断章 白い太陽
白陽の間には、三百年、夜が来ていない。
聖都のいちばん奥。白い石の回廊をいくつもくぐった、そのまた奥にある、丸い天井の広間だった。窓は、ひとつもない。燭台も、ひとつもない。
要らないのだ。
祭壇の上に、光が浮かんでいた。
大人が両腕を広げても抱えきれないほどの、白い光の球だった。三百年前に開祖が遺した光だと、教会は教えている。それから一度も、沈んだことがない。
ゆっくりと、息をするように膨らんでは、またしぼむ。
白い太陽――と、聖光教会の者は呼ぶ。《白陽》という呼び名も、この光から来ている。
光は、春の真昼のように温かかった。床にも、壁にも、柱の根もとにも、影というものがない。祭壇の前に膝をついた老人の足もとにさえ、影は落ちていなかった。
教皇は、祈っていた。
骨の浮いた、小柄な男だった。白い衣の袖からのぞく手首は、枯れ枝のように細い。いつから、この光の下で祈っているのか。数えるのは、とうにやめていた。
教皇は、一度も泣いたことがない。
幼いころのことは、よく覚えていない。覚えていないのなら、それは、泣くほどのことではなかったのだろう。
光の奥に、ときおり、何かが見える気がする。
目を閉じているときのほうが、よく見えた。
白陽の聖女を、初めてこの広間に連れてこさせた日のことは、覚えている。
淡い金色の目をした娘だった。北の山奥の、異端の村から、光に選ばれて連れ帰られた子だと聞いていた。
娘は、白い光を見上げて、笑った。
怖がりもせず。泣きもせず。
開祖のあとに現れた、二人目の白陽だった。
広間の入り口で、衣擦れの音がした。
白い衣の侍祭がふたり、ひとりの男を入り口まで導いてきて、音もなく下がっていった。侍祭たちは、にこにこと笑っていた。
男は、白い床に額をこすりつけた。金糸の法衣の、肥えた男だった。
王都の大聖堂から呼び戻された、司教だった。
この広間に入るのを許されたのは、初めてなのだろう。冬だというのに、額から汗が、ぽたぽたと床に落ちている。片手で、胸の白銀の太陽を、手巾ごと握りしめていた。
「……げ、猊下」
上ずった声だった。
「王都に、夜が、来ました」
教皇は、目を閉じて、聞いていた。
「冬至の夜に……地の底の、神殿の祭壇から、夜が昇りました。王都じゅうの者の胸に、星が灯り……聖女さまの白い祈りは、破られ……」
教皇は、まぶたを閉じたまま、穏やかに微笑んだ。
「三百年、来なかった夜が――二度、か」
司教の喉が、ひくりと鳴った。
「それから……白陽の聖女が、泣きました」
教皇は、目を開けた。肩ごしに、入り口を振り返る。
「……泣いた、か」
「は、はい。……子供のように、声を上げて」
司教は、額を床につけたまま、肥えた肩を震わせていた。押し殺した嗚咽が、白い広間に、小さく響いた。
教皇は、その背中を、しばらく眺めていた。
めずらしい鳥でも、眺めるように。
司教は、手巾で顔を拭った。
「聖女さまが泣かれると……お背中から立ち上がっていた、顔のない白いものが、崩れて……雪に……」
教皇は、何も言わなかった。
背後で、祭壇の上の光が、ひとつ、大きく息をした気がした。
「祭壇から夜を昇らせたのは、あの闇司祭でございます。……あの男の光は、白うございました。闇神教には、鏡を白く燃やした男がいる、と――」
「白い闇司祭、か」
教皇は、祭壇の上の光を、振り仰いだ。
開祖が鏡を白く燃やしたことは、書庫のいちばん奥の、三百年前の書に記されている。その書を開いたことのある者は、聖都にも、ほとんどいない。
「……開祖さまと、同じ色だそうだな」
司教の肩が、びくりと跳ねた。
「も、申し訳ございません……わ、私は、騎士団長に、開祖さまのことを……」
「かまわぬ」
司教が、息を呑む気配がした。
それから、おそるおそる、声が続いた。
「猊下。あの男の手配を、取り下げよとのお指図は……」
「追わずともよい」
教皇は、組んでいた指を、ゆっくりとほどいた。
「白は、白を呼ぶ」
司教は、何か言いかけて、口をつぐんだ。
やがて、かすれた声で、言い足した。
「……聖女さまは、お指図のとおり、北の修道院へ」
「そうか」
二十五年前の冬、北の谷に降ったという雪のことを、教皇は聞いている。
あたたかいのに、溶けない雪だという。
教皇は、光を見上げたまま、ひとりごとのように言った。
「北の村は、まだ、雪の中か」
司教が、顔を上げた。何のことかわからない、という顔だった。
教皇は、もう、司教を見ていなかった。
白い光の奥で、顔のない何かが、穏やかに、どこまでも優しく、微笑んだ。




