↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/49

謁見の間で、勤務時間を聞いた




ルーメン城の謁見の間の控え室は、椅子が硬い。


背もたれが真っすぐで、座面に布が1枚も張っていない。待たせる相手に楽をさせない作りだ。


向かいではセレスティアさんが立ったまま、紺のローブの袖口を何度も指でつまんでいた。


「聞きなさい」


セレスティアさんは歩き出した。控え室の幅は5歩分しかない。3歩で壁に当たる。それでも歩く。


「これから陛下に会います。謁見の作法を先に覚えなさい。いいですか、あなたは宮廷の人間ではないので、今日は客の扱いです」


俺はポケットから手帳を出して、鉛筆を抜いた。


「はい」


「紋章の前で片膝をつきなさい。右膝です。左膝を先につくのは騎士の作法です。あなたは騎士ではないので右です」


「承知しました」


「目は上げない。陛下が声をかけるまで、床を見ていなさい。床の石の目地を数えていればいいです」


「それから、昨日の王宮の会議の話をします」


「はい」


「陛下はあなたを客員宮廷魔導師にしたいと仰いました」


鉛筆が止まった。それからまた動かす。


「客員宮廷魔導師」


「はい。常勤ではありません。非常勤の、客員です。あなたはあちら側に帰る身ですから」


「反対した者がいます」


「古参の方ですか」


「そうです」


「その方はこう言いました。『素人が城の魔法に口を出すなどありえん』と」


「……あなた、腹が立たないんですか」


「工程会議でもよくあるので」


「工程」


「はい。新しいやり方を入れると、古いやり方を守ってきた人が反対します。手順書を変えるときは、いつもそうです」


「反対した人は、最後どうなるんですか」


「だいたい、3か月で慣れます」


セレスティアさんは目を丸くした。それからふっと笑った。笑い声ではなかった。息だけの笑みだ。


「3か月」


「はい。新しい手順書で、3か月回すともう古い手順書は開かなくなります。実測なので」


「実測」


「はい。感覚です」


セレスティアさんの笑みが止まった。目が少し細くなった。


「……あなた、わたくしの口癖を取らないでください」


「失礼しました」


「質問は3つです。勤務時間、業務の範囲、報酬」


セレスティアさんの足が止まった。折り返した姿勢のままこちらを向く。三つ編みの先が肩で跳ねた。


「陛下に、質問をする者はいません」


声は静かだった。


「では、確認です」


セレスティアさんは右手を持ち上げた。指先を額に当ててそのまま押さえた。目の下の隈の上で眉の間が少し寄る。


「あなたは今から、王の前で、勤務時間を確認するんですか」


「確認しないと、受けられません」


「受けられない」


「はい。定時が分からない業務は受けられません」


そのとき扉の外で足音がした。


扉が開いた。


侍従が立っていた。黒い上着。背筋が真っすぐで、扉を開けた手の位置が定規で測ったように揃っている。控え室の中を1度だけ見て、俺のところで目を止めた。


「シマ・コウイチ殿」


謁見の間は思ったより天井が低かった。


奥の一段高いところに質素な椅子が1脚。白い髭を胸まで伸ばした老人が、外套を膝にかけて座っている。王冠はない。飾りもない。なのにその周囲の空気だけが薄い。


左右には紺と黒のローブが並んでいた。宮廷魔導師たちだ。全員が直立し手を前に組んでいる。一番手前に立つ痩せた長身の男だけ、わずかに顎を上げていた。鷲鼻の影が頬に落ちている。灰色のあご髭、指には魔石の指輪が7つ。あの古参だ。


