決めつけるのは早いんじゃないですか」

 意外な声が上がった。ルークさんだった。

「ネットワークの構造は、俺たちが思っているよりはるかに複雑だ。デルガで見たノードも、灰原の記録室も——単純な機械としては説明がつかない挙動を示していた。ユーリの言う『反応』が事実なら、少なくとも調査の価値はある」

「ルーク……」

 ヴェルナーが——ルークさんを見た。複雑な表情だった。かつての部下が、自分に反論している。でもその反論が——かつて自分と共有していた知的好奇心から来ていることを、ヴェルナーは分かっていた。

「調査の価値がある、という点では同意します。しかし、我々には時間がない」

 ヴェルナーの声が硬くなった。

「神聖国家が動いています。イレーネの聖騎士団がレフカに向かっているという情報がある。灰原の一件で、楔の存在が彼女たちにも知られた可能性が高い。イレーネが楔に到達すれば——封印される。永遠に。人類はまた、禁忌の檻に閉じ込められる」

「だから急いで制御を確立したい——そういうことですか」

 ナギさんが言った。

「その通りです」

「焦りは判断を誤らせる。——あんたほどの男が、分からんはずはないだろう」

「分かっています。しかし——」

「ユーリはどう答えた」

 ナギさんがヴェルナーの言葉を遮った。

「この子は『対話したい』と言った。あんたは『対話はできない』と言った。話は平行線だ。——今日のところは、これで終わりにしないか」

 ヴェルナーが——黙った。

 しばらくの沈黙の後、ヴェルナーが立ち上がった。

「分かりました。今日のところは」

 ヴェルナーが軍服の襟を正した。

「ユーリさん。一つだけ、お伝えしておきたいことがあります」

「はい」

「楔の地下——最深部に、我々がまだ到達できていない区画があります。封印が厳重で、我々の技術では突破できない。しかし——あなたの目なら、あるいは」

「封印された区画……」

「何があるのかは分かりません。しかし——ネットワークの構造から推測すると、楔の最も重要な部分がそこに集約されている。制御であれ対話であれ、鍵はおそらくそこにある」

 ヴェルナーが背を向けた。

「考えてください。——また連絡します」

 ヴェルナーの姿が路地の闇に消えていった。軍靴の音が、石畳に響いて、やがて聞こえなくなった。


 宿に戻って、六人でテーブルを囲んだ。


「どう思う」

 カイさんが全員の顔を見回した。

「対話、か」

 ナギさんが蒼湯を啜った。

「正直——俺にも分からん。ヴェルナーの言い分にも一理ある。ネットワークを管理しているものに意思があるかどうかなんて、分からないだろう」

「でも、ユーリの目は——」

 ミラさんが僕を見た。

「ユーリくんが『反応した』って言うなら、そうなんだと思う。ユーリくんの目は、今まで嘘をついたことがないもの」

「嘘とかの問題じゃない」

 ナギさんが首を振った。

「ユーリの目が正確だとしても、それが『意思ある存在の反応』なのか、『自動的なシステムの反応』なのか、区別がつかないということだ」

「区別がつくかどうかは、近づいてみないと分からない」

 ルークさんが言った。

「楔の中に入って、直接確かめるしかない」

「だな」

 カイさんが腕を組んだ。

「結局、やることは同じだ。楔に入る。中を調べる。——そこで見たもので判断する」

「ヴェルナーの灯台計画を止められるかどうかも、それ次第だな」

 ナギさんが呟いた。

「あの男の目は本気だった。待てと言って、いつまで待つか分からん」

 セラスさんが——静かに手を組んでいた。祈りの姿勢に似ている。でも、祈ってはいない。考えている。

「ユーリさん」

 セラスさんが僕を見た。

「あなたが『対話したい』と言ったこと。——私は、理解できる気がします」

「セラスさん」

「楔の地下に何があるのか、私には見えません。あなたのように魔素を視ることはできない。でも——灰原で、遺跡の中で、私も何かを感じました。神の光と呼んでいたもの。あれが——ただの仕組みだとしても、そこに何かがあることは——感じていました」

「……うん」

「対話が可能かどうかは、分かりません。でも——試す価値はあると、私は思います」

 セラスさんの言葉は静かだったけれど、重みがあった。元聖騎士として神に仕え、神の光を感じてきた人の言葉だ。

「じゃあ決まりだ」

 カイさんが立ち上がった。

「楔に入る。中で——ユーリがあの光に触れる。対話できるなら対話する。できないなら、そのとき考える。——それでいいな」

 全員が頷いた。

「問題は——どうやって楔に入るか、だ」

 ナギさんがテーブルに肘をついた。

「地下への接続路はいくつか見つけた。公式のものは軍が管理している。非公式のもの——つまり、軍の目を逃れて入れるルートが、一つだけある」

「一つだけ?」

「旧い下水道だ。レフカの地下には旧文明の排水路が残っていて、一部が現在も使われている。その旧排水路の奥が——楔の外壁に接触している場所がある」

「どこだ」

「明後日、案内する。——今日は寝ろ。やることは多い」


 部屋に戻って、ベッドに横になった。


 目を閉じても——地下の光が見えるような気がした。

 あの巨大な脈動。心臓のような鼓動。

 対話したい、と僕は言った。

 なぜそう言ったのか——自分でも、はっきりとは分からなかった。ヴェルナーの計画は合理的だった。制御できるなら、制御した方がいいのかもしれない。

 でも——あの光に触れたとき、僕は感じた。制御される側の「何か」を。

 灰原の記録室で、共鳴視が捉えたもの。断片的な情報の向こうに——応答があった。機械的な応答ではなく、もっと——繊細な何か。

 それが何なのかは、まだ分からない。

 でも、分からないからこそ——まず話を聞きたかった。

 制御する前に。壊す前に。変える前に。

 まず——聞きたい。


 窓の外で、レフカの魔石灯がまたたいていた。

 その下に——楔が、脈打っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