21.気づいた思い
俺は、あのまま呑気に軍の宿舎に戻ることなど、到底できず、彼女が眠る部屋の前の廊下に座り込んでいた。
もう、外は真っ暗で夜になっていた。王宮お抱えの医者がせわしなく行き来していたこの廊下ももう静かになっていた。
どうやら、彼女は一命を取り留めたらしい。
切り付けられた傷が深くなかったことが幸いしたようだ。
女官の力では致命傷を負わすほど剣を使いきれなかったのだろう。
しかし、背中には、切り付けられた傷が残ってしまうらしいとのことだった。
あの大きく刻まれた斜めの傷が……。
俺のせいだ。俺が、勝手に苛立って、勝手に傷つけて、勝手に逃げたから。
あの時、1人にするべきではなかったのだ。
すると、1人の男が走って部屋の前までやって来て、ドアをノックした。すると、中から林峻が出てきた。
「どうした?」
「犯人が動機を吐きました。どうやら単独犯のようです」
「それで、動機は?」
「母親が不治の病にかかっていたと。それで、鳳凰の力が欲しかったのだと」
「……そうか。後の処理は任せた」
「はい!」
そして、その男は、また来た道をそそくさと戻って行った。
林峻は、廊下の隅に座り込む俺に視線を移す。
「陽華様が意識を取り戻した」
「……本当か!!」
「ああ。すぐに眠ってしまったがな」
俺が、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間に、林俊は言葉を続ける。
「陽華様は、『一人になりたくて、蒼天にバレないようにこっそり部屋を抜け出した』と言っているが、本当か?」
「……え?」
何も言えずに黙り込んでしまった俺を見て、林峻は「そうか……」と呟いた。
きっと、林峻からしたら、陽華の嘘なんて、お見通しのはずだ。
ーー何で、あいつは俺を庇おうとするんだよ。怪我をした時も、自分より俺のことを気にして……。どうして。
「蒼天、俺も悪かった」
「え……?」
「実はな、お前にも同世代の友人が必要なんじゃないかと思ったんだ。俺たち大人に囲まれて背伸びしてるのも悪くはないが、お前はまだ大人にならなくていい」
「……」
林峻は俺の前に腰を下ろし、俺の頭を優しく撫でる。
「でも、おせっかいだったな。明日からは、元の生活に戻ろう。お前に頼んだ仕事は忘れてくれ」
林峻はそう言って、再び部屋に戻ろうとした。
気づけば、俺はその背中を慌てて呼び止めていた。
「林峻!!」
「……?」
「続けさせてください。彼女の護衛を」
俺は、地面につきそうな勢いで頭を下げた。その姿を見て、林峻が困惑しているのがわかる。
でも、ここで俺はこの護衛の仕事を放棄するわけにはいかなかった。
彼女に、俺より一回りも小さい女の子に、守らせてしまったのだ。そして、一生残るであろう傷を負わせてしまった。
今度、彼女に危険が降りかかった時は、俺がーー。命を差し出してでも守る責任がある。
もう二度と同じことを繰り返すわけにはいかない。そう決意した。
その後、元から限られていた彼女の行動範囲はもっと狭くなり、彼女と関われる人間の選別も厳しくなり、極一部の者に限られるようになった。そんな彼女の元に、俺はこれまでと変わらず通い続けた。
早朝に起きて、訓練をして、昼から夕方まで彼女のそばにいて、夜は鍛錬をして眠る。その繰り返し。
俺が彼女のところへ訪れる度に、彼女はあの太陽のような笑顔を浮かべた。
いつしか、その笑顔を見る度に、胸の奥のどこかがギュッと握りしめられるようなそんな気持ちを抱くようになった。今ならわかる。俺は、彼女に出会った時から、ずっとこれを感じていたのだ。
これまで抱いたことのない、胸焼けするような痛みの正体が何なのか、わからなくて、彼女を突き放してしまっていた。けれど、今はこの痛みも、なぜか心地が良かった。
それから2年が経った。
俺は相変わらず、陽華を揶揄うことに必死だった。
揶揄うと、いろんな表情を浮かべる彼女が俺には素を見せてくれるようで嬉しかったのだ。それに、俺も、感情に蓋をせず、同じ立場で言い合えるこの時間が、いつしか愛おしい時間に変わっていた。
最近、彼女のマイブームは隠れんぼらしく、気づけば、どこかに隠れており、俺が探し当てるまで出てこない。
最初は探すのに苦労したものの、彼女の行動範囲は限られている。いつしか、大体の検討はつくようになった。
でも、すぐに見つけると、面白くなさそうな顔をするので、適当に辺りを探し回ってから、見つけることにしている。
今日も、すぐにわかっていたのだ。彼女が木の上に身を隠していることは。
相変わらず、女らしさのかけらもないなと笑いたくなるが、それが彼女の良いところなのだ。奔放で無邪気な彼女の。
一通り探すフリを終えたので、そろそろ陽華のところへ行こうと重い腰を上げた時、「きゃーー!」という軽い悲鳴と人が落ちる音が聞こえた。
ーーまさか、あいつ!!
そう思いながら、彼女が身を隠していた木の方へ走っていくと、そこには思いがけない光景があった。彼女が、知らない男を下敷きにして倒れているのだ。
「陽っ……!」
その光景を目にして、すぐに、声をかけて駆け寄ろうとしたものの、俺はその名前を呼ぶことができなかった。
桜の花びらがひらひらと落ちる中、
ーー彼女の頬はこれまでに見たことないほどに、赤く染まっていた。
慌てて起き上がった陽華がその男と目が合った瞬間、桜色にほんのりと頬を染め、恥じらいながら微笑む姿は、俺が知らない表情だった。
その時、いつもの胸焼けするような痛みとは違う、胸がギュッと苦しく締め付けられるような痛みを感じた。
ああ、そうか。そうだったのか。
この気持ちの正体に気づかないように蓋をしていたが、もう認めるしかなかった。
俺は、この時初めて、好きな女が一目惚れする瞬間を目にしたのだった。