俺は床の紋章の手前で止まった。セレスティアさんの教えどおり、右膝を床につける。頭の角度は名刺交換のときよりもう少し深くする。最終面接よりは浅く。


「志摩恒一と申します。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」


国王の声が静かに落ちてきた。


「先夜の段取り、見事であった。客員として宮廷に席を与えたい」


低い声だった。会議の開始の挨拶のような、無駄のない声だ。王というより創業者に近い。


俺は顔を上げずに答えた。


「ありがとうございます。いくつか確認させてください」


隣でセレスティアさんの指が、袖口をきつく握る気配がした。目には見えない。空気で分かる。


左右のローブが、ざわりと揺れた。


「陛下の前で、確認、だと……?」


「勤務時間は」


国王はすぐには答えなかった。


「……先夜も聞いた。定時、とは何だ」


「決まった時刻に仕事を終えることです」


国王は黙った。長い沈黙だった。壁際の燭台の火がひとつだけ音を立てて傾ぐ。誰の息も聞こえない。


「王には、それがない」


俺は何も言わなかった。言うべき言葉は手帳の中にあるが、開く場面ではない。ここで開いたら、たぶんセレスティアさんが倒れる。


国王は指先で肘掛けの木目を一度だけなぞった。低い声が広間の空気をゆっくりと押し下げた。


「申してみよ」


「3つ、確認をお願いします」


「1つ目。勤務時間は、こちらに私がいる間だけとさせてください。終業の時刻が来たら帰ります」


国王の白い眉がほんの少しだけ動いた。


「帰る、とは」


「元の世界に戻る、という意味です」


「2つ目。手順書は、宮廷で独占しないでいただきたい。王立魔導学院の見習いにも、城壁の守備兵にも、必要なら写しを渡します。工程は共有して回すものです」


古参の指が組んだ腕の上でぴくりと動いた。指輪が7つ燭台の火を受けて順に光った。


「3つ目」


「報酬は、魔石でお願いします」


「ませき」


「はい。電池なので」


「でんち」


隣のセレスティアさんの喉が、小さく鳴った。


「お前は、王の前で、定時と電池の話をしているのか」


声は低い。だがどこか、面白がっている気配が混じっていた。


俺は答えなかった。答える必要がない質問は確認しない。品質管理の基本である。


国王は右手を膝の上に置いた。指の関節が白い。


「よろしい」


短い言葉だった。それから肘掛けの木目をもう一度なぞる。


「勤務時間は、お前がこちらにいる間だけとする。終業の刻限が来たら帰ってよい。手順書は学院と守備兵に写しを渡せ。報酬は魔石で支払う」


左右のローブが揺れた。ざわり、ではない。息を呑む音が数拍分ずれて重なった。


セレスティアさんが目を閉じた。


古参の宮廷魔導師が一歩前に出た。


「陛下」


「客員とはいえ、素人を宮廷の列に並べますれば、宮廷魔導師の格が落ちます」


国王は肘掛けに指を置いたまま、古参の顔を見た。低い声で短く返す。


「続けよ」


「格の話は、外聞にすぎません。ですが危険の話となれば、別です」


「大結界の陣は、宮廷級の陣です。あれに素人が手を触れれば、どうなるか」


古参は俺を見た。初めて正面から見た。灰色のあご髭の下で、口元がほとんど動かない。


「魔素に焼かれます」


広間の空気が一拍止まった。


国王は長いこと黙った。肘掛けの木目を、指先で2度、3度となぞる。白い髭の奥で唇が一度だけ動いた。声にはならなかった。


「では試せ。明日、大結界の陣で」


古参は頭を下げた。深くはない。宮廷魔導師の礼の角度だ。それから半歩下がって元の位置に戻る。


「承知しました」


俺は右膝をついたまま答えた。声は自分の耳で聞いても平熱だった。


「もう1つあります」


国王の白い眉が少しだけ上がった。


「申せ」


「ルカさんの籍のことです」


「王立魔導学院の見習いです。3か月目の4日の夜、東の城壁で《着火》を使いました」


「教会が除籍を求めていると聞きました。審問局の求めで、陛下の裁可待ちのまま保留だと」


国王の指が止まった。低い声が静かに落ちる。


「知っておる」


「王都の東壁を守った見習いを、学院から出す理由はない」


「ルカの籍は学院に戻す。審問局にはこちらから通達する」


古参の指輪が組んだ手の中で一度だけ光った。誰も何も言わなかった。言えない空気だった。


「ただし」


「教会が没収した手順書の控えは、そのままとする。教義にはわしは踏み込まぬ」


俺は頭を下げた。さっきの角度より5度深くする。床の目地が視界の端で少しだけ歪んだ。


「承知しました。ありがとうございます」


俺は右膝を床から上げた。立ち上がるとき膝の裏が少し痛んだ。作法の通り、後ろ向きに3歩下がってから扉に向き直る。


