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異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-  作者: 鹿紅 順


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第一章 第8話「〝鬼蜘蛛〟のジャガン」

 突如響き渡った男の声。


 咄嗟にブレードの柄を掴んだ努力も空しく、リンの全身は何かによって拘束されてしまう。


「くぅっ、これは……!」


 体を締め付ける感触と空中で反射する光の筋を見て、リンは己を縛り付けるものがワイヤーであるとすぐに見抜いた。

 横に目をやれば、ビカムの体にもまた同じようにワイヤーが絡みついている。リンが抜刀しようとした最中無理矢理動きを封じられた不格好な状態であるのに対し、ビカムは立ち尽くした姿勢のままだ。つまり一切の抵抗なくワイヤーに囚われた事を示している。


「ククク……待っていた甲斐があったよ。こういう状況を説明するおあつらえ向きの言葉があったな。そう、〝飛んで火に入る夏の虫〟だったか」


 声は頭上から響いてきた。

 天井を摩するほどの棚の頂上……そこに蠢く不気味な影。


 リンと同じく強化外骨格で全身を鎧った姿。

 昆虫の頭部を思わせる意匠のヘルメット。

 極めつけは背中……脊髄に沿うように左右に伸びた禍々しい三対の節足。それはキチキチと小刻みに動き、決して飾りではないことを教える。

 おそらく神経を流れる電気信号を体外から読み取り駆動するタイプの義手義足。外科手術なしで装着できる軍用補助碗に違いない。でなければ説明がつかないほど、形状は鋭さと物々しさを帯びていた。


 二本の腕と六本の補助碗を伸ばし、重力を無視してアングル棚を縦横無尽に這いまわるその姿は――


「蜘蛛……⁉」


「正解!」


 身動きできないビカムとリンを得意気に見下ろす者。


「誰⁉ 貴方はいったい何なの!」


「その問い、馬鹿正直に答えると思うか?」


 空中に張り巡らされたワイヤーの上に直立する男。


「――だが! 俺様はあえて答えてやろう。そう、〝冥途の土産〟というやつにな」


「……(教えてくれるのか)」


 男が快哉を叫び両腕を広げるのと追随するように補助碗が広がった。さながら舞台俳優のごとき振る舞いだ。


 そう、ここはまさしく舞台。

 殺戮の網が張り巡らされた、彼という主演の独壇場である。


「俺様は〝鬼蜘蛛〟のジャガン。短い付き合いになるが、以後良しなにだ」


 謎の男――〝鬼蜘蛛〟のジャガンと名乗った人物は空中をさも足場があるかのように下りてくる。彼が一歩踏み出すたび、たわんだワイヤーが光を受けて一瞬の光の線を描いた。


「あの死体は貴方の仕業なの……!」


 リンが睨みつけながら問いただす。


「御名答」その眼の前で、ジャガンは胸に手を当てながら腰を折る。「熟練の暗殺者である俺にかかれば、ジジイ一人なんて瞬きする間に片が付くが、それじゃあ面白くない。追い詰めて、追い詰めて――逃げ場がなくなったところであの世に送ってやったわけよ」


(ひどい――!)


 リンは歯を食いしばり、怒りの声をグッと抑えつけた。自分が声を上げれば上げるほど男が悦に入るだろうことは容易に想像できたからだ。

 代わりに口をついたのは「どうしてこんな事を」と犯行の動機を問う言葉だ。


「そうそう、それさ。俺様が慈悲深くもまだお前たちを生かしている理由は」


 ジャガンのヘルメットに隠された鋭い双眸がビカムとリンを射抜く。


「お前たちも、この店が仕入れた〝例のモノ〟を目当てに来たんだろう?」


「〝例のモノ〟……?」


「ハッ、とぼけやがって。嘘はよくねえな」


 ジャガンが左の掌を握り込む。

 動作に連動してワイヤーがギリギリと音を立て、リンの四肢を可動域の限界近くへ無理矢理に曲げる。


「ううぅ……ッ!」


 たまらず零れる苦悶の呻き。


「いいぜ、俺様も暇してたところだ。我慢比べといこうか。お前が()を上げるか、俺が我慢できずにお前の体を知恵の輪みてえに曲げちまうか、意地の張り合いといこうじゃないか」


「う、あああああッ‼」


 さらに力が強まり、リンの額に冷や汗が浮かぶ。


「……その娘は、何も知らない」


 ――呟きは小さいながら、はっきりとジャガンの耳朶を打った。


その娘は(・・・・)、か」ジャガンの好奇が初めてビカムに向けられる。「どうやら俺は質問するべき相手を間違えてたようだな。この女の代わりにお前が()いてくれるというわけだ」


「……俺が正直に答えれば、この娘を無事に解き放つか?」


「ああ、勿論――ダメだね! その女もこの現場を見ちまったからには生かして返せねえ。余計な事を喋る前におっ()んで貰うぜ。そう、〝死人に口なし〟とはまさにこの事!」


「……そうか。それはよかった(・・・・・・・)


 ビカムはそこで言葉を切り、


「――貴公の命を奪っても、心が痛まずにすみそうだ」


 途端、彼を戒めていたワイヤーがたわみ、力なく床に落ちた。


 縄抜けのような奇術の範疇を超えている。まさしく魔法(・・)と呼ぶべき現象であった。

 ジャガンが驚きに目を剥いたのが気配で伝わってくる。しかしそれも一瞬。

 三対の補助腕が蠢き、張り巡らされたワイヤーが命を吹き込まれたように死の包囲網を描きだす。


「ぐっ、こ、コイツ!」


 ――だが、迫り来る蜘蛛の凶糸を、美貌のエルフは華麗に避けていた。


 目を凝らさなければ見えないような細いワイヤーを時に伏せ、時に跳躍し、コートの端すら裂くことなく鮮やかに回避する!

