20.気になる女
今日は朝から、軍の宿舎がざわめき盛り上がっていた。
しかし、その輪に入りたい思いを抑え、後ろ髪を引かれる思いで、俺は、いつものように宿舎を出て王宮に向かおうとした。
「おい、お前見に行かないのか?」
すると、第一軍隊の仲間の中でも割りかし歳の近い男に呼び止められた。
「ああ」
「何だよ。勿体ねえな。今日は一生に一度とない決闘の日だぜ」
そう。第一軍隊の仲間たちがざわめきだっている理由、それは、今日、第一軍隊の隊長と副隊長である林俊が決闘をするからだった。
この軍隊には昔からのしきたりがあって、次期隊長に任命された人は、現隊長に決戦を申し込み、見事、勝つことができれば、隊長の座を正式に明け渡されるというものだった。
つまり、軍隊で強いトップ1とトップ2が本気の戦いを繰り広げるということだ。
それは、毎度相当な見応えがあるものらしく、毎度軍人たちは皆こぞってその決闘の行く末を、固唾を飲んで見守るらしい。
特に、今回に限っては、その決闘に挑むのが林峻なのだ。
見たくないわけがなかった。
ここにいる誰よりも、林峻の強さに憧れている自負がある。
それに、いつかは林峻と肩を並べて戦えるような男になりたいと思っている。
そんな俺にとって、この決闘はただの決闘ではなかった。
しかしーー、俺には今日その決闘よりも優先しないといけない仕事があった。
「花を摘みに行くっていう、それはそれは大事な仕事があるだよ」
「は、花〜??お前、いつからそんな女々しくなったんだよ」
「……」
「あ、もしかして、女でもできたか?はっはっ〜、ガキの癖にませやがって。意外にロマンチストなやつだな」
ーー最悪だ。こんな日まで、俺は拘束されないといけないのか。
女ができたわけでも、ロマンチストな訳でもない。ただ、花を摘みに行きたいというわがままの女の面倒を見ないといけない、それだけだ。それだけの理由で、決闘を見る機会を奪われるなんて。
しかし、頼まれた以上は、仕事だから行くしかない。
だって、俺が林峻から任されたのは「あいつのそばで守ること」だから。
頭ではわかっていても、苛立ちを抑えきれないのは事実だった。
それがもろに顔に出ていたのだろう。
いつものように太陽のような笑顔を浮かべながら花を摘んで、冠を作っている彼女に声をかけられた。彼女は地面に座って、俺は横に立っている。自然と彼女が俺に向ける視線は上目遣いになる。
「ねえ、蒼天体調悪いの?」
「……別に」
ぶっきらぼうな俺の返しを特に気に留めていない様子で、彼女は「ふ〜ん」と言いながら、花冠を持って立ち上がった。どうやら完成したようだ。
しばらく、そばにいてわかったことだが、彼女は手先が不器用で、こういう細かなことは向いていない。のに、なぜかやりたがる。
「はい!これあげるから、元気出して!」
すると、彼女は小さな体で精一杯背伸びをして、俺の頭にその不恰好な花冠を被せた。
「蒼天の瞳と同じ色の花、綺麗でしょ!」
俺の心の内を知らず、無邪気に笑顔で語りかけてくる彼女の姿が、なぜか余計に神経を逆撫でた。そして、思わず、俺はその花冠を容赦無く掴み取り、その場に投げ捨てた。彼女が俺の瞳に似ているといった蒼い花びらが無惨に散っていく。
「いい加減にしろよ!」
「……!」
力任せに大きな声を上げると、彼女の瞳に初めて恐怖の色が走った。
その瞳を見て、一瞬罪悪感を覚えたものの、俺は止めることができなかった。
「うんざりなんだよ!お前の遊びに付き合わされるのは!」
「……」
すると、彼女は俯いて黙り込んでしまった。これでいい。
泣き喚いて、俺と金輪際会いたくないとでも言ってくれれば、また元の生活に戻れるのだから。
