第三章 第7話「代替案」
前菜 ~蒸し鶏と培養調整キャビアのカナッペ~
「貴様はこのシティをどう見る?」
「その質問をされるのは今日二度目ね。……別に、悪くはないんじゃないかしら。生きやすくて、楽しいことばかりみたいだし」
「そう言っている時点で貴様はその生態に納得していないのだろう?」
「そうね……少なくとも健全な精神が養われそうには見えないわ。そういう貴方はどう見てるの?」
「シティとは一つの理想の完成形ではある。壁で囲んで守ってやり、適切に餌を与え増殖を支援する。数を増やす一点においては優れた環境だ」
「……人間は家畜じゃない」
「その認識は正しい。家畜が家畜だと認識してしまえば畜産は成り立たないからな」
「私にはあれが健全な営みには見えなかった。何か大事なものを犠牲にして、貴方の言う〝数を増やす〟を実現させているようにしか思えない」
「貴様が今唾棄した事が正しいとされた時代があった。最終戦争を終えた人類には何物にも勝る至上命題だった。私は戦争終結後の、人類絶滅の瀬戸際に生を受けた」
汁物 ~四倍海老の濃厚クリームスープ~
「アキツ・シティの人口密度を知っているか?」
「さあ?」
「十万五千人だ。上空、地上、地下、一キロ四方の中にそれだけの人間が詰め込まれている」
「ここにそんなにいるのね、人間って。良かったじゃない、理想とやらが叶って」
「そうだな。だが目指していた理想ではなかった。進路がズレていたのだ。設計図のわずかな狂いが、目的とする楽園と別のものを我々に造らせてしまった。限りなく楽園に近い――家畜小屋を」
魚料理 ~トゥルー鯛のポワレ ブールブランソース~
「……貴方はシティに住む人々を何だと思っているの? 本当に家畜か何かだと? そして自分は牧場のオーナー気取り? 本当にそう思ってるのだとしたら……歪んでるわ」
「シ民の生き様を家畜だとは思う。そう育つ環境をバルキロアが整えた自覚もある。だが、私自身が畜産事業経営者である認識はないな。なぜなら定義の範疇から外れるからだ」
「定義? 言っている意味が……」
「畜産とは家畜を肥育・飼育し、卵や肉、皮といった畜産物を得る行為だ。対して私がやっていることは、ただ増やすのみ。怪我をしたら包帯を巻いてやり、風を引けば薬を投与し、柵の外の外敵を監視する。虐殺などもってのほか」
「…………」
「リン・ツカモト。貴様にとって私は悪だろう。シティを強権で支配し、父親の命を握る敵。否定はしない。私は望んでこのアキツ・シティを支配している。圧倒的な上下の格でシ民に言う事を聞かせるのだ――『家畜同士で殺し合うな。平和を尊べ。希望を持って生きよ』とな。命令に背く異分子は例外なく排除した」
冷菓 ~サイバーレモンのソルベ シャンパンのエスプーマ~
「――今、アキツ・シティは抱えられる人口の限界に到達している」
肉料理 ~アキツ牛フィレ肉のロッシーニ風 セレブトリュフソース~
「それは……」
「食料は満ち溢れ、資源は循環し、エネルギーは原子から無限に抽出できる。足りないのは土地だけだ。家畜を収容する畜舎だけだ。分かるか? 我々は繁栄の袋小路にいる――卵の殻の中で育った鳥は、どれだけ大きくなろうと雛のままだ。美しい花も鉢植えの外まで根は伸びない。どんな動物も檻の大きさが成長の限界となる。限られた土地には限られた人数しか住むことはできず、科学技術はその上限を高めたが取り払ったわけではない。解決は簡単だ。人口増加に合わせてシティを広げていけばよいのだから。……その手段を今まで取れなかったがゆえに、楽園は死にかけている。人間は自らの増殖圧によって滅亡の道を進みつつあるのだ。――私の頭の中のプロジェクトは、バルキロアのCEOが誰であろうと同じく企画するだろう」
乾酪 ~超ショートカット熟成コンテチーズのスフレ~
「すなわち――このシティにはめられた忌々しき軛を破壊する」
甘味 ~ロジスティー苺のミルフィーユ バニラ風アイス添え~
「人類は様々なものを求めて戦争を起こしてきたが、最古の理由は土地を巡ってだ。あらゆるものは土地に帰結する。より多くの土地を所有する者が繁栄を手にすることを人類は文明の発達当初から本能的に知っていた。結局、我々は土地の制約から逃れることはできない。――ここに、我が最後の大事業が決まったのだ」
珈琲 ~エクスプレスエスプレッソと科学マカロン~
「土地を征し、資源を奪い、水を支配し――今再び土地を征することで、楽園を真の完成に導く」
カチャリ――
コーヒーカップが陶器製のソーサーに触れる音が静寂の室内に響いた。
コース料理の最後まで堪能し終えたマーカスに対し、リンの目の前には肉料理以降、手を付けられず冷めきった料理の皿が並んでいた。不味かったわけでもアレルギーがあるわけでもない。それまでに口にした皿は悔しいが本当に美味しかった。
単純に、食事が喉を通らなくなるほどおぞましい計画に、彼女の思考が到達してしまっただけである。
「貴方、は……」
リンの震える唇は告げる。
「貴方の目的は――ジャンク・タウンを破壊することなの……⁉」
問いかけながら、それが真実であるという確信が心の中に広がる。
人口の膨れ上がったアキツ・シティ。
これ以上の過密を避けるために、新たに土地を開発し居住可能な範囲を広げるしかないが、シティ中心部はジャンク・タウンと〝瓦礫の壁〟が取り囲んでいる。
