3.思い人、朔夜
黄金で施された豪華な玉座の間の真ん中。
大きな鳥が描かれた壁画の前に、聳え立つ威厳のある椅子に、この国の王であるお祖父様、藍天焱が座っている。
蒼天に抱えられて運び込まれた孫娘である私の姿を見て、お祖父様はおかしそうに笑みを綻ばせた。蒼天は、私をゆっくりとお祖父様の前で下ろす。
「陛下、陽華さまを見つけました」
「おお、今日はどこに隠れていたのだ」
「木の上です」
すると、お祖父様は声をあげて笑った。
「木の上とは……。陽華はいつになったら淑女らしい振る舞いが身に付くのかね」
「本当ですよ。とんだじゃじゃ馬姫で、こっちの身にもなってほしいくらいだ」
「こら、蒼天……!!何てこと言うんだ!!」
「いって……!!」
とんだ失礼な物言いをする蒼天に拳骨を喰らわしたのは、蒼天の養父であり、第一軍隊の隊長である虎 林峻だ。
大きな軍隊を率いるだけあって、蒼天の比にならないくらい威厳のある風貌に背広の大きな体格をしている。けれど、蒼天と違うのは、紳士的で優しいところだ。幼い頃から、よく遊んでもらっていたので、私にとっては父親代わりのような人だった。
「陛下、すいません。よく言いつけておきますので」
「子どもの言うことだ。気にせんで良い。陽華が手のかかる王女だというのは事実だしな。なあ、陽華」
「……!」
お祖父様の視線が私に向いているのを知りながら、素知らぬ顔を貫き通す。
「わかってくれ。私は心配なんだよ。陽華が攫われでもしたらと」
「でも……、私は外に行きたいの!ずっと王宮の中で暮らしてきて、このまま外の世界を知らずに生きていくのが怖い」
お祖父様は、優しい笑みを浮かべたまま、私の頭をゆっくりと撫でる。
「陽華の気持ちもわかるが、あと少しの辛抱だ。18歳になれば、外の景色を見せてやる」
「……」
納得がいかないものの、私は頷くことしかできなかった。
だって、お祖父様に迷惑をかけたいわけでも、悲しい顔をさせたいわけではないのだ。
その後、蒼天の見張り付きで、大人しく部屋に戻るよう言いつけられ、玉座の間を後にした。庭園の見える廊下を歩きながら、ふと空を見ると、まだ陽は空高く登っていた。
一体、今日一日何をして、暇を潰せばいいのだろう。
「陛下の前だと、借りてきた猫みたいに大人しくなるよな。いつもみたいに言えばいいじゃんか。街で食べ歩きしたい!本屋に行きたい!海が見たい!って」
「お祖父様は、私のことを心配してくれているのに、あれ以上言えないよ」
「……なあ」
「……?」
「もし、俺がお前を外に連れてってやるって言ったら、来るか?」
「……え?」
いつになく蒼天の真剣な眼差しに沈黙が落ちたその時だった。
私と蒼天の間を遮るように、あの優しく心地よい声で私の名前を呼ぶのが聞こえたのは。
「陽華」
声がする方に視線を向けると、そこにいたのは、”林 朔夜”だった。
煌びやかな裾の広い服を綺麗に着こなし、絹のように綺麗で長い黒髪を他靡かせている。凛とした顔立ちが、私と目があった瞬間に、優しく微笑んだ。
私は、思わず彼に駆け寄る。
「陽華の部屋に行ったんだけど、外に出ていると聞いて。探してたんだ」
「どうしたの?今日は来る予定はなかったと思うのだけど……」
「予定がないと、会いに来ちゃダメかな?」
コテンと首を傾げながら、朔夜は私の顔を真っ直ぐに見つめた。
この仕草にどれほどの威力があるか自覚してやっていないのだから、恐ろしい。
その瞳に見つめられると、いつも心の奥が波打つ感覚がする。
「ううん、そんなことない!すっごく、嬉しい!」
「良かった。今日はさ、面白い本が手に入ったから一緒に読みたいと思って。大陸を旅した人の日記なんだけど」
朔夜は、私のお祖父様が重宝する赤蛇国の高官の息子で、品行方正で博識な彼は、将来的には父親の職位を継ぐよう、期待を一心に背負い、彼も幼い頃から王宮に足繁く通っている。私のお祖父様からの信頼も厚く、私と自由に会うことを許されている数少ない人間のうちの一人だ。
そして、彼は、私の外の世界そのものだった。
王宮の人たちに内緒で、外にはどれほどに美しい景色があるのかを教えてくれたのも彼だ。王族教育の本しか読んだことのない私に、外の世界の本を与えてくれたのも彼だ。
何でも知っていて、私に世界が広いことを教えてくれる。
彼といる時間だけが、この窮屈な世界で彩りをくれる時間だった。
「せっかく、天気が良いから、庭園でお茶でも飲みながらにしよう!」
「うん、いいね。そうしようか」
「あ、蒼天も一緒にどう?」
せっかくなら三人で、と蒼天を誘うも、彼は首を横に振った。
「俺は、本とか興味ないんで。二人で楽しんでください」
「そっか……」
また、あの笑顔だ。
蒼天は、他人行儀で、一線を引いたような薄暗い笑顔を浮かべた。
昔は、よく三人で一緒に遊んでいたのに、いつからか私が朔夜といる時だけ、蒼天は距離を取るようになったのだ。その理由を問うても、蒼天は決して教えてはくれなかった。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん……」
朔夜が差し出す手を取り、歩き出そうとすると、足首がジワリと痛むのがわかった。
つい先ほどまでは、痛みを感じなかったのに、木登りした時に、変に足を捻った痛みが遅れてやってきたのかもしれない。私は、思わず、顔を顰めた。
「……陽華、どうした?」
「あ、いや、何でもない!」
心配をかけたくないと誤魔化すも、彼の目はそう簡単には欺けなかったらしい。
気づくと、彼にお姫様抱っこのような形で抱き抱えられていた。
「え、ちょっと……!」
「危ないから、首に手を回して」
「……」
朔夜の顔と距離が近い。自分の高鳴る鼓動が聞こえてしまわないか心配になる。
「また、木から落ちて怪我でもしたのかな」
「……もう、そのことは忘れて」
「可愛かったのに」
朔夜は、今でも、初めて出会った日のことを口にする。
忘れてほしいと懇願しているのに、彼は「大切な記憶だから」と忘れてはくれないのだ。
朔夜との出会いは最悪だった。
なんてたって、木の上から足を滑らせて落ちたのだ。私が、朔夜の上に。もはや、事故。
絶対に、野蛮で非常識な女だと思われたに違いない。
朔夜は、あの時のことを「可愛い天使が舞い降りてきたと思った」と気を遣って言ってくれるが、そんなわけがない。
もっと、普通に出会いたかったと、今でも後悔している。
「とにかく、そのことを口に出したら、いくら朔夜でも許さないから」
「はは。それは困るな」
そう口にしながらも、大して困ってなさそうに余裕の笑みを浮かべる彼に、私はいつも敵わない。
「でもね、」
「……?」
「忘れたくないんだ。あの日のことだけは」
彼の朗らかな笑みに、一瞬影が落ちた。




