王子様の初恋
夫婦の時間。
よろしくお願いします。
「前の彼を知らないからね。どう、と言われても、いい後輩だよ、としか。飲みに行くのは久しぶりだからな。結構、酒が進んでたけど、無事に帰れたかな?」
「へえ。別に酒豪とかじゃないのに。どうしたのかしら。」
「彼、今日は移動日扱いだから、着いてからは自由時間で外に出てたみたいなんだよね。様子がおかしくて、気のせいじゃなければ、泣いた後みたいな目だったな。」
「泣いた?エリオットが?酒の席で酔っ払って泣いたとかじゃなくて昼間っから?」
テレサが顔を上げた。記憶の中でエリオットが泣いている姿はなかった。ニコニコと微笑んでいるか、キョトンとしているか、たまに一瞬だけ見せるムッとした表情くらいしか覚えていない。言ってはみたが、酔って泣く姿も想像出来ない。
「泣いたんだと思うよ。昼間から。どうしてだろうね?」
ロジャーは意味ありげに笑う。
「昔の女に会った、とか?でも、泣くほど思い入れのある女なんていなさそうだったけど。」
「俺もそう思うよ。彼は恋を知らないから。こんなに心揺さぶられて、生きてることを実感出来るのに、恋を知らないなんてもったいないね。ね、奥さん?」
「別に知らなくったって生きていけるわよ。誤魔化さないでよ、何か心当たりあるんでしょ?」
「彼にだってプライバシーがあるんだ。ただの予想で騒ぎ立てるのは良くないよ。よって、黙秘する。」
「もうっ!馬鹿なこと言ってないでさっさと教えてよ!」
「怒った顔もかわいいね、ハニー。」
「言わないとおはようとおやすみのキス禁止。」
「うわっ、それは卑怯じゃない?ウチの奥さんは美しくて愛らしいのに鬼嫁だなぁ。俺から生き甲斐を取り上げようとするなんて!」
「何言ってんの。いいから教えなさい。予想でも想像でも何でもいいから。」
笑みを消したロジャーは顎に手を当てて、少し考えるような素振りをした。しばし口を開いては閉じを繰り返してから、半ば確信を得ているような口調でこう言った。
「彼、レベッカちゃんに会ったんじゃないかな。」
「嘘。」
「嘘、というか、多分、だけど、そう思ったんだ。」
「どうしてそう思ったの。」
「うーん、長くなるけど、聞く?」
「聞く。」
「仕方ないな。朝、飲みに誘われた時は嬉しそうにしてただろ?なのに、夜、会った時は、オーラが何か暗くて。」
「あいつ、あなたといる時は犬みたいよね。ご主人様大好きな大型犬みたい。マヌケ面でこっちの力が抜けるわ。」
「あは、ひどいな。まあ、でも、慕ってくれてるのが分かってかわいいよね。」
「気持ち悪いわよ。」
「あはは!うん、まあ、それで、目も赤くて瞼が腫れてたし、昼寝でもしてて寝起きかなって初めは思ったんだけど。飲み始めても話し方にいつもの勢いがなくて。不機嫌、とも違うし。一緒に飲みに行った支店の奴が、昼間飯を買いに行ったっきり帰って来なかったけど、知り合いにでも会ってたのかって聞いたんだ。そしたら、はいって頷いたんだけど、更に落ち込んじゃって。」
「めずらしいわね。というか、見たことないわ、あいつの落ち込んでるとこ。」
「それでマイクが、あ、マイケル、分かるよね?あいつたまに空気読まないんだよな。なんだ、昔の女にでも会ったのかって。初めは違います、って言ったんだけど、そうかもしれませんって。」
「何、それ。レベッカがあいつの女だったことなんて一度もないわよ。名ばかりの婚約者だったんだから。」
「そうだね。それで、なんだか深刻そうな顔になっちゃってさ。またマイクが、その人のことそんなに好きだったのかって聞いたんだ。そういうわけじゃないとか、否定するんだけど。そしたら、突然、好きってなんですかって。」
「はあ?何それ。相変わらず気持ち悪いわね。」
「今日飲みに行ったやつ、俺もだけど所帯持ちだからさ。いい歳して、恋愛談義になった。まあ、俺たち支店にいたやつでも、おぼっちゃまの醜聞は耳にしてたからね。本気で誰かを好きになったこと、ないんだろうなとは思ってたけど。28歳の男の台詞じゃないね。遅れて来た思春期だなって感じ。奥さんや彼女との馴れ初め聞いてきて。この人が好きだって思ったのはどんな瞬間ですか、とか。決め手はあったんですか、とか。酒も回って来て、各々、彼の質問にご丁寧に答えて行ったんだけど。」
