エレナの魔女裁判
――四日後。
ランカスター城。
裁判の朝、城内には大勢の人間が集まっていた。
兵士に挟まれ、エレナ・クロウリーは法廷へ向かって歩いていく。
両手には鉄の枷がはめられ、足元の鎖が石畳を擦っていた。頬には、まだ新しい傷が残っている。
人垣の中から声がした。
「この魔女め!」
「親殺しの悪魔が!」
エレナの足が止まりかける。
「ちゃう」
掠れた声だった。
「ウチは殺してへん」
誰かが石を投げた。
硬い音がして、エレナの体が傾く。
反射的に跳ね上がった両手は、ジャラリと重い音を立てただけで顔には届かなかった。
兵士が怒鳴って群衆を下がらせたが、場の空気は変わらなかった。
「魔女!」
別の場所から声が上がる。
兵士に促され、エレナは再び歩き出した。
もう弁解はしなかった。
法廷の扉が開く。
エレナは一度だけ振り返った。
人垣の顔を、端から一つずつ辿っていく。
どれも、知らない顔だった。
背後で、扉が閉まった。
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法廷には、すでに多くの傍聴人が詰めかけていた。
ざわめきの中、エレナは被告として立たされた。手枷も足枷も外されていない。
書記が立ち上がり、起訴状を読み上げた。
「被告、エレナ・クロウリー。魔術を用いて人々に危害を加え、火および風を引き起こした疑いがある」
書記は起訴状に目を落としたまま問うた。
「被告は、この罪について有罪か、無罪か」
「……風は出した」
傍聴席がざわついた。
「でも、子供に木ぃ落ちそうやったからや。助けただけや!」
「問いに答えよ。有罪か、無罪か」
「そんなん、どっちかで言えるわけないやろ!」
主席判事のブロムリーが机を叩いた。
「被告。許可なく発言するな」
「でも今、ウチの話してるやん!」
「黙りなさい」
兵士がエレナの肩に手を置いた。
エレナは不満そうに口を閉じた。
証人が呼ばれる。
最初に立ったのは、あの日の行商人だった。
「私は見ました。今思えば、あの娘が手を上げた直後、突然強い風が吹いたんです」
アルサム判事が問う。
「それで木材が落ちる向きが変わったのですか?」
「はい」
「そのあと、母親も同じことを?」
「そうです。最初の風も母親と思いましたが、違いました。
母親が手を上げたら、また風が吹いた」
「ほら!」
エレナが声を上げた。
「子供助けたって自分で言うてるやん!」
「静かにしろ」
「なんでやねん! そこ大事やろ!」
傍聴席の一部から笑いが漏れた。
エレナがじろりとそちらを睨む。
「何がおもろいねん」
笑い声が少し小さくなった。
ブロムリー判事は苦々しげに顎をしゃくり、次の証人を呼ばせた。
今度は近所の男だった。
「以前から妙な家族だとは思っていました。何度も住む場所を変えていたそうです」
「それがなんやねん」
兵士が肩を押さえる。
「黙れ」
エレナは手枷を鳴らしながら振りほどこうとした。
「勝手なことばっかり言わせんなや!」
もう一人の判事アルサムが、静かに告げた。
「いま一度勝手に発言すれば、法廷から退去させる」
エレナはアルサムを睨んだまま口を閉じた。
ブロムリー判事の顔が険しさを増していく。
「続けなさい」
次の証人は、さらに踏み込んだ。
「あの家族は何度も逃げるように住む場所を変えてきた」
「それは誰から聞きましたか?」
「それは……覚えていません。ただ、そういう噂はありました」
エレナが身を乗り出した。
「そんなん証言になるんか!」
ブロムリー判事が机を叩く。
「被告は黙っていなさい」
誰かが見た話に、誰かから聞いた話が重なっていく。そのたびに、クロウリー家についての話は少しずつ形を変えていった。
やがて別の証人が口にした。
「父親は牧師だったそうですが、妻が魔女だと知りながら隠していたのでしょう」
