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ギルドの落とし物係に、5年前の万年筆があった




11月13日(金)。


【海外の反応】「5時に帰る魔法使い」が各国で話題に【定時】


1:名無しさん

例の動画、海外でも相当回ってるな

翻訳つきで各国のSNSに出てる


2:名無しさん

英語圏のRedditから拾ってきた

スレタイが『The Wizard Who Leaves at Five』

「彼の手帳を見て、自分の上司を思い出した」

って書いてあった


3:名無しさん

ドイツ語圏の掲示板

「手順書の国の人間として言うが、あれは正しい」

って翻訳機にかけたら出てきた


4:名無しさん

韓国語圏

「名言は後半が大事」

って書き込みが一番伸びてる


5:名無しさん

ブラジル

「5時に帰るのが魔法」

だってさ


6:名無しさん

海外ニキ、定時の概念を輸入してしまう


7:名無しさん

東央大の角のプレプリントが出てから1か月くらい経つけど

米テック企業Helixの株価がじわじわ上がってる

四半期決算とタイミング被ってるだけかもしれんけど


8:名無しさん

>>7

関係あるの?


9:名無しさん

Helixは量子素材の特許ゴロだろ

あの角に目をつけてるんじゃないかって説


10:名無しさん

いや単に決算良かっただけだろ


ひよりの登録者は、55万から58万になっていた。


11:名無しさん

で、本人は?


