タイトル未定2026/11/02 16:13
二日後。
朝からランカスターには激しい雨が降っていた。
低く垂れ込めた雲の下、城壁を叩く雨音は絶えず、時折、強い風が窓を鳴らしている。
王室からの書状は、まだ届いていなかった。
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城内の通路を、エレナは兵士に挟まれて歩いていた。
両手には手枷、両足に足枷。
鎖は二日前よりも短く詰められ、口には猿轡を噛まされている。
今日も通路の先には人が集まっていたが、前回ほどではなかった。
「……あれか」
「本当に火を出した娘だ」
声は小さい。
前回のように石を投げる者も、露骨に罵声を浴びせる者もいなかった。
「しっ! 声が大きい」
「呪われるぞ」
エレナは、ただ前を向いて歩いていく。
城内の少し離れた場所から、ダガルとガーズィがその様子を眺めていた。
「……エレナの目つきがおかしい」
ダガルが呟く。
「何?」
「誰の顔も見てない」
ダガルは、連れていかれるエレナから目を離さなかった。
「嫌な予感がする」
ガーズィがダガルを横目で見る。
「それなら……ろくなことが起こらないな」
「いざとなれば、ボクが止めるよ」
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法廷。
二日前の騒ぎの痕跡は、ほとんど片付けられていた。
焦げた机は交換され、焼けた書類も新しく作り直されている。
ただ、石壁の一部にはまだ黒い煤が残っていた。
猿轡を外されたエレナが、被告席へ立たされる。
ブロムリーとアルサムの両判事も、すでに席についていた。
二人とも顔色は決して良くない。
だが、前回のような取り乱した様子もなかった。
ブロムリーがエレナを見る。
「エレナ・クロウリー」
その声には、判事としての威厳が戻っていた。
「前回の審理では、法廷内で再び魔術を行使し、多くの者を危険にさらした」
エレナは黙っている。
「何か申し開きはあるか」
「……言うても、聞かへんやろ」
ブロムリーの眉がわずかに動いた。
「発言の機会は与えている」
「兵士吹っ飛ばしたんも、火出したんも認める」
一瞬、言葉が途切れる。
「……でも、それでウチが悪魔の手先になるんか?」
法廷が静まり返った。
「ウチの力は、別に悪魔にもろたもんとちゃう」
ブロムリーは黙ってエレナを見ていた。
「我々が裁くのは、お前の生まれではない」
静かな声だった。
「お前が実際に行った魔術と、その結果だ」
「……」
エレナは息を漏らし、それ以上何も言わなかった。
審理は進んだ。
すでに証言の多くは前回までに出揃っている。
書記が最後の記録を読み終えた。
陪審員たちが評議に退き、やがて戻ってきた。
代表の男が立ち上がる。
「被告、エレナ・クロウリーを有罪と認めます」
ブロムリーは短く応じ、被告席へ向き直った。
「エレナ・クロウリー」
エレナの視線が、ゆっくりと判事席へ向く。
「刑を言い渡す」
傍聴席から、音が消えた。
離れた柱のそばでは、ダガルが腕を組んだまま立っている。
その横で、ガーズィが窓の外を見た。
雨はまだ降っている。
書状が届いたという知らせもない。
「被告を――」
ブロムリーが一度だけ息を吸った。
「絞首刑に処す」
その言葉が法廷に落ちた。
エレナは動かなかった。
傍聴席に小さなどよめきが広がる。
それすら耳に入っていないようだった。
「……ウチを」
エレナの掠れた声が漏れる。
「殺すって?」
ブロムリーは何も言わなかった。
「エレナ・クロウリー」
アルサムが静かに告げる。
「判決は――」
「……そっか」
エレナが俯いた。
しばらくして、もう一度だけ口を開いた。
「何言うても、無駄やったんやな」
ダガルの表情が変わった。
「……嫌な予感がする」
ガーズィが横を見る。
「何がだ?」
「静かすぎる……」
燭台の炎が揺れた。
風は吹いていない。
それなのに、法廷中の炎が同じ方向へ傾いていた。
ブロムリーもそれに気づく。
「……被告を押さえろ」
兵士たちが動いた。
エレナは顔を上げた。
「……来んといて」
掠れた声なのに、よく響いた。
兵士が思わず足を止める。
エレナの周囲で、ゆっくりと風が生まれた。
最初は髪を揺らす程度だった。
それが次第に強くなり、床に落ちた紙が一枚、また一枚と浮き上がる。
「エレナ」
ダガルが呼ぶ。
その声は、炎の唸りにかき消された。
エレナはただ、正面にいる判事たちを見ていた。
頭の中は、妙に静かだった。
「ウチは……誰も呪ってへん」
燭台の炎が伸びた。
「誰も殺したない」
風が強くなる。
「ただ、普通に生きとっただけやのに」
炎が燭台から剥がれていく。
「でも、どうせ魔女やって言うんやったら……、もう……どうでもええわ」
エレナの声は震えていなかった。
「お前らに殺されるくらいなら……」
一度、目を閉じる。
「自分で、お父ちゃんとお母ちゃんに逢いに行く——」
その瞬間。
炎が唸るように勢いを増した。
風に巻き取られた炎の帯が、エレナを中心に巨大な渦を作る。
だが、炎は外へ広がらず、エレナを囲むように渦を狭めていく。
「なっ……!」
アルサムが椅子を蹴って立ち上がる。
ブロムリーも数歩後ろへ下がった。
判事として逃げ出すことこそしなかったが、その顔から血の気が引いている。
火柱ではなく、炎そのものが、風に乗って回転していた。
天井近くまで届く、巨大な炎の竜巻だった。
「離れろ!」
兵士たちが叫ぶ。
「近づくな!」
金髪だけが激しく風になびいている。
その中心で、少女だけが不自然なほど静かだった。
「……ウチが、死んだら」
炎の渦は、少しずつエレナへ迫っていた。
その中心に残された空間が、さらに狭くなる。
「呪ったる。全員」
傍聴席から悲鳴が上がった。
「魔女だ!」
「逃げろ!」
人々が出口へなだれを打った。
ダガルだけが、人の流れに逆らって走った。
「エレナ!」
返事はない。
「……まずい。
死ぬつもりだ……!!」
炎の渦へ踏み込む。
熱風が身体を叩き、外套の裾が焦げた。
「っ……!」
腕で顔を庇いながら、さらに前へ出る。
「なんて力だ……」
焼けるような熱気の向こうに、エレナの姿が見えた。
「エレナ!」
ダガルは、なおも距離を詰めた。
「エレナ!!」
エレナがゆっくりとダガルを見る。
「……来んといて」
「少しだけ寝てて!」
右手が青白く光り、エレナの額へ掌が触れる。
「Slumber Hand《眠りの手》!」
その瞬間だった。
パァン――!
