↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/49

衆議院の委員会で、前半だけが読み上げられた




【衆議院 文部科学委員会 11月4日(水)】


〔開会〕


○委員長

 これより文部科学委員会を開会いたします。文部科学行政の基本施策に関する件について調査を行います。質疑の申出がありますので、これを許します。


○委員(野党)

 おはようございます。本日は、才能教育の予算についてお伺いします。政府は今年度、理数分野の才能ある児童生徒を早期に発掘し、特別なプログラムで育てる事業に、前年度比で約8億円の増額を計上しました。


〔資料を示す〕


 こちらをご覧ください。


 これは先月ネット上で300万回以上再生された動画の切り抜きです。動画配信をしている女性に対して、手品を披露している男性がこう言っています。


「手順どおりにやれば、誰でもできますよ」


 この男性は、種の分からない手品をする人物として話題になっております。その人物が、自分の手順をなぞれば誰でもできると、公の配信で言い切った。配信者は実際にはできなかった。この動画の一部だけが切り取られて、いまネット上で「才能否定」という言葉と一緒に拡散されております。


 努力や手順を整えれば誰でも同じようにできる。その考え方は一面では正しい。ですが、誰でもできるなら、できない子は努力が足りないだけになる。突出した才能に予算を付ける理由も消える。こういう風潮が、才能ある子を伸ばす教育を軽んじている。その発端に、この動画があると私は思います。


 手順書に書けることだけが能力ではない。手順に載らないものを伸ばすのが、公教育の役割のはずです。大臣の見解を伺います。


○文部科学大臣

 お答えいたします。ただいま御紹介のありましたいわゆるネット上の一私人の発言について、政府として個別に評価を行うことは差し控えたいと考えております。その上で一般論として申し上げれば、教育におきましてはすべての子どもに基礎的・基本的な知識・技能を確実に習得させることと、一人ひとりの個性や能力を最大限に伸ばすことの両方が大切でございます。両者は決して対立するものではございません。


○委員長

 ただいまの質疑に関連いたしまして、申出があります。これを許します。


○委員(与党)

 ありがとうございます。関連質問で、私からも同じ動画について申し上げます。


 若いころ、私は小さな板金屋で働いておりました。従業員は社長を入れて7人。図面と、寸法と先輩の手元と、その3つだけが頼りでした。


 その私が、最初に申し上げたいのはこれです。


 私も同じ配信を見ました。最後まで。


〔委員会室が少しざわめく〕


 切り抜きは15秒です。では元の配信は何分か。30分です。その30分の最後のほうで、この方はこう言っておられます。


「誰でもできるようになるまで、手順書を直すのが、書いた人間の仕事です。今、できなかった人がいたら、それは手順書の不良です」


「次の版で直します」


 社長は、若い者に仕事を教えるとき必ずこう言うのでございます。「お前ができんのは、お前のせいやない。俺の教え方が悪いんや。もう1回、俺のほうをやり直す」と。そして本当に、自分の手順をやり直すのでございます。


