22.成長
美しく咲き始めていた梅の花は、あっという間に散り、容赦なく照りつける日差しの中を乗り越え、気づけば気温が穏やかになり、周囲の草木は金色に染まり始めていた。
私は、白魚国に来てから、毎日のように、この部屋に通うのが日課になっていた。
凛雨さんの指導を受けながら、下働きとして王宮の内務の仕事をこなす日々。
最初は、緊張で胸がはち切れそうにもなっていたが、慣れとは怖いものである。
こうして、凛雨さんと対峙して座っていることが、当たり前になるだなんて。
机の上に置かれた砂盤に視線を落とす彼女を盗み見ていると、パチリと視線が合った。
「何をしている?もう、考えついたのか?」
「は、はい!」
そう、私が毎日この部屋に通って何をしているのか。
それは、凛雨さんから兵法を学ぶことだった。
そして、今日は盤上演習をしていたところだったのである。
机の上の砂盤には架空の山に囲まれた地形が作られており、そこには駒に見立てた兵が置かれている。
そして、今日提示されたのは、「北から南へ進軍中の敵兵が谷を通過する時を狙う場合、どのように攻撃を仕掛けるか」という問題だった。
自軍の兵士が1000人、敵兵が2000人と不利な状況に置かれている場合、この地形を有効活用するしかない。
犠牲を出さずに、勝つにはどうするべきか。
「谷の南に陣地を用意し、800人配置します。それで、北にも200人配置して、挟み撃ちで攻撃を仕掛けます。ただ、北の軍はあくまで揺動。敵兵にこちらの兵士が多いと錯覚させ、逃げ場がないと思わせるためのもの。深入りせず、主力は南の兵士たちとなります」
これが、私が考えた作戦だった。
この圧倒的不利な兵数差を埋め、自陣の被害を最小限に抑える作戦。
凛雨さんはこの作戦を聞いて、首を傾げた。
「悪くない」
その第一声に、そっと胸を撫で下ろす。しかし、それで終わらなかった。
「だが……、それでは勝てない」
「え……?」
「お前の作戦は、勝ちも負けもしない、どっちつかずの作戦ということだ」
「どういうことですか?」
「いいか。その作戦ならある程度敵兵の数を削れるかもしれないが、元より兵数に1000の差があるんだ。結局、向こうの主力を削りきることはできない。ここでの目的は、この瞬間に、敵軍の息の根を確実に削ぎ取ること」
凛雨さんの言うこともわかる。
しかし、この地形を使って、一体どうやって確実に不利な状況を一発で逆転させることができるのだろうか。
「私なら、お前が揺動に使ったその200人を囮に使う」
「囮に、ですか?」
「ああ。山の上にそれぞれ400人ずつ、伏兵を配置、そして谷のど真ん中に囮の200人を配置する。そして、敵兵を谷の奥まで確実に誘い込んだ瞬間、北を封鎖。山に潜んでた伏兵は山の上から矢や岩で一斉に攻撃を仕掛ける」
「そんなの、その200人は確実に……」
「死ぬだろうね、生きて帰れたら奇跡だ」
躊躇いもなく、あまりに軽やかに放たれたその言葉に、私は思わず息を呑む。
「しかしだ。たった200人の犠牲を払えば、そこで確実に敵兵を壊滅させることができる。我が軍の勝利だ」
「雪凛さんはその200人に、”勝利のために死んでくれ”という命令を下せるんですか」
「ああ。犠牲を払わずして勝つことはできない。犠牲を払う選択ができない者は、結局何も守れない」
凛雨さんは、砂盤の中の砂を手で掬い、指の隙間からサラサラと砂を溢していく。
「この手から全てこぼれ落ちていく」
「……」
「お前は、頭が良い。観察力もあって、勘も鋭い。だが、すぐに守りの思考に入る癖がある。それだと、結局大切な者を失うことになるぞ」
