《禁忌の森》の子
《禁忌の森》で見つかった謎の男のことで村がざわついている中、私はバルロブさんと酵母菌を作ったり、果物での酵母菌の試作をしたりしていた。
そんなことをしている間に、川を調べていたレギンたちが戻って来た。川を調べた結果は、どこの川にも異常はみられなかったと言うことだ。これで、家の近くに流れている川が温かくなったのは、温泉の水が溢れて合流しているから、川の水が温かくなっているのだと言う案に落ち着いた。
後は、何故、温泉の水が増えたのかと言うことだ。
私がここに来て7日目だが、体感できるような地震は無かった。レギンやアーベルに聞くと、地震は過去に経験しているが、ちょっと揺れるくらいで、大概の人が気づかないものらしい。それが、ここの所増えているわけではないそうだ。
ならば、取りあえずの危険が無いと思えるのだが、北の山の状態などを見ないとハッキリ解らないし、もしかして、地中深くで何か起こっているのでは、なかなか異変に気がつくのは難しと思われる。ただ、北の山の形状を見ると、噴火した場合に、マグマが流れてくるよりは、火砕流と火山性のガスに注意した方がよさそうだ。
ならば、実際に噴火したとして、注意すべきは、川で土石流が発生して、火砕流が降り注ぐ。これはこの村に直接降り注ぐのか、それとも灰だけで終わるのかは神のみぞ知るという所だろう。大きな石なんか頭に当たったら、怪我では済まないのだから。
「じゃぁ、とりあえずは地震が多くなったりしたら、要注意なんだね」
「うん」
「そっか、僕は山が噴火するって、いまいち良く解らないよ」
「そうだね、実際に見るのと聞くのは、どんなことでも違うよね」
みんなは、椅子に腰掛けて砂糖入りの冷えた牛乳を飲み、レギンと私はバルロブさんの入れてくれたハーブティを飲みながら、川が温かくなった件について語り合った。
「でも、エルナはそんなこと、何処で知ったの?」
ブロルの質問だ。まぁ、こーゆーことを聞けるのはブロルくらいだろう。レギンとアーベルは、可笑しい可笑しいと思いながら、そのことに踏み込むことを躊躇しているのは感じていた。
「ええ〜っと、それは」
「別にそんなことどうでもいいよ」
私がせっかく答えようとしていることに、何故だかダニエルがブロルの質問を蹴り飛ばした。アーベルあたりが言いそうだとは思ったが、まさかダニエルだとは思わなかった。
「ダニエルだって、不思議だって思っているんだろ?」
「そんなこと関係ない、エルナはエルナでそれでいいじゃんか」
「いや、そんなこと言ってないって」
ブロルとダニエルがにらみ合う。え〜っと、ダニエルくんは私について何か知っているのか?
まぁ、いつかは聞かれるだろうと思っていたし、本当はオリアンに行った初日に、レギンとアーベルには話しをしようと思っていたのだ。
ただ、真実をどこまで話すのか、全てを話してしまってもいいかと言うことだ。あまりにも荒唐無稽で、そのせいで、全てが嘘のように聞こえてしまうのはとても嫌なのだ。だから、話しながら、一番嘘のような私の世界のことを話すか話さないかを決めることにした。
「ダニエルもブロルも喧嘩をしないで」
「だって」
「ブロルの言いたいことも解るし、ダニエルが優しいのもわかっているよ」
「なっ、別に俺は……」
「でもね、これは、最初にレギンとアーベルに話すって決めているから、ダニエルとブロルとニルスにはその後に話すね」
「……べっ、別に俺は聞きたくない!」
バーンと椅子を倒して立ち上がったダニエルは、ヨエルの腕を引っぱって椅子から降ろすと、とっとと家から出てしまった。その後を何事も無かったようにニルスが着いて行く。そして、ブロルは溜め息をついて椅子から立ち上がった。
「別に、エルナが話したくないって言うなら聞かないさ」
膨れっ面でそう言って、ブロルも出て行ってしまう。後ろ姿に、「気にしてないよ」と声をかけても、立ち止まったりすることはなかった。
せっかく仲が良いのだから喧嘩なんかしてほしくないし、意見の相違があったら、ちゃんと話し合って欲しいものだ。
「さて、レギンとアーベルに聞いて欲しいことがあるの」
「うん、でも、無理して話すことはないよ」
「エルナがしたいようにすればいい」
「うん、ありがとう……早く言えば、私は《禁忌の森》でレギンやアーベルに助けられる前の記憶は、何一つ覚えていないし、何も思い出してないんだ」
「クイネになんで追われたとか、どこから《禁忌の森》に入ったとか、まったく覚えていないの?」
「うん、私の一番古い記憶は、《禁忌の森》で、四つん這いになっていたことだよ。そのあと、体が持ち上げられたと思ったら、レギンにぶん! って投げられてた」
「うわぁ〜……、そんなことあったね。兄さんと森が騒がしいんで、入ってみたら、地面に四つん這いになっている女の子がいて、後ろからクイネが迫っていたから、その時からの記憶なんだ……」
「ああ、そうだったな」