雛鳥を包む卵の殻、根の伸長を制限する鉢、動物を閉じ込める檻……それらは全てリンの故郷を指し示す暗喩であった。
アキツ・シティに対する障害という意味として。
マーカスは眉一つ動かさず言い放った。
「私の目的はアキツ・シティを完全な都市にすることだ――瓦礫の街を滅ぼすのは計画達成までの一つの段階に過ぎない」
「戯言を……! 結局、私の故郷を滅ぼそうとしていることに変わりはないじゃない! ジャンク・タウンに住んでいる人はどうなるの⁉ 〝選別の壁〟の中で受け入れる余裕なんて無いんだから、開発が終わるまでいったいどこに行けば――」
「…………」
マーカスは何も語らない。
つまらなさそうに。そんな事も分からないのかと。
何一つ喋らない。その沈黙こそが雄弁に答えを表していた。
「…………見殺しに……する……?」
顔面蒼白になったリンが静かに叫ぶ。
「人間なのよ、あの場所に住んでいるのは……。貴方から見たらどれだけ貧しい暮らしをしているとしても、あそこには人間が生きてるの。それを――!」
「貴様は私に、寄生虫に謝りながら虫下しの薬を飲めというのか?」
――テーブルに上ったリンが、激情と共にマーカスに詰め寄る。
だが、指がマーカスの首にかかる前に〝黒鬼士〟のブレードの一閃が振るわれ、寸でのところでリンは飛び退いた。
「あの瓦礫の街の住人の祖先はな、肉体的精神的な理由でシティ居住審査を合格できなかった不良品だ。ジャンク・タウンとはよく言ったものよ。その末裔に配慮して開発期間中の仮宿を与えるなど、ましてや新生した楽園に居場所を与えるなど、私は必要性を認めない。どこへなりとも好きに行くがよい。その力も無いというのならば、瓦礫のように処分されるがいい。……フン、気紛れの思い付きとはいえ、無益な時間を過ごした」
この時間に対する感想はリンも同意である。
話し合えばもしかしたら……という淡い期待もあった。だが、結果として計画の目的を知ることはできたものの、マーカスについては分かり合えないことが分かっただけだ。
コーヒーを飲み終えたマーカスが言う。
「さて……。それではあのケースの中身を貰うとしようか」
「……まるで交渉が成ったような言い方ね。言っておくけど、私から無理やり〝聖書〟を奪おうとすれば――」
「発火なり化学薬品なりで格納物を読めなくなるよう汚損する仕組みがあるのだろう?」
そんな事は百も承知、と耳朶を打つせせら笑い、
「小娘、交渉は事前の準備が全てだ。テーブルに着いた瞬間に結果は確定している。貴様は自らそのケースのロックを外し、中の書物を恭しく取り出し、私に差し出して希うことになるだろう」
まるで未来を見てきたかのような不敵な物言い……それを妄想だと笑い飛ばすには、マーカスの帯びる気配があまりにも不穏であった。
「貴様の要求はそこの〝黒鬼士〟……己の父を私の手から取り戻すことだったな。だが、貴様はそれを求める条件を満たしていないな」
「何を……〝聖書〟はここに、」
「私は言ったぞ。〝聖書〟を引き渡し、そして――〝異界渡り〟ビカムを殺せ、と」
――リンの心臓が信じられないものを見たように跳ねる。
「今ここで〝聖書〟を差し出したとて……片手落ちだな。しかし、貴様の技量程度であのエルフの首を落とせというのも過剰な要求ではあったか。ならば代替案を提示してやろう」
「代替案……?」
「この〝黒鬼士〟はな、リンダリアルの資源調査に赴いた際、偶然手にした拾い物だ。その程度の存在だった。取得にかかったコストはゼロ。適当に利益を生み出ず目途が立てば、あとは部下に運用を任せて私自身は興味をなくすと思ったのだが……」
マーカスが愉悦の笑みを浮かべる。〝黒鬼士〟は微動だにしない。
「だが思いのほかコレは役に立った。防衛部職員よりも腕が立つ。廃人状態だったがゆえに取り付けた〝セカンド・スピン〟の投資分もすぐに回収できた。文句も言わず淡々と任務を遂行するのだ、汚れ仕事に随分と重宝したぞ。それを手放せというのだから、相応の条件を貴様は私に提案しなければならない」
代替案。
それは文字通りの意味であり、
「――貴様が次の〝黒鬼士〟となるのだ」
父親の身代わりに娘が犠牲になる非情な決断を迫るものであった。
「わたし、が……」
「無料で何かをせしめられるとでも? 得るものに対価を支払うのは至当であろう。〝セカンド・スピン〟を装着し、次の〝黒鬼士〟として私の命じるままに業務を執行しろ。武装請負人とそう変わるまい。シティに飼われるか、私が直接リードを持つ犬かの違いしかないのだ」
「…………」
無言のまま固く唇を引き結んだままのリン。
しかしマーカスに焦れる様子など欠片もない。
なぜなら、
「この条件を飲もうが飲むまいが――貴様、もう渡す気がないだろう?」
彼の目はリンの心中を正確に見通していた。
先ほどの食事中の会話において、彼はジャンク・タウンを破壊することを明確に宣言していた。
いかに……いかに父親が大事であろうと、自分一人だけの願いのために、何百万という無辜の人々を犠牲にする選択肢など、この優しい少女には選べようはずもなかったのだ。
「…………」
選べようもないのなら、どうするか。
――選ばせればよい。
「条件を変えるとしよう。貴様は私に〝聖書〟を差し出す。代わりに私が与えるもの――」
〝黒鬼士〟が部屋を出ていく。
マーカスはゆったりとテーブルの上で指を組んだ。
「これが珈琲の後の、本当の主菜だ」
閉じられた扉が再度開き、姿を現したものは――




