第一章 第6話「依頼の条件」
「リン! アンタまだ……」
「病気にかかった母の治療方法を探しに行ったっきり戻ってこないんです! きっと今も向こう世界のどこかで、」
「――リンッ!」
アカネの声にリンはびくりと肩を震わせた。
「リン。コーイチローさんは、多分もう……」
「……」
そうして押し黙った二人。
並々ならぬ事情がこの家族を取り巻いていることは疑いようもなかった。
「(なんてシリアスな空気なんだ……耐えられない)……父君は、いつ」
静寂を友にする彼がまさか沈黙に耐えられなかったはずもなかろうに。
しかし、珍しく口を開いたのはビカムからである。
「七年前にアキツ・シティから一番近い〝ゲート〟を潜って、それきり……」
「……母君の病気とは」
「正確なところはチキュウじゃ分からなくて、ずっと寝たきりで、一度も目を覚まさないまま……。お医者様が言うには、実体の無い呪いみたいなものに罹っているらしいと」
「……そうだ!」名案得たりと言わんばかりにアカネが立ち上がった。「リンダリアル人のアンタなら病気の原因が何か分からないのか⁉ 治し方とか!」
「……母君は、どちらに?」
「入院してるんだ! リンがサムライの仕事でお金を稼いだお陰でさ、シティ中心部の大きな病院で診てもらえて――あっ」
……そのシティ中心部に行くには〝選別の壁〟を通る必要があり。
リンダリアル人であるビカムは門前払いをくらうことが必至であった。
「んあああああ! せめて半年前にアンタが来てくれてりゃ……!」
「……診たとして、分かるとは限らない(原因も、治療法もね)」
この世で希望的観測ほどあてにならないものはない。
「……父君も」
そう。
チキュウ人がたった一人で、目的の物も存在する場所も分からないまま異世界に旅立った。
そのまま七年が過ぎて、音沙汰なし……。
励ましの言葉が虚しく響かざるをえないほど、年月というものが経ち過ぎていた。
「――お願いしますッ!」
――それでも、少女が諦める理由にはなりえなかった。
「どうしても諦めきれないんです! お父さんが約束を破ったことはないんです! 必ずお母さんを助ける方法を見つけて戻って来るって……。せめて、せめてリンダリアルにいた痕跡だけでも……」
深々と頭を下げて懇願するリン。
垂れ下がった黒髪の隙間から二筋の雫がいくつも滴り落ち、床の上で照明の光を反射した。
「……(しかしなぁ。訊く限り、痕跡が残っているかすら怪しいと思う……)」
果たして美しき〝異界渡り〟は何と答えるのか。
「……(うーむ、可哀想だけど断ろう。残念だが、強く生きてほしい……)」
ビカムはゲンジューローのホログラムから視線を切り、リンとアカネの方へ振り返らんと――
「……(!?!?!?!?!?)」
途中、不意にその動きが止まった。
ビカムの碧眼は壁際のあるものを射抜いていた。
何の変哲もない金属製の棚だ。
そこに収納されているモノはやや埃を被っているようだが、きちんと整頓されている。その程度の感想しか湧かないものだ。
「……ああ、それですか? お祖父ちゃんが趣味で集めていたものです。亡くなる間際に、このツカモト商店と一緒にソレも私の好きにしていいと言われたんですけど……」
棚の遺品――数と種類のあるそれを、リンは特に何が面白いのか分からなかった。
だが、この店を除けば祖父が唯一遺してくれたものである。内容の妙味を理解できずとも、捨てる気など起きなかった。
この店もそうだ。店の権利はリンにあるが、実質的な継承者兼店主はアカネであるし、そうあるべきと納得している。あの棚のモノと同じように、今さら所有権を主張してどうこうする気はない。
「……君の依頼を請けよう」
――あまりにも唐突な福音に、リンは弾かれたように顔を上げる。
「――報酬に、君が祖父から受け継いだモノ全てを貰う」
