第三章 第6話「晩餐」
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シン・セントタワーの威容がリンを見下ろしていた。
高さ四百二十メートル。シティの中心部に立つこの建造物はアキツ・シティのシンボルであると同時、バルキロアの本社ビルでもあった。
形状もただの高層建築物とは異なっており……リンは傾いたアルファベットの『V』を想起した。
片方の縦棒が垂直になるように角度を傾け、そのまま折れ曲がった谷の部分を地面にめり込ませた――説明するなら、そんな表現になろう。垂直の本社ビルの根本から離れた場所で、片割れが地面を斜めに突き破り月目がけて発射台のごとく延びている……。
(ここが敵の根城――にしては人気がない)
確かに今は夜の時間帯だが、バルキロアが社員を定時退社させているホワイト体質だとは到底思えなかった。
その答え合わせをするように、エントランスにたった一人だけがリンを出迎えた。
「リン・ツカモト様ですね? ご用件は伺っております」
「貴方は?」
「私、マーカス様の秘書を務めております、ガブリエラ・タユウと申します」
癖のないストレートの金髪、男性と比べても遜色ない上背、タイトなスーツを着こなす姿はキャリア組という表現が相応しい。
ガブリエラは危険分子であるはずのリンに気負った様子もなく、「こちらへ」とエレベーターに促す。
「ああ、言い忘れておりました。その似つかわしくない服はお脱ぎになってください。受付でお預かりいたしますので。その腰に佩いた刃物も」
ガブリエラの視線の動きで、彼女の言う服と刃物は強化外骨格とブレードであることを察した。
「承服しかねるわね。敵の本拠地で丸腰になれって?」
「あら……貴方まさか、バルキロアの敵になれたつもりでいたの?」
――心底から嘲笑う声音。
必死に前脚を振り上げて威嚇する虫を人間が見るような。
「……フフ、心配なさらずとも、あのお方が姑息な手段を取ることはありません。暴力を突きつけられたのなら暴力で、交渉を挑まれたのなら交渉でねじ伏せる。そういうお人なの。だからこそシティの頂点に立った」
「…………」
「どちらにせよ武装を解かないとエレベーターは動きませんわ。防犯の理由からそういうシステムですの。さあ、どうされます?」
……リンは迷った挙句、言われた通り武装を解除した。
脱着する間も油断なく全周に気を配るリンをガブリエラが微笑ましく見てくるのが不愉快であった。無駄な足掻きをと内心せせら笑っているのが手に取るように分かる。インギン・ブレイとはこのことか!
「では、ご準備も整ったようなのでご案内します」
コツコツと小気味よいハイヒールの音を響かせるガブリエラの後を追う。
タワー内部は驚くほど無機質で、シティの喧騒が嘘のように静まっていた。
「廃墟みたいに静かね」
「平時は社員の往来が途切れることはありませんが、今は人払いさせておりますので」
吹き抜けになった広大なエントランスに二人の足音だけが虚しく響く。ふと、静寂はこのシティにおいて贅沢品なのかもしれない、とリンは思った。
乗り込んだエレベーターはほとんど振動を感じさせずに乗客を上空へと押し上げていく。ガラスの向こう、煌々と燃えるようなシティの摩天楼と、ささやかなジャンク・タウンの明かり。
(貧に喘ぐか、享楽に蝕まれるか。どっちが幸せなの)
答えは出ないまま、エレベーターは最上階へと到着する。
扉が開いた瞬間、気体のように侵入してきたのはリンダリアルで感じた威圧感だった。ただし、その時よりも一層濃密で、魂を撫でられるような居心地の悪さだ。
リンの様子にガブリエラは一切斟酌することなく歩みを進め、重厚な扉をノックする。
「――入れ」
――リンの体は考えるよりも先に反応していた。
