その9
璃緒の大きな叫び声とともに宇宙は瞬く間に通り過ぎ、星たちが放射状に伸びて、やがて空間は捻れた。
「は、吐く……」
彼女は腰が砕け、立っていられない。四つん這いになりながら、胸からこみ上げるものを堪えている。
「おいおい、アデン。君とあろう者がジャンプが初めてじゃないだろう」
オートメーション化されている操縦席からカラトバは、不思議な顔をしていた。
「得意じゃ、……ないから、絶叫系」
「ゼッキョウ系? ここは太陽系じゃないのかい」
「そう、じゃ、……なくて」
「まあ、いいや。あと一時間で、太陽系を抜けるから」
蹌踉めく璃緒は椅子に向かう前に倒れた。口から泡を吹いている。
「おかしいな、幼い頃の君は僕と競ってどんなスピードも、こなしていたはずなのに」
速度は静かに加速し、次々とワームホールを抜けていった。
高速巡航艦『シュナイダー』のエンジン音が、遠退いた時だった。
「予定通り、ジャンプ終了。アデン、太陽系を抜けたよ。アデン?」
操縦席の後ろで、白目を向いた璃緒は倒れたままだ。
「おい、しっかりしてくれよ」
カラトバは璃緒を抱き起こし、担いで席に座らせる。
「君らしくないな。宇宙飛行の経験は随分あるはずなのに。これじゃ、まるで素人だ」
彼は文句を言ってるが嬉しそうな声だ。胸のポケッ卜からハンカチーフを取り、口元の泡を拭いながら、横顔を眺めている。
「昔の約束を、君は本当に忘れているのかい」
カラトバは額の乱れた茶髪を指で整えた。吹き出している汗をハンカチーフで拭う。
「しかし、随分伯母似だな。目元なんかそっくりだ」
彼は服のボタンを二つ外し、首筋から肩に向かって指を沿わせた。
「ここに丁度、黒子があるんだよな」
左鎖骨下に向かい彼は呟く。だが、それらしきものは無かった。
「……あれ? 記憶違いだっけ。確かに子供の頃、見たはずなのに。待てよ、もう少し下だっけ」
カラトバがもうひとつボタンを外そうとした時、突然璃緒の瞳が大きく見開く。無意識に殺気を感じ取ったのか。
「やあ、アデン、気分は……」
次の瞬間、彼女は反撃していた。蹴り上げた大腿が彼の股間を直撃している。
「あんたたちの星は、一体どんな躾されてるのよ!」
そう言うと、悶絶するカラトバをもう一度蹴り上げた。
「女子が気を失ってる間に、服のボタン外す!?」
彼は宙に浮き、壁に当たる。
「き、君は、ここまで、過激だった、け……」
今度はシュナイダーの操縦者が気を失った。
*****
「やはり、リオン姫が間違われましたか」
リュークは、もぬけの空となった病室を眺めて言った。床に落ちている白い病衣をベッド上に乗せる。そこには、投げつけられたクッションもあった。
「カラトバは、昔から早合点しがちな奴だからな。置いておいた青い服をリオンが着たのだ。その服は元々カラ卜バの貢ぎ物だったからな。こちらに向かう直前に送られてきたのだ。うっかりここに置き忘れていたのを、まさか着るとはな」
目を丸くして、リュークはアデンの顔を見つめ直す。
「で、では、カラトバ殿は自分の贈った服を着ていることでも、間違った可能性も」
「あ奴の好みは、性に合わんからな。リオンにくれてやったのだ」
「アデン姫とリオン姫は双子ですから見分けがつきません。顔と服が一致しておれば、間違っても仕方がありません。どこまで行ったのでしょうか」
アデンは指を立てる。
「行き先は、おそらくアイリス星だ」
リュークは手を止めた。それが拳を作る。
「アイリス星……」
「星には、お母様の……、王妃の聖櫃がある」
彼女の顔が少しだけ歪んだ。
「カラトバ殿は、その聖櫃に何用なのですか?」
「その前である呪文を唱え、何も変化がなければあ奴の勝ち。で、奴の言うことを何でも聞く、と言う幼い頃の戯言だ」
「呪文? そのような伝承ごとは聞いたことがありませんが」
不可解な顔して、リュークは顎を手を当てる。
「もし勝ったカラトバ殿は、アデン姫に何を求めるのでしょう?」
「あ奴は、常にわらわに求愛しているから、結婚とかな」
アデンは腕を組む。
「は?」
腰が砕けて、座り込みそうにリュークはなった。
「わらわとしては、幼き頃のままごと遊びの台詞だったのだが」
「カラトバ殿は、それを信じておられるのですか」
男の額に汗が滲んでいる。
「流石にあ奴も、莫迦ではない。子供の戯言であると知っておる、筈だ。多分」
「しかし、リオン姫を連れて行かれました」
「まあ……、そうだな」
アデンの頷きに、リュークは幾分複雑な顔にった。
「まだ姫の体調も万全ではなく、ましてや初めての宇宙飛行はかなりの負担です。アデン姫、我々も追いかけましょう」
「わかった。わらわのフィリップ艇で行こう」
アデンはピンクのスマートフォンを胸の袋に納めた。
「アイリス星まで、フィリップ艇の小型艦では少々時間が掛かります。シュナイダーは高速巡航艦、すでに太陽系を出ていることでしょう。我が艦で周辺地域まで行き、身動きの取れるフィリップ艇はそこで分かれるというのはどうでしょうか」
「しかし貴様が離れて、地球にいる者は残しておいてよいのか?」
彼女は心配そうな顔をする。
「お心遣い、身に染みます。しかしながらご心配には及びません。我が艦以外は無人艦です。有事には適切に働くようにプログラムされています。また姫に関係する地球の御人においては、カオスと関口が守ります。カイザルのクルスには、もはや戦意はないでしょう」
微笑み、そして深く頭を下げた。
「カオス、セキグチか。カオスを殴打できるサキも居いたな。よし、仕度じゃ」
「御意」




