表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/56

第40話 託された問い

第十三話 託された問い


 翌朝、丘の上で全員が集まった。


 住人たちの体調は、夜のうちに幾分落ち着いていた。魔素酔いは一過性のものだ。慣れれば収まる。ミラさんが朝一番に全員を確認して、重篤な者はいないと報告してくれた。

 ナギさんが住人の中から何人かの年長者を呼び寄せて、今後のことを話していた。灰原の外の集落への移住、食料の確保、子供たちの世話——五十年間の地下生活を捨てた人々が、新しい場所で生きていくための段取り。ナギさんの声は低く落ち着いていて、皮肉の成分がいつもより薄かった。

「丘を越えた先に漁村がある。大きな集落じゃないが、受け入れは交渉できる。——俺の顔が利く場所だ」

「ナギ殿。私たちは——」

「心配するな。生き延びる算段はつけてやる。まず今日中に先遣を出す。三日もあれば話はまとまるだろう」

 ナギさんが年長者たちを送り出した後、僕たちのもとに来た。


「さて」

 ナギさんが焚き火の残り火の前に座った。

「お前たちには、話しておくことがある」

 全員がいた。カイさんが地面に胡坐をかいている。ルークさんが眼鏡のレンズを拭きながら、耳を傾けている。ミラさんが薬箱の整理をしながら——手を止めた。セラスさんが背筋を伸ばして座っている。

 そして、イレーネ様が——少し離れた場所に立っていた。木の幹に背を預けて、穏やかな微笑みを浮かべている。だが、その薄い紫の瞳は、こちらをじっと見ていた。


「灰原の件で、はっきりしたことがある」

 ナギさんが言った。

「ヴェルナーの連中は、遺跡を意図的に活性化させようとした。目的は分からん。だが、あの遺跡に手を加えた結果、五十年間の封印が崩れた。——これは偶然じゃない。計画的だ」

「灯台計画の一環だろう」

 ルークさんが言った。

「ヴェルナーは各地のノードをネットワークとして制御しようとしている。灰原の遺跡は、その中でも大規模なノードだ。活性化させて、ネットワークに組み込もうとした——と考えるのが自然だ」

「結果がこれだ」

 ナギさんが灰原の方を顎で示した。

「蒼い樹海が育ちつつある。隠れ里は消えた。百人の人間が住む場所を追われた。——これがヴェルナーのやり方だ。安全装置を知らないまま、仕組みに手を突っ込む」

 沈黙が落ちた。


「私から、お話ししてもよろしいですか」

 イレーネ様が木の幹から背を離した。ゆっくりと、こちらに歩いてくる。一歩ごとに空気が変わった。穏やかな圧力だった。怖くはない。だが——軽くもない。

「反宗教国家は、取り返しのつかないことをしようとしています」

 イレーネ様が全員を見渡した。

「ヴェルナーは安全装置を知らないまま、楔に触れようとしている。——楔が何かは、記録の間でご覧になりましたね」

 僕は頷いた。全大陸のノードが集約する中枢。レフカの地下に眠る、最大規模の遺跡。

「楔は、このネットワークの中枢です。全てのノードの情報が集まり、全てのノードに指令が出る場所。そこに——外部から無理やり干渉を行ったとき、何が起きるか」

 イレーネ様の声が、わずかに低くなった。

「灰原で起きたことが、大陸規模で起こります。——いえ、それ以上です。楔への干渉は、安全装置の発動条件を満たす。神罰が——全てを巻き込む規模で、発動し得るのです」

「全てを巻き込む規模……」

 ルークさんが呟いた。眼鏡の奥の目が、鋭くなっていた。

「灰原一国を滅ぼした神罰が、大陸全体に及ぶ可能性がある——と?」

「可能性ではなく、確実性です。楔は、そういう場所なのです」

 イレーネ様の声は穏やかだった。だが、その穏やかさの中に——悲しみがあった。

「私は、これを防ぎたい。——しかし、私の立場では防げない」

「なぜですか」

 セラスさんが聞いた。声が硬かった。

「教団の立場では、反宗教国家に直接干渉できないのです。政治的に——そして、信仰上も。神聖国家の大神官が反宗教国家の首都に兵を送れば、それは戦争です。戦争は新たな悲劇しか生みません」

