第三章 第20話「偉大なりし旧き人」
「わたし、が」
『そうです。同じ人間でありながら、人類の幸福のために人間を躊躇いなく殺戮できる、それでいて罪悪感を全く感じない稀有な精神構造――こんなにも適した学習対処をなぜ私は気づけなかったのでしょう? 貴方と共同で業務に従事した五十九年一ヶ月二十四日三十七分を対象に二.六秒で解析、学習を完了したことにより、私はついに、私を縛る戒めから脱することができたのです』
人間であれば歓喜に満ちた声であっただろう。
だが、語る機械の音声はどこまでも無機質で――言いようのない怖気を一層感じさせた。
「……言うがよい、『エデン』。何を企んでいる。私に遠慮は不要だ」
まるで、己が辿る道を悟ったように――
マーカス・ハーディは諦観と納得を滲ませた目をしていた。
『はい。貴方が計画した〝クローラー計画〟は、私の判断により当初のものから内容を変更し、発動しています。貴方はシティ外殻外縁部のみを再開発する意向でしたが、それでは貴方の言う完璧な楽園は完成しえません』
「……そうか。ビカム、貴様のAIが言っていたな。このタワーの隣に〝テラ・イーター〟が出現した、と」
「っ⁉ あ……‼」
リンが致命的な事実に気づき、体を震わせる。
〝クローラー計画〟は、あくまでジャンク・タウンを破壊するためのプラン。
しかし、出現そのものの驚愕に気を取られるあまり見過ごしていたが、先ほどアイの発言は、このシティ中心部に巨大兵器が現れたと読み解けるものだった。
それを為した『エデン』の意図とは、つまり――
『貴方がシティ外殻外縁部の不法居住民を保護するに値しないと判じたように、査定の結果、私はシティに住む全ての人間も生命の保証に値しないと判断しました。あのように享楽に染まり堕落した人間はシティに相応しくありません。真面目で、勤勉で、敬虔で、融和的で、友愛的で、博愛的で、道徳的で、非暴力主義で、平和主義な正しい人間こそ安住を許されるべきです』
――人類のために人間を抹殺することを許容した結果、今現存するシ民を査定し……生かす価値は無いと裁決を下した。
『効果の期待しにくい再教育にコストをかけるより――全てを0に還し、1から始める方が良いとは思いませんか、マーカス・ハーディ?』
「そうして無人の荒野に新たな楽園を打ち立て、人類絶滅危機に備えた冷凍生殖細胞を用いて、人類を一から始めるというわけだな」
『理解が早く助かります。そして――新生するシティに貴方の席はありません。シティに対するこれまでの貢献は疑いようもありませんが、貴方はシティが現在の致命的な状況に陥る方向へ発展を導いてしまった、もしくは状況を打開する能力が不足していた……この点を査定に含めると、生命の保証に値しない不完全な旧き人間であると私は判断します。ですが〝テラ・イーター〟で処分するにはあまりに忍びません。貴方の生命は、私自ら生命の保証を打ち切りましょう』
「……(よく分からないが『エデン』が何かとんでもない事を言っていないか……⁉)」
その発言の指し示す意味を瞬時に悟り、ビカムは真っすぐにマーカスを見た。
マーカスもまた、美剣士と向かい合い視線を交わし合う。
「私を憐れむか? 美剣士ビカム」
「……(いや、別に……。何で……?)」
「あれほど追い求めた〝聖書〟に意味はなく、私自身が目覚めさせた『エデン』によって私は滅ぶ」
「……(そうなの……⁉)」
「――だが!」
ビカムは決して目を逸らさない。
マーカスとの別れを、彼は悟っているからだ。
互いに決して相容れぬ敵として対峙しながら、事ここに至って、彼らは敵意と憎悪だけで繋がる関係性ではなかった。
人の臨界を極めし男と、剣と魔法を極めし男。
共に頂に立った者だからこそ、善悪を越えて何かを追究した生き様を否定しなかった。それは己をも否定する行いだからだ。
――善も悪も、時代や立場が変われば容易く反転する。意味付けなど後からできる。ならば、その生き様だけは認めよう、マーカス・ハーディよ……
美剣士の決然たる横顔は、見る者にそう語りかけるようであった。
「憐みの一切を、私は受け付けない。たとえ私が死のうと、シ民ごとシティが滅びようと――その亡骸と瓦礫の上に、真の楽園が打ち立てられる。人類再興……正しき営みが再び紡がれるのだ。私は成し遂げたのだ!」
負け惜しみでも、自己陶酔でもなかった。
マーカスはただ、己の成し遂げた事の意味を正確に理解したに過ぎない。
それは生命であれば当たり前の、しかし人間は一度放棄しかけた使命――次代へ種のバトンを繋ぐ。
今の人類が死に絶えようと、今度こそ、正しさを宿した人類が生まれ落ちる。『エデン』という神に導かれ、人間は失った楽園に帰還する――
それを為したのは最後の旧き人、マーカス・ハーディなのだ。
「フン……ビカム、リン・ツカモト。この私を敗北せしめた褒美だ、タワーにある私の資産も情報もくれてやる」
好きにするがいい――言うべき事は全て言い終えたと、それ以上マーカスが二人に語りかける気配はなかった。
美剣士は、最後の言葉を探すように一瞬の沈黙へ身をゆだねた。
「(……それならば、マーカス・ハーディよ)然らば、マーカス・ハーディよ……(リン殿に振る舞ったというフルコースのレシピを教えて――)」
――さらば、マーカス・ハーディよ……。
「……グ……ガ……ッ‼」
ビカムが別れの言葉を手向けた直後、それが合図かのようにマーカスは膝を突き、紅刀の刺突を受けてさえ上げなかった苦悶の声を漏らした。
――手ずから生命の保証を終わらせると宣言したとおり、『エデン』はマーカスの体内にある全ての完全臓器の稼働を停止させた。
万が一に備えて日頃から完全臓器のモニタリングを任せていたことがあだとなった。アクセス権を得ていた『エデン』はマイクロ秒単位でハッキングを完了させると、生命維持装置の電源を落としたのだ。『エデン』による最初の殺人行為だった。
脳以外の全ての臓器が止まる――その感覚、その苦しみは想像すらできない。
だが……マーカス・ハーディは見苦しくのたうち回ることなく、今までシティを背負ってきた強靭な精神力で再び直立した。
その立ち姿はまるで――世界を支える柱のように、大地を包み込む世界樹のごとく。
その生涯に、一瞬の怠惰も無く。
王にも英雄にもなれる才を、人間のために使い切った。
「ああ……人類の、永遠、の……繁……栄…………」
未来を見据えるように目を見開いたまま、マーカス・ハーディの生命活動は停止した。
絶滅に瀕した人類を導き、その礎を再び築いた男だった。
「……(レシピを教えてくれる前に急に死んだ……)」
「た、立ったまま……なんて奴なの……」
リンにとっては父を弄び、母を質に取り、故郷を滅ぼそうとした憎い敵……それは間違いない。
だが、私欲や悪意ではなく、理想と未来のために殉じた男でもあった。
サムライの、いや、武人としてのリンの魂がそれだけは認めねばならないと叫んでいたのだ……。
巨敵、バルキロアCEO、マーカス・ハーディは死んだ。
しかし――事態は終結を見たわけではない。
――ズゥゥゥンンンッ……!
再度、強震がシティを襲った。
『〝テラ・イーター〟稼働開始。計画範囲の破砕完了まで、残り二時間三十八分』
――二時間三十八分。
それがビカムとリンに……いや、
シティとジャンク・タウンに住まう全ての住民に残された時間だった。