「え……」「はあ⁉」
だが続く言葉は、少女にとってあまりにも無慈悲な取引の提案であった。
『万修理屋 ツカモト商店』
棚に並べた遺品。
その二つだけが祖父から受け継いだもの全てである。
真っ先に激昂したのはアカネだった。
「ふざけんじゃないよッ! リンが難しい事を依頼してるのは分かるけど、それで全部寄こせだと⁉ ゲンジューローさんがこの子のために残した全てを⁉ アンタ血も涙もないのかッ!」
「アカネさんやめて!」
飛びかからん勢いの彼女をリンが後ろから羽交い絞めにする。
ビカムが要求したのは、危惧した金銭以外の物――このツカモト商店そのものだった。
ゲンジューローが天寿を終えるまで維持し続け、家族との思い出をたくさん詰め込んでくれた――ツカモト商店こそ祖父が遺してくれた全てなのだ。
……厳密には棚のアレも祖父の遺した全てに含まれるが、まさか孫の自分ですらよく分からないものをリンダリアル人の彼が欲するとは絶対に思えない。ゆえに、この店が欲しいという意図は明白だ。
リンに止められてなおアカネは叫んだ。
「アタシはいいさ! 悲しいけれど、アタシ一人ならまだ耐えられる! でもリンには! この子にとってそれがどれだけ大切なのか分かってるだろう⁉ 今まで話を聞いたアンタなら!」
「……(?????)」
ビカムもまた、珍しく感情を露わにしていた。
表情には決して表出させずとも、彼の声音は微かに思いを薫らせていた。
それはもう、心底不思議そうに。
「――報酬の対価として、安いものではないか?」
今度こそ、アカネは絶句せざるをえなかった。
このツカモト商店を売り渡したとして、なお買い得なのだと、目の前の美しい男は言うのだ。
説得の類は無駄であると、試みる気概さえ起こさせない美貌。
アカネはそっとリンを見た。ふざけるなと一喝言い返す姿を期待して。
――恩人であるゲンジューローの血を感じさせる、力強い瞳が輝いていた。
(……ああ……)
それだけで、アカネは己が何をすべきか理解した。
この可愛い妹分が胸に秘めたる激情を、自分が外に解放してやるのだ。
「――条件がある」アカネは神妙な雰囲気を纏い、言う。「コーイチローさんを探すのに、リンも一緒に連れて行ってやってくれ。リンをもう一つの世界に連れて行くんだ」
「……! ちょっ、アカネさん⁉」
「行ってみたいんだろ? 親父さんが旅立った世界がどんな所か見てみたい……そういう顔をしてたよ」
リンはその言葉を……否定しなかった。
代わり出たのはアカネの未来を案じる言葉だ。
「……でもっ、そうしたら、この店は、アカネさんはっ……、」
「こまっしゃくれた事を考えてんじゃないよ。アタシを誰だと思ってんのさ? ゲンジューローさんの一番弟子たるアタシの腕前ならどこのジャンク屋からも引く手数多だよ。……気にすんな。いつものサムライ・タマシイはどこいったのさ? 気合い入れて行ってこい。親父さんだけじゃなく、お袋さんの治療法も見つけてくるぐらいの勢いでな!」
リンはアカネの胸へ飛び込んだ。
しばらくの間、武装請負人の鎧を脱いだ少女の嗚咽がツカモト商店の二階に響き渡った。
「……(完全に一人で探すつもりだったけど絶対に拒否できない雰囲気だコレ……)」
抱き合う家族の姿からビカムはすっと目を外し、窓の外から覗く中心部の巨大なビルディングの群を見据えた。
シティの栄華を象徴する摩天楼は今日も壁面に広告映像を躍らせながらグロテスクに光り輝いている。ジャンク・タウンの営みを見下ろすように。
そして、それを見上げるビカム。
彼が今何を考えているかは分からない。
しかし、この構図は見る者に何かを予感させるだろう。
「……(あ……『CY・BAR』新しい味が出たのか)」
天に弓引かんと睨みつける反逆者――あるいは英雄の姿を。




