第三章 第4話「不穏」
「このケースは私以外の誰にも開けられないようになっていて、ケースが壊れたり、私が死亡するか、一定距離を超えて離れたら、即座に中のページを燃やし尽くす仕組みになってるの」
「なってるのって……」
そんな危険な事はやめろと言いかけて、アカネは口を噤んだ。覚悟を決めたサムライを止めることは不可能だからだ。
代わりに彼女は「……必ず無事で帰ってくるんだよ」と言葉を贈る。
その一言に込められた様々な感情を察し、リンは厳かに頷き返すのだった。
「――で、破れたページと父親を交換するとして」イチタカが言う。「母親の方の算段はついているのか?」
「お母さんが入院している病院へビカムに潜入してもらうわ。魔法を使えば……」
「甘いな」
企業を知り尽くした男はリンの希望的観測を容赦なく否定する。
「手段の話じゃない。企業のスピード感を甘く見るな。リン・ツカモトの母親が入院中なんて情報、とっくに掴まれていると思え。隠しやすくて守りやすい場所に人質を動かすだろう。俺なら絶対そうする」
「つまり……お母さんが今どこにいるか分からなくなってるってこと……⁉」
「まあ待て、落ち着け。調べる手段がないわけじゃない。病院のシステムをハッキングして侵入できれば移動先を割り出せるかもしれない」
今度はアカネが作戦の不備を指摘した。
「それってシティのネットワークにアクセスしなきゃならないんだろう? ジャンク・タウンにアクセスポイントなんてないぞ。精々TV電波が一方的に垂れ流されてるくらいだ」
アカネの言うとおりジャンク・タウンに存在するのはローカルネットだけだ。ジャンク・タウン内での情報通信には過不足無いが、シティ中心部のネットワークとは一切接続していない。
仮に繋げることに成功したとしても、即座に『エデン』が探知してローカルネットを一瞬で破壊するだろう。
「フン。勿論解決策も想定済みだ」
そう言ってイチタカは懐から自身の携帯端末を取り出した。
「私の端末からであれば、衛星を経由してシティのネットワークにアクセスできる。元々認証済みのユーザーだから不正アクセスで弾かれることもない。ここにあるPCを貸したまえ。そして私がハッキング技術も修得しているに感謝してむせび泣――」
『対象の端末をハッキング――シティ・ネットワークへ侵入開始』
「あれ⁉ なんだ勝手に……壊れたのか?」
『集中しているので黙ってください』
イチタカの掌の中の端末画面がギュルギュルと目で追えないほど移り変わっていく。アイの仕業だ。
人間とは比較にならない演算速度を存分に活かしてネットの海を泳ぐ……その実情は慎重に慎重を重ねるほどゆっくりしたものだ。
この海には秩序を乱す異分子を裁く、絶対的脅威が睨みを利かしているゆえに。
しかし……
『(――『エデン』の目が明らかにネットワークから離れている……⁉ 今は好都合だけれども……)』
不気味なほどの静けさに、むしろ警戒を一層強める。
細心の注意を払いながらアイが入手した情報は、最悪とまでは言わずとも悪いニュースに分類されるものだった。
「――バルキロア保養病院に転院?」
「しかも昨日の夜に?」
リンとアカネの目が驚愕に見開かれる。
ユノーの身柄は既に企業の手中に落ちている……が、バルキロア本社のシン・セントタワーではなく社員や関係者用の病院へ転院という形で移動していた。
当然、家族の同意などあったものではない。
「舐めやがって……!」額に青筋を浮かべ、アカネは掌に拳を打ち鳴らした。「気が変わった。リン! 容赦なく奴をぶちのめしてやりな! 足に紐を結んでタワーの屋上から吊るしてやれ!」
「――そんな報復を悠長に行う時間が残されていればな」
ストン……、と臓腑に落ちるようにイチタカの声が重苦しく響き渡った
水をさしたとは単純に言えそうもない、真剣味を帯びた言葉。
