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夜中の2時、家の窓に見えない板を12枚張った




10月27日(火)の16時10分、狭間駅前のコンビニの前に着いた。


電車の中で健司に電話して、工務店のトラックで迎えに来てもらう段取りはつけてある。


コンビニの自動ドアが開く。ひよりはレジの近くで、パーカーのフードを深くかぶって立っていた。手には飲み物も持っていない。俺を見ると、口を開かずに小さくうなずいた。


外には、自撮り棒を持った若い男が2人いる。金髪で黒いジャージの男と、帽子をかぶった男だ。俺が店に入ると、2人も続いて入ってくる。


「手品師本人っすか? 顔、いいすか?」


自撮り棒の男が、スマホをこちらに向けたまま言った。画面の上に、配信のチャンネル名が出ている。声が明るい。店の空気に合わない高さだ。


俺は顔をそむけて、レジの前に立つひよりの位置を背中で確認する。


「撮影をやめてください。未成年がいます」


声は抑えた。店員がレジの向こうから顔を出して、迷いのない声で言った。


「店内の撮影はご遠慮ください」


男たちは一度顔を見合わせた。それから「すいません」と軽く手を上げて、2人で外に出ていく。自動ドアが閉まると、店の中に冷えた空気が残った。


ひよりはフードの下から俺の袖を指でつまんだ。つまんだ指が、小刻みに震えている。


「……帰る」


声が小さい。


16時18分、店の外に出た。


駐車場の端に2人の男がまだいる。金髪の男は自撮り棒を肩に担ぎ、帽子の男はスマホを胸の高さで構えたまま、こちらを見ている。店を出た俺たちを撮っている。声はかけてこない。