「私、クイネなんて魔獣に追われていたとも知らなかったよ」
「そうなの?」
「うん、前に転んだんで、手を付かなければって思ってた。ああ、これが一番古い記憶になるのかな」
「そっか……」
アーベルは、ゆっくりと息を吐いた。
「それで、私が色々なことを知っているって話しはね、《禁忌の森》でレギンたちに出逢う前の記憶なの」
「えっ?」
「でも、その時は、私はここじゃない場所で、違う体だったの」
「????」
アーベルは私の言ったことに、当然反応できずに眉間に皺を寄せる。レギンも同じような表情で、私の言葉をただ待っている。
「そこでは、雪が積もってて、誰かに押されたの、前に倒れ込んだらそこは《禁忌の森》だった」
うんうん、その表情は予想していたよ。言葉の内容は理解できるのにって顔だ。
「アーベルが、今まで知らない子供になっているってことは解る? それで、その子供のいる国が違うってこと」
「い、意味は解るよ、でもそれって……結局どういうことなの?」
「え〜っと、体だけ変わってしまったってこと……かな?」
「じゃぁ、今のその体は誰のものなの?」
「それが、この体の前の持ち主の記憶がまったくないの。私が、気がついたのが、さっき話した所からの記憶だから、《禁忌の森》に何故入ったのか知っているのは、この体の子供の記憶にしかないんだけど……」
「……そのブレスレッドの持ち主である『エルナ』は、どこに行ってしまったの?」
「……それが解らないの……前の私の体に入っている……ってことあるのかなぁ……」
「エルナの前の体って……」
「どうなっているのか解らない」
「それは、どこの国なの?」
「それは……説明しずらいのだけど、ここの世界ではないの」
「ここの世界って……なに?」
そうだよね、そこを説明するのが難しすぎるよね。「ここの世界ではない別の世界」という認識が生まれたのはいつのことだろう? ライプニッツだったっけ? 18世紀くらいになるのかな……。いや、子供に聞かせるおとぎ話は、すべて「ここの世界ではない別の世界」になるよね。
「人が認識できる空間の総称を『世界』って言うのはわかる?」
「ええ〜っと、認識できるって言うのは、川や山とか、動物や植物とか?」
「こんな形の生き物たちがいて、人間という生物が村や町、王国を作って、みんながそれぞれ仕事をして、子供を産んで育てて、歴史を繋げていくそんな大きなことから、細かいことまでの全てのことだね」
「解った、とにかく何から何まで、全てのことか……」
「でね、この世界には魔獣がいるけど、その魔獣がいなくて、あとはこの世界とまったく同じの世界があるとしたら、それは別の世界になるでしょ?」
「じゃぁ、エルナはそんな場所にいたの?」
「この世界と同じものは少ないけどね」
「少ないの?」
「うん、まず、魔獣はいないし、魔法も無い世界だよ」
「ヒツジはいるの?」
「いるよ! もっといろんな種類がいて、あんなにもこもこしてないし、もっと草をよく食べる」
「ウマは?」
「ウマはもっと種類がいて、こーんな小さいウマから、重量馬と言われている種類の馬は、腰の高さは、レギンの身長よりあって、足もこーんなに太いよ」
「ええ〜、想像できないなぁ」
アーベルの興味は、動物に移っていった。結構重要で、衝撃的な話しだと思うのに、この反応はなんだろう?
私はね、アーベルくん、かなり覚悟してお話しをしているのだよ。気味悪いとか頭が可笑しいとか思われて、追い払われたり、最悪は殺されそうになるのかもしれないと思った。いや、思っただけですよ、この2人は、理由も解らずに不安だからといって、理解のできないものをむやみに恐れないと思っている。
「エルナは、別の世界から来た人だけど、体はここの世界の子供だと?」
レギンは要約して言い直してくれた。そして、完璧な認識力だ。
「そうです」
「……」
「……」
2人とも黙ってしまった。
そう、その次の反応が知りたかった私は、今、ドキドキの最高潮です。
「う〜ん……」
アーベルが、突然唸ったかと思ったら、自分の頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
ああ、その仕草は、面倒で困った問題が発生した時にやるよね。
「レギン、アーベル……私のこと気持ち悪い? 不気味?」
そう問うと、2人とも驚いた顔をして否定してくれた。ちょっと安心だよ。
「やっぱり、エルナはアルヴィース様だったんだよ」
「アーベル?」
「最初からそうじゃないかって思ってた。だって、子供なのに不安そうな感じもしないし、感情的にしゃべらないし……ヨエルですら、興奮して話していると、何を言っているのか解らないことが多いからね」
「私もその可能性を考えたけど、グレーゲル先生の話しでは、その賢者様になる子供たちは、王都で育てられているんでしょ? 私、自分で逃げて来たとは思えないもの。もしそうなら、その計画には大人が絡んでいるんじゃないかって思うの」
