お姫様の母は寛容の囚われ人
新たなる騒動勃発。
よろしくお願いします。
「ジェフ、リンダ、私からもお願いする。この二人の結婚を許してやってくれ。」
「旦那様!」
真剣な表情のマックスに頭を下げられジェフが慌てる。専売の契約を結んだ時も、レベッカとエリオットの婚約破棄の時も、ここまで深々と頭を下げられたことはない。
助けを求めてリンダを見ると、とても険しい顔をしていた。リンダはまだ怒っているのかもしれないとジェフは思った。娘やマックスが言うような妻の寛容さは、ただの諦観だったのではないか。自分は様々な苦労や妥協を妻に強いてきたではないか。
視線に気付いていないわけがないのに、こちらに一瞥もくれない妻が恐ろしくなった。初めて己の身勝手さに気がついた。
「リンダ。」
ジェフは思わず、妻の名前を呟いた。それでもリンダはこちらを見ない。今更ながらに妻の真実に気付いても、今の自分がまるでマックスの味方のようになっていることには気付いていない。懇願するように妻の名を呼んだのは悪手だったことが分からない。
ジェフは、人の感情に疎い。自分の感情にも疎い。ジェフの感情はとても単純で、喜怒哀楽ですらない。いつでも全てが他人事だ。
だから、ジェフは妻の怒りの原因が分からない。
「旦那様。私のことを寛容と仰ってくださいましたが、私はそんなに優しい女ではありません。主人は、一度ならず二度までも、私より旦那様を選びました。それほどグッドマン商会との付き合いが大事なようです。いえ、これで三度目ですね。私は妻なのに、選んでもらえませんでした。怒りを通り越して、ただただ悲しいです。みなさん商人ですもの、どうすれば人が絆されるか、よくご存知ですものね。無学な私はどうしたって勝ち目はありません。もう、お好きなようになさってください。もう、私は知りません。私こそ、あなた方に関わりたくありません。」
「リンダ!」
リンダの声を遮るようにジェフが叫んだ。今度こそ懇願の意味があった。それ以上、言葉を続けるのはやめてくれ。ジェフはそう思っていた。
ジェフの声は場に沈黙を齎した。皆がリンダに憐憫の目を向けている。ジェフには理解出来なかった。
リンダには怒る理由が数え切れないほどあった。自分の言葉に耳を傾けないジェフ、それを利用して自分たちにとって都合の良い様にしようとするマックスとニール、娘の心に深い傷を負わせたメリーとエリオット。
マックスの謝罪と願いが心からのものであっても、リンダの心には今更届かなかった。この期に及んでマックスに肩入れするジェフも許せなかった。夫は善良であると信じ、ずっと心の奥底に燻る感情を押し込めて蓋をしてきた。
これまでの全てが、リンダには納得の出来ないことだった。溢れんばかりに注ぎ込まれたグラスに、今、一滴の水が落とされた。もう耐え切れない。リンダはそう思っていた。
「じゃあ、おばさまは、どうなさりたいの?」
リリが沈黙を破った。
「言ったでしょ。もう関わりたくないの。今すぐ帰りたいくらいよ。」
「それは、レベッカの結婚も認めないってこと?」
レベッカとエリオットはギクリとした。二人は、リンダが自分たちの結婚に反対すると考えていなかった。初めは渋っても、結局は結婚を許してくれるだろうと思っていた。
レベッカは初めて、母がこれまでどんな気持ちでいたのかを知った。寛容だと思っていた母は、ひたすら忍耐し続けていただけだった。レベッカの理想としていた夫婦像は、母の犠牲によって成り立っていた。その事実は、かつてないほどの衝撃だった。
「お母さん……」
レベッカが声をかけてもリンダは答えない。ジェフは、リンダを促すように肩に触れたが、パン!と音を立てて振り払われた。ジェフの顔に悲壮感が漂う。
「おばさま、気持ちは分かるけど、せめてレベッカには何か言ってあげたら?」
レベッカははっとしてリリを見た。リリは、娘のレベッカが気付かなかったリンダの気持ちを知っていた。レベッカは自分がとても情けなくなった。
「お母さん、ごめんなさい。私も、きっと、お母さんを苦しめてきたひとりね……。」
リンダはようやく口を開いた。
「レベッカのせいじゃないわ。あなたにそんなことを言わせたいんじゃないの。」
リンダはレベッカがジェフを心から尊敬しているのを知っている。だからこそ、ずっと言えなかった。「お父さんは優しい人だから。」この言葉が、自分を納得させるための言い訳に過ぎなかったとしても。
自分だけ置いてけぼりを食らったように狼狽えるジェフがリンダに声をかける。
「す、すまなかった、リンダ。俺は……」
「謝らなくていいわ。何が悪いのかも分かってないくせに。」
「そんなことない!リンダの言い分も聞かず、俺が自分の思い通りにしてきたから怒っているんだろう!?」
「そうよ!今更分かってももう遅いわよ!」
リンダの言葉に、ジェフは頭を殴られたような感覚を受けた。ショックを隠せないでいる。
「もう遅いって……」
「離婚でもしますか?リンダさん。いやぁ、いいですなぁ!平民は気軽に離婚出来て!」
リチャードが突然会話に入ってきた。平民の離婚だとて簡単なことではないが、貴族のしがらみほど難しいことではないのは確かだ。しかし、この発言の半分ほどはジェフへの当て付けだろう。
「離婚……」
そう呟くとジェフは放心状態になってしまった。頭がガンガンと脈動が鳴り響き、思考が定まらない。
「いや、いや、全て我々が悪いんだ!リンダ、離婚は考え直してくれ!ジェフはお前がいなかったら、立ち行かなくなる!」
ジェフは仕事のこと以外、殆ど何も出来ない。いや、生活は出来たとしても、専売を解消している現状から、リンダがいなければ無理を言ってくる依頼人や商会が増えることだろう。
「そうやって、これからも私に我慢をしろと言うのですか、旦那様!そもそも、彼を私たち家族ごと守ってくださると言ったのは大旦那様です!本来ならグッドマン商会のすべきことでしょう!?それをそちらから反故にしたくせに、まだ私に強要するのですか!?私はもうこの人とやっていけません!専売でも何でも契約を結び直して、彼を取り込んでしまえばよろしいじゃないですか!」
商売人としてはリンダの言う通りにした方がいいに決まっている。方々から恨みを買うだろうが、太刀打ち出来ない相手ではない。だが、家族の重要性に気付いたマックスはそのような強硬手段を取りたくなかった。エリオットのことだって、ようやく見つけた自分自身の幸せを手放させたくなかった。
「それについては本当に申し訳ないと思っている!すまなかった!この通りだ、リンダ!俺はもう、家族を壊したくないんだ!それがお前たちのことであってもだ!」
「そ、そうよ、リンダさん!私たち家族は後悔したの!誰かが勇気を出してひとつを正せば、何かが変わって、今よりもっとマシな結果になったかもしれないのにって!だから!せめてジェフさんと向き合って、話し合って!私たちのように後悔しないように!」
サマンサは悲痛な声でリンダに訴えた。リンダはしばらく思案して、俯き加減のまま、静かに小さく頷いた。
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