第二章 第41話「突きつけられた選択肢」
「……(!?!?!?!?!?)」
「エデン、ですって……⁉」
外郭とはいえシティに生きるリンは勿論、ビカムですら認識する存在。
アキツ・シティの生きとし生ける全てを統制下に置く、機械仕掛けの神。
あらゆる機械は彼の手足にして、あらゆるシステムは彼の神経網。エデンの指先一つで全命令が書き換わり、世界は変化を余儀なくされる。
それほどの存在が介入……いや、黒幕であるということが事態の異常さをこれ以上なく示す。
「……あ、貴方がいったい私たちに何の用があるの? それに、なんでお父さんを……」
『その問いに回答する権限と必要性を私は有しません。ですがリン・ツカモトと対話を求めている方との通話を繋ぐことは可能です』
お繋ぎします――いかにも機械じみた、喜怒哀楽を感じさせない音声の後に聞こえてきたのは、重圧を帯びた老人の声であった。
『――世界を跨いだ追いかけっこは終わりだ、〝異界渡り〟ビカム』
「……何者だ(何者だ)」
『マーカス・ハーディ。貴様にはこれで十分であろう?』
「……(……、…………、……誰だったかな?)」
それだけでビカムは得心がいったのだろう、全てを理解したように鍔広帽子を俯かせた。
最悪の予想が当たってしまった――まるでそう言わんばかりに。
「……(ああ、思い出した。昨日アイが言っていたアキツ・シティの一番偉い人ね、そうそう。……え……えっ⁉ 〝絶対に敵に回してはいけない相手〟じゃないか! どうしよう、ヤバいヤバいヤバいヤ――)」
『フン、敵ながら気持ちが良いほどの落ち着きだな。私の名を聞いて恐懼せぬ者は久方ぶりよ』
圧政者らしく傲岸不遜な態度ながら、マーカスは美剣士に賛辞を送った。もし企業社員が知れば驚天動地の出来事だろう。
張り詰めた空気など知らんとばかりにアイが声を上げた。敵味方を問わず畏怖を集めるマーカスの権威もこの電子生命体には通用しないようだ。
『バルキロアはいつのまにリンダリアルへ基地局を立てたのかしら? わざわざ異世界まで通信網を構築するなんて、携帯事業でも始めたの?』
軽妙、ともすれば不敬な物の言い方に対し、マーカスは怒りなど感じさせず淡々と言葉を返す。
『この〝黒鬼士〟の鎧には通信中継用のバグを放出する機能がある。〝四鬼天〟の動向は余さず把握している。飼い犬にリードを付けぬ主はおるまい? ……さて――』
場の空気が一気に変質する。
ここにいないはずのマーカスの意識がビカムへと向けられたのが分かる。
いったい何を言うつもりなのか。リンはごくりと唾を飲んだ。
『ビカムよ。貴様が手に入れた書物――〝聖書〟を渡してもらおう』
「……〝聖書〟?」
リンは内心で首を傾げた。マーカスが欲するものの正体が分からなかったからだ。
その書物のことをこの場で最も理解していたのはアイである。
『ありえない――⁉ シティを運営する企業のトップが、あれだけの騒ぎを起こして犠牲を払ってまで入手しようとしていたのが……〝聖書〟ですって⁉』
だが、よりにもよってマーカスがそれを手に入れようとする意味まではまったく理解の範疇になかった。
最終戦争によってチキュウから失われたものは多いが、その一つが宗教であった。
シティが支配する現代において、むしろ積極的に排除された信仰。
宗教が人類に与えた影響は文化の発展など好ましいものばかりではない。数千年前のもはや誰も確かめようもない伝承一つで血みどろの争いを人間は続けられる。最終戦争の原因は経済だけではなく信仰の違いにもあると戦後の記録は物語っている。
ゆえに新たなる支配者である企業は、先の時代の過ちを起こさないよう、宗教に関する情報を削除、隠蔽した。それらは統治に不要なものだ。
信仰のエッセンスにして宗教の経典たる〝聖書〟など、シティに存在しては困るのだ。
普通に考えれば、マーカスの目的は〝聖書〟という危険因子を排除することだと思われるが――その推論を支持する者はいない。
なぜならば、ビカムたちがリンダリアルへと移動した時点で排除は達成されているからだ。それをわざわざ〝四鬼天〟という刺客を放ってまで追ってきた。
つまり、企業の最高責任者であるマーカスは、本当に何かの目的に利用するために〝聖書〟を求めているのである……!
