表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の樹海の魔素使い——魔法が使えない少年は、世界の秘密を視ていた  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/56

第38話 崩壊の連鎖

第十一話 崩壊の連鎖


 遺跡が揺れた。


 イレーネが立ち上がった直後だった。足元が小刻みに震えて、壁の回路が一斉に明滅した。金色の光が不規則に点滅して、大空間全体がちかちかと不安定に揺れる。

「なんだ——」

 カイさんが立ち上がって、剣の柄に手をかけた。

「地震か」

「違う」

 ルークさんが壁に手を当てた。

「回路が不安定化している。外部からの干渉だ。——誰かが回路に接触しようとしている」

「外部から?」

「この遺跡の回路に、外側から何かを繋ごうとしている。回路が拒絶反応を起こしている。——だから揺れている」

 壁の回路が激しく明滅した。金色の光が白く変わり、また金色に戻る。床の回路にも波紋が走った。足元がびりびりと震える。

「イレーネさま——」

 セラスさんがイレーネを見た。イレーネの表情が変わっていた。穏やかな微笑みが消えて、厳しい目になっている。

「心当たりがありますか」

「ありますよ」

 イレーネの声は冷静だったが、硬かった。

「遺跡の回路に外部から接続を試みている者がいる。——それも、かなり乱暴なやり方で」

 イレーネが片手を上げた。指先が微かに光って——何かを感じ取っているようだった。目を閉じて、数秒。

「遺跡の北東側。地表から掘削して、回路の末端に装置を接続しようとしている。工業的な手法です。信仰に基づく知識ではない」

「ヴェルナーだ」

 ルークさんが呟いた。

 全員がルークさんを見た。ルークさんの顔は蒼白だったが、目は冷静だった。

「反宗教国家の遺物回収部門。ヴェルナーの工作員だ。灯台計画——遺跡のネットワークを利用した国家防衛システムの構築。そのために遺跡の回路に接続装置を繋ぐ。——俺はその計画の一端を知っていた」

「お前が教えたのか」

 カイさんの声に怒りが滲んだ。

「俺が教えたのは遺跡の構造情報だ。この遺跡の位置までは——だが、灰原に工作員を送り込むことは、俺の想定を超えている。ヴェルナーは俺が離反した後も、独自に情報を集めていたはずだ」

 遺跡が再び大きく揺れた。天井から石の破片が落ちてきた。セラスさんが咄嗟に光の防壁を張って、破片を弾いた。

「まずい。このまま回路への干渉が続けば——遺跡の防衛機構が起動する」

 ルークさんが叫んだ。

「防衛機構?」

「守護者だ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに——壁の回路が、一斉に赤く変わった。


 金色だった光が、真紅に変わる。警告色だ。遺跡の回路が、侵入者に対する防御態勢に入った。

 大空間の壁の一画が、内側から膨らんだ。石が軋む音がして——壁が裂けた。

 中から、光を纏った巨体が現れた。

 守護者だった。

 だが——核獣とは違う。核獣は遺跡の魔素から自然発生した存在だ。守護者は違う。旧文明の自動防衛システムが形を持ったものだ。

 人の形をしていなかった。四足歩行の獣のような姿。体高はカイさんの三倍。背中に無数の棘のような突起があり、その一つ一つが回路で光っている。頭部は平たく、前面に赤い光の帯が水平に走っている——目だろうか。

「二体いる」

 僕の粒視が、もう一体を捉えた。大空間の反対側の壁からも、同じ形の巨体が現れつつある。壁を押し破るように、ゆっくりと——だが確実に。

「守護者×二体。——核獣より大型だぞ」

 ルークさんの声が緊張で震えていた。

「デルガの遺跡で遭遇した下位守護者とは桁違いだ。この規模の遺跡を守るための——上位守護者」

「核獣より強いのか」

「比較にならない。守護者は遺跡の回路と直結している。遺跡そのものがバックアップシステムだ。ダメージを受けても遺跡の回路から即座に修復される。核獣の再生能力を遥かに超える」