「おじさんたちの会話じゃないわね。」
「そう?それで、サムが聞いたんだ。久しぶりに会って惚れたのかって。あっちじゃ、そんな相手作ったりしてるような状況じゃないって聞いてるからさ。」
「まあ、奥様のことがあるからね。」
「だろ?で、そうしたら、彼、真っ赤になっちゃってさ!そうかもしれませんって。」
「ますますレベッカにつながらないわ。だからどうしてレベッカになるの。」
「まあ、続き聞いてよ。相手は結婚してるのかって聞いたら、してないんだって。じゃあ、こっちにいる間にアプローチすればいいじゃないかって。彼の知り合いなら、もう子どもがいてもおかしくないだろ?結婚だって考えたっていいじゃないかって。マイクもサムも、熱心に説得したんだけど、焚き付けようとしたのは面白半分かもな、でも、やっぱり、今の彼が心配らしいんだ。休みの日はお母さんのところに行くか、漁村で仲良くなった子どものところに行って遊んでやったり、親しくなった農家のお年寄りのところに行って手伝いしたり、女性の気配はないようだから。」
「イメージわかないわね。あいつが子どもの相手したり、農作業してる姿。」
「今の彼なら、そんなことないと思うよ。テレサは彼と関わろうとしないから知らないだけだ。はぁ、今日は支店の奴らに奥さんの自慢話したかったのに、そんな雰囲気じゃなくて、不完全燃焼だよ。」
「それは結構。話が出来なくて良かったわね。」
「良くないよ!まあ、マイクもサムも、彼には幸せになって欲しいと思ってるんだ。もちろん、俺も。だけど、その人はダメなんだって。自分は彼女に昔ひどいことをしたし、嫌われてるから、近付いちゃいけないんだって。恋人になりたいだとか、結婚したいとか、思っちゃいけないんだって。でも、彼女には幸せになって欲しいって、泣くんだ。今日はたまたま会えたけど、もう会っちゃいけないんだ、両親のような、仲睦まじい夫婦が理想の人だから、自分では幸せに出来ないんだってね。」
「結局また泣いたのね?昼間も泣いてたんでしょうに。」
「まあ、そこで俺は思ったわけだ。これはレベッカちゃんに会ったんじゃないかって。彼女、綺麗になったし、優しい子だから、もしかしたら二言三言くらい交わして、優しい言葉をかけられて、絆されたのかなって。弱ってる男はそういうのダメだから。」
「レベッカは何にも言ってなかった。おかしな様子も……あ、でも、あの子、買い物に行ったっておばさんに聞いてたのに、手ぶらで帰ってきた。帰って来た時間も遅くて。」
「それ、二言三言どころか、しっかり関わったんじゃない?」
「そうかも。でも、あの子が私に隠し事なんてするかしら。」
「大人なんだ。親友にも言えない秘密の一つや二つ、彼女にだってあるだろうさ。それに、二人で会って喋ったなんて周りに知られたら大騒ぎになるだろ?迷惑かけられないと思ってるんじゃない?」
「そうね、レベッカならそうするわ。一応今日、エリオットがこっちにいることを伝えて、外出する時は気をつけるように言ってきたの。」
「手遅れだったわけだ。」
「仕方ないでしょ!今日のは不慮の事故よ!さすがにもう会わないはずよ!」
「とりあえず、彼女には何も言わないようにね。きっとますます気に病んでしまうよ。」
「言わないわよ!そっちこそ、エリオットに余計なこと吹き込まないでよね!」
「分かった分かった、愛しい奥さんの仰せのままに!さあ、もう寝よう。妊婦が無理をしたらクビにするってサマンサさんが言ってたよ。」
「横暴だわ!私は元気よ!」
「そう言って、トマスの時も出血したりしたじゃないか。ちゃんと休める時は休んで。ほら。」
「お酒臭い。一緒には寝ないわよ、酔っぱらい。」
「それは残念だな。だけど、おやすみのキスはしてくれる?」
「ハイハイ、それならいくらでも。」
ロジャーは破顔して、座るテレサを後ろから抱きしめた。
ロジャー、30前半でおじさん扱い。
いや、立派なおじさんか。
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