『貴様が〝聖書〟の入手を企図していたことは『こみげむ』とのメール履歴で分かっている。白を切ることはできない』
「……なぜ欲しがる、あんな物を(コレクションしているのか……?)」
『ただ一つ言えることは、貴様が所有しているより私の方が有意義に〝聖書〟を利用できることだ。シティの繁栄のためにな……』
マーカスの意識の矛先がリンへと向かう。
「ッ……‼」
通信の電波が情報以外の非科学的なものを含んでいるとでも言わんばかりに肌が粟立つ。
人間と対話しているとは思えないほどの――畏れ。
修羅場を潜り抜けてきた武装請負人のリンですらこうなのだ。ただシティに住まう住人であれば耐えられずに意識を飛ばしているだろう。
『〝黒鬼士〟と小娘の縁は偶然の産物であるが……この機会、有効に使わせてもらおう』
マーカスはそう前置き、
『リン・ツカモト。父を解放してほしくばビカムから〝聖書〟を奪い、私に納品せよ』
「な――‼」
――なんという恐ろしいことを考えるのだ、このマーカス・ハーディという男は!
それはビカムとリンの仲を引き裂く最も狡猾で効果的な交換条件だった。
今まで肩を並べ窮地を潜り抜けてきた相手を裏切れと。
異世界に失踪した、生存が絶望視されていた肉親を天秤に乗せて。
「あ……あ……!」
リンの目は〝黒鬼士〟とビカムを交互に行き交う。
ブレードを握る手はこれ以上なく震えていた。
ビカムを裏切ることはできない/ビカムを裏切らなければ父は戻ってこない。
相反する二律の間で雁字搦めになり、どちらの選択も取ることができなかった。
時はリンの敵である。時間が経てば、マーカスが見切りをつけないとも限らない。
(選べっていうの――父を――ビカムを――どちらかを――)
緊張のあまり視界が明滅する。
息が荒くなる。汗が額から顎を伝う。
いっそ気を失って倒れてしまえば、どれほど――
「――え」
気づけば、眼前に何かが差し出されていた。
あの日、『こみげむ』の秘密の地下室で目にした小包が、ビカムの手に。
「……リン殿、これを」
「本当に……いいの……?」
「……父君のためであれば(残念だが……さすがに人の命には代えられないからね)」
少女の嗚咽がレベト平野を濡らした。
子供のように泣きじゃくるリンを、ビカムの眼差しが優しく包み込む。残酷な運命の最中にも美しく尊い瞬間はあるのだと教えるような光景。
『小包をこちらに投げろ』
……ならば、それを無粋にも介さないからこそ悪党は悪党たりうるのか。急かすマーカス・ハーディに、リンは乱暴に涙を拭うと睨みつけながら小包を投げ渡した。父の体を操る稀代の悪党へと。
〝黒鬼士〟が小包を受け止めるのを見届けたマーカスは、
『――さて、では次の条件だが、』
「お前ッ……‼」
話が違う――今にも飛びかからんとする肩をビカムが掴む。
怒りで沸騰しそうになるリンの脳髄、
『リン・ツカモト。お前の手で――〝異界渡り〟ビカムを殺せ。その首を持って来い。これが最後の条件だ』
――そこへ直接冷や水を流し込まれたかのように制止する肉体。
この男は今、何と言った?
〝黒鬼士〟の背部装甲からワイヤーのようなものが直上へ発射される。
規定の高度に達したそれの先端から落下傘が花開いた。
『ではな。異界に咲く華と――取るに足らぬ路傍の小石よ』
――超高速で何かが空気を切り裂き、飛来する甲高い音。
ビカムが霊剣を構えた直後――チキュウの戦闘機が彼らの上空を通過した。
戦闘機から垂らされたフックがワイヤーを引っ掛け、一瞬で〝黒鬼士〟は連れ去られるように空の彼方へ姿を消した。マーカスはこんなものまで投入していたのか。
ジェットエンジンの爆音が過ぎ去った後……痛々しいほどの静寂に包まれる。
リンは振り返らない。
「……(戦闘機まで投入して……とんでもない事になった……。どうする、リン殿……? なんて声を掛けたらいいんだ……)」
ビカムもあえて口を開かない。
父か〝聖書〟か。
選べないうちにビカムの助け舟に救われた。
だが今度こそ、リンは選ばなければならなかった。たとえ美剣士といえども、口を差し挟むことは許されない。
「……ビカム……」
――向けられた刃の切っ先が、その選択の結果だった。