12:名無しさん

知らんけど、たぶん定時で帰ってる


◇


11月14日(土)13時。


俺は鍵を回して戸をくぐった。


向こうでは3か月目の26日。


東の森の倒木のそばに出た。


俺は持ち手の刻みを指で確かめた。刻みは1本。点検、異常なし。


倒木の苔が前回踏んだ位置に黒く潰れている。それ以外に痕跡はない。


歩き出す。


森の道は泥のままだ。靴底が湿った土を踏むたびに、ぐずりと音を立てる。


20歩ほどで森の端。城壁が見えた。


門は開いていた。衛兵が2人、槍を立てかけて立つ。俺が近づくと、1人が顔を上げた。もう1人は動かなかった。


門をくぐる。石畳の音が変わる。泥の音から、石の音へ。


通りの両側に店が並ぶ。


朝の市場は半分ほど開いていた。


野菜を並べた台や水を汲む桶が出ていて、香辛料の匂いが冷たい空気に混じる。


冒険者ギルドは市場の裏手にあった。


木の扉を押す。中は酒の匂いがした。朝から変わらない。


受付の列はない。俺はまっすぐ受付へ向かった。


「おはようございます」


受付嬢は赤毛のポニーテールを揺らして、書類から目を上げた。


「おはようございます。客員様」


俺は鞄から、布に包んだ記録簿を3冊取り出した。


「資料室より借りていた記録を、返却いたします」


受付嬢は布を開き、背表紙を指でなぞった。


「貸出期間は2週間ですね」


「はい。相違ありません」


受付嬢は棚の奥の札を確認して、受領印を押した。


「ありがとうございます。返却確認いたしました」


俺は手帳を開いた。


『返却 記録簿3冊 資料室』


書き終えて、ペンを綴じ目に挟む。


受付嬢は受領印の台を棚に戻そうとして、一度止まった。それから奥の棚のほうを振り返った。


「……客員様」


「はい」


受付嬢は一度受付台の上に視線を戻して、それからもう一度俺を見た。


「一点、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


受付嬢は奥の棚の下段から小さな木箱を取り出した。掌に乗るほどの大きさだ。表面に、薄い埃がかぶっている。


受付嬢は箱を受付台の上に置いた。


「客員様は、異国の方だと伺いましたので」


受付嬢の声は、いつもの事務口調のままだった。


「5年前に、東の森で拾われた落とし物です。異国の文字が彫ってありまして、誰にも読めなくて」


俺は箱を見た。


木箱の蓋には、簡単な留め金がついている。埃の下に、何かの刻印が見える。箱の中身までは見えない。


俺は手を伸ばさなかった。


受付嬢の指が留め金にかかった。金属の小さな音がして、蓋が跳ねる。蝶番が軋んだ。


中には布が敷いてあった。


褪せた藍色の布地が、木箱の内側に沿って切られている。


その上に、黒い万年筆が1本横たわっていた。


軸は艶のない黒。キャップの金具は曇っている。尻軸の端が、わずかに白く磨り減っていた。


受付嬢は箱から一歩引いた。俺のほうへ押し出すでもなく、ただ受付台の上に置いたまま台帳を開いた。


「拾得の記録です」


指でなぞりながら読み上げる。声はいつもの事務口調のままだった。


「拾得は5年前。場所は、東の森、倒木のそば。異国の文字の刻印あり、との付記があります」


受付嬢は顔を上げた。


「以降、持ち主の申し出はありません」


俺は万年筆を見た。


東の森の倒木のそば。俺がいつも出る場所だ。


手を伸ばした。指先で軸を取る。軽い。


キャップのクリップを親指で押さえた。


金具の裏側に小さな文字が彫ってある。細い線で、しかし丁寧に。アルファベットが並んでいた。


『N. TAKANO』


俺は手帳を開いた。ボールペンを取る。


『万年筆1本 黒 刻印 N. TAKANO 拾得場所 東の森倒木のそば 拾得日 5年前』


書き終えて、ペンを綴じ目に挟む。


受付嬢が台帳の末尾を指で示した。


「受け取りの署名をお願いします」


俺は台帳を受け取った。拾得物の欄に、自分の名前を書く。


署名が終わると、受付嬢は台帳を確認して受領印を押した。


「ありがとうございます。受け取り確認いたしました」


俺は万年筆を布ごと手に取った。


受付嬢は箱を閉めて棚に戻そうとした。俺はそれを見ながら、口を開いた。


「……知っている人のものです」


受付嬢の手が止まった。


「私が預かります」


受付嬢はしばらく俺を見ていた。それから、小さくうなずいた。


◇


塔の客員の部屋に戻ったのは、夕の鐘が鳴ってしばらくあとだった。


机の上に、布を敷いた。


その上に万年筆を置く。


軸は黒く、キャップの金具は曇ったままだ。


尻軸の白い磨り減りが、灯りの下でわずかに光る。


鷹野さんは、俺の入社時の指導係だった。5年前に会社を辞めて、鍵束を残していった人だ。


手帳を開いた。ボールペンを取る。


『万年筆 鷹野尚人のもの(クリップの刻印、胸ポケットで見た型)』


『拾得:5年前、東の森の倒木のそば。=私が出る場所と同じ』


『鷹野さんは、この鍵を使っていた(推定)』


3行。書き終えて、ペンを綴じ目に挟む。