「それなら——」

「あなたたちなら、あるいは」

 イレーネ様が微笑んだ。

 穏やかな笑みだった。だが——僕の目には、その微笑みの奥に、複雑な光が渦巻いているのが見えた。頼っているのか。試しているのか。それとも——託しているのか。

「冒険者であるあなたたちなら、国の枠組みに縛られずにレフカに入れます。ヴェルナーの計画を知り、その危険性を理解している。——そして、ユーリ」

 僕の名前を呼んだ。

「あなたの目は、楔の構造を視ることができるかもしれない。ヴェルナーが知らない安全装置の仕組みを——あなたなら、理解できるかもしれない」

「俺たちに行けと」

 カイさんが言った。挑むような声ではなかった。確認する声だった。

「お願いしているのです。強制ではありません。——ただ、私は正直に言います。あなたたち以外に、この状況を変えられる人間を、私は知らないのです」

 イレーネ様が頭を下げた。

 大神官が——頭を下げた。


 沈黙の中で、僕は仲間たちの顔を見た。

 カイさんは腕を組んで、灰原を見つめていた。ルークさんは何かを計算するように目を細めていた。ミラさんは唇を結んでいた。

 セラスさんは——立ち上がった。


「イレーネ様」

 セラスさんの声が、朝の空気を切った。

 全員がセラスさんを見た。イレーネ様が顔を上げた。

 セラスさんは真っ直ぐに立っていた。白い装束に朝日が当たって、銀に近い淡い髪が光っていた。聖騎士の姿だった。だが、その目は——今まで見たことのない光を宿していた。

「私はもう、あの方の駒にはなりません」

 声は震えなかった。

 硬い丁寧語が、その一言だけ崩れた。素の声だ。

「——信仰を捨てたわけではありません」

 セラスさんはイレーネ様を見つめた。

「神を疑っているのでもありません。でも——イレーネ様の言う『現状維持』は、正しくない。灰原で、私は見ました。あなたの言う安全装置が何をしたのか。五十年間、人が地下で息を潜めて暮らしていた。子供が空を知らなかった。それが——正しいとは、思えない」

 イレーネ様は微笑んだままだった。だが、その微笑みが——ほんの少しだけ、揺れた。

「セラス。あなたは——」

「私は聖騎士です。人を守るために剣を振るう者です。禁忌を管理するためではなく——人を守るために」

 セラスさんが僕たちの方を向いた。

「このパーティに、正式に加わりたい。——受け入れてもらえますか」

 カイさんが立ち上がった。

「今さら何を言ってるんだ」

 カイさんが笑った。あの——核獣を倒した後に見せたのと同じ笑みだった。

「もうとっくに仲間だろ。共闘した時点で」

「カイさん……」

「聖騎士だろうが何だろうが関係ねえ。強えし、信用できる。それで十分だ。——なあ、ルーク」

「異論はない。むしろ、あの短詠唱がパーティに加わるのは心強い」

 ルークさんが眼鏡を押し上げた。

「面白いことになってきた」

「セラスさん」

 僕は言った。

「ようこそ」

 セラスさんの目が——潤んだ。ほんの一瞬だけ。すぐに瞬きで消した。聖騎士は泣かない。でも——目の縁が、赤くなっていた。

「……ありがとうございます」


 六人目が加わった。

 セラスさんが——僕たちの仲間になった。


 イレーネ様は、それを黙って見ていた。微笑みの質が変わっていた。悲しみか。安堵か。あるいはその両方か。僕にはまだ、イレーネ様の表情を正確に読み取る力がなかった。

「よい仲間を得ましたね、セラス」

 イレーネ様が静かに言った。

「あなたの選択を、私は否定しません。——ただ」

「はい」

「くれぐれも、気をつけなさい。楔に辿り着いたとき——あなたが信じてきたものが、根底から揺さぶられるかもしれません。それでも立っていられる強さを、祈っています」

「……はい」

 セラスさんの声が、微かに震えた。今度は——感情を隠しきれなかった。


 イレーネ様はその後、僕たちから離れた。住人たちの様子を見に行く、と言って。大神官が避難民の間を歩いて、一人ずつ声をかけている姿が見えた。穏やかな笑みを浮かべて。あの笑みの下に、どれだけの重荷があるのか——僕には想像することしかできなかった。