「どうやって倒す」

「遺跡の回路から切り離すしかない。——あるいは、核回路を完全に破壊するか」

 カイさんが剣を抜いた。予備の短剣だ。蒼牙の剣は核獣戦で刃が欠けている。

「やるしかねえ」

「待って」

 ミラさんが叫んだ。

「ユーリくんは戦えないよ。頭がまだ——」

「分かってる。ユーリは後方だ。——だが、透視なしで守護者の弱点を見つけられるか」

 ルークさんが僕を見た。

「……粒視なら使える。透視ほど精密には見えないけど——回路の光が強い場所と弱い場所くらいは」

「十分だ。光が集中している場所が核回路のはずだ」


「お待ちなさい」

 イレーネの声が響いた。

 全員がイレーネを見た。

 イレーネは法衣の袖を捲り上げていた。細い腕が露わになる。その腕の周囲に、魔素が渦を巻き始めていた。先ほどまでの穏やかな魔素の圧とは違う。戦闘のための魔素の集中。

「守護者二体は、あなたたちだけでは厳しいでしょう。——手伝います」

「手伝うだと?」

 カイさんが驚いた顔をした。

「さっきまで俺たちを止めようとしてた人間が?」

「安全装置を刺激しているのは、あなたたちではありません。外部から回路に干渉している者です。——放置すれば、安全装置が本格的に反応します。守護者の起動は、まだ第一段階にすぎない」

 イレーネの目が鋭くなった。

「第二段階は——灰原の再来です。それだけは、防がなければならない」

 守護者の一体目が、完全に壁から抜け出た。四本の足で床を踏みしめ、赤い光の帯がゆっくりとこちらを向いた。

「来るぞ!」

 カイさんが叫んだ。


 守護者が跳んだ。


 四足の獣が、地を蹴って跳躍した。カイさんの三倍の体高を持つ巨体が、信じられない速度で飛びかかってくる。

「散れ!」

 カイさんが右に跳んだ。セラスさんが左に。僕とミラさんは後方に下がった。ルークさんが台座の影に飛び込んだ。

 守護者の前足が床を叩いた。衝撃で床の石板が砕け、破片が四方に飛んだ。

「セラス! 左の一体を抑えてくれ! 右は俺が引きつける!」

 カイさんが短剣を構えて、右側の守護者に向かった。

「了解!」

 セラスさんが左の守護者に向き直った。手のひらに光が集まる。

「——裂けよ」

 光の刃が放たれた。左の守護者の前面に当たる。守護者は——止まらなかった。光の刃を体表の回路が吸収して、ダメージを無効化した。

「魔法を吸収する——!」

 セラスさんが歯を食いしばった。

「回路が防壁になっている。核獣と同じだ——だが、もっと厚い」


「私が行きましょう」

 イレーネの声が、戦場に響いた。

 イレーネが一歩前に出た。法衣が風もないのに揺れた。周囲の魔素が——イレーネに向かって集まっている。大空間に漂う全ての魔素が、イレーネの体を中心に渦を巻き始めた。

「セラス。その一体は私が引き受けます。あなたは——あちらを」

「大神官さま——」

「任せなさい」

 イレーネが左の守護者に向き直った。

 無詠唱だった。

 言葉は一つもなかった。イレーネの指先が守護者を指し示して——光が爆ぜた。

 純白の光の奔流が、イレーネの手から放たれた。セラスさんの光の刃とは次元が違った。光の刃が小川なら、これは大洪水だ。光が守護者を包み込み——回路の防壁を突き破った。吸収が追いつかない量の魔素が、一気に叩き込まれた。

 守護者の体が後方に吹き飛んだ。壁に叩きつけられて、石壁が砕けた。

「……嘘だろ」

 カイさんが呆然と呟いた。右の守護者と対峙しながら、横目でイレーネの攻撃を見ていた。

「一撃で——」

「まだです」

 イレーネが言った。冷静な声だった。

 壁に叩きつけられた守護者が、立ち上がった。体表の回路が激しく明滅して——損傷した部分が修復されていく。遺跡の回路から、修復用の魔素が流れ込んでいるのだ。

「遺跡と直結している限り、修復し続ける。——核回路を破壊しなければ」

 イレーネの目が守護者を射抜いた。

「核はどこですか。——ユーリ」

 僕は粒視を全力で集中させた。透視は使わない。粒視だけで——守護者の体表の光の分布を読む。

 光が集中している場所。回路が最も密な場所。体の中央——いや、違う。守護者は獣型だ。核獣のように胸の中央ではない。

「背中の棘! 背中の棘の根元——光が一番強い! そこに核がある!」

 僕が叫んだ。

「背中か。——面倒な位置だな」

 イレーネが呟いた。

「下から攻撃しても届かない。上から叩くか、横から貫くか」

 イレーネの周囲の魔素がさらに集中した。腕の周囲に、光の球体が形成されていく。先ほどの奔流とは違う。凝縮された、高密度の光の弾。

「伏せなさい」

 イレーネの声が大空間に響いた。

 僕たちは反射的に床に伏せた。

 イレーネが光の弾を放った。弾は守護者の上方を通過して——天井に当たった。天井が砕けて、石の破片が守護者の上に落ちた。守護者の背中の棘が——破片に押されて下がった。