「そうだな、エルナを《禁忌の森》で見つけた時も、森で彷徨っていた感じはしなかった」
「兄さんは、エルナがアルヴィース様じゃないかと思ったことはないの?」
「思っていたさ……最初から……」
「ど、どうして、兄さんは何も言わなかったじゃないか」
「口に出すと、本当のことになりそう……だからかな」
「……」
「私が、アルヴィース様だと困るの?」
レギンは、アルヴィース様だと思っていたが、それを語らなかったと言う。でも、私の疑問に答えてくれたのは、アーベルだった。
「エルナが本当にアルヴィース様だとしたら、王都に行かなきゃいけないんだよ。だって、アルヴィース様はこの国に知識をもたらすためにやってくるんだから……」
「ええ〜! そんなの嫌だよ」
「だからさ、僕はアルヴィース様だって思ったけど……本当にそうなのか、考えたり聞かないようにしてたんだ……」
「そっか……」
アーベルもレギンも、それぞれでいろいろ考えたりしていたんだなぁ。
「それでね、私がもう1つアルヴィース様じゃないって思ったのは、アルヴィース様っていう存在が、私のようななことが起こって、アルヴィース様になったとしたら、その人たちは、何かのプロフェッショナルだったんじゃないかと思うの」
「ぷろふぇっしょなるってなに?」
「え〜っと、専門家という意味かな。この世界も、鍛冶職人や先生や村長みたいな仕事があるように、私の世界でもあるの。前に、アルヴィース様で動物に詳しい人がいたって言ってたよね」
「ペッテル・アルヴィース様だね」
「その人は、私の世界では獣医だったと思うの」
「たしかに、ペッテル・アルヴィース様がウシやウマなんかの学校を作って、獣医って言葉もできたって言われているよ。その学校を卒業した人を獣医って言うしね」
「でもね、私は特に何か教えられるようなことは無いの。だから、アルヴィース様だって言われると困っちゃうんだよね」
深い溜め息をついてしまった。アルヴィース様は、この世界に望まれている。柔らかいパンが世界を席巻しても、影響はたいしてあるとは思えないのだ。そもそも私は、編集者であって、この世界に編集者が必要だとも思えない。アーベルの家には数冊の本があるが、どれも羊皮紙である。アーベルの植物紙のメモ帳は、かなり高い商品なのに驚いたのは、つい数日前のこと。
最大の問題は、私にはこの世界の文字の読み書きができないのだ。
「あのさ、この世界にやってくるアルヴィース様は、読み書きはどうしているの?」
「えっ?」
「私、アーベルとレギンがしゃべっている言葉は解るし、話しもできるけど、読み書きができないの」
「う〜ん、アルヴィース様のことはそんなに詳しくは知らないけど、そんな話しは聞いたことはないなぁ〜」
「私、アルヴィース様だとすると、もの凄く不完全じゃない?」
そうアーベルに問うたつもりだったのに、答えたのは意外にもレギンだった。
「エルナは、俺達にとってはどの方にも負けないくらい、立派なアルヴィース様だよ」
ぽつりとは言いがたい長い答えだったが、憤るわけでもなく、喜ぶでもなく、淡々と吐き出されたような言葉に、何よりもレギンの気持ちが籠っているようで、ちょっと感動した。
これが、普段は多くを語らない者の何気ない一言なのだろう。
「もうさ、エルナはアルヴィース様って考えるのは止めたよ。本当にそうだったら、王都から布令があるはずなのに、それもないのは、ちょっと可笑しいと思うし」
「そうだな……じゃぁ、俺は村長の所に行ってくる」
「えっ、え? いいのそんなんで」
「だって、別に今まで通りじゃないか」
「えっ? 不気味じゃないの?」
「なんで!」
「だってどこの誰とも解らなくて、変なことをいろいろ知っていて、全然子供らしくないんだよ?」
私が慌てるのを他所に、レギンは椅子から立ち上がって言った。
「それを言ったら、初め会う者すべてそうだな」
「あははは、そうだよね。それにさ、俺達にとっては、エルナがどんな子なのか知っているんだから、それ以上でもそれ以下でもないよ。急に不気味に思えってほうが、無理だよ」
レギンとアーベルはそう言った。その上、アーベルは両手で私の頬に触れると、遠慮なく手を上下にむにむにと動かした。
ふむ、この村の人全般に言えるのだが、人が良すぎるぞ!
やはり、話さなければならないと確信し、そして話してよかったと思った。
「レギン、アーベル待って! もっと重要なことがあるの」
私がそう言うと、2人は立ち止まった。
人の良いこの村の人たちは大好きだけど、それで傷ついては欲しくないのだ。何故、私がこれほどすんなりと、私の正体を話すことに抵抗や誤摩化すことをしなかった最大の理由は、《禁忌の森》で見つかったあの男についての推測を話さねばならないと思ったからだ。
「あの森で見つかった人、私には記憶がないけど、私に関わる人だという可能性があると思う」