「っ!?」
ダガルの右手が弾かれた。
まるで見えない壁に叩き返されたように、身体ごと数歩後ろへ押し戻される。
「ダガル!」
離れた場所からガーズィが叫ぶ。
ダガルは弾かれた右手を見た。
「……効かない?」
確かに、触れた。
それでも、エレナの意識へ力が届かなかった。
炎の竜巻が再び膨らむ。
ダガルは、短く息を吐いた。
「……仕方ないな」
今度は左手を上げると、その掌が赤黒く光った。
ガーズィの表情が変わる。
「おい、ダガル――」
「大丈夫」
ダガルは再び炎の中へ踏み込んだ。
「少しだけ弱ってもらうよ」
左手がエレナの肩へ触れる。
「Soul Dim《魂の減光》」
エレナの身体が大きく震えた。
「……っ!」
炎の勢いが一気に落ちる。
天井まで届いていた火の渦が縮み、風も弱くなった。
ダガルの顔が歪む。
「くっ……強い」
ダガルの左手が小刻みに震える。
「もう少し……待って」
「……もう、死なせて……」
炎が消えていく。
風が止まった。
エレナの膝から力が抜ける。
ダガルがその身体を受け止めた。
その左手は赤黒くくすんでいた。
「……なん、で……」
「……ほっとけない」
エレナの目が閉じた。
法廷には焦げた匂いと、荒い息だけが残った。
誰もすぐには動けなかった。
ブロムリーもアルサムも、席のそばに立ち尽くしていた。
やがてブロムリーが我に返った。
「その男を拘束――」
中庭から馬の蹄が石畳を打つ音がした。
続いて、慌ただしい足音が廊下を駆けてくる。
「お待ちください!」
扉が勢いよく開く。
雨に濡れた男が、息を切らしながら法廷へ入ってきた。
男は懐から布包みを取り出し、封蝋の押された書状を引き抜いた。
「国王陛下より――!」
法廷が静まり返った。
ブロムリーとアルサムの顔色が変わる。
男が書状を高く掲げた。
「エレナ・クロウリーの処遇に関する、国王陛下からの書状です!」
ダガルはエレナを抱えたまま、その言葉を聞いた。
本作の物語の発端となる「ペンドル魔女裁判」は、17世紀のイングランドで実際に起こった事件です。
1612年8月17日、ランカスター城で巡回裁判が開かれ、翌18日からペンドル魔女裁判の本格的な審理が行われました。
事件の背景には、デムダイク家とチャトックス家という二つの家系の長年にわたる対立がありました。
魔術による殺人などの疑いで12人が告発され、10人が絞首刑に処されました。残る2人のうち、1人は裁判を迎える前に獄死し、もう1人は無罪となっています。
なお、「魔女」という言葉から女性を想像する方も多いかもしれませんが、当時は男性も魔女として告発されました。
実際、ペンドル魔女裁判で処刑された10人のうち、2人は男性でした。
つまり、魔女と呼ばれるかどうかは、必ずしも性別によって決まるものではなかったのです。
本作の主人公エレナは、この歴史的な裁判が終わった数日後に拘束された、という設定です。
また、第7話に登場するアルサム判事とブロムリー判事も、実在した人物です。
正式にはジェームズ・アルサム卿(Sir James Altham)とエドワード・ブロムリー卿(Sir Edward Bromley)。両名は実際にペンドル魔女裁判を担当した巡回判事でした。
もちろん、エレナをはじめとする登場人物や事件の展開には創作が含まれています。
ただし、物語の舞台となる時代や場所、当時の社会情勢については、できる限り史実を踏まえて描いています。
400年以上前、魔女だと疑われた人々が実際に裁かれ、命を落とした時代がありました。
そんな時代に、本当に魔法を使える少女が現れたら、人々は彼女をどう扱ったのか。
本作は、そんな想像から生まれた物語です。
エレナの魔女裁判が終わり、ここから様々な出会いを通してエレナは成長していきます。