わずか一瞬。無意識になっていたのは刹那の時間だったと断言できる。
だが気づいた時には既に執務室へ足を踏み入れた後だった。
(そんな、嘘、魔法みたいに……)
マーカス・ハーディ。
長年探し続けた父を道具のように使役する憎き敵。
開口一番、罵倒の一つでも投げつけてやろうと意気込んでいた。
顔を見た瞬間、衝動的にブレードを抜き放ちたくなるだろう自分を律する未来の自分を想像して……
しかし、現実はどうだ。
扉越しの言葉に命じられて、唯々諾々と従う無様。
魔法でも何でもない。
精神が屈服しかけている。
まだ何も、始まってすらいないのに。
「……初めてにしては心が強い方ですわ……」
「え……?」
「……支配に全て委ねてしまえば、楽になりますわよ……?」
囁き声に視線を向けるも、ガブリエラは微笑のまま執務室の主から目を外さない。
かの者は部屋の中央、装飾よりも機能性を重視したデザインの椅子に座していた。
真っ白いクロスが掛けられた長方形のテーブルの片側に位置取り、酒の入ったグラスを片手に揺らしている。
「マーカス様、お客様をお連れしました」
「ああ。下がれ」
「では、私は予定通りに……」
麗人なる秘書は颯爽と踵を返し、去り際、こちらへ意味深な視線を送ってからあっけなく部屋を出ていった。
……部屋にはリンとマーカスだけが残された。
どうしたものかと立ち尽くしていると、テーブルの反対側の椅子を指し示される。
「座れ、リン・ツカモト」
「……どういう意味、かしら。まさか仲良くお茶でもしようとでも?」
「ゴミ溜めの住人にしては察しが良い。仲良くは余計だがな」
よくよく見れば、テーブルには二人分の食器が既にセットされている。
この男から指図されるのは業腹だが、話が進む雰囲気ではないため不承不承、椅子を引いて腰かけた。
これみよがしにアタッシュケースをテーブルの上に置く。
「父を――」
「話を急くな。もうじき料理が供される」
「ふ、ふざけないで! 誰が貴方と、」
「この私と大金を払ってでも食事の数十分を共にしたい者はごまんといる。誇るがいい、貴様はそれに無料でありつけるのだ」
――読めない。
この男の考えている事がまるで読めない。
「……どうして私と食事を」
「気紛れだ」マーカスは慣れた手つきでグラスを煽る。「これから始まる大事業を前にして、ふと意見を聞いてみたくなった。私は普段富貴なる者たちとばかり言葉を交わしているが、最後の機会だ、壁外の下民の考えも知りたくなった」
「私はアンタなんかの頭の中なんて知りたくもないけどね」
「そうか。だが、貴様は知っておく方がよいと思うぞ」
と、そこへ扉を開き料理を載せたカートが入室してくる。
カートを押しているのは、
「――ッ!」
「私も気が利くだろう」
給仕係にはとても似つかわしくない、武骨な黒い鎧。
前掛けだけを追加で身に着けた不格好さは、まるでままごとに興じている様にしか見えない。
〝黒鬼士〟――リンダリアルで命懸けの殺し合いを演じた相手にして、リンの実の父。
彼は今、ヘルメットを被らず素顔をさらし、だが瞳に意思の光を宿さない操り人形として料理を配膳させられている。
「再びの親子の対面というわけだ」
「マーカスッ……ハーディィ……ッ‼」
拳を握り締め歯を食いしばるリン。
その眼前に、
「――食前酒です。ノンアルコールになります……」
コーイチロー……いや〝黒鬼士〟がグラスを音もなく差し出す。
リンはハッとなって沸騰する怒りを必死に落ち着かせる。
父は今、生殺与奪をマーカスに握られているのだ。ここで暴れては交渉のテーブルに着くまでの努力が水泡に帰してしまう。
風情も何もなくグラスを掴むと一息で胃袋に流し込む。そのまま叩きつけるようにテーブルへ置いた。
「フン」
マーカスは非難するでもなく料理を運ばせるよう〝黒鬼士〟に指示した。




