19.気に入らない女
男にだらしない母親に売られて、気づけば真っ暗な闇の中にいた。
あの女を母親と呼ぶのを躊躇われるほどに、母親らしいことは一つもしてくれた記憶はない。
ただ、俺を産んだ、それだけの事実だけで、あいつは俺の母親になった。
新しい男のところへ行くのに、きっと俺が邪魔になったのだろう。俺は、柄の悪い男たちに差し出された後、薬を嗅がされ意識を失った。
最後に見たのは、あの女が男たちから金を受け取る姿だった。俺には一目もくれなかった。
今、手足を縛られている。あたりは真っ暗で狭い箱のような物に入れられているのか、身動きが取れない。
どうやら、嗅がされた薬の効果もまだ効いているようだ。
このまま売られて、臓器売買のために解体されるか、もしくは、子ども好きの変態野郎に買われるか、どちらかだろう。それなら、前者の方が断然マシだ。
ーーもう、いっそ死んだ方がいい。
変態野郎の相手なんて、死んでもごめんだ。逃げ出すことを諦め、やけになっていたその時だった。
突然、ガタッと音を立てて、俺を閉ざしていた天井の蓋が開いた。
光が刺し込み、思わず目を窄める。どうやら、俺は樽の中にいたらしい。
そして、蓋を開けたのは、俺の国では見たことのない、黒髪の男だった。
「おい!大丈夫か!」
その男はぐったりした俺を簡単に抱え上げて、樽の中から外に出す。
爽やかなで無害そうな顔をしているが、意外にがっしりと鍛えられているようだった。
「今、外してやるからな」
そう言って、縛られていた俺の縄を力任せに外していき、最後に口に挟まれていた縄からも解放された。
ようやく自由になった口で、目の前の男に疑問を投げかける。
「おじさんは、俺の敵、味方?」
その言葉に、おじさんの動きはピタリと止まった。
まるで、そんなことを聞かれるとは思っていなかったようだ。
でも、俺にとっては、重要だった。この人は俺に乱暴しに来たのか、それとも、本当に助けに来たのか。
「味方だ」
おじさんは、一呼吸置いて、強く口にした。
「俺は、赤蛇国の第一軍隊の副隊長。林峻だ。君は?」
「……?」
「だから、君の名前は?」
「名前はない」
「え?」
あの女は、俺を呼んだことなど一度もなかった。
俺の反応に困ったような表情を浮かべた後、おじさんはじっくりと考え込んだ。
そして、俺の目をじっくりと見つめて、ハッと思い浮かんだ様子で口にした。
「そうてん」
「……?」
「蒼海の”蒼”に天空の天で”蒼天”」
「それは?」
「君にぴったりの名前だ」
「そう……てん、そうてん、蒼天」
その名前を自分に馴染ませるように、何度か口ずさんだ。
俺のことを初めて子供として、いや人間として接してくれてたような気がして、嬉しかった。
その後、おじさんに連れられて、船を降りると、そこは見たことのない景色が広がっていた。
俺がいた国とは違う服を着ており、違う建物が立ち並び、それは、俺が遠くの国まで運ばれたことを意味していた。
何より、俺と同じ金色の髪に青色の瞳の人間など、あたりを見回しても一人もいなかった。
俺を好奇の目で見てくる視線が突き刺さる。
「奴隷船に残っていた子供だ。名前は蒼天。保護を頼む」
そう言って、おじさんは俺を引き渡そうとした。
しかし、俺はおじさんの服の裾をギュッと掴み、その場で立ち止まる。
「どうした?」
「……」
そして、おじさんは俺の前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「蒼天、俺のところに来るか?」
「……」
「俺みたいなのが子供を育てられる自身もないが、それでも良けれ……、」
「行く」
「……え?」
俺はおじさんの言葉に被せるように言った。
「俺、おじさんとこに行きたい」
出会って数分、交わした言葉も僅かだが、人生で初めて信用できる大人だと、そう思ったのだ。
この人についていきたいと、本能がそう叫んでいた。