俺はひよりを歩道側に立たせて、自分の体で遮るようにして待った。ひよりはフードを両手で押さえ、うつむいている。


2分ほどで健司の工務店の白いトラックが店の前に滑り込んできた。助手席の窓が開く。


「兄貴、あいつらか」


健司がハンドルに片手を置いたまま、駐車場の端を見ている。


「そうだ。出してくれ」


俺はひよりを後ろの座席に乗せてから、自分も助手席に乗り込んだ。ドアを閉めると同時に、健司がアクセルを踏む。


走り出す。ルームミラーに2人の姿が映った。金髪の男が、こちらに向けてスマホを高く掲げている。


ナンバーを撮っている。


俺は内ポケットから手帳を出して、膝の上で開いた。ボールペンを抜いて、左のページに書く。


16時21分。狭間駅前コンビニ駐車場。男2人。金髪、黒ジャージ、赤い自撮り棒。灰色パーカー、黒キャップ、スマホ。車両ナンバー撮影。


書いて、ペンを置かずに右のページへ移る。ライブ配信のチャンネル名を、小さく早く書いた。あとで確認する。


ひよりは膝の上にスマホを伏せて置いたまま、窓の外を見ている。指先がパーカーの袖口から少しだけ出ていて、まだ白い。


10分ほど走って、家の前に着いた。健司がエンジンを切ると、車内が急にしんとした。


ひよりが、伏せていたスマホを両手で持ち直す。画面はつけていない。そのまま、小さい声で言った。


「……壁紙のスレの人たちだ。特定したって書いてた」


俺は助手席のドアに手をかけたまま、一度だけうなずいた。


「そうか」


それだけ言って、ドアを開けた。


その夜の20時、居間のテーブルに家族が全員そろった。


居間のテレビは消えている。テーブルには母が置いた湯のみが並んでいるが、誰も手を付けない。


「恒ちゃん、あのね。ひよりが怖い思いしたって聞いて」


「ひより、顔色が悪いです」


「記録がある。それだけだ」


健司が腕を組んだまま口を開く。


「兄貴、あいつら明日も来ると思うか」


「分からない。明日も俺が迎えに行く」


美咲がスマホを伏せて、テーブルの上で両手を組む。


「交番に電話しました。『パトロールを強化します』と言われました。何かあったら110番してくれとも」


「そうか」


父が立ち上がる。何も言わない。縁側へ回って、雨戸を1枚ずつ閉めていく。ガタン、ガタンと音が居間まで届く。


ひよりが膝の上で手を握ったまま、小さい声を出す。


「あたし配信やめ……」


そこで言葉が切れる。続きが出てこない。


俺は内ポケットから手帳を出して開いた。テーブルの端の、A4の紙を1枚引き寄せる。


一番上に日付を書く。10月27日(火)。その下に時刻。16時10分から16時21分。


場所、2人の服装、自撮り棒の色。チャンネル名と、ライブ配信のURL。手帳を見ながら一字ずつ写す。


書き漏れはない。俺は紙をテーブルの中央に置いた。


家族が寝室に上がった後も、俺は台所の蛍光灯の下で手帳を開いていた。


新しいページに日付と時刻を書く。10月28日、1時12分。


『《結界》作業手順書(地球版)』


1行空けて、条件を書く。


魔石1個で初級5〜10回。板は重いので、1個で4枚と見積もる。板1枚は畳1枚ぶん。1日12枚まで。


ここまでは向こうで覚えた数字と変わらない。俺は手帳の左のページに、張る場所の一覧を作る。


①ひよりの部屋の窓。②勝手口。③玄関。④物置の前。⑤塀の内側の低い所。


優先順位はこの順だ。物置の前に張る理由は書かない。書いたら、あとで誰かに読まれたとき説明が要る。必要のない情報は、手順書に載せない。


乾いた缶をテーブルの中央に置いて、ふたを開ける。魔石は46個。数は合っている。


時計の針が進む。1時40分。1時55分。


2時03分。


庭で、枝の折れる音がした。


パキン、と乾いた音がひとつ。夜の空気に、やけにはっきりと響いた。


俺は勝手口の窓に手をかけて、外を見た。月明かりで庭がうっすらと青い。


ブロック塀の上に黒いキャップの男がしゃがんでいた。灰色のパーカーが夜の色に沈んでいる。スマホを両手で持って、ひよりの部屋の窓のほうへ向けている。


塀の下の道路には金髪の男が立っていた。赤い自撮り棒を肩に担いで、こちらを見ている。


俺は缶から魔石を1個、右手で握った。石の角が手のひらに当たる。ひやりとした感触は一瞬で消えて、指の付け根から熱が抜けていく。


口の中で工程をなぞる。位置を先に決める。向きを決める。立てる。確認する。


①ひよりの部屋の窓。2階だ。


手のひらを窓の方向へ向けた。力を入れると板が歪む。力を抜く。


見えない板が1枚、窓の外に立った。空気の向こうで何かが止まったような、軽い抵抗が手のひらに返ってくる。


2枚目を同じ窓の前に並べる。窓の幅を塞ぐように隙間なく。


②勝手口。俺の立っている戸の外側に、2枚。戸の左右に1枚ずつ。


1個目の魔石が軽くなった。俺は2個目を握る。


③玄関。家の外壁に沿って移動した。スリッパの底が土に沈む。扉の外に2枚。


④物置の前に2枚。


2個目の魔石が終わった。ここまでで8枚。


3個目を握る。残りは4枚。


⑤塀の内側の低い所。ブロック塀の上から庭へ飛び降りるなら、物置の陰か、植木鉢の並びの脇だ。


塀の上に、男のシルエットがまだある。動かない。


