登録者47人の配信で手品のタネを全部説明したら、切り抜かれた
【配信を開始しました】
同時視聴者、3人。
台所のテーブルに、ひよりのスマホが横向きに立ててある。映っているのは俺の手と、まな板と、指先ほどの魔石が1個だけだ。
台所の蛍光灯がまな板の上の手元だけを照らしていた。
「今日はおじさんの手品でーす」
ひよりがスマホの横から、やや高めの声で言った。
「顔は出さないんで、映ってるのは手だけです。なんか文句があっても知りません」
コメントはまだない。
「では、始めます」
俺は魔石を左手に握って右手をまな板の上に置いた。手の甲を上に向けて、指をまっすぐ伸ばす。
「工程1です。姿勢を安定させます。椅子に座って、足の裏を床につけます。」
声は自然と、会社で新人研修をやっていた頃の丁寧語に戻った。
「吸気を4拍で取ります。1、2、3、4。胸が膨らむまで吸います。止めます。詠唱中は息を吐きません」
「おじさん、それって手品の説明? もしかして呼吸法の配信?」
「手品の説明です。工程2です。詠唱は一息で言い切ります。途中で息継ぎをしません」
俺は右手の人差し指を立てた。
《着火》。
ボッ、と音がして、指先に豆粒ほどの火が点いた。
オレンジ色の火が蛍光灯の下で小さく揺れている。1秒、2秒、3秒。消えない。魔石を握った左手の内側が、じんわりと温かい。
「点きました。これが《着火》です」
「おおお」
ひよりがスマホの画面に目を落として、すぐに顔を上げる。
「コメント来てる」
《え、何これ》 《手品って言うから見に来たら本当に火が出てる》 《これ加工?》
「加工じゃないです。吸気で魔素を取り込み、詠唱で形を固定し、指先から排出します。以上です」
「火を消します」
俺は魔素の流れを止めた。火がふっと消える。指先に熱だけが残った。
「次に、もう一度点けます。再現性の確認です」
「再現性って何? てかおじさん、配信でそれ言う?」
《着火》。
ボッ。
指先に火が点いた。さっきと同じ大きさ、同じ色、同じ位置だ。
「点きました。これで2回目です。条件を揃えれば、結果は揃います」
《えぐい》 《何この人、本当に手品師なの?》 《いや手品師というか実演販売の人のテンション》
「テンションが低いのは仕様です」
《淡々と火を点けるおじさん、逆に怖い》 《手品っていうか新人研修》
「はい。新人研修です。手品のタネは全部説明します。説明しないと手品として成立しないので」
ひよりが吹き出す。
「タネ全部言うの? 普通言わないでしょ。手品って」
「言わないと再現できません。再現できない手品は、手品ではない」
「は? いや、種があるから手品なんでしょ。種を明かしたらただの技術じゃん」
「その通りです。見ている人も同じ手順で同じ火が点けられるようになるなら、それはもう手品ではなく手順です」
《急に深い》 《おじさんの哲学》
「同時視聴者、18人」
ひよりが数字を読み上げた。声が少し弾んでいる。
「さっきまで3人だったのに、なんか増えてる。おじさん火が点いた瞬間に誰かが貼ったっぽいわ」
「そうか」
「工程は同じです。魔法が変わります」
「魔法って言った」
「手品です。次は《明かり》です。詠唱は6節あります。火の3節より長い。その分、息の制御が重要になります」
ひよりがスマホのレンズを俺の左手に寄せた。
「おじさん、コメントが『石って何』って」
「魔石です。光を保つための、電池のようなものです」
《電池ww》 《てか魔石って言い切ったぞ》
「吸気を4拍で取ります。1、2、3、4」
《明かり》。
6節の文句が喉の奥から指先へ抜けていく。
左手のひらの上で、白い光が生まれた。ピンポン玉ほどの大きさだ。ふわりと浮かび、手のひらから1センチほどの位置で止まる。
「点きました。これが《明かり》です」
「うわ。コメント、一気に増えてる。……あと『おじさんの手、血管すごい』」
「血管は見せなくていい」
「映ってるもんはしょうがないじゃん。おじさん、電気消していい? 映えると思う」
「判断は任せます」
ひよりは立ち上がって台所の蛍光灯を消した。
とたんに、左手の上の光がさっきの何倍もはっきりと浮かび上がった。白い光がまな板の木目を照らして俺の指の輪郭を縁取る。
「おお……これ、映えてるわ。まじで映えてる」