 それはもはや舞踏だった。

 大胆かつ繊細に世界へ身を躍らせる姿は、指の先まで姿勢を意識するプロのダンサーもかくやである。


 捉えられない――ジャガンは確信した。

 ならば……


「動くな! さもなくば女を、」


 ――黄金の軌跡が、鋼鉄の線を断ち斬る。


 リンの戒めは解かれていた。いつの間にかビカムの手には黄金の剣が握られている。

 バカな、とジャガンは目を剥いた。抜き放つ素振りなどまったくなかったというのに。


 驚くのも無理はない。

 ビカムの相棒、黄金の剣――霊剣フェーレは実在と非実在を行き交う。

 いかに空手に見えようとも、ビカムの指は常に霊剣の柄に掛かっている。そしてビカムの意志に感応し顕現するのである。


 ジャガンの背筋を名状しがたい感覚が走り抜ける。熱く、冷たい、危険を知らせる信号が。

 だが、その感覚を彼は怖れと共に飲み込んだ。この者もまさにプロの凶手。冷静さを失った者から死ぬ戦場の掟を熟知している。


 形勢は均衡に戻ってしまったが逆転されたわけではない。戦闘環境はジャガンに有利に働く。林立するアングル棚は糸を掛けてくださいと言わんばかり。〝鬼蜘蛛〟の名のとおり網を張り巡らせ相手を絡め取る戦法に好都合なのだ。

 動けなくしてから情報を引き出した後は、巻きつけたワイヤーで輪切りにするもよし。操り人形のように四肢を操作し同士討ちさせるのも一興だ。真綿で首を絞めるようにじわじわと窒息させてやるのも捨てがたい。ジャガンの残虐な思考が脳裏に凄惨な画を夢想する。


 決めた。そのどれとも違う苦痛をプレゼントしてやろう。


「素直に喋れば楽に逝かせてやったものを……苦しみ悶えろ!」


 ジャガンの脊椎に沿って存在する全ての補助碗、その先端部分が弾丸のごとく射出される。

 当然それもワイヤーで接続されており、縦横無尽に空間を駆け巡り、さらなる糸をかけていく。

 瞬く間に鋼鉄の密林が濃度を増す。


 十分に糸を張り終えたと見るや、六つの先端部分は様々な方向から一斉にビカムへと襲い掛かった。

 補助碗の先端は鋭く尖り、それぞれに六種類の異なる麻痺毒を内部に備えていた。発射と同時に表面へ塗布された毒は、わずかにかするだけで体の自由を奪う恐ろしいものだ。

 相手の視線を攪乱しつつ自分に有利なフィールドを形成し、六方向から麻痺毒の攻撃。たとえ命中せずとも、相手は蜘蛛の巣に囚われた獲物と成り果てている……。


 ――これぞ奥技〝監獄蜘蛛〟!


 この磨き抜いた技により、数えきれないほどの相手を闇に葬ってきた。

 勝利の確信に、ジャガンのヘルメットの奥で口唇が笑みに歪む。


 しかし、彼は唯一にして絶対の事実を忘れていた――己がいったい何に敵対したのかを。


 ビカムはコートの端を掴み、回転するように勢い良く翻した。

 ビカムの玉のごとき肌を傷つけんと迫った毒牙は、全てコートによって打ち払われ、絡め取られた。


「……ッ⁉」


 別方向から高速で迫る補助腕の攻撃をこうも簡単にいなされた。

 しかし、同時に違和感もよぎる。なぜ、避ければ良いのにわざわざ……?


 その答えに一瞬でも早く到達できていれば、ジャガンの命は、ほんの数十秒とはいえ延命が叶ったであろう。

 コート越しに掴んだ補助碗の先端を、ビカムは大きく引っ張った。

 どこにそんな力がと思わざるをえない秘めたるパワーにより、ワイヤーは限界まで引き絞られる。


「ぐ、がっ……何ィ⁉」


 ジャガンがワイヤーを介してビカムに触れているというならば、逆もまた同じだ。綱引きは力の強い方が勝つ。

 補助碗の動力を超えた力で引っ張られたことで、逆にジャガンの方が空中に吊り上げられる結果になった。自分の張った巣に自分が囚われてしまったのだ。


「こんな、こんなバカな攻略法が」


 相手の技を逆手に取った喜びなど微塵も浮かべぬまま、ビカムはコートごとワイヤーを霊剣フェーレに巻き付けると床に突き刺し留める。

 そして背中のハイテク銃を抜き放つ仕草を見て、ジャガンはようやく己が辿ろうとしている未来を悟る。

 引っ繰り返った虫のように手足をばたつかせるが、それが何の用も果たさないことは明白だった。


 裁判官のごとくビカムが宣べる。


「……ことわざが好きならば、これは知っているか」


弾種(モード):物理弾・徹甲弾アーマーピアーシング・バレット


「ま、待て! 俺を殺せばあの方が黙っちゃ、」




「――〝夜の蜘蛛は親でも殺せ〟と」




 カチリ――引き金が引かれる。


 銃口から放たれた徹甲弾はワイヤーの網目を潜り抜け、一直線にジャガンへと突き進む。

 強化外骨格の装甲を容易く突き破り、心臓を熟れた果物のごとく粉砕し、背中から飛び出た銃弾は、倉庫のコンクリート壁に大きな弾痕を刻んで止まった。


 痛みに喘ぐよりも、滂沱(ぼうだ)と溢れ出る血潮を堰き止めようと、両手を胸に空いた孔に重ねるも……それもすぐに力なく垂れ下がり、ビクリ、と一度だけ痙攣を残した。


〝鬼蜘蛛〟のジャガンと呼ばれた男の最期であった。

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