 その隙に、イレーネが二発目を放った。

 今度は横から。水平に飛んだ光の弾が、守護者の側面に突き刺さった。体表の回路を貫通して——背中の棘の根元に到達した。

 守護者が——叫んだ。

 声ではない。回路の共振が、空気を震わせた。大空間全体がびりびりと振動した。

 守護者の動きが止まった。四本の足が力を失って、巨体がゆっくりと崩れ落ちた。背中の棘の光が消えていく。回路が一本ずつ消灯して——灰色の残骸が、床に横たわった。


 一体撃破。

 だが、もう一体がまだいた。


「カイさん!」

 右の守護者が、カイさんに迫っていた。カイさんは短剣で守護者の前足を捌きながら、後退を続けている。核獣のときのような華麗な剣技ではない。予備の短剣では、守護者の体表に傷一つつけられていなかった。

「硬すぎる——! 核獣より分厚い!」

「カイ、引け! 私が——」

 セラスさんが光の刃を連続で放った。守護者の横腹に当たるが、吸収される。

「吸収速度が速い——一撃では通らない!」

「ルークさん!」

 僕は台座の影にいるルークさんに叫んだ。

「守護者は遺跡の回路と直結してる。回路から切り離す方法は!」

「考えている——」

 ルークさんが台座の回路を見ていた。手帳と壁の回路を交互に見比べて——

「ある! 遺跡の回路には制御階層がある。守護者への供給回路を遮断できれば——修復能力を無効化できる。台座から制御信号を送れば——」

「どうやって」

「台座の防護回路を一部開放して、制御階層にアクセスする。——俺ではアクセスできない。魔素の感応が必要だ。ユーリ、お前の共鳴視なら——」

「駄目!」

 ミラさんが叫んだ。

「共鳴視を使ったら——さっきみたいに——」

「ミラさん」

 僕はミラさんの目を見た。

「全力は使わない。供給回路を遮断するだけ。情報を読み取るんじゃない——回路に信号を送るだけだ。負荷は、さっきよりずっと小さい」

「でも——」

「お願い。——カイさんが危ない」

 ミラさんが唇を噛んだ。数秒の沈黙。

「……分かった。でも、鼻血が出たら即座にやめて。約束して」

「約束する」

 僕は台座に走った。


 台座の右側面。防護回路の隙間。ルークさんが接合部を調整していた。

「ここだ。ここに触れて、守護者への供給回路を遮断するイメージを送れ。共鳴視で——回路に意思を伝えろ」

「意思を伝える?」

「お前の共鳴視は、回路から情報を受信した。逆もできるはずだ。回路に情報を送る——命令を送る。供給を止めろ、と」

 僕は深く息を吸った。

 台座に触れた。

 回路の情報が流れ込んできた——が、今度は耐えた。情報の洪水に飲み込まれずに、自分の意識を保つ。読み取るのではない。送るのだ。

 守護者への供給を止めろ。

 供給回路を遮断しろ。

 回路の中を、意思が流れていく感覚があった。僕の意思が——回路に乗って、遺跡全体に広がっていく。

 頭が痛い。でも、さっきほどではない。情報を読み取るのと、命令を送るのでは、負荷が違うのだ。

 遺跡の回路が——応答した。

 壁の回路の一部が、色を変えた。金色から青に。守護者に繋がっている供給回路が——遮断された。


「通った!」

 ルークさんが叫んだ。

「供給回路が切断された! 守護者の修復能力が——」