1枚目を植木鉢の脇に張る。2枚目を物置の陰に。3枚目を庭の奥、塀の角に。4枚目を塀の内側に沿って低く。


12枚目を張った。1日の上限ぴったりだ。予備のない工程は、本当は組みたくない。


手のひらを開く。指の関節が少し強張っている。魔石3個の熱が抜けきって、手の甲が冷えていた。


手帳を出して書く。2時11分。枚数は12。魔石は3個使った。缶の中は43個。


俺は勝手口の内側に戻った。戸を閉める。鍵をかける音を、できるだけ小さくした。


塀の上の帽子の男が動いた。


片手でスマホを握ったまま、塀の内側へ足を下ろす。


飛び降りる。その瞬間、男の肩が何かに当たった。


見えない板に。


ドン、と空気を叩く音が庭に響いた。男の体が弾かれて、後ろ向きに倒れる。


父の植木鉢の上に落ちた。


ガシャン、と土の詰まった鉢が割れる音。男のスマホが手から離れて、地面に落ちた。画面が上を向き、ライトが白く夜空を照らしている。


「いってえ……なに、今の」


男がうめく。起き上がろうとして、また手を滑らせる。けがはなさそうだ。


2階で戸の開く音がした。


健司が懐中電灯を手に、縁側から飛び出してくる。裸足のまま庭へ降りて、光を男の顔に当てた。


「動くな。誰だお前」


「ち、違う、落ちただけっす」


俺は勝手口の内側で、スマホを取り出した。


110番に電話する。コール音が2回鳴って、女性の声が出る。


「110番です。事件ですか、事故ですか」


俺は住所を番地まで伝えた。それから状況を伝える。順序を崩さずに。


「自宅の庭に不審者が侵入しました。塀を越えて侵入し、現在は家族が確保しています。1名です。けがはありません」


「警察官が向かいます。そのままお待ちください」


「分かりました」


通話を切る。画面の時計を見る。2時19分。


道路のほうで足音がした。金髪の男だ。赤い自撮り棒を肩に担いだまま、一度だけ振り返って闇の中へ消えた。


俺は追わない。勝手口から庭へ出た。


健司が男の腕をひねり上げている。父が物干し竿を手に立っていた。パジャマの上にカーディガンを羽織っただけの姿だ。


父が、割れた植木鉢を見下ろした。


「……鉢、高えんだぞ」


声は低い。怒っているというより、事実を述べている。


男が、ひっと息を呑んだ。


道路の向こうからサイレンの音が近づいてくる。閉めた雨戸の隙間に赤い光が入って、ゆっくりと回った。


紙の下には、2時03分から2時19分までを書き足しておいた。


3時08分。台所のテーブルで、俺は警官に記録の紙を渡した。


警官は紙を受け取って、目を上から下へ動かす。


「志摩さんが書かれたんですか」


「はい」


「時刻が全部入っているんですね。夕方の16時10分から、さっきの2時19分まで」


「記録は時系列で書くものです」


警官は紙の端を指で押さえて、もう一度読み返した。


「被害届の時系列、完璧ですね。ここまで揃っていると助かります」


「そうですか」


警官は紙をクリアファイルに挟んだ。


「帽子の男は住居侵入で連れて行きます。金髪のほうは今は逃げていますが、ライブ配信のアーカイブが残っていれば特定できる見込みです。チャンネル名も紙に書いてありますし、こちらで確認します」


「お願いします」


警官が帰った。庭のほうで健司が割れた鉢の土を集めている音がした。


ひよりの部屋の窓の前に、見えない板が2枚立っている。全部で12枚。


どれも解かない。


朝まで残す。侵入者がまた来る可能性は低いが、可能性の高低で手順を変える理由にはならない。


健司が土をバケツに入れて、こっちを見た。


「兄貴、あの板ってまだあんのか」


「ある」


「見えねえけどな」


「見えなくていい」


3時40分。台所で湯を沸かした。


急須に茶葉を入れて、湯を注いだ。湯のみを2つ、テーブルに置く。湯気が細く立ちのぼっている。


3時50分。階段のほうで足音がした。


ひよりが台所に入ってきた。パーカーのまま、髪をまとめていない。目の下に薄い隈がある。一晩寝ていない顔だ。


テーブルの前に座る。湯のみを両手で持って、湯気の向こうから俺を見た。


「おじさんが淹れたの」


「そうだ」


「へえ」


ひよりはひと口飲んだ。それから、湯のみを両手で持ったまま動かなくなった。


ひよりが顔を上げた。


「おじさん」


「なんだ」


「さっきの窓の。あれ、手品じゃないよね」


俺は湯のみを置かなかった。置かずに、ひよりの顔を見た。


ひよりの指が湯のみの縁に沿って動く。ゆっくりと、ひと回り。


「あたし、配信でいっぱい見てきた。手品も、トリックも。ああいうの種があるでしょ」


「そうだな」


「あたし、窓から見てた。落ちてきた人が、見えない何かにぶつかって跳ね返った」


ひよりは湯のみを膝の上に下ろした。


「種、ないよね。あれ」


俺は湯のみをひと口飲んだ。ぬるくなりかけていた。


ひよりが、まっすぐ俺を見る。


「おじさん。……毎晩、どこ行ってんの」


台所の時計が、3時57分を指している。


俺は湯のみをテーブルに置いた。陶器と木の触れる、小さな音がした。


「明日、話します」

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