お姫様の旅
八月になり、エリオットの元へ行く日になった。ロジャーの予定に合わせたので、世間一般の夏季休暇とずらした日程となった。
レベッカは思い切って、エリオットが領都へ戻る日まで一緒にいることにした。ともに帰る。ちょっとした思いつきだったが、それはとても甘い誘惑だった。
ただ、帰るときはメリーが一緒だ。その点が懸念であった。マックスも迎えには来るし、騎士団への搬入を同時に行うので、商会の荷馬車に随行する形となる。
エリオットと結婚する上で、メリーのことは避けて通れない。手紙やサマンサからの報告で、メリーが今どう考え、どう思っているのかはなんとなく聞いていた。
もしかしたら、レベッカの顔を見て正気に戻るかもしれないわね。そんな冗談じみたことをサマンサは口にした。そうしたら、メリーはまた地獄に突き落とされる。会わない方がいいのかと思いつつも、メリーが結婚式を楽しみにしていると手紙で聞かされて、ずっと悩んでいる。
旅路は順調。御者で手が空かないロジャーに変わってトマスの相手をしていた。トマスもトマスで、時折御者席に座って外の世界を楽しんでいる。
平民は旅行などしない。ほとんどが地元から出ない。若者は都市部に来るが、同じ領内であっても一時的な里帰りだってなかなか難しかったりする。ほとんどが実家には帰らないか、ある程度都会暮らしを満足して、もしくは仕送りの必要ななくなって、ようやく実家へ帰るという程度だ。
離れてしまえば、何年も会えないのは当たり前。こうやって旅をするのは、レベッカも人生で最初で最後かもしれない。
「狭いところだけど、どうぞ。」
この街にも単身者向けのアパートメントがある。津波を予想してか、民家は山の手にあり、上に行くほど高級住宅街になっていた。しかし、単身者用のアパートメントは山の麓にある。支店に着いたレベッカを休みを取っていたエリオットが迎えて、挨拶を済ませるとすぐに彼のアパートメントに案内された。ロジャーとトマスはサムの家に泊まるそうだ。
荷物を置いて、エリオットが淹れてくれたお茶を飲む。窓は海側に向いているが、この建物からは海が見えない。
「海、あとで行く?」
「少し疲れたから、明日でいいかな。」
「そうだよね。慣れない旅で大変だったろ?」
「ええ。でも、トミーがいたから楽しかったわ。」
荷台の隙間に見張り番として乗っていたので、寝転べる程度のスペースは作ってくれてはいたけれど、それなりに窮屈ではあった。全身の倦怠感がなかなか抜けない。
「夜は家で食べる?すぐ近くに食堂もあるから、そこでもいいし。」
「食堂?」
「ああ。さっき前を通ったけど、今の時間休憩で店閉めてたから気付かなかったかな。海の幸を使った料理、食べたくない?」
「食べたい。」
歩いて五分ほどのところにある食堂は、夜は酒場として開いている。そういえばレベッカと酒を飲んだことがないなとエリオットは気付いた。
愛する人がそばにいる。もう少ししたら夫婦になる。これからは、今まで二人で出来なかったことをたくさんしていこう。無為に消費してしまった時間を取り戻すかのように、エリオットはレベッカとやりたいことを考え出した。
エリオットはそれから、脚がだるいというレベッカにマッサージをしてやった。恥ずかしがっていたが、エリオットだって我慢をしなければならない。愛する人にもっと触れたいと思うのは、仕方のないことだ。
レベッカが視界のどこかに必ずいるのはうれしいけれど、領都に戻るまでの三週間は修行だな、と心の内で嘆息した。
少し早めに家を出て、夕食を食べに行った。レベッカは気に入ってくれた。彼女の笑顔を見ると幸せな気分になる。奮発して、大きなロブスターを注文した。食べ慣れないので、殻に四苦八苦していた様子も愛おしい。
「このまま帰る?」
「少し歩きたいわ。なんだか身体がなまっちゃって。」
「まだ疲れてるだろ?」
