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鬱憤の行方

 ルークの顔が険しくなる。


「というと?」


「今日、彼女《ソフィア》が町中で不自然な風を起こしたという証言があります」


「風が吹いただけじゃ?」


「一人の証言ではありません」


 役人が書類を開いた。


「少なくとも六名が、夫人が手を上げた直後に風が起きたと話しています」


「それで連れていくと?」


「話を聞くだけです」


「この前も聞いた台詞ですな」


 ルークは扉の前から動かなかった。

 その背後からソフィアが出てくる。


「あなた」


「出てこんでええ」


「でも、このままじゃ終わらないわ」


 ソフィアは夫の肩越しに、まっすぐ役人を見据えた。


「私が行けばいいんですね」


「お母ちゃん!」


 エレナも奥から飛び出してきた。


「行ったらあかん!」


「エレナ」


「この前、処刑されたばっかりやん!

 十人も!」


 役人の眉が動いた。


「正式な裁判を経た刑です」


「そんなん――」


「エレナ」


 ソフィアが娘を制した。


「大丈夫。話をするだけよ」


「そんなわけないやろ!」


 エレナは役人を睨みつける。


「お母ちゃん、誰も呪ってへん!

 悪魔とも契約してへん!」


「それを確かめるためです」


「ほな、ここで聞いたらええやん!」


 役人は答えず、ソフィアへ向き直った。


「参りましょう」


 ルークの声が低くなった。


「ワシも行く」


「それは認められません」


「妻一人で行かせられるか」


 書類を抱えた男が、薄く口の端を上げた。。


「あなたにも事情を伺うことになるかもしれませんよ」


 先頭の役人が、横目で鋭く制した。


「余計なことを言うな」


「ですが、妻が魔女だと知りながら長年隠していたのなら――」


「おい、待て」


 ルークが一歩踏み出した。


「ワシの妻を魔女と決めつけるんか? まだ何も調べとらんのやろ!」


「可能性の話です」


「可能性やと? この前もそうやって、何の罪もない人間を十人も吊るしたやないか!」


「牧師殿、言葉を慎んでください」


「慎めやと……!」


 ルークがさらに詰め寄ろうとしたところで、ソフィアが腕を掴んだ。


「あなた、お願い」


「せやけど、こいつらは……!」


「ルーク!」


「お母ちゃんは魔女ちゃう!」


 今度はエレナの声が響いた。

 外にいた者たちがざわつく。


 ルークは肩越しに娘を一瞥した。


「エレナ、黙っとき」


「だって!」


「ええから」


「よくない!

 お母ちゃんだけやなくて、お父ちゃんまで連れていく気やん!」


 いつの間にか、野次馬は十人を超えていた。


「あの家だったのか」

「娘もいるぞ」

「魔女の子だ。あれも怪しい」


 声が重なっていく。


 ソフィアがエレナの肩を抱いた。


「聞かなくていいわ」


「でも――」


「エレナ。私を見て」


 言われるまま見上げた母の顔は、驚くほど静かだった。


「何も決まってないわ。少し話をしてくるだけ」


 エレナは唇を噛んだ。

 ソフィアが手を離し、役人の方へ歩き出す。


 そのとき、野次馬の中から声がした。


「これで絞首台行きだな」


 エレナは弾かれたように振り向いた。


「まだ何も決まってへんやろ!」


 人垣へ向かおうとしたエレナの前に、兵士のうち若い方の一人が槍を横に出した。


「……下がりなさい」


「どいて!」


「下がれ!」


「お母ちゃん連れていかれるのに、黙って見てられるか!」


 エレナが槍の柄を押しのけようとする。

 若い兵士の表情が強張った。


「触るな!」


 若い兵士は反射的に身を引き、距離を取ろうとした。それでも前へ出ようとするエレナに、今度は柄を突き出す。


「下がれ!」


 柄がエレナの肩を打った。小さな体が、あっけなく地面に転がる。


「エレナ!」


 ソフィアが振り返る。


「おい!」


 もう一人の年嵩の兵士が、若い兵士の肩を掴んだ。


「相手は子供だ。そこまでやる必要はない」


「俺は……近づくなと言っただけだ」


 若い兵士はそう言いながらも、槍を握った手を緩めなかった。


「娘に何しとんねん!」


 ルークが飛び出した。


「えっ!?」


 倒れたまま見上げた父の顔は、怒りで赤くなるどころか、むしろ青ざめていた。


「またや……」


 ルークの声が震える。


「この前と同じや。誰も話なんか聞く気あらへん!」


 ルークは兵士へ詰め寄った。


「下がれ!」


「この前から好き勝手しやがって!

 何が裁判や! 何が話を聞くだけや!」


「下がれ!」


「罪があることにして、人を吊るして――今度はワシの家族か!」


 ルークが若い兵士に掴みかかった。


「お父ちゃん!?」


 エレナが思わず声を上げる。

 若い兵士ともつれ合うルークの手は、震えていた。


「離れろ!」


 年嵩の兵士も間に入った。


「二人ともやめろ!」


 外では野次馬が騒ぎ始めていた。


「牧師まで暴れたぞ!」

「やっぱりあの家はおかしい!」


「黙れ!」


 ルークが振り返った、そのときだった。


 その背を、誰かが強く突いた。


 兵士だったのか。

 役人だったのか。

 それとも、人垣から手を伸ばした誰かだったのか。


 エレナには分からなかった。

 ルークの身体が大きく前へよろめく。


 若い兵士も咄嗟に槍を引こうとした。


 間に合わなかった。


 鈍い音がした。


 ルークの身体が止まる。


「……え?」


 エレナの口から声が漏れた。


 槍の穂先が、ルークの首元に食い込んでいた。


 若い兵士の顔から血の気が引く。


「違う……俺じゃない。誰かが――」


 ルークがよろめくように一歩退いた。

 首元を押さえた指の隙間から、血が溢れる。


「お父ちゃん!」


 エレナが駆け寄る。


 ルークの膝が崩れた。


 地面へ倒れる前に、ソフィアがその身体を支える。


「ルーク! ルーク!」


 年嵩の兵士が膝をついた。


「布を持ってこい! 早く!」


 野次馬の中から誰かが走り出した。


 ルークの口が、わずかに動く。


「エレ……」


 それ以上、声にならなかった。


「お父ちゃん?」


 エレナが父の肩を揺する。


「なあ。お父ちゃん」


 返事はない。


「……起きてや」


 ルークは動かなかった。

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