お姫様は知らない
エリオット滞在十一日目。
自宅とアパートメントを往復する手間がないので、レベッカは作業に集中出来た。作っているのはエリオットと自分の揃いのチャームだ。
リンダは朝から早速依頼をこなしに出て行った。アパートメントの清掃を二棟請け負ったのと、買い出しの依頼が数件。この辺りの家主たちは皆裕福なので、意外と気軽に仕事を頼む。
信頼関係はこれから築くだろうが、リンダが家を出て職探しするに至った経緯を聞いた奥方連はひどく彼女に同情し、励ましの言葉をかけてもらったようだ。
一棟の掃除を終えたリンダは疲れた様子で昼に戻って来た。午後は最初に頼まれた買い出しの依頼に行くと言う。
エリオットを含む四人で食卓を囲み、ジョン手製の昼食となった。
「どうですか、リンダさん。初仕事は。」
「なかなかに骨が折れました。皆さんが足腰を痛めると仰っていたのも分かります。」
「まあ、毎日じゃないんでね。こちらとしても廊下と階段の掃き掃除だけでも大助かりだ。」
ジョンも同じ依頼をしていた。最近では毎日するのはエントランス部分くらいで、上階の掃除は気が向いたときだけになっていた。今日はクッキーを差し入れたときにジョンの代わりに受け取った老人の所有するアパートメントの清掃だった。
「いっそのこと商会立ち上げてみるのもいいんじゃないか?清掃員の派遣なら、色んな業種で需要があるだろう。」
「そうでしょうか。お手伝いの範疇ですけど。」
「買い出しもそうですけど、意外と人手を必要としてるところってありますからね。うーん、アリかもしれないなぁ。ウチで資本金出しましょうか?」
「もう!坊ちゃんまで!」
昨日、ともにキッチンに立ったからか、エリオットとリンダはかなり打ち解けたようだ。上げ膳据え膳のお坊ちゃんだった頃とは違う、自立した青年であるとリンダは認識した。
あまりに手際がいいので、メリーは家事をやらないのかと気になったが、名前を出すのは憚られた。しかし、察したエリオットからメリーが心を病んで長く入院していることを初めて知り、支店にいってからは一人暮らしの方が長いのだと笑うエリオットに言葉を返すことが出来なかった。
「ところで、エリオットくんはいつ戻って来るんだね?」
「二か月後くらいになりそうです。八月下旬かな。」
「それは遅いのかね?早いのかね?」
「秋の人事に合わせてなので……思ったより早かったですね。本店に空きがないので、すぐとはいかないと思っていたので。」
「それでよく許可がおりたわね?」
「父が引退を決めたので。秋には姉さんが会頭に、義兄さんが副会頭になります。」
祖父であるブライアンはこの十一年の間に亡くなり、ようやくマックスの実質的な天下が訪れた。それを考えると随分早い引退だ。
少なからずグッドマン商会の内情を知るレベッカとテレサは、意外そうに目を丸くした。
「母さんの面倒を見るって。これからこっちで入院先を探して、俺が戻ったら転院手続きをする予定。」
「籍を、戻すの?」
エリオットは首を横に振った。
リンダはメリーに対して複雑な感情を抱いている。それはレベッカもであるが、二人ともいくら横暴だったメリーであっても、夢の中の住人になったことを喜ぶような性格ではない。
「母さんがあんな風になったのは、まあ、母さん自身のせいなんですけど……父さん、ずっと責任を感じてたみたいです。俺があんな風だったのも、自分が、姉さんが生まれたとき、女じゃ後継ぎになれないって言ったらしくて。おかしな思い込みはそこから始まったんじゃないかって思ってるらしくて。」
それはリンダとレベッカの知らないマックスだった。離婚した妻など切り捨ててしかるべきだろうに、現在の入院費もマックスが用立てしている。
ジェフやレベッカの仕事を通して今でもグッドマン商会と付き合いがあるけれど、顔を合わせるのは宝飾部門の担当者。数年前からは主にロジャーなのだが、マックスを始めとする創業者一族とは全く関わりを持っていなかった。
ジェフが時折、ブライアンやマックスの様子を尋ねたりはしたけれど、それだけだ。その話ですら、リンダに至っては不快だったことを思い出し、少しだけ目を伏せた。
「これからは祖父がやってたみたいにたまにあちこち行きながら、母の介護をするつもりだそうです。俺が戻ってくるのと一緒に、母も移動してきます。基本的に病院から出ることはないんで、安心してください。」
「そう……」
それだけ呟いて、リンダは黙りこくってしまった。
本当はエリオットが戻って来たら、レベッカは家を出るつもりでいた。その話も、母に聞いて欲しかった。
レベッカとエリオットの結婚の話にはまだ至っていない。だが、今のリンダにその話をするのは酷なように思えた。
母が頼まれた買い出しに行くと早めに食事を切り上げ、レベッカは気分転換にとエリオットとともに商会の店舗まで行くことにした。人気のない七番街の裏路地を手をつないで歩く。
「お父さん、大丈夫かしら。」
「昨日、夜、様子見に行くつもりだったんだけど、ロジャーさんに捕まったんだよな。」
「また飲みに行ったの?」
「いや。自宅に連れてかれた。」
「え、なんで?テレサがいるのに。」
「ロジャーさん、俺たちのこと知ってた。」
知ってた、とエリオットが言うのなら、エリオットから明かしたわけではないのだろう。幼馴染の夫はどれだけ耳がいいのか。リチャードと肩を並べられるほどだとレベッカは悪い意味で感心した。
「テレサが、ちゃんと君の口から話を聞きたいって。あ、でも、俺がこっちにいる間は俺に時間を譲ってくれるって。」
「それって……」
「結婚式のために、エステしろって言ってたよ。次会うときに、肌にいい化粧品プレゼントするって。」
レベッカはテレサの説得こそが難関だと思っていたので拍子抜けしてしまった。
けれど、今のエリオットを認めてもらえたのが嬉しくて、自然と口の端が緩んでしまう。
「ジェフさんの様子は、今日ロジャーさんが見に行ってくれてる。元々打ち合わせの予定だったらしいし、ついでに妻という存在がどんなに素晴らしいものなのか説いてくるってさ。」
「……お父さんに理解し切れるかしら。」
「理解して欲しいよ。俺も、ロジャーさんみたいな愛妻家になる予定だから。」
「本気?」
「でもまだロジャーさんの相手がテレサだって認めたくない。」
子どものように口を尖らせて拗ねた顔をするエリオットに、レベッカは思わず声を出して笑ってしまった。
不服そうに眉根を寄せたエリオットはそのまま顔を近づけて、尖った唇を愛する人の唇と合わせた。
レベッカの脳裏には、すっかりと忘れていた幼い日の結婚式ごっこの様子が映し出されていた。