その後、俺は林峻に引き取られ、おじさんが副隊長を務めている赤蛇国直属の第一軍隊で生活することとなった。
屈強な軍人たちに囲まれて生活している中で、俺も自然と剣を持ち訓練をするようになった。
いや、違う。俺が自らの意思で剣を取ったのだ。強くなりたいと思った。
それに、俺はここで自分の存在意義を証明する必要があった。ここにいてもいい、そう証明できるような、そんな力が欲しかった。
最初は俺の風貌を見て、変な髪色だと蔑んでくるやつもいたが、最近では滅法なくなった。
林峻に何か言われたか、もしくは俺がこの軍隊の一員として認められたか。その両方が理由だろう。
年上の男たちに囲まれながら、俺は子供1人。それでも、食らいつこうと必死に剣の腕を磨いた。
そして、引き取られて5年が経った頃には、国へ不法に侵入する奴らを取り締まったり、国境付近で騒ぎが起きた時など軍の仕事にも駆り出されるようになった。
ようやく、自分が林峻の役に立てているような気がして嬉しかった。
もっともっと強くなって、大きな功績を残したい、そう思っていた。
「蒼天!ちょっといいか!」
俺が、いつものように訓練場で剣を交えているところに、林峻がやって来た。
「なんだよ。今、良いところなのに」
「お前に、任せたい仕事があるんだ」
「え……!?仕事を、俺に?」
「ああ。お前にしか頼めない仕事だ」
俺は、嬉しさのあまりにやけそうになった顔を必死に抑える。
林峻から直々に仕事を任せたいと言われたのは、初めてだった。
一人前になったと認めてもらえたような気がして、心が踊った。
しかし、その後、林峻に連れて来られたのは、これまでに見たことないほどに豪華な建物の中だった。
あまりに広すぎる廊下に、俺は田舎者のように辺りをチラチラと見回す。
呆然としている間に、どうやら目的の場所に着いたようで、扉の前で林峻は立ち止まった。
「林峻です」
しかし、部屋の中から返事はない。
「陽華様、入りますよ?」
そう言って、林峻は扉を開けて、部屋に入って行ったので、俺もその後を着いていく。
その部屋も、大きなふかふかそうなベッドに、金色に輝く家具が揃っており、一段と豪華だった。
机の上には、紙と筆が転がっており、紙には妖怪のような物が描かれている。
しかし、部屋には人一人いなかった。
「陽華様〜!どこですか〜?」
すると、後のカーテンがモゴモゴと動き出し、「わっ!!」と言いながら、1人の女の子が顔を出した。
俺と比較しても、数十センチは身長差があるだろうか。丸顔で、目がキュるっとしていて、強く掴んだら壊れてしまいそうなほどに小さい。でも、彼女の笑顔は太陽のように輝いていた。
「わ、びっくりしました!そこにいらっしゃったんですか」
「林峻、驚いた!?」
「ええ、驚きました。陽華様は隠れるのがお上手ですね」
嘘だ。剣士として凄腕の林峻が、人の気配に気づかないわけがない。
しかし、林峻がそうまでして相手をするとは、一体この子は誰なのだろうか。
「今日は、陽華様に紹介したい奴がいまして……。蒼天!」
俺は、名前を呼ばれて、仕方なく挨拶をする。
「どうも、蒼天です」
すると、目の前の女の子は目を輝かせながら、じっと俺のことを見つめてきた。
「な、なんすか?」
「綺麗!」
「え……?」
「青空みたいな色で、綺麗」
俺は、驚きのあまり、固まってしまった。
初対面で、この瞳の色、この髪の色に好奇な視線を向けない人間は、林峻以来だった。
その太陽のような笑顔に見つめられ、俺は居心地が悪くなり、思わず視線を逸らす。
「蒼天、お前の仕事は、陽華様のそばを離れないことだ」
「……は!?」
「護衛として、そばにいて、守ること。それがお前に任せたい仕事だ」
想定していなかった内容に、俺は落胆を隠せなかった。
こんなか弱そうな女の護衛をやらなきゃいけないなんて。何で俺がそんなことを……。