 先ほどの委員は「才能否定」とおっしゃいました。私は、そうは読みません。


 この方は、才能を否定していない。教える側の責任を言っているんです。


 できない者に「お前の才能がない」と告げるのは簡単です。簡単ですが、それは教える側が自分の仕事を放棄したのと同じでございます。


〔委員会室がざわめく〕


○委員長

 静粛に。静粛に願います。


◇


内閣府 大臣官房 調査室の会議室は、机が6つで埋まる。


11月4日、午後1時30分。蛍光灯が2本、片方は切れかけで時々ちりちりと鳴った。


真壁修司は末席に座っていた。寝癖は昼になっても跳ねたままだ。


午後1時32分、室長が入った。50代、白髪を短く刈っている。資料を開く前に、上着のボタンを1つ外した。


「議題を」


室長は言った。声は大きくない。若い職員が読み上げる。角のプレプリント、配信の魔石、侵入事案、Helixの接触と議事録。それと、本日午前の文部科学委員会での引用。


「Helixの件から」


真壁は資料の束から、1枚のコピーを抜いた。


10月27日付。件名は【面談議事録】。差出人は志摩恒一。形式はA4で1枚、箇条書きが5項目。


室長はコピーを読み終えて顔を上げた。眉が、片方だけ上がった。


もう一度、コピーの1行目に目を戻す。


『1 Helix社 エヴァ・ローレンス氏より接触。年俸300万ドル相当の提示。回答:勤務時間を確認のうえ、辞退。』


「勤務時間を確認して断った、と書いてある」


「はい。志摩さんは、提示額ではなく勤務時間を先に確認しました。そのうえで、断っています」


「断った理由は書いていない」


「書いていません。書かない、という判断だと思います」


室長の眉が、もう一段上がった。今度は両方だ。


「……この人、議事録の書き方を知っていますね」


真壁は答えなかった。肯定すれば、この部屋では「真壁が志摩を買っている」という記録になる。否定すれば、嘘になる。


真壁は、嘘をつくのが苦手な質だった。だから黙った。


室長はコピーを机の上に置いた。それから、両手を組んだ。


「結論から言います」


部屋の空気が、少しだけ薄くなった。


「志摩氏と、志摩氏の所持品は国の管理下に置くべきだと考えています」


「理由は2つ」


室長は指を1本立てた。


「1つ目。Helix社が動いています。向こうは企業です。年俸を出し、契約を出し、場合によっては国を飛び越えて本人に直接接触してくる。個人が相手をするには、重すぎる」


2本目の指が立った。


「2つ目。10月28日の件です。配信者が家に侵入した。動画を撮るために。志摩氏の住所と生活は、もう公開されているということです。次が同じ手口で来るとは限らない」


「片方は金。片方は好奇心と再生数。この2つは、本人の努力では止められません。だから国が持ちます。管理下に置く、というのはそういう意味です」


真壁はペンを置いた。音を立てない置き方だった。


「……保護、という理解でよろしいですか」


「保護です。少なくとも、私はそのつもりで言っています」


蛍光灯がまた、ちり、と鳴った。


真壁は膝の上の両手を組み直した。寝癖だけが、相変わらず跳ねている。


「室長」


平坦なまま、一言ずつ置くように言った。


「管理と言えば、あの人は出ていきます。定時で」


会議室が、一瞬だけ止まった。


「……定時?」


「はい。あの人は、約束の範囲を書面で決めれば、必ず守ります。こちらも守れば」


「出ていく先がないから、管理するんです」


室長はすぐに返した。声を荒げない。荒げないまま、言葉だけが机の上に置かれる。


「定時で帰るのは結構です。だが、帰った先で何が起きても我々は責任を負えません。だから国が持つ。持てば守れます。守るには、場所が要る。持つというのはそういうことです」


真壁はうなずかなかった。代わりに、机の上のコピーを引き寄せた。指を置く。


1行目だ。


「室長。この方は300万ドルを断っています」


「金では動かない、という話でしょう。だからなおさら、金以外の重さが要る」


「いいえ」


真壁は指をどけなかった。


「断った理由が、勤務時間だからです。金額ではない」


室長の口が、わずかに開きかけて止まった。


「国が『管理』と書けば、勤務時間を決めるのは国になります。どこに住み、いつ会い、何時間協力するか。全部こちらが決める。それは」


真壁は一拍置いた。


「Helixと同じ条件です。向こうも、年俸と引き換えに時間を買おうとしました。この方はそれを断った。なら、国が同じ形を出せば同じ理由で断ります」


「断れば、物は出てこない」


「出てきません。安全性の評価も止まります。角も魔石も、分からないまま残ります」


蛍光灯が、ちり、と鳴った。


室長は黙った。10秒は黙っていた。資料の角を指で押さえ、離し、また押さえた。


やがて、短く息を吐く。


「……協定の案を作れ」


真壁は顔を上げた。


「届け出。保管場所の報告。研究機関への貸与。本人の安全確保。強制ではなく、合意で。書面で範囲を切って、その中で守る。それで本人が守るなら、それでいい」


「来週中に」


真壁は言った。室長は立ち上がった。上着のボタンを留め直す音が1つ。椅子が引かれ、扉が閉まる。足音が廊下を遠ざかる。


真壁は1人になった。机の上のコピーを見た。それから鞄から黒いノートを出し、黄色い付箋を1枚剥がす。ボールペンを押す音が1回。


『魔石 届け出制 研究機関へ貸与 定時内』


書いて、ノートの1ページ目に貼った。貼る位置は、行の頭にきっちり揃えた。


◇


【国会】手品おじさんの名言、委員会で引用される【前半だけ】


1:名無しさん

今日の文科委員会で、例の切り抜きが流されたらしい

パネルまで作られてた


2:名無しさん

>>1

見てた。野党の人が切り抜きの前半だけ読み上げて「才能教育を軽んじている」ってやつだろ


3:名無しさん

前半だけ引用して「才能否定」って言われたら、そりゃああなるわな


4:名無しさん

>>3

でも実際「誰でもできますよ」は言ってるからな

切り取りじゃなくて事実だろ


5:名無しさん

>>4

事実だけど文脈があるだろ

後半まで聞けって話だよ


6:名無しさん

>>5

後半まで聞いても結局姪はできてなかったじゃん

手順書のせいにしてるだけで、姪ができてない事実は消えてない


7:名無しさん

>>6

それお前、15秒しか見てないだろ

後半の「次の版で直します」まで見ても同じこと言えるか?


