8.赤い髪の毛
明朝。
湖で水浴びを済ませ、汗だくだった体を綺麗にした後、出発する準備を済ませた。
「もう、傷は痛まないか?」
「うん。だいぶ体調は良くなった」
「……本当だよな?」
「今度は、本当。もう嘘はつかない。約束するから」
蒼天は、出発の直前まで私の足を気にしているようだったが、傷の様子を確認した後、再び馬に跨り、今度こそ関門へ向かった。
しかし、ようやく関門に到着した頃には、長蛇の列ができていた。
「こんなに並ぶものなの?」
「いや、そんなはずは……。嫌な予感がするな」
そう言って、私の後ろで馬に跨る蒼天は私にマントのフードを深く被らせ、顔を俯かせた。
まるで、顔を周囲から隠すように。
「何でこんなに並んでんだよ。約束の時間に間に合わねえよ〜」
隣では行商人のような男たちが長蛇の列に対して、不満を垂らしている。
私は、自然とその男たちの声に側耳を立てる。
「聞くに、見慣れない男が一人一人、身分を確認してるって」
「何だよそれ?何のためにそんなこと」
「噂なんだけどよ、青鶏国が襲撃して、この国の王宮が陥落したらしい」
「……は??本当かよ」
「さっき中心部から来た連中がそんな話をしているのを聞いた。こんな国の境にも、知らせが回るのもあと少しだろうって」
「ってことは、その見慣れない男ってのは……」
――間に合わなかった。
きっと、今関門に立っている男は、青鶏国の軍人に違いない。
蒼天も隣の話を聞いていたのか、私の耳元で「絶対に顔をあげるな」と囁いた。
私は、その言葉に黙って頷く。
蒼天は、気配を消すように静かに、踵を返して、関門の列から外れて馬を歩かせた。
関門を抜けようとする人だかりの中、異様に大きな足音が前方から近づいてきて、手綱を握る蒼天の手に緊張が走るのがわかった。
わずかに視線を上げて、確認すると、そこにいたのは「青鶏国」の旗を掲げた軍人たちの姿だった。周囲の人間もその旗と威圧的な軍勢の姿に、萎縮して動揺を隠せない様子だ。
――どうか、気づかないで。
私は、思いっきり顔を下げ、ただひたすら、息を止め、その軍勢が横を通り過ぎるのを待った。
「……」
結果、彼らは、私たちに目もくれず通り過ぎていった。
そのことを確認し、私は安堵のため息を吐いた。きっと、蒼天も同じ気持ちであろう。
「とにかく、ここから離れるぞ」
「……わかった」
やはり、昨晩無理にでも馬を走らせるべきだった。
あの時、休んでいなければ、青鶏国よりも早く関門に到着して、国境を越えられていたはずだ。私が、怪我さえしていなければ。いや、怪我に耐えられていれば。
「おい。間違っても、あの時、休むべきじゃなかったとか考えるなよ」
「……?」
「怪我をそのままにして走らせてたら、出血死してた可能性もあるんだ。陽華を休ませたのは俺の判断で、お前のせいじゃない」
「でもっ……、そしたらどうやって国境を越えるっていうの?」
「安心しろ。まだ、手段はある。まあ、本当は使いたくない手段だけどな」
そう言って、蒼天は馬を走らせ、別の場所に向かい始めた。
人で賑わう道通りから離れ、建物の裏路地へ、薄暗い方向にどんどん進んでいく。
更に馬から降りて、路地の奥の方へ向かっていくと、そこには荷車の横でポツンと一人座りながら、明らかに腐ったフルーツをシートの上に並べているガタイの良い男がいた。
すると、蒼天はなぜかその男に近づく。
まさかと思っていると、蒼天はその男に声をかけ、小銭を差し出す。
「おい、バナナ二つ買わせてくれ」
「ちょっと、何してるの!?」
この状況でこの男からバナナを買う意図が分からず、困惑するしかなかった。
しかし、ガタイの良い男は立ち上がり、蒼天が差し出した小銭を確認し、ボソッと呟いた。