「……我々に、猶予はない(確かに……マーカスを痛めつけてバンジーさせてる間に、企業の武装部隊が押し寄せてくるだろう)」
全てを見通したビカムが厳かに告げる。
美剣士を除いて未だピンと来ていない二人にイチタカは溜息をつく。
「私にはマーカスCEOの企みの全容は分からない――だが計画の達成が近いことだけは分かる。こうして作戦を詰めている間にも、残された時間は刻一刻と目減りしていることだろう」
「なぜそう思うんです?」
「今、私がのうのうと生きているのがその証拠だ。機密に属する計画に携わった人員を切るとは、すなわち口を封じるということ。しかし、そうせず私を放置しているのは、今さら横槍を入れられようと問題ないほど計画が最終フェーズに到達しているのかもしれないからだ」
まあ、単に私が重要なパーツではなかっただけかもしれないがね――自嘲するようにイチタカは吐き捨てた。
エリートとして育ち、能力に絶対の自負を抱いてきた彼にとって、替えの利く消耗部品扱いされることは企業からの裏切りに等しかったのかもしれない。
『その男の言う事も出鱈目な予想ってわけじゃないと思うわ。シティ・ネットワークの検閲に『エデン』のリソースがまったく割かれていなかった。もう怪しいアクセスを見張る必要もないってことかも』
「私だけの推論ではないというわけだ。……おい、リンダリアル人。貴様にはバルキロア保養病院への侵入案を授けてやる。魔法でごり押しがいつでもできるなら、それは最後の手段にしておけ」
「……貴殿は、なぜそこまで(計画案が泉のように湧き出てくるのだ? 何が秘訣なのだろうか……)」
「フン。勘違いするなよ」
かつての敵の望外なまでの協力姿勢に疑問を覚えたビカムに対し、イチタカは声音の色で「お前たちのためではない」と表現した。
イチタカは窓へ顔を向ける風を装いながら、さりげなくアカネを一瞥する。
気恥ずかしくて普段は言えない感謝を視線に込めて。
「私は――言葉ではなく行動で示すだけだ」
「……そうか(行動しているうちにアイデアは自然と湧きあがるということか……)」
イチタカもある意味で、企業の中で錬磨された戦士である――ゆえにこそ言葉は少ないながらビカムと意思を通ずるのかもしれない。
戦場に生きた者同士が持ち合う第六感と言うべきだった。
その後、病院へ侵入する策を授けられたビカムは出発の直前、イチタカに心ばかりの礼と、絶対に折れないらしい緋色の輝きを放つ大剣を贈った。
覇気を充満させ決戦へ赴く二つの背中を見送りながら、彼は傍らに立てかけた大剣を困ったように見やる。
「……私は頭脳労働タイプなんだ。こんなもの贈られても無用の長物だ」
「もしかしたらリンダリアルのスゴいお宝で、シティの金持ちが買い取ってくれるかもしないぞ」
「そのシティ一番の富豪で権力者をアイツらは倒しに行くんだが……」
「さて、そんじゃあ私らは溜まってる修理依頼を片付けていくとするかね」
ビカムとリンの姿が路地の奥に消えていったのを見届けて、アカネはあっけらかんとツカモト商店へ踵を返した。
「……心配していないのか?」
「心配してるっての。でも、店先で祈っていても運命はあの子たち次第だよ。だったら私は私の出来る事をやるだけさ……リンが返ってくるこの場所を守ること。それともアンタは言い残したことがあったのかい?」
「いや、授けてやれることは全て授けた。あの場での仕事は完遂している」
「そうだろう? なら信じることさ。リンの剣の腕前と、あの御仁の魔法の力を」
今度こそ店の中へ姿を消したアカネをイチタカは追わず、〝選別の壁〟を越えて威容を轟かせるシン・セントタワーを見上げた。
策はある。切れる札もある。コンディションに不足はない。
それでもなおイチタカは未来を楽観しない。
かつての古巣の恐ろしさを、身をもって知るがゆえに。
「あまり企業を――チキュウを舐めない方がいい」
彼の呟きは誰に聞こえるともなく、虚空の中に静かに溶けていった。