8:名無しさん

>>7

……見てないけど

でも「誰でもできる」って言ったのは変わらないし


9:名無しさん

与党の人が関連質問で立って「私も同じ配信を見ました。最後まで」って言ったらしいぞ


10:名無しさん

続きも全部読み上げてた

「次の版で直します」まで


11:名無しさん

>>10

「教える側の責任を言っている」ってそのまま質問で言ったんだろ

現場の人間が言うと重みが違うな


12:名無しさん

野党の切り抜きが15秒、与党の切り抜きが45秒だって


13:名無しさん

>>12

与党の質問のほうが再生数で抜いたらしい


14:名無しさん

宮大工の配信者、SNSで何か言ってたぞ


15:名無しさん

>>14

貼るわ

「続きまで聞いたら、言ってることは俺と同じだった」

これだけ。短文


16:名無しさん

姪のチャンネル、配信休んだままなのに登録者増えてるぞ

さっき見たら30万いってた


17:名無しさん

>>16

26万から30万?休んでるのに?


18:名無しさん

で、トレンド見たか


19:名無しさん

『誰でもできるようになるまで』が1位になってる


20:名無しさん

>>19

フレーズだけで1位かよ


21:名無しさん

>>19

15秒の切り抜きから始まって、国会経由でここまで来るのか


◇


俺は居間の隅でアイロンをかけていた。


父のワイシャツは白が2枚と薄い水色が1枚。まず袖口から。次に襟。それから前身頃。アイロンの先を滑らせるたびに、蒸気が細く上がって糊の匂いがした。


テレビは夕方のニュースをやっている。画面の右上に時刻が出ていた。5時42分。


「恒ちゃん、それお父さんの」


母が台所から言った。俺はアイロンを止めない。


「ああ」


ひよりは座卓の向かい側に座って、スマホを両手で持っている。背中を丸めて、指を滑らせていた。時々親指が止まる。止まって、また動く。


ニュースの女性アナウンサーが原稿を読み始めた。


「臨時国会で、教育の議論が始まりました。午前の衆議院文部科学委員会からです」


画面が切り替わった。委員会室の映像だ。議員が立ち上がって、パネルを掲げている。


パネルには、例の15秒の切り抜きのサムネイルが印刷してあった。赤字で「誰でもできる(できない)」と書いてある。画面の下に字幕が入る。


『手順どおりにやれば、誰でもできますよ』


「この発言が、才能を否定するものではないかという指摘です。これに対して、与党の委員からは動画の続きの部分を読み上げる場面がありました」


画面がもう一度切り替わる。今度は別の議員が立っていた。資料を手に持って、続きを読み上げている。


母が台所から出てきた。手に布巾を持ったまま、テレビの前に立つ。


「恒ちゃんの言葉でしょ、これ」


俺は袖口のボタンの周りを、アイロンの先でくるりと回した。


「後半がないと、意味が逆だ」


母はテレビを見たまま、少しだけ首を傾げた。


「後半って」


「今の。手順書の不良です、のところ」


「ああ」


母はうなずいた。うなずいて、それからもう一度テレビを見た。


ひよりがスマホから顔を上げた。画面を親指でトントンと叩いて、それから俺のほうを見る。


「おじさん」


「なんだ」


「後半、今トレンド1位だよ」


俺はアイロンを止めない。前身頃の真ん中を、上から下へまっすぐ滑らせる。


「そうか」


「『そうか』しか言わないの」


「言うことあるか」


「あるでしょ。1位だよ、1位」


俺はワイシャツを畳んで、アイロン台の端に置いた。それから次の1枚を広げた。薄い水色のほうだ。


母は台所のほうへ歩き出した。途中で振り返って、明るい声で言う。


「お父さん、録画して」


台所の奥から、父の声がした。


「おう」


ニュースが次の項目に移る。画面の下に白い帯が滑り込んできた。


【クロダ精機、6日に記者会見 リコールの原因を説明へ】


画面の端に、会見の準備をする社員の後ろ姿が映る。長机にマイクが並べられ、黒い布を被せた看板を2人がかりで運んでいる。


俺はアイロンを止めない。


前身頃の真ん中を上から下へ。折り目に沿って、まっすぐ。蒸気が上がって糊の匂いがした。


母とひよりは何も言わない。


母は台所の入口で、布巾を持ったまま足を止めている。ひよりは座卓の上のスマホに目を落としている。親指が動いていない。


襟を立てて、アイロンの先を当てる。


襟元がわずかに黄ばんでいる。


課長の襟を思い出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。