「これじゃあ、足りねえよ。兄ちゃん」
「いくら必要なんだよ」
「これの倍は必要だねえ」
「は?ぼったくりじゃねえか!」
「今ねえ、関門の検査が厳しくなったとかで、裏ルートの需要が高まってるんですわ」
「……」
なるほど。
話の内容から察するに、どうやらこの男は私たちをこの国の外に連れ出す手段を持っているらしい。おそらく、関門を通過せずに外に出る非合法のルートが存在するのだろう。
そして、蒼天はそれを知っていて、この男にお金を払ったのだ。
蒼天と向き合っていた男の視線が、隣にいた私に落ちる。
私の顔を見た瞬間、一瞬驚いた表情を見せた後、男はニヤリと笑った。
「兄ちゃん、良い女連れてるじゃねえか」
「は?」
「赤髪の女なんて、この大陸じゃあ一番高く売れるよ」
その瞬間、蒼天は私を男から隠すように、前に立ち塞がった。
「ふざけたこと言うな。2つ買うって言っただろ。俺と彼女、2人を国外に出してくれ」
「だから〜〜、それだと対価が足りないんだよ。そうだな、金がないなら、その女の髪の毛はどうだ?」
「髪……?」
「わかるだろ?赤い髪の毛は“鳳凰の象徴”だからな。それを欲しがるやつなんて五万といる」
私は長く下ろされた自分の髪の毛に視線を落とす。お祖父様が好きだった紅髪。
そして何より、朔夜が綺麗だと褒めてくれたから、私はずっと髪を伸ばし続けていた。
また、綺麗だと褒めてほしくて。
「それは、ダメだ。対価が足りないって言うなら…………、これを」
蒼天は悩んだ後、覚悟を決めた様子で、彼の懐に刺してあった剣を取り出そうとした。
その行動に、私は驚きを隠せなかった。
だって、私は知っている。その剣が林峻から貰った大切な剣であることを。
彼が、林峻に初めて一人前の軍人だと認められて、その証として貰ったものだと嬉しそうに話していたのを覚えている。
その剣を、彼は今差し出そうとしていた。
「待って!」
その言葉に、蒼天は私の方を振り向く。
私は、護身用にと、念の為持たされた小型の剣を懐から取り出し、自分の髪の毛を一思いにバッサリと切った。
その瞬間、蒼天は驚いて声を上げる。
「おい!何してんだよ!」
「何してるって。切ったの髪を」
この髪の毛にどれほどの価値があるのかは、正直私からすると分からない。
男は、“鳳凰の象徴”とか言っていたけれど。
でも、この髪の毛を差し出すことで、蒼天が剣を手放さずにいられるのなら、安いものだ。
私は蒼天同様に、目を丸くしているガタイの良い男に近づき、先程切った髪の束を渡した。
「お兄さん、対価はこれで十分?」
「ああ。良いよ、乗ってきな」
そう言って、私の髪の束を受け取り、男は荷車を動かす用意を始めた。
「陽華……!何でそんなことしたんだ!」
「それは、こっちの台詞だよ!なんで、その剣を差し出そうとしたの?」
「……っ!」
「大切なものなんでしょう」
「……ああ」
蒼天は、視線を落とし、大切そうに剣の柄を握りしめる。
「私は、蒼天に守られるだけじゃ嫌」
「……え?」
「蒼天と対等でいたいの。だから、私を守るために自分を犠牲にしようとしないで。絶対に」
「……わかったよ」
蒼天は少し、不服そうな表情を浮かべていたが、一応は納得してくれたようだ。
「それに、ちょうど良かった。髪の毛、長くて邪魔だなと思ってたし」
――だって、私にはもう髪を伸ばす理由などないのだから。
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赤蛇国篇終了となり、陽華たちの旅が本格的に始まっていきます。よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただける嬉しいです!