しかし、顔を上げた彼女が見せた反応は想定とは全く違うものだった。
「そっか。そうだよね。無理矢理、付き合わせてごめんね」
「……っ!」
彼女は、困ったように、笑っていた。
それは、彼女が母の形見の話をしていた時と似た笑顔のような。
その表情を見た瞬間、俺の胸に棘が刺さったような痛みがチクリと広がった。
その罪悪感を見て見ぬフリをするように、一目散に逃げ出した。
泣いて、俺を責めてくれれば、どれほど良かったか。
俺がどんな態度でいても、常に笑っているあいつを見ると余計に腹が立つのだ。
俺が器量の小さい、ちっぽけな人間だと言われている気がして。
とにかく、雑念を追い払うように、走って、走って、走った。
そして、気づけば、訓練場にたどり着いていた。
ちょうど、決闘が始まったところだった。遊びに付き合わされることなく、林俊の戦う姿が見られる。
望んでいたことだったはずなのに、どこか気持ちが落ち着かない。
「何でだよ……」
なんであいつの悲しそうに笑った顔が思い浮かぶんだよ。
せっかく、林俊の決闘が見られるんだ。あいつのことなんて気にしなくていいじゃないか、と彼女のことを忘れようと、食い入って見ているうちに、いつしか彼女のことは頭の片隅から消えていた。
結果、決闘は、無事に林俊の勝利に終わった。
息を呑む展開で体感はあっという間だったが、もう30分も経っていたようだ。
現隊長から林俊へ引き継ぎの儀式が終わり、正式に林俊は第一軍隊の第7代隊長となった。
そんな林俊の姿に拍手を送りながら、ふと冷静になって、再び彼女を思い出す。
「あいつ、あのまま1人残ってたりしないよな……」
流石に、部屋に戻っているだろうと思いつつ、今更不安が押し寄せてきた。
俺は、花畑に戻ることを決めた。心配だからではない、あいつの姿を一目見て、この不安を解消したいだけだった。
しかし、重い足取りで、花畑に到着するも、そこにはもう誰もいなかった。
「そうだよな。流石にもう帰ったよな」
あいつなら、俺が戻ってくると信じて、ここで待ちかねないと思ったのだ。
あんな言い方をしたにも関わらずだ。彼女はそういう人間だ。人を信じることに躊躇いがない。
彼女が無事に立ち去ったことを確認し、安堵のため息を落とし、来た道を戻ろうとすると、地面に落ちていた何かを足で蹴った音がした。金属のような音だ。
俺は、その音の方に視線を向けると、そこには彼女の母の形見である髪飾りが落ちていた。
しかも、その髪飾りは、誰かに踏まれたようで真っ二つに割れている。
そして、近くには、作りかけの花冠も落ちていた。
先ほど俺が散らしたものとは違う、おそらく彼女が新しく作り直していたのだろう。
何だか嫌な予感がして、立ち上がって再び辺りを見渡すと、花畑の中を無理に人が通ったような跡があることがわかった。咲いている花たちが、人に踏まれたせいで萎れている。
「おい!陽華!!いないのか!!」
俺は、この状況から想定できる最悪の展開が脳裏を過り、思わず息を呑む。
まずい。まさか、攫われたのではないか。
俺は、踏まれた花の道の後を辿るように、走り出した。
今ある手がかりは、これだけだ。
おそらく、彼女は花冠を作っていたところを攫われ、そして、犯人はこの道を通って行ったのだろう。
その道を勢いよく走り抜けると、一つの脇道に出た。
しかし、そこには何もなかった。あるとすれば、遠くに大きな馬車が走っていことくらい。
足取りとなりそうな痕跡も、ここで途絶えており、ここから後を追う手段がない。
焦る気持ちを抑えようと、ふと先ほど見かけた馬車が気になり、もう一度そこへ視線を移す。
よく目を凝らすと、後の扉に布が挟まってひらひらと風で揺れている。
