お姫様の父は善良なる咎人
リンダ回。
よろしくお願いします。
確かにリンダは寛容の人であった。
リンダの実家は、兄弟姉妹が八人という貧乏子沢山を地でいく貧農だった。リンダは三番目の子で次女だった。
この街のある領の南側と隣り合う別の領地に住まいがあった。そちらの領内で一番近い都市は余り治安が良くなく、人の入れ替わりも早い。
メリーと大差ない事情で出稼ぎに出なければいけなくなったリンダは、家族と婚約者同然だった幼馴染に別れを告げ、戦禍に巻き込まれる可能性はあるが騎士団が常駐していてわりあい治安の良いこの街へとやってきた。
実家への仕送りのために働きに来た都合上、身入りが良いのは酒場の仕事だと分かっていた。だが、リンダにはそれが出来なかった。幸い、住み込み賄いつきの街の食堂で雇ってもらうことが出来、大家兼店主の家の家事まで引き受けることで天引きされるはずの家賃分をまけてもらうことで余剰を送金に回した。
それでも、生活は苦しかった。それを不幸と思ったことはなかった。いや、思わないようにしていた。父母のため、弟妹のため、兄姉もやっていること、自分だけじゃない。汚い仕事につかずに済んだだけマシだ。そう自分に言い聞かせる日々だった。
父母からの愛情はあった。二人の兄姉も同居していた頃は可愛がってくれた。出稼ぎに出てからは、学校へ通う自分の学用品のために送金してくれていた。自分が幼い頃は、まだ嗜好品に金を回せる余裕があった。弟妹が増えてからは、一食を切り詰める生活になった。自分は恵まれている。リンダはそう思い込んだ。
ジェフの親方の工房は、リンダの働く食堂から程近い職人街にあった。週に一度、昼になると全員で昼食を摂りに来る。リンダにとって、ジェフはただの客の一人だった。店でしか会わず、外で会っても会釈程度。そんな関係が数年続いた。
ジェフの親方と食堂の店主は幼馴染だった。軽い気持ちで、当時弟子の中で唯一独身だったジェフの縁談を探しているがリンダはどうかと店主に尋ねた。親方はこの頃、既にジェフの作った物を自分の物として売り出していた。ジェフには充分な金を、それは仕事に見合う正当な対価ではないが、文句が出ないようにと渡していた。リンダを養うだけの力はあった。
そこで乗り気になったのが店主の妻だった。リンダを大層可愛がってくれていたが、節約ばかりで若いのに遊びもしないリンダを少しでも解放してやりたかった。単純な親心だった。
リンダはさして関わりのなかった数年間であっても、ジェフに好意的な感情を持っていた。食堂で耳にしてしまった兄弟子からの嫌味を全て受け流すジェフに、本当に強い人というのはこの人のことだと、尊敬の念を抱いていた。
学校を出てすぐ働き始めて、七年が経っていた。弟妹も、それなりに大きくなって、今では学校の合間に農作業を手伝っていると手紙で聞いていた。
ジェフは確かにいい人だ。優しい人だ。いつも穏やかな笑みを湛えている、心の強い人だ。少し、大好きな兄に似ているかもしれない。
仕事は出来るらしいが少し抜けていて、そんなところも母性を擽る。そろそろ、自分を締め付けていた縄を弛めてもいいかもしれない。リンダは見合い話を受けることにした。
私も、この人に見合う優しい人になりたい。いや、そうなろう。この人といれば、なれる気がする。
しかし、ジェフと結婚して、見せかけの寛容さは自分の首を絞める麻縄となった。
ジェフは天涯孤独の身だった。母は産褥で亡くし、ほとんど同居の祖父母に育てられた。七歳で祖父と父が同時に馬車の横転事故に巻き込まれて死んだ。彫金職人だった二人は、商会に納品に行くところだった。それからは、祖母と二人暮らしだった。
二人が慎ましやかに生活していくのに充分な蓄えがあったが、年寄りと子どもが暮らすのに、工房兼自宅は手に余る広さであった。そこを人に譲り、本来見習いの独身者が住まうようなこぢんまりとした職人長屋に居を移した。
ジェフに不満はなかった。祖母も、思い入れがありそうな自宅を手放せる程度には割り切れる人だった。それから八年後に祖母も流行病を得て鬼籍に入る。父や祖父と同じ、彫金職人の道に進んだ姿を見ることが出来て、祖母は満足していた。
ジェフにとっての故郷は、最早祖母と暮らした職人長屋だった。思い出が詰まった家を離れたくなかった。リンダに、それでも良ければ結婚して欲しい、子どもが出来るまででいいから、と伝えた。
しかし、ジェフはレベッカが産まれても長屋を出ようとしなかった。リンダは、最初に、祖母との思い出に負けた。約束は、あっさりと反故にされた。リンダは、子どもが小さいうちは狭い方が目が行き届いて何かと生活しやすいからと自分に言い訳をした。