「マッサージしてくれたから平気。」
それならば、と、高台に向かった。アパートメントの脇の道を上がれば、山の途中に広い公園がある。そこからこの街と海が見えるはずだ。陽の長い夏なので、まだ外は明るい。
公園で、並んで柵にもたれかかりながら、太陽が水平線に沈むのを眺めながら、二人は沈黙を味わった。ヘリオドールのようなエリオットの髪は、夕焼けの茜を受けて輝いていた。
こんな時間がいつまでも続くのだと思うと、レベッカは全てが報われるような心地になった。
夜は二人で同じベッドで寝ることになっている。レベッカは緊張していた。寝支度を終わらせて、胸を高鳴らせながら布団の中に潜り込む。
しばらくすると、エリオットもやってきて、狭いシングルベッドで並んで天井を見上げた。ジョンのアパートメントで過ごした日々が過ぎる。
いつだか、身体中を触れられてしまった。あのときは嫌悪感はなく、恥ずかしさばかりが先立っていた。エリオットの慈しむような手つきを思い出せば、自然と顔も赤くなる。
「明日は、悪い。結局仕事になった。」
「大丈夫よ。引き継ぎもあるんでしょう?」
「ごめんね。せっかく来てもらったのに。」
「いいの。元々長くいる予定じゃなかったのに、私が我儘を言ったから。」
「でも、予定より早く、一緒にいられてうれしいよ。」
「私も……」
言葉の続きは口付けの中に溶けていった。いつのまにかレベッカの方へ身体を向けていたエリオットに抱き寄せられ、互いの唇を擦り合わせるようなキスをする。
唇が離れると、なんだか寂しい。レベッカの口から、ぽろりと言葉がこぼれ落ちた。
「する……?」
エリオットは碧眼を見開いて息を呑んだ。すぐに強く瞼を閉じて、何やらぶつぶつと呪文を唱えるかのようにつぶやいていた。
「結婚、してからの方がいいんじゃないかな。」
「でも、エリオットは経験があるでしょう?今更じゃない?」
無垢な声で氷の刃を胸に突き立てられた。レベッカとのキスは他の女など比べ物にならないくらい。口付けだけで幸福感を得られるなんてエリオットは知らなかった。
欲はある。だが、欲だけで愛する人を奪いたくなかった。
「レベッカとのことは、ちゃんと、したいんだ。結婚前に、ホラ、妊娠したらよくないし。」
「そうね。式があるから、よくないわね。」
といっても、結婚式の日取りはまだ決めていない。エリオットが帰ってきてから教会の予約を取るつもりだった。そもそも教会で式を挙げるのに、夫婦で神父の講義を三日間受けなければならない。世界を遍く照らす太陽神の愛についての講義だ。
最短で十一月。式だけなら挙げられるだろう。ドレスの用意もしなければならない。実は、ドレスの用意は婚約破棄前から始まっていた。この国では十六歳で結婚出来るので、レベッカの卒業と同時に二人は結婚する予定でいたのだ。
レベッカの希望などまるでない、採寸以外お呼びもかからない。メリーの手によって全てが進んでいた。チャームに使った石も、その過程で用意されたものだった。
作りかけだったドレスは、意外にもサマンサが自分用に仕立て直して使った。彼女としては、レベッカのドレスを纏うことは自らへの戒めでもあったのだが、レベッカは知る由もない。
そもそも平民の結婚式など、教会で祝福を受けたらそれで終わり。都市部では店を借り切って宴会をしたりするが、田舎では特に何もせず、あとは書類を役所に提出して終わりだ。
グッドマン商会の威信をかけて作ったドレスも、貴族の令嬢が着るもののように豪奢だった。実際には貴族の身につけるものはさらにすごいのだが、目にしたことのないレベッカはそれを知らない。ただ思ったことは、確かにこういうドレスなら父の作る宝飾にも負けないだろうということだった。
「式は……簡素なものでいいわ。」
二人の間に落ちた本音に、レベッカらしいと苦笑を漏らしたエリオットは愛する人を抱きしめた。




