本物だから
国王の書状に記されていた内容は、簡潔なものだった。
『エレナ・クロウリーに対しては、いかなる刑も執行してはならぬ。その身柄を王室の管理下に置き、追って指定する者に引き渡せ』
主席判事ブロムリーも巡回判事アルサムも、当然のように難色を示した。
すでに判決は下されている。
しかも、法廷内であれだけの騒ぎを起こした直後だ。
だが、国王の名と封蝋がある以上、二人に拒否する余地はなかった。
こうしてエレナ・クロウリーの絞首刑は執行されなかった。
やがて、その出来事は少しずつ形を変えながら人々の間に残っていくことになる。
処刑を目前にした本物の魔女が、巨大な炎の竜巻を巻き起こした。
あまりの力を恐れた人々は、ついに彼女を処刑できなかった――と。
だが、実際には違う。
エレナが炎を起こすより前から、一通の書状はランカスターへ向かっていた。
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エレナが次に目を覚ましたとき、見慣れた石の天井があった。
「……」
しばらく瞬きを繰り返す。
身体が重い。
頭の奥も鈍く痛んでいた。
だが、何かが以前と違う。
両手を動かすと鉄の音がしなかった。
「……枷」
ついていなかった。
足にもない。
身体の下には、以前の薄汚れたものとは違う毛布が敷かれていた。
新しいものではないが、少なくとも洗われている。
「起きた?」
声の方を見る。
牢の外に、左手に包帯を巻いたダガルが座っていた。
その少し離れたところには衛兵もいる。
今度は眠らされてはいなかった。
「……またあんたか」
「またボクだね」
エレナは身体を起こそうとした。
だが、腕に力が入らない。
途中で諦め、そのまま壁へ背を預ける。
ダガルが少しだけ表情を曇らせた。
「ごめんね。手荒な真似をした」
「……ほんまやで」
エレナはダガルの左手の包帯を見た。
「それ、ウチを止めようとして……」
「気にしなくていいよ」
エレナは訝しい顔をしながら息を吐いた。
自分の胸元を見る。
「ウチ、死に損なったやんか」
「そうだね」
ダガルは少し間を置いた。
「でも、処刑はもう止まってるよ。国王から命令が届いたんだ」
「……国王?」
「うん」
エレナは手首の枷の跡を眺めた。
「そうなんか」
「もう、あんなことはしない?」
エレナが横目を向けた。
「あんた、また止めるやろ」
エレナは小さく息を吐いた。
しばらく黙ってから、ふと思い出したように顔を上げる。
「で」
「ん?」
「あんた、何者やねん」
「……」
「前は誤魔化したやろ。今度こそ答えてや」
ダガルは少し考えた。
それから後ろを振り返る。
「少しだけ外してもらえる?」
衛兵は怪訝そうな顔をしたものの、何も言わず通路の奥へ下がった。
足音が遠ざかると、ダガルは再び牢の中を見る。
「言っても、たぶん全部は信じてもらえないと思う」
「言うてみ」
「王室にも少し顔が利く組織の一員」
エレナが眉を寄せた。
「……ほんまかいな」
「うん」
即答され、エレナは天井を見た。
「いや……」
目を閉じる。
死刑の判決は聞いた。
そうして目の前の男に目を移した。
「……ほんまなんやろな」
「もう少し休んだ方がいいよ」
「言われんでも……」
エレナは毛布へ身体を沈めた。
「眠いわ」
それ以上は聞かなかった。
ほどなくして呼吸がゆっくりになる。
完全に眠ったあとも、ダガルはしばらくその場に残っていた。
エレナの目元には、乾いた涙の跡が残っていた。
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その後も、エレナは何度か目を覚ました。
食事を少し口にする。
水を飲む。
それだけで、また横になった。
起きている間も膝を抱えて俯き、時折ぽつりと独り言ちる。
目を覚ますたび、父も母もいないことだけは変わらなかった。
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移送の日が来た。
死刑判決が言い渡されてから三日後。
王室から正式に身柄の移送を任されたダガルとガーズィが、エレナを引き取った。
