「全般的な破損」を、台所で6件試験した
11月14日(土)15時02分。
台所はしんとしている。
俺は食卓に新聞紙を敷いて、物置から持ってきた箱を置いた。蓋を開ける。父が5年前から「そのうち直す」と言い続けた物が、緩衝材もなく詰まっている。
欠けた湯呑を取り出す。白地に藍の線が2本入った、昔の湯呑だ。口縁が親指の先ほど欠けている。
手帳を開く。
『試験1 陶器製湯呑 口縁欠け 材質:陶器 損傷:欠け 使用量:爪楊枝先端1回分 確認:注水10分後の漏れ有無』
チューブを胸ポケットから抜く。透明なジェルが、爪楊枝の先に粟粒ほど乗った。
欠けに塗る。爪楊枝でなぞるように動かすと、ジェルは吸い込まれるように消え、断面が塞がっていく。継ぎ目は見えない。光の加減を変えて覗き込むが、釉薬との境目も分からない。
流しで水を入れ、10分置く。タイマーは使わず、秒針で見る。
10分後、新聞紙の上に持ち上げて底を拭く。滲みはない。
「……1件目、良品です」
手帳に結果を書く。
『結果:漏れなし。外観異常なし』
チューブのキャップを閉めて、胸ポケットへ戻す。
◇
15時40分。居間の座卓に新聞紙を敷き、箱の中身を並べた。直した湯呑、折れたリングライトのアーム、老眼鏡。ヘルメットは箱の底に残した。
縁側から父が戻ってきて、座卓の湯呑を手に取る。
台所から麦茶のコップを持ってきた健司が、座卓の端にそれを置く。
2階から降りてきたひよりが、座卓の前に立つ。パーカーの袖を指で押さえている。
「待って待って。おじさん、それ何」
「物置の戸の行き先が、もう1つ増えました。向こうとは別の場所です。まだ調査中なので、詳細は定時内に報告します」
ひよりの口が半開きで止まった。
「そうか」
「兄貴、増えるのか、あれ」
「増えました。ただし今日は試験だけです」
俺はリングライトのアームを取った。折れたのは根本から10センチほどのところで、樹脂の断面が白く毛羽立っている。老眼鏡のつるは蝶番のすぐ先で折れていて、金属の断面が銀色に光っていた。
チューブを抜く。爪楊枝の先に粟粒ほど乗せて、アームの折れ目に塗る。毛羽立ちが内側から溶けて、押し戻されるように形が戻った。指でこすっても段差がない。
老眼鏡のつるに塗る。銀色が伸びて繋がる。折れ跡を探して角度を変えるが見当たらない。
「試験2、3。良品です」
手帳を開く。その横でひよりがアームを掴んだ。
「待って、継ぎ目がない」
「ここ、折れてたよな」
「兄貴、これ売れるぞ」
「おう」
健司が老眼鏡を父に渡す。父はつるを開いて閉じて、かけてみた。
「見えるか」
「見える」
俺は手帳に2行書いた。
『試験2 リングライトアーム(樹脂) 折損 結果:良品』
『試験3 老眼鏡つる(金属) 折損 結果:良品』
俺は箱の底からヘルメットを出す。健司の工事用だ。白い帽体の左側面に、ひびが走っている。指の先ほどの長さで、内側まで貫通しているかは外からでは分からない。
「兄貴、それ俺のだ」
「分かってる」
爪楊枝の先にジェルを取る。ひびに沿ってなぞる。透明なものが染み込むように消えて、ひびが塞がる。光を当てて角度を変える。筋は見えない。
俺はヘルメットを健司のほうへ返す。
「強度の保証がないので、保護具としては使わないでください」
健司はヘルメットを受け取って、両手でひっくり返した。
「……はい」
「外観だけだ。衝撃試験はしていない」
「分かった。飾りにする」
ひよりが座卓の向こうからスマホを横に構える。
「おじさん、それ撮っていい?」
「撮影は不可です。配信も不可です」
「えー、なんで」
「試験中です。外に出せません」
「じいちゃんの眼鏡直したの、すごいじゃん。バズるよ」
「バズは品質管理の範囲外です」
ひよりはスマホを下ろして、口を尖らせた。
「ちぇー」
父が座卓の端で湯呑を置く。
ひよりが父の背中を指さす。
「これで、じいちゃんの体も直せるんじゃない?」
父は振り向かない。
「生体は、試験項目に入れていません」
「入れればいいじゃん」
「入れません。試験計画にないものは、試験しません」
父が短く息を吐いた。
「……そうか」
俺は手帳を開いて、4行目を書く。
『試験4 ヘルメット(樹脂) ひび 結果:外観は良品。強度:未確認』
◇