俺は敷居をまたいだ。廊下に出る。石の床が謁見の間より少しだけ明るい。窓の外は昼だ。白い光が廊下の奥まで届いている。


そのとき右側から気配がした。


古参だった。


俺は歩調を変えなかった。古参の横を通り過ぎる。すれ違いざま、低い声が、耳のすぐ横に落ちた。


「明日、陣の上で泣くな」


俺は足を止めなかった。古参も止めなかった。


◇


城門の外に出たときには、空が夕方の色になっていた。


門を出たところでまず音がした。


「先生!」


「先生だ!」


「シマの先生だ!」


灰色のローブが10人ほど門の左右の壁際に散らばっていた。全員がこちらを向いて、それから一斉に駆け寄ってくる。


「結果は」


そばかすの見習いがそれだけ言って口を押さえた。


セレスティアさんは見習いたちを1人ずつ見た。数えるように見てから、ルカのところで目を止めた。


ルカは列の一番後ろに立っていた。灰色のローブが1サイズ大きくて、袖が指の半分を隠している。夕方の光の中で顔色が少し悪い。


「ルカ」


「陛下の裁可が出ました。あなたの籍は学院に戻ります」


ルカの口が動いた。


「え」


声が出なかった。喉が動いて唇だけが「え」の形になる。


「おれ、」


城壁の夜、東の壁の上でルカが「おれの火っす」と言ったときと同じ顔だった。口だけが動いて、声が遅れて追いかけてくる。


「おれの、籍」


「戻ります」


セレスティアさんは繰り返した。指で袖口のインク染みを押さえている。


「審問局には王宮から通達します。あなたは明日から、また学院に通いなさい。単位のことはわたくしが院長に話します」


ルカの目が一度だけ大きく開いた。それからゆっくりと細くなる。泣くのをこらえる顔だ。


「……っす」


ルカは頭を下げた。深く下げた。灰色のローブの背中が、丸く夕方の光を背負う。


見習いたちがその背中を見て、それから俺を見た。


「先生!」


そばかすの少年が前に出た。


「先生が通ってった、あの詰所の戸。おれたちも、一緒に通れるんすか」


俺はポケットに手を入れた。鍵の感触が指の腹に当たる。


「試したことがないので、分かりません」


見習いたちの顔が一瞬で曇った。


「えー」


「先生通ってるのに」


ルカが顔を上げた。まだ目が赤い。


「先生」


「はい」


「おれ、明日、学院に行くっす」


「はい」


「手順書、また書いていいっすか」


「どうぞ」


「やった」


ルカは笑った。笑ったが目はまだ赤い。夕方の光が灰色のローブの肩のところで切れていた。


その夜はいつもどおり塔の実習室で寝ることにした。


実習室の窓から夕方の名残が消えていく。ランプを1つ机の端に置いた。


黒パンをちぎって口に入れる。豆のスープはまだ温かい。城門から戻る途中、台所の裏口で鍋ごと押しつけられた。


「弟子。入りますよ」


セレスティアさんの声だ。いつもより低い。疲れているときの声だ。


扉が開いて、セレスティアさんが入ってきた。紺のローブの裾が石の床をわずかに擦る。手には巻物を1本抱えている。


「明日のことを話します」


「はい」


「大結界の陣は、王都の四方を覆う宮廷級の陣です」


「この陣が、去年から止まっています」


セレスティアさんの声が、少しだけ早くなった。


「正確には、30年前から起動に失敗することが多くなり、去年、完全に止まりました。王都の大結界が機能していないから、魔物が城壁まで近づく。だから先夜のようなことが起きたのです」


「あの夜、宮廷魔導師が1人ずつ城壁に張ったのは、大結界の代わりですか」


「そうです。1人で張れるのは50mが限度です。それも1時間で魔力が尽きます」


「なぜ失敗するんですか」


セレスティアさんはランプの火を一度見た。それから俺を見た。紫の瞳が灯りを受けてゆっくりと瞬く。


「感覚がそろわないからです」


「感覚ですか」


「感覚がそろわない、というのは、具体的には何が揃わないんですか」


セレスティアさんは袖口の染みに指を置いた。押さえて離す。また押さえる。口が開きかけて閉じた。


「……分かりません」


「わたくしは宮廷魔導師長です。大結界の陣を、7人の中心で詠唱してきました。でも、なぜ揃わないかは分からない。揃うときと、揃わないときがある。それだけです」


「あの陣は、7人の宮廷魔導師が一緒に詠唱します」


「息が合わなければ、陣が魔素を溜め込んで割れます」


それから古参の声を思い出していた。


『明日、陣の上で泣くな』


7人で一緒に、か。工程の話だ。


俺は手帳に書いた。


「7人 同期 号令なし?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。