 右の守護者の動きが鈍くなった。体表の回路の光が弱まっている。遺跡からの魔素供給が途絶えたのだ。

「今だ! カイ! セラス!」

 ルークさんの声に、カイさんとセラスさんが同時に動いた。

 カイさんが正面から守護者の注意を引いた。短剣で前足を叩いて、守護者の頭部を下げさせる。

「セラスさん! 背中の棘の根元! 核はそこにある!」

 僕が叫んだ。

「——穿て」

 セラスさんの短詠唱。核獣戦と同じ——凝縮された光の槍。

 だが、今度は一人ではなかった。

「砕けなさい」

 イレーネの声が重なった。

 二つの光が、同時に守護者の背中に突き刺さった。セラスさんの槍が棘の隙間を抉り、イレーネの光弾がその傷口をこじ開けた。師弟の魔法が——同じ場所に、二重に。

 守護者の回路が——砕けた。

 赤い光の帯が消えた。四本の足が力を失い、巨体が横倒しに崩れ落ちた。大空間の床が衝撃で揺れた。


 二体目、撃破。


 僕は台座から手を離した。頭が痛い。鼻血は——出ていない。ぎりぎりだったが、約束は守れた。

「ユーリくん!」

 ミラさんが駆け寄ってきた。顔を覗き込まれた。

「鼻血は——出てない。よかった。でも顔が真っ白だよ。座って」

 座った。床が冷たくて、それが心地よかった。


「工作員の痕跡がある」

 ルークさんが守護者の残骸ではなく、壁の回路を調べていた。

「遺跡の北東側の回路に、外部装置を接続しようとした形跡だ。接続自体は失敗している——遺跡の防護回路が拒絶した。だが、干渉の試み自体が守護者の起動トリガーになった」

「つまり——外の奴らは、遺跡を乗っ取ろうとして、逆に遺跡の防衛機構を起動させたってことか」

 カイさんが額の汗を拭いた。短剣を鞘に戻す。

「そうだ。——しかも、接続の試みは一回ではない。複数回の形跡がある。組織的だ。個人の仕業ではない」

「反宗教国家の軍——ヴェルナーですね」

 イレーネの声が冷たかった。戦闘中の集中が抜けて、大神官としての冷徹さが戻っていた。

「あの男は、安全装置の存在を知らない。知らないまま、触れようとしている」

「ヴェルナーが安全装置の存在を知らずに遺跡のネットワークに接続しようとすれば——」

 ルークさんの顔が青ざめた。

「最悪の場合、安全装置のトリガー条件に抵触する。灯台計画の目的は遺跡ネットワークの軍事利用だ。それはまさに——禁忌の中の禁忌だ」

「ええ」

 イレーネが頷いた。

「だから——急がなければならないのです」


 遺跡の振動がまた始まった。


 壁の回路が再び明滅する。さっきより激しい。天井から石の破片が落ち始めた。

「まだ干渉が続いている。工作員が撤退していない——むしろ、接続の強度を上げている」

 ルークさんが叫んだ。

「遺跡の構造が不安定化する。——このままでは崩落の危険がある」

「急いで出ましょう」

 イレーネが動いた。

「出口の結界は解除します。——全員、私についてきなさい」

 イレーネが通路に向かって歩き出した。法衣の裾が揺れる。振動の中でも、イレーネの足取りは揺らがなかった。

 僕たちは荷物を掴んで、イレーネの後を追った。


 通路を走った。壁の回路が明滅する中を、セラスさんの光球と壁の不安定な光を頼りに。ルークさんが核魔石と金属板の入った袋を抱えて走っている。ミラさんが薬箱を肩にかけて。カイさんが殿しんがりを守った。