薄ピンクの布が……。
「……!!」
あれは、今日彼女が羽織っていたものだ……。
その布切れから、馬車の中に監禁されていると確信し、もたつく足を前へ前へと駆ける。
なんとか、馬車の後ろまで追いつき、無理矢理後ろから扉をこじ開けて、飛び乗ると、そこには縄で縛られた陽華がいた。彼女の瞳には涙が浮かんでいる。
「陽華!!」
その姿を見た瞬間、自分の情けなさに怒りが込み上げてきた。
苛立っていたからと言って、彼女を1人置いていくなんて、なんてことをしてしまったんだろう。そう後悔しても、もう遅い。
俺は、彼女に駆け寄り、持っていた小剣で縄を解いていく。早く楽にしてやりたかった。そう、俺は気が動転していて、周囲への警戒が疎かになっていた。
だからーー、気づけなかった。
馬車が止まっていたことに。そして、背後に、人影が迫ってきていることに。
「蒼天!危ない!」
口縄が外れた陽華は俺の背後を見て声を上げるも、振り返った時には遅かった。
物凄い形相の女官が俺に剣を勢いよく振り翳そうとしている。
しかし、その瞬間だったーー。
彼女が俺に覆い被さるように勢いよく突き飛ばしたのは。
「……!」
その女官の顔に勢いよく血飛沫が飛んだ。その血は、紛れもない陽華のものだった。
彼女は俺に被さるようにぐったりと倒れている。
その瞬間、血の気が引いていくのを感じた。一瞬、時が止まったかのように。
「おい、しっかりしろ!おい!」
陽華の背には、斜めに大きな傷がグッサリと刻まれていた。
彼女の背中がどんどん血で滲んでいき、彼女の傷を押さえる俺の手も赤く染まっていく。
そんな状況でも、なお、俺を守ろうとしているのか、彼女は必死に俺に覆い被さろうとする。
目の前には、血飛沫を被った女官が「鳳凰があーーーー!!」と意味のわからない言葉をひたすらに叫び、ぶつぶつと呟いては、泣き喚いている。
ーーこの女官、完全に気が狂っている。
すると、突然、泣き叫ぶのをピタリと止め、こちらを冷ややか目でじとりと見つめた。
その目には生気など全く宿っていなかった。
「本当は生きたままが良かったけれど。もう、死体でもいいや」
そして、彼女は乱暴に剣を振り回し始めた。
このままじゃ、殺される。重症の陽華を連れ出して、早くここから逃げないとと思ったその時だった。
女官が、ピタッと動きを止めて、ドサっと倒れたのは。
そして、女官が倒れた後ろには、林峻がいた。
「確保!!」
林俊の言葉を合図に、他の軍人たちが女官を馬車から運び出し、取り押さえていく。
「致命傷は避けた。尋問室へ連れて行け」
「はい!」
女官が運ばれた後、林俊は俺と陽華の姿を見て、目をみはった。
「陽華様!蒼天!」
俺たちの元に駆け寄って、俺の無事を一目で確認した後、林峻は彼女を抱え上げた。
朦朧とした意識の彼女は、抱え上げられながら「蒼天……?」と口にした。
俺がどこにいるか判別がついていないようで、俺を探す手は空気を掴んでいる。
俺は、思わず、その手を掴み、「はい」と答える。
「……大丈夫?怪我、してない?」
「あ、ああ」
「そっか。よかった」
「なんで!なんで、俺なんかのこと」
「だって……」
「……?」
「蒼天は大切な友達だから。私の、初めての友達」
「……っ!」
彼女は途切れ途切れの声で、振り絞るように言った後、微笑みながら意識を失った。
林峻の「陽華様!」というこれまで聞いたことないほどに焦る声を聞きながら、俺はその場で呆然とすることしかできなかった。意識を失った彼女の手から力が抜け、林俊に運ばれるのと同時に、俺の手から離れて行く。
俺は残された手をそのままで、暫くそこに立ち尽くしていた。