「……!」
そう言った彼女の手には、砂ひとつ残っていなかった。
その後は、外に出て凛雨さんに剣の稽古をつけてもらった。剣の握り方さえ知らなかった私に、基礎から教えてくれたのも彼女だった。
この先、どのような危険が待ち受けているかわからない。自分の身くらいは、自分で守れるようにならないと、という焦燥感から凛雨さんに稽古を頼んだのが始まりだった。
と言っても、私の剣は護身術程度の力で、誰かを傷つけるには及ばない。
自分自身を守る力を身につけるのに精一杯だった。
それでも、王宮で過ごしていた私が、今の状態を知ったら、さぞ驚くことだろう。
そして、ヘトヘトになった身体を真水で洗い流し、楽な羽織りに着替えた後、私は訓練場に向かった。そろそろ、軍の朝訓練が終わる時間のはずだったが、訓練場を覗くと、まだ兵士たちが訓練をしている最中だった。
各々がペアを組んで剣を交わしている中に、蒼天の姿を見つけた。
照りつける太陽に反射するように輝く髪は、多くの人に紛れていても、存在感を放っている。まるで、「ここにいるよ」と私に教えてくれているような。
訓練の邪魔をしないようにと、深くは立ち入らず、暫く様子を眺めていると、蒼天が剣を交わしていた相手の男に何やら耳打ちをされた瞬間、こちらを勢いよく振り返った。
視線がパチリとあった瞬間、気づけば蒼天は地面に尻をついていた。
先ほどまで、優勢だったのに。よそ見をするから、負けてしまったではないか。
剣を交わしていた当の本人よりも、唇を尖らせて不貞腐れていると、蒼天を打ち負かした男が、こちらへやって来た。
「いや〜、助かったよ。陽華ちゃんが来てくれて」
「え?」
「だって、あいつの気を逸らす方法なんて、君しかいないからさ」
そう言って、人懐っこい調子で八重歯をのぞかせた。ニコッと擬音がつきそうなほど、どこか胡散臭い軽薄な笑みを浮かべる男。その名は、風嶽だった。
彼は、傘玄さんの弟子の1人で、若くして、この”白魚国”で力を買われている。
訓練や戦場で、蒼天と何かと組まされることが多いらしく、その流れで私も彼と言葉を交わすようになった。
それにしても、初めて会った日の彼の軽々しさを象徴するような衝撃的な行動は今も忘れられない。
急に目の前で膝まづき、手の甲に口付けをされたのだ。
「今まで、出会った女性の中で1番美しいよ」と言いながら、胡散臭い笑みを浮かべていた彼を目の前に、一体何が起きたのかと処理できずに固まっていると、傘玄さんが「いい加減にしろ」と、彼の頭をどついてくれていた。私の隣では、蒼天が不快そうな様子で彼のことを睨んでいたけれど……。
彼にとって、女性を口説くことは挨拶のようなもので、王宮内で彼を見かける度に、違う女官と親しげにしている。どうやら、特定の女性を作らないらしい。
この人懐っこい笑みにコロっと騙される女性は多く、女性との関係は途絶えたことがないと、以前、他の兵士たちが妬み混じりに教えてくれた。
「おい!今のは納得いかねえ、もう一回だ!」
すると、悔しそうな表情を滲ませる蒼天が、風嶽を追いかけて彼の肩に手を置いた。
どうやら、蒼天と風嶽で勝った回数を勝負しているらしく、昨日まで50:50だったところを、今回の勝負で、50:51と風嶽に一歩リードされてしまったらしい。
「やだよ〜。気を抜いた蒼天が悪いじゃんね?陽華ちゃん?」
「まあ、戦闘中に視線を逸らしたのは良くなかったと思う」
そう言うと、蒼天の視線が次は私に向いた。
「そもそも、陽華がこんなところに、のこのこ顔を覗かせに来るのが悪いんだろ」
「は〜?私のせいだって言いたいわけ?」