16時20分。台所の食卓で俺は手帳を開いていた。試験2から4までの記録を見返す。全部粟粒で足りた。条件を変えていないのだから、揃うのは当たり前だ。
母が勝手口から入ってきた。手に皿を持っている。白い皿で、縁から中央に向かって割れが走っていた。欠片は落ちていない。
「恒ちゃん、これ、くっつかない? 接着剤あったでしょ」
俺は手帳から顔を上げないまま答える。
「ある。ここに置いて」
母が食卓の端に皿を置く。新聞紙の上だ。俺は胸ポケットからチューブを抜いた。
皿の割れ線を指でなぞる。陶器だ。釉薬は薄い。断面に欠けはない。爪楊枝を1本取り、先にジェルを粟粒ほど乗せて割れ線に沿ってゆっくり動かす。継ぎ目は残らない。
母が隣から覗き込む。
「あら、いい接着剤ね。どこの?」
「もらいものだ」
「ホームセンターに売ってる?」
「売ってない」
「そうなの。残念ねえ」
俺は皿を持ち上げて光に透かす。割れ線は見えない。爪の先で軽く叩いても、濁りも歪みもない。
手帳を開き、5行目を書く。
『試験5 皿(陶器) 割れ 結果:良品』
母が直った皿を流しで水洗いする。水音が台所に短く響いて、すぐに止んだ。白い皿を布巾で拭いて、食器棚の一番手前に戻す。そこが母の定位置だ。
「ありがとうね、恒ちゃん。晩ごはん何がいい?」
「任せる」
「そう。じゃあ煮物にするわ」
俺は食卓の新聞紙を整えて、手帳を開いたまま待つ。チューブのキャップが緩んでいないか、指先で確認する。
居間のほうから、スリッパの音が近づいてきた。
父が台所に入ってくる。右手に腕時計を持っている。銀色のケースで、文字盤は白い。風防のガラスに、斜めの割れ線が走っていた。針は動いている。
父は食卓の端に時計を置いた。
「これも、頼む」
「分かった」
俺は腕時計を新聞紙の中央に移す。風防の割れ線を上から見て、横から見る。線はガラスの表側にだけ見える。深さはない。文字盤までは届いていない。
胸ポケットからチューブを抜く。新しい爪楊枝を1本取り、先にジェルを粟粒ほど乗せる。割れ線の端からゆっくりなぞる。継ぎ目はどこにも見えない。
「……試験6。良品です」
父が腕時計を手に取って、風防を親指でなぞる。
「そうか」
母が勝手口のほうへ向かう。振り返りざまに時計を見た。
「恒ちゃんが直すと、何でもきれいね」
「材料が特殊なだけだ」
母は「ふふ」と笑って、勝手口を出ていった。
俺は手帳を開いて、6行目を書く。
『試験6 腕時計の風防 割れ 結果:良品』
書いてから、時計を新聞紙の上に戻して、もう一度だけ風防を光にかざす。斜めから見ても、正面から見ても割れていた場所が分からない。
俺はチューブのキャップを閉めて、胸ポケットへ戻した。
◇
16時58分。居間の座卓に手帳を開いた。6件分の記録を上から順に目で追う。湯呑、リングライト、老眼鏡、ヘルメット、皿、腕時計。良品6、不良0。
ひよりが座卓の向かいから身を乗り出して、手帳を覗き込む。
「全部直ったんだから、いいじゃん」
「不良が0件なのは、品質管理では一番疑う数字です」
「え、なんで。最高じゃん」
「試験条件が緩いか、測ってないだけの可能性がある。材料の正体も仕様も分かっていない」
ひよりは口をへの字にして、ポケットからスマホを出した。画面の端から中央へ、2本のひびが走っている。ガラスの割れの下で液晶がかすかに滲んでいる。座卓の上に、そっと置いた。
「これは?」
俺は手首の時計を見る。16時59分。
「定時なので、本日の試験はここまでです」
ひよりが目を丸くする。
「土曜も定時なんだ」
父が座卓の端から、ひよりを見た。
「おう」
健司がひよりの隣で、軽くうなずく。ひよりはスマホをそのままにして、背もたれに寄りかかった。
ひよりが座卓のスマホを指でつつく。画面が一度だけ明るくなって、また暗くなった。
「で、これは。結局どうなの」
俺は手帳の表紙に指を置いたまま答える。
「電子機器はまだ試験計画にありません。次回です」
「次回っていつ」
「決まったら手帳に書きます」
ひよりは「はいはい」と言って、スマホをパーカーのポケットに戻した。
手帳を開いて、一番下に書く。
『試験:6件 良品6 不良0。不良0件は要注意。成分は不明。稲葉先生に相談』
書き終えて、手帳を閉じる。
直った物より、直らなかった物を見つけたい。