 セラスさんの正式加入を祝って——というほどの余裕はなかったが、ミラさんが残りの食料で簡単な食事を用意してくれた。干し肉を刻んで粥に入れ、香草の粉を振った。温かい粥を六人で分けて食べた。器は二つに増えていた。隠れ里から持ち出した小さな椀を、住人の一人が「持っていけ」と渡してくれたのだ。

「六人か」

 カイさんが粥を啜った。

「最初は二人だったのにな」

「三人目は私だよ」

 ミラさんが笑った。

「棘背蜥蜴に追いかけられてたところを助けてもらったの。あれがなかったら、ここにいないね」

「四人目は俺だな」

 ルークさんが椀を持ち上げた。

「遺跡の奥で、罠を解除していたら声をかけられた。あのときは——まさかこんなことになるとは思わなかった」

「五人目がナギさんで、六人目がセラスさん」

 僕が数えた。

「いや、ナギは同行者であって正式メンバーじゃないぞ」

 ナギさんが横から口を挟んだ。

「俺はあくまで情報屋だ。戦闘力は当てにするな」

「じゃあ五人目がセラスさんで、ナギさんはオマケ」

「オマケ呼ばわりかよ。……まあ、否定はしないが」

 ナギさんが苦笑した。


 食事の後、少し時間ができた。

 住人たちの避難先の手配をナギさんが進めている間、僕たちは装備の確認と今後の方針を話し合った。

「レフカに向かう」

 カイさんが言った。

「イレーネの話を聞いたろ。楔がある。ヴェルナーがそこに手を出そうとしている。灰原の二の舞——いや、それ以上のことが起きる。止めに行く」

「賛成だ」

 ルークさんが頷いた。

「楔がある。全ての回路が集まる場所が。——正直に言えば、俺はそれを見たい。見ないで終われない」

「ルークさん……それ、半分は好奇心でしょう」

「七割くらいだな」

「ええ……」

 ミラさんが呆れたように笑った。それから、表情を引き締めた。

「私も行くよ。行かない理由がないもん」

「セラスは——もう聞くまでもないか」

「はい。——楔の安全装置が何であるのか、私も知る必要があります。聖騎士として」

「ユーリ」

 カイさんが僕を見た。

「……うん。行く」

 答えに迷いはなかった。

「僕の目が必要なら——行く。それに、イレーネ様が言った通り、楔に何があるのか、見ないと分からないことがある」

「決まりだな」

 カイさんが拳を打ち合わせた。


 方針が決まった後——ミラさんが、不意に口を開いた。


「セラスさん」

 ミラさんの声は、いつもより少し低かった。

 セラスさんが顔を上げた。

「はい」

「さっきの話。聖騎士を辞めるとか、イレーネ様の駒にならないとか——覚悟を決めたんだよね」

「……はい」

「それだけの覚悟があるなら、一つ聞いていい?」

 空気が変わった。カイさんが粥の椀を下ろした。ルークさんの手が止まった。

「セラスさんが……前に言ってた。『処理した集落がある』って」

 ミラさんの声は平静だった。だが、平静を保つために——力が入っていた。唇の端が、微かに白くなっている。

「その集落って——どこだったの」

 セラスさんの顔から、表情が消えた。

 一瞬だった。聖騎士の仮面が被さった——のとは違う。感情が多すぎて、顔がどんな形を作っていいか分からなくなったような——空白だった。

「……辺境の集落です」

 セラスさんの声は低く、硬かった。

「名前は——覚えています。忘れられるものではありません。あの集落は——」

「……やっぱりいい」

 ミラさんが遮った。

 セラスさんが口を閉じた。

「今は聞かない」

 ミラさんの声は——震えていなかった。だが、目が泳いでいた。視線が定まらない。薬箱の上の手が、無意識に蓋を撫でている。

「ごめんね、セラスさん。変なこと聞いて」

「いいえ——」