《綺麗》 《ずっと見てられる》 《電気消してる間だけ異世界だった》 《この人ほんとに手品師?》
「手品師ではありません。元品質管理です。今は無職です」
「今の自己紹介、『元品質管理、現無職』って最強に情報量多いわ」
「最後の工程です。光を消すときは、魔素の流れを止めます。息を吐き切るように流れを終わらせる。急に消すと、周囲の明るさに目がついていきません」
「おじさん、それ手品の説明? 安全講習?」
「同じものです」
光が、すっと細くなって消えた。
ひよりが蛍光灯をつけた。
《説明が研修なんよ》 《この手品師、タネを隠す気がない》
「隠していません」
「おじさん、『タネを隠す気がない』ってコメントに『隠していません』って返すの、ちょっと怖いよ」
「事実です」
「火と光ができるなら、これ治せる?」
ひよりがスマホのレンズの前に、左手の人差し指を差し出した。
第一関節の横に、紙で切ったらしい小さな傷がある。長さは1センチもない。赤い筋がうっすら浮いているが、血はもう止まっている。
「昼にプリントで切った。地味に痛い」
《急に人体実験》 《手品の流れから医療行為に飛ぶな》
「治癒の初級を試します」
俺は魔石を左手に握り直した。まださっきの《明かり》の熱が残っている。ひよりの指に右手をかざす。
「工程は同じです」
「おじさん、なんか段々テンポ良くなってない?」
「慣れです。不良は出ていません」
「不良って」
《治癒》。
ひよりの指先に、淡い光が集まった。
白というより、ごく薄い緑がかった光だ。光は傷の上で一度だけ強くなり、ふっと溶けるように消えた。
傷があった場所の皮膚が、周囲と同じ色に戻っている。
「え」
ひよりが指を顔の前に持っていって、まじまじと見た。
「待って、消えてる。傷消えてるんだけど」
《傷消えた?》 《CG》 《生配信だぞ》
「加工ではありません。初級は浅い切り傷までです。深い傷や骨折には対応していません」
「痛くない。さっきまでズキズキしてたのに。これ、マジで何?」
「手品です」
「手品で傷が治るか」
「治りました」
「そういうことじゃない」
ひよりがスマホの画面を覗き込んで、声を上げた。
「同時視聴者、41人。誰かがまた貼ったわ。『傷が消えた』ってコメントが流れてる」
俺は壁の時計を見た。
長針が6の位置に来ている。21時30分ちょうどだ。
《傷の話もっと聞きたい》 《魔石ってどこで買えるの》 《次は何を治すの?》 《おじさんまだいたい》
「時間なので失礼します」
俺は椅子から立ち上がった。
魔石を左手で包む。
「は? 待って待って待って」
ひよりが片手を伸ばして俺の袖を掴もうとする。袖は指先をすり抜けて、ひよりの手は空を切った。
「まだ30分たってないじゃん」
「たってる」
ひよりが壁の時計を見て、口をへの字に曲げた。
「ほんとだ。30分ジャスト。なんでそんな定時ぴったりなの」
「定時だから」
「いや無職でしょ。定時って何」
《定時ww》 《無職の定時》 《この人配信でもタイムカード切るの?》
俺は台所の椅子の背に手をかけて、元の位置に戻した。
ひよりが慌ててスマホの角度を調整しながら、配信画面に向かって早口で言う。
「えーっと、はい、というわけで今日はここまで。おじさんが定時だから帰っちゃいます。手品のタネは全部説明したので、できなかったらおじさんの説明が悪いです。ありがとうございました」
《むしろ丁寧すぎた》 《次回はいつ?》
ひよりが配信終了のボタンを押した。画面の右上で赤い点が消える。
俺はもう、台所の入り口まで来ていた。
ひよりが俺の背中を見送りながら、つぶやいた。
「定時退社……」
◇
目覚ましが鳴る前から、ひよりのスマホは震え続けていた。10月3日、土曜の朝7時だ。
画面が点いては消え、点いては消えを繰り返している。通知だ。
「なにこれ……」
寝起きの声がひっくり返る。ひよりは掛け布団を顎まで被ったまま、横向きにスマホを掴んだ。
親指でロックを外す。最初に開いたのは配信アプリの通知欄だ。
『【切り抜き】タネを全部説明する手品師のおじさん、説明が完全に工場の研修』 『「傷が消えた」の瞬間をスロー再生してみた』 《この人、魔素って言い切ってるんだが》 《CGに見えるけど生配信なんだよな》 《加工にしては指の影まで全部合ってる》 《いや普通にLED仕込んでるだろ》 《元品質管理、現無職って自己紹介が一番怖い》