まだ夜が明けきらないうちに、馬車はランカスター城を出た。
空は薄暗く、道の両側には朝靄が残っている。
エレナが乗せられたのは、飾り気のない粗末な荷馬車だった。
だが、両手にも両足にも枷はなかった。
御者台にはダガルが座り、包帯を巻いた左手を庇いながら、右手で手綱を握っている。
ガーズィは馬に乗り、荷馬車の横を進んでいた。
しばらく黙って外を眺めていたエレナが、御者台の方へ身を乗り出した。
「なあ」
「何?」
ダガルが肩越しに振り返る。
「ウチが逃げたらどないするん?」
「逃げないと思ってる」
「なんで?」
「キミのことだから」
「ウチの何を知ってんねん」
エレナの口元がわずかに緩んだ。
捕らえられて以来、初めてだった。
ダガルは何も言わなかった。
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昼前。
一行は街道を外れ、森の中の小さな広場で休憩を取った。
馬に水を飲ませ、簡単な食事を済ませる。
エレナは倒木に腰掛け、渡されたパンを少しずつ千切っていた。
ダガルは近くの木にもたれ、ガーズィは馬の様子を見ている。
「なあ」
またエレナが口を開いた。
「結局、ウチをどうするつもりなん?」
ダガルが顔を上げる。
「それを決める人のところへ連れていってる」
「誰やねん、それ」
「その前に聞きたいことがある?」
エレナはパンを持ったままダガルを見る。
「……ホンマは、お母ちゃんを探してたんやろ」
「うん」
「なんで?」
「ソフィアが魔法を使えると分かっていたから」
「でも、ウチが魔法使えることは知らんかった」
「知らなかった」
ガーズィが馬から離れ、こちらへ歩いてくる。
「我々が把握していたのは、ソフィアの能力だけだ。だが、保護するなら家族も一緒にと考えていた」
「お父ちゃんも?」
「ああ」
「……そりゃどうも」
棘のある言い方だった。
ガーズィは何も返さない。
エレナは手の中のパンへ視線を落とした。
「ウチらが魔法使えることが関係してるんやろ?」
「そうだよ」
ダガルが答える。
「今のこの国で、その力が知られれば魔女として扱われる可能性が高い。だから見つけたら保護する」
エレナはしばらく黙っていた。
やがて顔を上げる。
「ほんならさ」
「うん」
「この前処刑された人らは?」
ダガルの表情が消えた。
「魔法なんか使われへん人も、ぎょーさんおったんやろ」
「……そうだろうね」
「ウチみたいに助けたったらええやんか」
今度はガーズィが答えた。
「できるならそうしたい」
「ほな――」
「だが、我々にもできることには限界がある」
エレナが黙る。
「王室に多少の伝手があるからといって、すべての裁判に介入できるわけではない。
まして、一人ひとりの無実を証明して回ることもできない」
「……でも、ウチは助かったやん」
「ああ」
「なんで?」
短い問いだった。
ダガルが少しだけ目を伏せる。
「キミが本物だから」
エレナが顔を上げる。
「本当に力を持っている人間だから、助ける理由があった」
「……」
「保護するだけじゃない。その力を貸してほしいんだ」
エレナは何も言わなかった。
握っていたパンが、少し潰れる。
あの法廷で処刑された女たちの話を思い出す。
父が帰宅した夜に言っていた、あの言葉も。
罪があるか確かめたんやない。
罪があることにされたんや――。
自分も同じだった。
ただ一つ違ったのは、本当に魔法が使えたこと。
そして、そのせいで自分だけが生き残った。
「……気分悪いな」
「そうだね」
エレナがダガルを見る。
「否定せえへんのかい」
「嘘をついても仕方ないから」
エレナは鼻から息を吐いた。
「で、力貸せって、何したらええん?」
「それはボクから説明するより、本人に聞いた方がいい」
「本人?」
ガーズィが口を開く。
「まずは会ってみてくれ」
「誰に?」
「パトリック・スピノーラ伯爵」
エレナが眉を寄せる。
「……スピノーラ」
聞いたことのある名前だった。
「知ってる?」
「冒険家……いや、軍人やったか?」
「両方かな。
会って、話を聞いて。それから決めればいいよ」
エレナは残っていたパンを口へ入れた。
ゆっくり噛み、飲み込む。
「……考えとく」