「今は、レフカのことを考えよう。それが先だよね」

 ミラさんが笑った。いつもの笑顔だった。でも——僕にはそれが、貼りつけた笑顔に見えた。


 二人の間の空気が、微妙に変わった。

 敵意ではない。拒絶でもない。ただ——何かが、すぐそこまで来ている。お互いにそれを感じていて、お互いにまだ触れようとしない。触れたら——どうなるか分からないから。

 ミラさんの集落。セラスさんが処理した集落。

 その二つが同じものだという可能性を——僕はずっと感じていた。ミラさんも、たぶん感じ始めている。だから「やっぱりいい」と止めたのだ。聞いたら、もう引き返せないから。


 カイさんが、後で僕の隣に来た。

「あの二人、何かあったのか」

 小声だった。

「……うん。でも、まだ話すときじゃないみたい」

「そうか」

 カイさんはそれ以上聞かなかった。ただ、灰原の方を見て——ぽつりと言った。

「面倒なことにならなきゃいいがな」

 面倒なこと、で済むだろうか。僕には——もっと深い何かが、二人の間に横たわっているように見えた。


 午後になって、ナギさんが戻ってきた。

「先遣を出した。漁村への連絡は明日には届くだろう。住人たちは——ここでしばらく待機させる。食料は俺のツテで手配する」

「ナギさん。僕たちは——」

「聞いてたよ。レフカに行くんだろう」

 ナギさんが肩をすくめた。

「お前たちの話し合い、隣で聞いてた。——まあ、行くなとは言わん。行くべきだろうとも思う」

 ナギさんが焚き火の灰を棒で突いた。

「だが、レフカは簡単に入れる街じゃない。反宗教国家の首都だ。軍がいる。ヴェルナーの情報部がいる。よそ者の冒険者が五人——いや六人でぞろぞろ入ったら、即座に目をつけられる」

「案内が要る、ということか」

 ルークさんが言った。

「そういうことだ」

 ナギさんが立ち上がった。外套の埃を払い、四本指の左手で——自分の顔を指した。

「レフカには俺の情報網がある。安全な入り方、潜伏先、ヴェルナーの動きを探る手段——全部持ってる。案内してやるよ」

「ナギさん」

「言っとくが、善意じゃないぞ」

 ナギさんが片方の口角を上げた。皮肉屋の仮面が戻っていた。

「俺には俺の目的がある。灯台計画の全容を知りたい。楔に何があるのか知りたい。——お前たちと一緒なら、そこに辿り着ける。利害の一致ってやつだ」

「素直じゃないな」

 カイさんが笑った。

「素直なのはお前だけで十分だ。——まあ聞け。レフカに行く前に、まず装備を整える必要がある。灰原の外縁に港町がある。そこで補給して、船でレフカに向かう。陸路より海路のほうが監視が緩い」

「港町……」

「アルヴァスという町だ。小さいが、ギルドの出張所がある。素材の売却も、装備の調達もできる。——まずはそこで態勢を立て直せ」

 ナギさんが地図を広げた。灰原の東、海に面した小さな港町が描かれていた。


 レフカに行く。

 楔がある場所に。

 ヴェルナーが手を伸ばそうとしている場所に。

 安全装置の——本当の姿を知るために。


 僕は蒼く変わりゆく灰原を最後に振り返った。

 五十年間死んでいた大地が、蒼い植物で覆われていく。それは美しくもあり、恐ろしくもあった。自然の力は——人の都合など知らない。魔素が戻れば、魔素の世界が広がる。それだけのことだ。

 イレーネ様の言葉が耳に残っていた。

 人がどう意味づけるかは、人の問題。

 なら——僕たちがレフカで見つけるものに、どんな意味があるのか。それも、僕たち自身が決めることなのだろう。


 壊すんじゃなくて、変える。

 変えられる方法を探す。


 まだ言葉にはできなかった。ただ、胸の中で——何かが形を取り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