なぜ、は書かない。


頭の中で、声が一度だけ再生された。作業着の胸ポケットの万年筆を指で叩きながら、鷹野さんが言った。


「志摩くんなら、手順書を書けるから」


その声だけが残った。意味は、考えなかった。


扉が、叩かれた。3回。間を置かずにもう3回。ノックというより、指の腹で押し当てたような音だった。


「入ります」


声の主を待たずに扉が開いた。


セレスティアだった。


銀髪の三つ編みが肩の上で片方だけほどけかけている。


紫の瞳の下の隈が前回会ったときより少し濃い。


長い外套の裾が扉の敷居に引っかかって止まった。


「弟子。少しよろしいですか」


「はい」


俺は立ち上がった。万年筆は布の上に置いたままだ。


セレスティアは部屋に入ってきて、机の上の万年筆を一瞥した。それから俺の顔に視線を戻す。


「塔の外に出るのは、何日ぶりですか」


「今日が3日ぶりです」


「そう。外は、変わりましたか」


「変わりませんでした。市場は半分ほど開いていました。ギルドの掲示板は、朝から酒の匂いがしました」


セレスティアは小さく息を吐いた。肩が、わずかに下がる。


「何よりです」


俺は手帳を閉じた。ボールペンは綴じ目に挟んだままだ。


「師匠。一点、確認させてください」


「何です」


「5年前、異国の人がいたという話を聞いたことはありますか」


セレスティアの指が外套の留め金の上で止まった。紫の瞳が、俺を見た。まばたきはしなかった。


「知りません」


声は静かだった。隈の下の目が、少しだけ細くなる。


「わたくしは、その頃は塔にこもっていましたから」


「承知しました」


セレスティアは留め金から手を離した。外套の裾を直して、扉のほうへ向き直る。それから、振り返らずに言った。


「弟子。あなたが何を見つけたのかは、聞きません。ただ塔の中に持ち込むなら、わたくしに一言なさい」


「承知しました。定時内に報告します」


セレスティアは扉を開けた。廊下の灯りが、三つ編みの銀を一瞬だけ白く照らした。


「よろしい」


扉が閉まった。


廊下の足音が遠ざかる。それきり、塔は音を失った。


俺はしばらく立っていた。机の上の万年筆を見ていた。灯りが軸の黒を鈍く照らしている。


視線を上げた。棚の上に、紙の袋が1つ置いてある。口は折り返してあるだけで、留め具はない。


俺は棚へ歩いた。袋を取る。底に硬いものが当たる音がした。


袋を開けて、中を見た。


缶コーヒーの空き缶が1本。日本のものだ。


俺は缶を取り出した。指先でラベルを押さえる。軽い。中は空だ。


俺は缶を袋に戻した。袋の口を折り返して、棚の上に置く。位置は動かさなかった。


◇


翌日と、その次の日は、普通に客員の仕事をした。


塔の下層にある講習室は石造りで、窓が小さく、灯りを点けても薄暗い。


俺は机の上に手順書を置いた。


「まず、対象を確認します。次に手順を読みます。読み終わるまで、手を動かしません」


見習いの1人が手を挙げた。


「なぜですか」


「手順を読む前に手を動かすと、確認が抜けます。確認が抜けると、後で直す作業が増えます」


「増えると、どうなるんです」


「定時に終わりません」


見習いの顔が少し強張った。それから真剣な顔になった。ペンを取る音が、5つ鳴った。


夕の鐘が鳴って、講習は終わった。


◇


客員の部屋に戻って、机の上に万年筆を置いた。布を敷いてその上に。黒い軸。曇った金具。


俺はシャツの胸ポケットに万年筆を挿した。軸の先が、布越しに胸に当たる。


手帳に1行だけ書く。


『万年筆 胸ポケットに携行』


ペンを綴じ目に挟む。


◇


3か月目の28日。夕方。


塔の客員の部屋の戸を内側から閉めた。鍵を取り出して、持ち手の刻みを指で確かめる。1本。異常なし。


俺は鍵を戸に当てた。


◇


11月14日(土)13時48分。


物置の戸を閉めた。鍵を抜く。真鍮の古い鍵。持ち手の刻みを指で確かめる。


指が止まった。


刻みが2本ある。


1本目の横に、同じ深さの2本目。


摩耗ではない。


新しい刻みだ。


俺は持ち手に目を近づけた。


1本目と平行に、深さはほぼ同じ。


俺は手帳を開いた。ボールペンを取る。


『刻み:1本→2本 発見:11/14 13時48分 原因:不明』


書き終えて、ペンを綴じ目に挟む。推測は書かない。


物置の戸にもう一度鍵を当てた。


持ち手を回す。


1本目の深さで止めずに、2本目の深さまで回った。


手応えは、いつもの鍵の回り方と変わらない。


少し重いだけだ。


戸を開けた。


森ではない。


白い都市があった。白い塔が並んでいる。人の気配はない。遠くで、規則正しい電子音のような音がしている。


風はなかった。光だけが、どこからか均一に落ちている。


俺は戸を閉めなかった。左手で縁を押さえたまま、右手で時計を見た。


13時49分。


定時まで、3時間11分ある。

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