 途中、天井の一部が崩れた。石の塊が落ちてくる。

「——散れ」

 イレーネの無詠唱。光の防壁が天井の崩落を受け止めた。石の破片が防壁の上で跳ねて、左右に落ちた。僕たちはその下をくぐり抜けた。

「ありがとうございます——」

「走りなさい。礼は後で」

 イレーネの声が鋭かった。


 遺跡の入口——石の階段に辿り着いた。


 階段を駆け上がった。足元が揺れている。階段の壁にひびが入っている。魔素が——遺跡の中から噴き出すように流れていた。封印が壊れかけているのだ。

 地上に出た。

 灰原の灰色の空が広がっていた。夕暮れの光が、灰色の大地を淡く照らしている。

 振り返ると、遺跡の入口から光が漏れていた。壁の回路の光が地上まで届いている。不安定に明滅する光が、灰色の大地に色をつけていた。

「遺跡が不安定化を続けている」

 ルークさんが入口を見つめた。

「工作員の干渉が止まらない限り、回路の暴走は収まらない。最悪の場合——」

「安全装置が反応する」

 イレーネが言い切った。

「この規模の干渉が続けば——灰原の二度目のリセットが起きかねない。今度は——隠れ里の人々も巻き込まれる」

 僕の心臓が跳ねた。ナギさんの隠れ里。あの地下で暮らす人々。

「すぐに隠れ里に戻って、避難の準備を」

 イレーネが僕たちを促した。

「私は——工作員の干渉を止めに行きます。遺跡の北東側に」

「一人でか」

 カイさんが聞いた。

「一人で十分です」

 イレーネの声には、揺るぎない自信があった。——守護者を一撃で粉砕した大神官の自信。

「あなたたちは隠れ里の避難を優先してください。ナギという情報屋がいるでしょう。あの男なら、避難の指揮が取れるはずです」

「イレーネさま」

 セラスさんが声を上げた。

「私も——」

「セラス。あなたは、あの子たちと一緒に」

 イレーネがセラスさんを見た。目が——柔らかかった。

「あなたの居場所は、もうこちら側でしょう」

 セラスさんが——言葉を失った。

「……はい」

 小さな声だった。でも、明確な返答だった。


 イレーネが灰原の北東に向かって歩き出した。


 白と金の法衣が、灰色の大地の上で揺れていた。その周囲に——魔素の光が渦巻いている。灰原には魔素がないはずだった。だが、イレーネの体内から放出される魔素が、自身の周囲にだけ光の衣を作っていた。魔素のない死地を、自分の魔素だけで歩く。それができるほどの——圧倒的な魔素量。

「あの人は——本当にとんでもない人だな」

 カイさんが呟いた。

「敵じゃなくてよかったぜ。——いや、まだ味方かどうか分からんが」

「少なくとも、今は同じ方向を向いている」

 ルークさんが言った。

「急ごう。隠れ里に戻る」


 僕たちは走った。灰原の灰色の大地を、夕暮れの光の中を。


 足元が時折揺れた。遺跡の不安定化が、地表にまで影響を及ぼしている。

 走りながら、僕は考えていた。

 ヴェルナーの工作員が灰原にまで来ている。灯台計画は、デルガや反宗教国家の領内だけの話ではなかった。灰原の——神罰で滅びた国の遺跡にまで、手を伸ばしている。

 安全装置の存在を知らないまま。

 知らないまま、安全装置のトリガーに触れようとしている。

 イレーネの言葉が蘇った。「あの男は、安全装置の存在を知らない。知らないまま、触れようとしている」

 それは——最も危険なことだ。

 知らないからこそ、恐れない。恐れないからこそ、踏み込む。踏み込んだ先に——取り返しのつかないものがある。


 隠れ里に着いたのは、日が完全に沈んだ後だった。


 ナギさんが入口で待っていた。

「揺れを感じた。——何があった」

「長い話だ」

 カイさんが息を切らしながら答えた。

「だが、短く言う。遺跡が不安定化してる。外部から干渉してる奴がいる。最悪の場合——」

「安全装置が反応する、か」

 ナギさんの目が暗くなった。

「……まあ、いつかこうなると思っていたよ。永遠に続く安全なんて、ないからな」

 ナギさんが振り返った。隠れ里の人々が、不安そうな顔で集まっていた。地面の揺れを感じているのだ。

「避難準備だ。——全員に伝える。食料と水を持って、地下の深層通路に移動する」

 ナギさんが動き始めた。皮肉屋の情報屋が、一瞬で——指揮官に変わっていた。

「お前たちも手伝え。——特にセラス。お前の防壁が、避難路の安全を守れる」

「はい」

 セラスさんが頷いた。

 僕たちは——隠れ里の避難を手伝い始めた。


 石の通路を走りながら、僕は空を——地下だから空はないが——天井を見上げた。回路の光が不安定に明滅している。

 世界が揺れている。

 安全装置が目覚めかけている。

 そして、その引き金を引こうとしているのは——真実を知らない者たちだ。

 知らなければ恐れない。

 でも——知っていても、変える方法が分からなければ、恐れるだけだ。

 変える方法を、見つけなければ。

 僕の手には、記録室から持ち出した金属板と金属の箱がある。旧文明の記録。この中に——変えるための手がかりがあるかもしれない。

 灰原の地面が、また揺れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