親子三人、狭い長屋生活にも慣れた頃、ブライアンが訪ねてきた。リンダは初めて会うブライアンが怖い人のように感じたが、ジェフが工房で不当な扱いをされている事に憤っているのを知り、信頼を置くようになった。
ジェフは、ブライアンの申し出を何度か断った。確かに仲人までしてもらった恩はあるが、親方のやっていることは度を越している。リンダも説得に加わったが、暖簾に腕押しだった。二度目は、親方への恩義に負けた。
しかし、ブライアンが親方にジェフへの対応を改めるように伝えたところ、工房内での冷遇が始まった。無茶な注文やひとりでは期限内に捌き切れない数の注文をジェフに押し付けるようになった。
さすがのジェフも堪えたのか、日に日に疲れを隠せなくなっていく。それでも、リンダの説得には応じない。リンダはブライアンを頼った。ブライアンは、リンダの知らぬ亡くなったジェフの父母祖父母の名前を出し、独立して立派な工房を築くことが弔いになると、初めて人情に訴える説得をした。ジェフはようやく独立を決意した。三度目はブライアンに負けた。
ブライアンが親方の工房から少し離れた場所に工房を借りてくれたので、転居はせずに、長屋に住み続けた。独立からほどなくして、嫌がらせが始まった。ジェフの作るジュエリーの素晴らしさは、ブライアンとグッドマン商会の営業力も相まって、瞬く間に有名になった。
最初はもちろん無名の彫金職人の扱いだったが、大領地に嫁ぐ領主の娘の結婚式に利用するティアラのコンペを勝ち取ってからは目を見張るほどの大躍進だった。しかしながら、それが親方による嫌がらせの始まりだった。
長屋にゴミや墨を撒かれても、ジェフは粛々と片付けるだけで気に留めない。それがしばらく続いた。ある日、たまたま早起きしたレベッカが小鳥にパン屑をやろうと家を出ると、男たちはちょうど汚物を撒きに来たところだった。何をしても無反応、警察に届け出る気配もないジェフに益々腹を立て、嫌がらせはエスカレートしていた。
見つかった男たちは慌てて撒き始めた汚物や柄杓、道端の石などをレベッカへ投げつけた。慌てすぎて碌に当たりもしなかったが、レベッカは頭から汚物を被ることになった。
ジェフとリンダは大泣きするレベッカの声に気付き、家から出ていたことにようやく気付いた。小鳥に餌をあげるのは嫌がらせが始まるまでの習慣だった。嫌がらせが始まってからは朝は外へ出ないようにと言い聞かせていたが、その日のレベッカは小鳥の鳴き声が気になって出てしまったのだった。
さすがにジェフも参ったのかショックを受けた様子だったが、それでも文句を言わずにレベッカを洗い、家の前を掃除していた。
リンダは痺れを切らして再びブライアンに相談した。思い出は家に宿らない、命をつなぐレベッカがいるのだから、ここに固執することはない。レベッカがこれ以上危険のないように、自分が家族ごと守る。ブライアンがそう言うと、ジェフはあっさりと承諾した。四度目もまたブライアンに負けた。
五度目の敗北はすぐにやってきた。マックスとニールが訪ねてきて、レベッカとエリオットの婚約話を持ってきた。既に専売の契約も交わし、ブライアンとの約束もあった。これ以上は必要ない。そう思った。リンダは数えるほどしか会っていないメリーに不信感を抱いていた。息子を溺愛し、賞賛する女。あの母の元でレベッカが幸せになれるとは到底思わなかった。
だが、ジェフは今回もすぐさま二人の提案を聞き入れた。レベッカにあんなことがあったので、守りを盤石なものにしたいと考えたのかもしれない。いや、二人にそう言われたのだろう。ブライアンがいなくなれば、約束が無かったことになる可能性を示唆されれば、頷かざるを得ない。それでもリンダは承諾しかねた。
マックスとニールはリンダの説得を始めた。リンダは頑として首を縦に振らなかった。しかし、ジェフまでもがリンダに言い聞かせてきた。反対の理由を言っても、ジェフには響かなかった。リンダは、ジェフに腹を立てた。結婚してから初めて、二人は喧嘩をした。喧嘩と言っても、一方的にリンダが責め立てる形だった。それを見たレベッカが泣きに泣いて、怒らないで!優しいお母さんがいい!と抱きついてきた。リンダは渋々了承した。五度目の敗北は、リンダの心に陰を落とした。
それからは特に大きなことがなかったので、平穏に過ごしていた。しかし、メリーに育てられたエリオットがレベッカを邪険に扱うのには怒りを感じていた。メリー自身も、レベッカを否定する。果ては、自分の育て方が悪いとまで言ってきた。メリーのことは一生許すまいと心に決めた。
リンダには、グッドマンを許せない事情があった。
しかし今はそれ以上に、ジェフのことが許せなかった。
お読みいただきありがとうございます。