もっと、訓練の力を発揮できるような仕事を任せられると思っていたのに。
「陽華様。蒼天は、俺の息子みたいなもんです。仲良くしてやってください」
「仲良く……?ってことは、お友達になるってこと?」
「はい、そうです」
すると、彼女は満開の笑顔を咲かせ、俺に握手を促すように手を差し出した。
「君、私の初めてのお友達だね。よろしく」
「……よ、よろしく」
俺は、不服ながらもその手を払うことはできず、握手に応じた。
彼女がなぜそんなに嬉しそうにしているのか、俺にはわからなかった。
あの初対面の後、林峻から彼女のことを知らされた。
彼女は、どうやらこの国の王女とかっていう奴らしい。まあ、いわば、この国の一番偉い人の孫?に当たる。
だからかと、合点がいった。
あの豪華な建物に、金色の家具いっぱいの部屋。そして、この世の悪意なんて知らなそうな能天気な明るさは。
生まれてからこのかた苦労なんてしたことないのだろう。
奴隷として売られかけた経験のある俺からすると、恨めしくて仕方がなかった。
どうせ、ああいうタイプは幼い頃から蝶よ花よと育てられてきたのだ。しかし、俺は他の人たちとは違う。
絶対にそういう特別扱いなんてしてやんねえからなと思いながら、その日は眠りについた…はずだった。
「蒼天!こっちこっち!次は蹴鞠対決しよ!」
「おい!ちょっと、待てって!」
俺は、彼女の底知れない体力に振り回されていた。
ある日は、蝶々を捕まえたいと言って、虫取りを持って、花畑をかけずり回ったり、次の日は、絵しりとりをやりたいと言って、付き合ったはいいものの、彼女の描く絵が壊滅的に下手すぎて、頭を抱えた。
そして、別の日には、彼女が勝つまでボードゲームの相手をさせられた。
早く解放してほしいと、わざと彼女を勝たせると、なぜか手を抜いたことがバレてしまい、何度もやり直しをさせられ、結局深夜まで相手をする羽目になった。
正直、いい加減にしてほしかった。
彼女の護衛というか遊び相手。きっと、林俊の本当の目的はこの箱庭王女様に、友達を作らせることなのだろう。
その名目として護衛という名前が必要だっただけだ。
とにかく、護衛(仮)になってから、訓練に出る時間が極端に減っていた。
折角、最近良い調整まで上がって来てたのに。俺が、こいつと遊んでいる間に、他の奴らとどんどん差が開いていくじゃねえか。この焦りの矛先はどうしても彼女に向けるほかなかった。
今日は蝶々を捕まえたら解放してくれるんだろうか。それなら、早く捕まえて訓練に行きたい。
そう思いながら、必死に蝶々を探してた時、彼女の髪から飾りが地面に落ちた。
俺は、それを拾い上げる。
「おい!これ、落ちたぞ」
すると、彼女は振り返って、焦った様子で、自分の髪に飾りがついていないことを改めて確認して、俺から髪飾りを受け取った。そして、大切そうにその髪飾りを再び髪につける。
「あ、ありがとう!よかった〜、気づいてくれて」
「それ、そんなに大切なものなのか」
すると、いつもの太陽のようなやかましいほどに明るい笑顔でなはく、どこか寂しそうに微笑んだ。
いつもと違う表情に俺は息を呑んだ。
「うん!お母さんの形見なんだ」
「……え」
俺は思わぬ事実に言葉を失った。
そういえば、少し前に彼女の父親は彼女が生まれてすぐに亡くなったと噂で聞いていたが、まさか、母親も亡くしているとは……。
「なんか、ごめ……」
「謝らないで!もう、少し前のことだから、気にしてないし」
そうは言うものの、明らかに彼女は無理して笑顔を浮かべ、声の調子はどこかから元気に聞こえた。
ただの恵まれた女の子だと思っていたが、こいつもこいつで苦労しているのかもしれない。
親はこの世におらず、無駄に広くて豪華な部屋で1人でいる彼女の姿を思い浮かべては、どこか俺と重ねてしまった。
まあ、それでも、こいつには生きるのに苦労しない恵まれた生活がある、それで十分じゃないか。
そうだ。俺とは全然違う。