どれも昨夜の配信の切り抜きだ。サムネイルにはまな板の上で光るピンポン玉ほどの《明かり》と、おじさんの手の甲が大写しになっている。
「待って待って待って」
ひよりは布団から上半身を起こした。
「これ、あたしの配信じゃん。なんでこんな回ってんの」
チャンネル登録者数の表示を開く。
昨日の夜まで47人だった。
「3,200……」
ひよりは数字を二度見した。
「さんぜんにひゃく? は? 3,200人?」
画面の端で、まだ通知が増えている。フォロワーが増えるたびに、端末がぶぶぶと短く震える。
「無理無理無理。追いつけないって」
SNSを開くと、トレンドの下の方に見慣れた単語が並んでいた。
『手品師のおじさん』 『魔素』 『元品質管理』
「おじさんの言葉がトレンド入りしてるんだけど」
「あ、これ傷のとこスロー再生してる人いる」
再生すると、昨夜の《治癒》の場面がゆっくり流れる。ひよりの指先に淡い光が集まり、傷の上で一度だけ強く光って、溶けるように消えていく。
「待って。スローで見ると余計に分かんない」
ひよりは動画を止めて、自分の左手の人差し指を見た。
傷は、ない。
傷口だった場所を爪で軽くなぞっても、ひりつきもしない。
スマホがまた震える。画面を戻すと、登録者数がまた増えていた。
「3,218。増えてる。ずっと増えてる」
画面がまた光る。
「3,241」
ひよりは天井を見上げて、大きく息を吐いた。
「……おじさん、定時で帰ったけど全然定時で終わってないじゃん」
土曜の朝は志摩家の食卓が一番にぎやかだった。
和子が焼いた食パンが4枚、皿の上で湯気を立てている。恒彦はすでに新聞を広げていて、健司は寝癖のついた頭のまま味噌汁をすすっている。美咲はパンをちぎりながら、スマホで今日の勤務表を確認していた。
「ちょっと見てこれ」
ひよりはトーストをかじる手を止めて、スマホの画面をテーブルの真ん中に突き出した。
画面の中央には『3,241』という数字が表示されている。
「なにこれ」 「え、3千? 何の?」 「昨夜の台所の手品?」 「おう」
和子が目を丸くし、健司が茶化すように聞き返し、美咲が静かに核心を突き、恒彦が茶碗を置いた。
「そう。昨夜のやつ。あたしのチャンネルの登録者数」
ひよりは胸を張った。オーバーサイズのパーカーの袖から出した指先で画面を弾く。数字はまだ微かに動いている気がした。
「へえー。すごいじゃないひよりちゃん。昨日まで47人だったのに一晩で?」
和子が眼鏡の奥で目を細める。
「人気者じゃん。サイン求められたりすんの?」
健司が目玉焼きにソースをかけながら笑う。
ひよりはスマホを手元に引き戻した。画面の端で通知がまた1つ増える。
「で、誰がやったのその手品」
健司がフォークを口に運ぶ手を止めて聞いた。
「演者の情報は言えません。あたしはプロデューサーなので」
ひよりは真顔で答えた。
「は? プロデューサー?」
「そ。撮って出して広めるのがプロデューサーの仕事でしょ。タネは明かさないのがマナー」
ひよりは立ち上がった。冷蔵庫から牛乳を出す背中に向かって、和子の声が飛ぶ。
「ねえ誰よ。近所の人?」
「だから言えないってば。プロデューサーなんだから」
ひよりは牛乳をコップに注ぎながら答えた。階段の上からは物音一つ聞こえない。おじさんはまだ寝ているらしい。
朝食のあと、ひよりは2階の階段をゆっくり上った。足音を立てないように、段の端を踏んでいく。
おじさんの部屋の戸を少しだけ開けると、かすかに寝息が聞こえた。
掛け布団が肩までかかっていて、片方の腕だけが外に出ている。あのあと何をしていたのかは知らない。
枕元に手帳が開いたまま置いてある。ボールペンが頁の上に転がっていて、書きかけで寝落ちしたのが分かる。
ひよりは戸のすき間から、首を伸ばして手帳をのぞいた。
開かれたページの1行目に、小さな字でこう書いてある。
『《浄化》作業手順書 第1版』
「……次のネタ、もうある」
ひよりは声をひそめてつぶやいた。
布団の山が、ゆっくり上下している。
「……おじさん」
スマホを胸の前で両手に持ったまま、もう一度だけ呼ぶ。
「おじさん、バズってるよ」
布団の中から、くぐもった声が返ってきた。
「……歩留まり、9割……」
「は?」
寝言だ。
「何の話」




