その7
黒の空間に漂い浮いている。
目を凝らしてその空間の先を見るが、何も存在していない。
黒の中で存在する物体や空間がない。時間さえも無駄なほどだ。
カオスの感情に触れた時に感じた虚無と混乱とは、また別のものだ。
ピアノの鍵盤を奏でるような低い音が鳴る。その方向に向けて手足を動かすが、抵抗のない空間を掻くだけだった。体はどの方向を向いているのか解らない。無造作に回っているように感じる。再び背後で鳴るも、同じ状態が続く。視界や手足に感じるものが無いとは、人を無気力にさせる。
そのうち諦めて聴覚だけに集中し始めた。その音は心地良く、何もかもを零に戻すように一定間隔に空間に響いている。
やがて宙から一粒の気泡が湧き、体ごと包まれた。躰や手足に感覚があると求めるようにより激しく動かす。涌き出た気泡は今までとは別の空間を造り出す。為されるがままに身を預けていると、音ではなく声が聞こえてきた。
ー主よ、我を求めるかー
その声が漂うことの終わりだった。やがて周囲が眩しく開け、視界が白色光に広がる。余りの白光に暫く瞼を閉じた。今度は意志を持って手足に重力を制御して下降する。真白な底辺に足先が付いた。
璃緒は薄く目を開け、その眩しい光の中に何か存在を感じる。
「ここ……は」
「気が付きましたか、リオン」
すぐ近くから女性の声がする。光で顔が判別できない。黒いシルエットだけがそこにある。
「だ、誰?」
璃緒は再度目を凝らすも、はっきり分からない。
「あなたの母です」
瞳の動きが止まり光彩が開く。
「え。だ、だってカレン王妃は……」
「そうです。あなたを地球の百瀬家に預けて間もなく、私は死にました。カイザル星とともに」
璃緒は記憶の彼方にクルスの語った出来事を思い出した。
「死んでいるのに、どうして私と話が出来るの。用意された映像?」
不審に思う彼女は辺りを見回す。
「あなたが、そう思うのも無理ありません。体を無くしましたが、私の意識はまだここに残っています。正確には、この『ゼブラ』の中枢コントロール装置に、私の脳のクローンが直結してあるのです」
「『ゼブラ』? クローン?」
奇怪な言葉に璃緒は戸惑ったが、頭を左右に振って正気を保とうとした。
「リオン、あなたも随分苦労したと思います」
「ずっと、今でも、訳が分からない。ついこの前まで普通に地球で暮らしていたのに、サベリンとか、姫とか、宇宙とか、何星人とか、双子とか、アデンとか、リュークやカオスとか……」
彼女は頭を掻き毟しる。
「私は望んでいない、こんなこと」
乱れた髪のまま俯き、頭を垂れたまま彼女は沈黙した。
逆光だった光が弱まり、目の前の女性がはっきりする。
「カレン、王妃」
美しかった。白く細い指先、腕が口元まで軽やかに延び、流れている。微笑みが優しかった。
まるでアデンの出で立ちのモデルがそこに有るように、純白のレースのドレスを着こなし、頭のティアラが輝いている。
「……本当に私は、カレン王妃の……、あなたの娘なの」
眼前の笑顔が答えだ。璃緒の瞳から幾筋もの涙が流れて落ちて、やがてそれは嗚咽に変わる。
「ごめんね、リオン。ずっと側にいてあげれなくて」
淡い光は璃緒の頭を撫でる格好をした。その透き通る光の手に彼女は必死に触れようとする。
「何故、死んだの。何故、生きて、逢ってくれなかったの」
「そうしたかった……。ずっとそうしたかったのです」
王妃の空を切る手を探るの止めて、璃緒は唇を噛んだ。
「カイザル星で何があったか、知ってる。クルス……、カイザル星の生き残りの人の話を聞いた」
「そうですか」
「みんな、あのザベリン王が。征服者がいたから、あんなことになったんでしょ!」
感情を露わにした璃緒は両手で拳を作る。
「それは違います。ザベリン王は誰よりもあの星を助けたかったのです」
「嘘、嘘、嘘! ザベリンは非道な征服者って、その人が言ってた! あの星は征服されて、そして破壊されたのよ!」
声を荒げる璃緒は勢い立ち上がる。淡い光のホログラフのカレン王妃を通り抜けた。
「聞きなさいリオン。カイザル星と交渉していたのは、この私です。それは王の願いを受けて、志願したことでもあったのです」
「で、でも、それで、王妃は亡くなってたんでしょ。ザベリンが何もしなかったら、あなたは死んでいなかった。だから!」
振り向いた彼女が見たものは王妃の微笑む表情、『百瀬君子』と同じ、全てを包み込む母の姿がそこにある。
「あ、嗚呼!!」
憤った拳の行き場に困り、璃緒は下げるしかなかった。
「また、カラトバの時と同じことを言ってる……、自分の都合ばかり」
「リオン、あなたは見えないものに怯え、不安を抱いています。あなたの置かれた状況も理解できます。しかし今はもう自覚、そして覚悟しなければなりません。それはあなただけのためではありません。これからの地球の未来のためでもあるのです」
「……地球の未来」
「そうです、リオン。あなたは地球と交渉するのです。地球上のあらゆる生物を慈しみ、尊び、それらの生活を守ること」
王妃の言葉は柔らかいが、信念の強さの口調だ。
「あなたには地球上の全ての生命を、未来を守る義務があります。だからこそあの星にいたのですよ」
「カイザル星の時もその気持ちだったの、ザベリン王も」
「あなたの本当の真実を見抜く瞳を開かないと、何も変わりはしません」
璃緒の足が震えだした。戦慄は唇に達する。
「進むのです、リオン。未来はあなたに掛かっている」
その言葉に璃緒は両手で自分の肩を抱き、腰の力が抜けしゃがみ込んだ。
「あなたは、ザベリン王の娘。私の娘」
必死で震える口を閉じようとする。
「そして、百瀬家の娘」
「お母さん!!」
思わず、璃緒は叫んだ。