「そうだよ。いつも言ってるだろ。こんなむさ苦しい男がいっぱいいるとことに、来るなって」
そう、私は時間を作れる時は、この訓練場に訪れ、兵士の皆さんに炊き出しなどを用意していた。この国に身を隠してもらっている以上、ここで役に立てることはしたかったのだ。
しかし、どうやら蒼天はそれが気に入らないようだった。
そんな私たち2人の会話を聞いて、訓練を終えた周囲の軍人たちが「むさ苦しい男とはなんだ〜!?」「陽華ちゃん、いつでもおいでね〜」「喧嘩すんなよ〜〜!」「素直になれ〜〜!」などと生暖かい目を向けながら、ヤジを飛ばしてくる。それに対して、蒼天は頬を真っ赤に染めながら「うるせえ!」と返す始末。
そんな不毛なやり取りの中、「まあまあ、落ち着いて」と言いながら、風嶽が仲介に入ってきた。元はと言えば、喧嘩の発端は彼なのに。
「それで、陽華ちゃんは、何か用件があって来たんじゃないの?」
その言葉を聞いて、私はこの訓練場に来た用事を思い出した。
「あ、そうなの。これから、市街地の方に出かけたくって」
「とあらば、この風嶽をぜひ護衛に」
おどけた様子で、紳士風に手を差し出してくる風嶽をよそ目に、「待ってろ、準備してくる」とその場を一瞬離れようとする蒼天。しかし、私はそんな彼の腕を慌てて掴んだ。
「どうした?」
「あの……、今日は風嶽と一緒に行きたくって」
その言葉を告げた瞬間、辺りが一瞬にして、しんと静まり返った。
そして、蒼天と風嶽は同時に、「え!!!???」と声を上げた。
自ら「護衛を」と手を差し出していた、当の風嶽でさえも、驚いている。
「は?何でそいつなんだよ」
「え。いや、特に理由はないけど、そういう気分っていうか……」
「理由がないなら、風嶽と行く意味もねえじゃんか」
まさか、ここまで問い詰められることになるとは思っていなかったので、それっぽい理由を用意していなかった。
風嶽を連れて行きたい理由はあるのだけれど、それを蒼天には言うことはできない。
そんな中、風嶽は「ようやく、俺の良さが陽華ちゃんにも伝わったのかな」と火に油を注ぐようなことを呟いている。
この人、この状況を面白がっているに違いない。
「だ、だって!」
「……?」
「蒼天、センスないじゃん」
「……セ、センス?」
「そう!その〜、服とか、か、かんざし?とか見に行きたくて。そういうのは、やっぱり慣れてる人と一緒に行った方がいいかなって」
蒼天は、私の言葉に「俺にセンスがない?」とぶつぶつ呟きながら、項垂れている。
すると、周りで様子を見ていた傘玄の部下たちが、ざっと集まり、蒼天を取り押さえた。
「お、おい!何すんだよ!」
「こいつは俺らが見張ってるから、陽華ちゃん行っておいで!」
蒼天は必死に抵抗するも、図体の大きな兵士たちに取り押さえられてしまえば、敵うはずがない。
「離せよ!」
「お前は、女心をってものを、たまにはわかってやれ」
取り押さえられている蒼天には申し訳ないと思いつつ、「ごめん!」と言いながら、風嶽の手を取って、その場から一目散に走り出した。
訓練場からかなり離れたところで、誰も追ってきていないことを確認し、立ち止まって息を整える。
「ごめん。何か巻き込んで」
「いいよ。俺はこういうの楽しいし。まあ、明日の訓練は、あいつにボコボコにされるかもだけどね〜。それで……、」
「……?」
「本当の理由は何?」
「……」
「蒼天をわざわざ引き離してまで、俺を連れてきた本当の理由」
「それは……」
「……?」
「誕生日プレゼントを一緒に探してほしくて」
もうすぐ、蒼天の誕生日が近づいていた。