エレナの肩が、びくりと跳ねた。
「違う」
「黙りなさい」
「お父ちゃんは何もしてへん」
判事らは取り合わなかった。
証人が続ける。
「神に仕える身でありながら魔女を庇ったのなら、ああなったのも――」
「今、なんて言うた?」
証人の言葉が、ぴたりと止まった。
「今、なんて言おうとしたん」
「エレナ・クロウリー。静粛に」
「お父ちゃんが死んだんは、自業自得やって言いたいんか!」
兵士がエレナの腕を掴んだ。
「黙れ!」
「離せ!」
鎖が大きく鳴る。
「お父ちゃんは、ウチが殴られたから止めに入っただけや! お母ちゃんもウチを庇っただけや!」
「被告を押さえろ」
もう一人の兵士が近づく。
エレナは二人に腕を掴まれながらも、証人から目を逸らさなかった。
「誰も呪ってへん! 悪魔とも契約してへん!」
ブロムリー判事が声を張り上げた。
「だが、お前たちは魔術を使った」
「それの何が悪いねん!」
法廷がざわついた。
アルサム判事がエレナを見据える。
「魔術を禁じているのは私ではない。法だ。教会も禁じている」
「でも、子供助けただけや!」
「理由が何であれ、魔術を使った事実は変わらない」
「ほな、人助けても罪なんか!」
「善意であれば禁じられた力を使ってよい、という法にはなっていない」
エレナは一瞬、言葉に詰まった。
やがて、絞り出すように言う。
「だって……、それでお母ちゃんを魔女にして、お父ちゃんまで殺して――」
「父親の死は不幸な事故だ」
「事故?」
涙が滲んだ。
「ウチが殴られて、お父ちゃんが止めに入ったんや! それで死んだんやろ!」
「それと本件とは関係がない」
「あるわ!」
エレナが兵士の手を振りほどこうとした。
「全部そっちが来てからやろ!」
「黙れ!」
兵士が強く腕を引いた。
エレナの身体がよろめく。
「お母ちゃんまで殺して……」
「エレナ・クロウリー!」
ブロムリー判事が杖を打ち鳴らした。
「ここはお前が好き勝手に喚く場所ではない!」
エレナの動きが止まった。
法廷にアルサム判事の声が響く。
「魔術を使い、人々を恐れさせ、兵士や役人へ危害まで加えた。これでもなお、自らに何の罪もないと言うのか?」
エレナは荒い息を繰り返していた。
「……何が罪やねん」
「何?」
「ウチら、何したんやって聞いてんねん!」
ブロムリー判事が顔をしかめる。
エレナが叫んだ。
「ウチら何もしてへんかったやろ!」
手枷の鎖が震えた。
「そっちが家まで来て……お父ちゃんも、お母ちゃんも……」
エレナは唾をのみ込んだ。
「それで今度は、ウチまで殺すんか!」
法廷の隅に並んだ燭台の炎が揺れた。
エレナの目が、燭台の炎へ向いた。
最初に気づいたのは、傍聴席の端にいたダガルだった。
炎が一斉に同じ方向——エレナの方へと傾いている。
「この女……!」
兵士が押さえ込もうとする。
「触んな!」
突風が法廷を駆け抜けた。
燭台の炎が一斉に膨れ上がり、天井へ向かって火柱を上げる。
机の上の書類が舞い上がった。空中で次々と火がつき、燃えながら降り注ぐ。
「なんだ!?」
「火だ!」
「押さえろ!」
兵士がエレナへ飛びかかった。
「どけや!」
エレナを中心に衝撃波のような風が広がり、今度は机が動いた。
書記が机にしがみついたが、強風に押され、書類もろとも横倒しになる。
倒れた燭台から火が広がった。
「水を持ってこい!」
傍聴人が出口へ殺到した。
「……ひっ!」
書記が引きつった声を上げた。
判事らも思わず立ち上がった。
だが、エレナはその場から一歩も動かない。
「お父ちゃんも、お母ちゃんも……」
その周囲で風が渦を巻いている。
「何も悪いことしてへんかった……のに」
炎が風に煽られ、床の上を走った。
兵士たちはエレナへ近づけない。
人の波が出口へ押し寄せる中、ダガルだけは動かなかった。
エレナを見つめたまま、ゆっくりと席を立つ。




