その5
暗い闇に身体が落ちていた。
黒い背景に時折、青光が刺す。そしいて赤い、まるで鮮血のようなものが辺りに飛び散っていた。心臓の鼓動が高鳴ると同時に、体中の血管に異物が入って移動している。息苦しさと悦楽の中で何かが変わっていくような気がした。
覚醒。
遠くから何かが聞こえてきた。自分の名前を微かに呼んでいる。
……ン、……オン、……ッオン
気が遠のいていく。力を振り絞って、飛び出した。体が軽い。どこまでも飛んでいける。
何かが見えた。光のようなもの。出口のようなもの。
薄く目を開けると雨が降っている。灰色の雲は空から重くのし掛かり、雨風が強い大荒れ天候だった。
体はいつの聞にか地上に降りていた。地面から跳ね返る雨は、足元を透けて通り過ぎる。
そこは璃緒にとって、とても見慣れた一戸建ての家だった。玄関から入って一階の廊下を突き当たりまで行くと右に客間がある。途中の階段を上がると二部屋あって、左側は自分の部屋だ。
「ここは、私の家」
玄関のノブを掴もうとしたが、透けて無理だった。扉に手を当てると難なく通り抜けることが出来る。璃緒はそのまま進んで行く。
客間から話し声が聞こえていた。そっと覗くと、テーブルを挟んで人がいる。若い両親と女性だ。その女性の出で立ちは、まるでアデンのように白装束に、眩しいくらい煌めくような王冠、装飾物で着飾られている。地球人でないことは明らかで、大人びた落ち着きは、自分よりもずっと上だ。
「お父さんやお母さんが若すぎ。いつの記憶なの、これ?」
ダイニングにあるカレンダーを見た。
「十七年前。生まれた時のこと? これは誰の記録?」
その両親の前に座っている女性が深々と頭を下げた。光太郎は慌ててそれを制止させ、自分が頭を下げている。その行動は思い返せば、いつも見いてる光景だった。璃緒は少し笑えた。
背後から璃緒の横を若い青年と、中年の男が通り過ぎる。慌てて身を隠したが気付いている様子でもなかった。
「気付くはずがない。ここに、いないのだから」
その二人に目を凝らすと、青年に見覚えがある。
「まさか……」
二人は客室の入り口前で躓く。深く頭を下げていた。
「王妃、準備が整いました。いつでも離陸可能でございます」
振り向いた美しい女性は、頷く。
「それでは、十七年間、よろしくお頼み申し上げます。光太郎様、君子様」
畏まって、再び両親は頭を下げた。
「王妃。急いで参りましょう、追っ手が近づいております」
年輩の男は、彼女を促す。
「追っ手?」
璃緒は振り返った。青年は荷物を持ち上げ出ていく。客間に残された両親は、白い布にくるまれたものを大事そうに持ち上げる。
「それって……」
青年と出ていく王妃は廊下を立ち止まり、振り向く。白い布から小さい白い手が出た。王妃は急いで戻り、その手を優しく包み、頬に当てる。
「それって……」
「王妃、カレン王妃! 敵艦隊がすぐそこまで、来ています! お早く!」
やがて王妃は、その手を放した。
「ごめんね。一緒に居てやれなくて……」
幾筋の涙がこぼれ落ちる横顔が、璃緒の前を通り過ぎていく。彼女も後を追った。家の前に緑色の円がゆらりと現れる。璃緒も知っている装置だ。
「転送装置。じゃあ、あれは」
空に黒い陰が浮いている。明らかに地球上ものではない。
「リューク! 早くするのだ! これ以上は王妃を危険に晒してしまうぞ!」
璃緒は振り返る。
「は! ルン大佐! では、カレン王妃」
若い戦士は装置まで王妃を誘導し、そして二人とも消えていく。
「リューク。前に来てたのね」
雨足が酷くなってきた。
「カレン、王妃……」
その時空に閃光が走り、大きな地面を揺るがす程の衝撃が襲った。璃緒は空を見上げる。光太郎が家から飛び出した。足元も何も履いていない。降りしきる雨の中、彼もじっと空を見つめた。
「あの娘は、リオン姫は、必ず、立派に育てて見せます」
璃緒の目の前で光太郎は目を閉じ誓っている。
大粒の雨が何もかも洗い流していった。彼の足元には、跳ねた泥がいくつも付いている。
「……お父さん。私はリオンなのね。一体、誰がこれを見せているの……」
更に雨が急に強まり、辺りが暗くなってきた。全てが無くなっていく。璃緒はゆっくり目を閉じた。全てが静かな闇に包まれていく。




