第二章 第42話「決戦の地へ」
「私って、最低だ……‼」
暴走アンドロイドに襲われていた窮地を救ってくれて、
強引に異世界についてきた自分を惜しみなく守ってくれて、
刺客との共闘では過大なほどの信頼を寄せてくれて、
大事な本まで肉親のためだと差し出してくれた。
「そんな人を゛ッ、わだしはッ……、父親の命のだめにッ……斬ろうどしでる……ッ‼」
慟哭。
痛哭なる魂の叫び。
涙は大地に染み込むそばから絶えることなく滴り落ちていく。
呼吸の代わりに泣いているかのごとき有様のリン。
シン・シャドー・スタイルを修めたのが嘘のような滅茶苦茶な構え。これならビカムでなくとも簡単に斬り伏せることができる。
……いや、もしくは本当にその未来を望んでいるのか。
悲鳴を上げる肉体にとどめを刺すことで、全てを終わらせてほしいと。
「……(くっ、話をしたいがリン殿を落ち着かせるのは……。こんな時、師匠の剣爺なら……『迷えばこそ、刃を交わしてみせよ。然らば迷いの霧は晴れ、正道を取り戻す』だったか。効果が無かったら恨むぞ……)」
――ビカムは迷いない動作で霊剣フェーレを構えた!
高周波ブレードの切っ先を向けられたように、フェーレの切っ先をリンへと。
まさか、真にリンを斬ろうというのか……?
二人の剣士が相対する。
既に結末を知ったような曇りなき碧眼が、鍔広帽子の下で輝く。
「……(い、いくか? ええい、儘よーッ!)」
「うああああああああああッ‼」
慟哭の刃と、流麗なる剣が衝突した。
その光景は異様の一言に尽きた。
荒れ狂う、しかし必死の威力を秘めた高周波ブレード。
剣で触れれば火花が、肉で触れれば血が飛沫を上げるはずのそれを、ビカムの霊剣フェーレは努めて優しくいなしていく。まるで遣い手だけではなくブレードすら労わっているのかのようだ。
「……(傷つけないように……! 傷つけないように……!)」
彼我の間に圧倒的な実力差がなければ起こりえない現実――という単純な話ではない。
この場に剣術を解する第三者がいたならば、こう思いを抱くのではないか。
これは、泣きじゃくる娘を抱擁する父の大きな腕のようだ、と……。
リンもそれを感じ取っていた。
言の葉ではなく剣と刃による会話。
その一合ごとにビカムの意思が、はっきりと伝わってくる……
――悲しみは全て、私に吐き出すがいい。私はそのためにいる。
「……(あっ、ちょっ、あまり出鱈目に動かないで、斬ってしまうっ、落ち着いて……!)」
彼がそう語っていることをリンは確信した。その慈愛に身をゆだねる。
心の中の澱を、刃に乗せて吐き出す。
ブレードを振るごとに世界はクリアになっていく。
どれだけの時間、剣劇は続いただろうか。
……やがて涼風が撫でる平原の上には、感情の嵐に打ち勝った少女と、それを導いた美剣士がいた。
「ビカム……」
「……君の行動は、間違っていない(父親を人質にとられたら仕方ないよ)」
霊剣を宙に霧散させたビカム。
終わりを告げると同時、彼が何事もなく佇む姿は日常の帰還を象徴するようだった。
唇を引き結んだリンに、ビカムは力強く告げた。
「……父君を救い出そう(絶対に策はあるさ! まだ何も考えてないけど! 多分なんとかなるって! 多分! 待っていてくれ、コーイチロー殿……!)」
「うん……うん!」
頷くと同時に最後の涙の粒が頬を伝った。
リンは己自身に誓った。これより先は父を取り戻すまで泣くことを許さないと――
そしてビカムよ、気づいているだろうか?
いや、気づかないはずもなし……。
当初の話――『異世界リンダリアルに失踪した父を探してほしい』という依頼を……実は既に達成していることに!
別にここで成果を認めさせて報酬を回収し、おさらばする事に何の非もない。むしろ普通の〝異界渡り〟、いや、プロの仕事人なら必ずそうする。それがビジネスというものだ。
……まさかあの美剣士ともあろう者が、その場の雰囲気に乗せられて自発的にコーイチローを助けに行くなど……。そんな考えなしに……。追加の報酬を求めもせず……。
――そんなことは絶対に考えられない。
であるならば、利害を超えた存在が蠢いているということだ。
彼をして看過することはできない、チキュウの巨悪が。
『〝黒鬼士〟を救出する云々の前に、マーカスが〝聖書〟を使って何をするつもりなのかよね。奴の目的次第では救出のアプローチも変わるわよ』
……と、アイが当然の疑問を改めて浮き彫りにする。
シティの支配者たる企業最高経営責任者。
最終戦争の引き金の一つとなった、禁じられし神の書。
この二つを結びつける目的など――
「「「――楽園を完成させるためだ」」」
手掛かりは予想だにしないところからもたらされた。
「……ッ!」
「……(あれ⁉ 倒したはずでは……)」
唐突に響く、三重に重なった声音。
ビカムが微塵に斬り捨てたはずの〝鬼怒女〟――改め〝鬼神〟ラクシュナが仁王立ちしていた。
常識を外れた再生力を有する〝鬼神〟にとって、あれですら死に至るダメージにはなりえなかった。
「「「案ずるな。今の我にもはや貴様たちと闘争する理由はない」」」
身を強張らせたリンを制するようにラクシュナは掌を向けた。
「「「フ……驚愕の真相に声も出ないようだな」」」
「どちらかと言えば、顔と腕の数が三倍になってる方が驚きなんだけど……」
ラクシュナは三対ある腕のうち、一対は胸の前で腕を組み、一対は腰に手を当てた尊大なポーズを崩さず続ける。
「「「知りたかろう、マーカスの狙いを」」」
「……なぜ、それを教える?(守秘義務とかあるんじゃないのか?)」
「「「なに、我を〝鬼神〟に昇華させた礼と、打ち倒した褒美のようなものだ。貴様に敗北した時点でマーカスにとって私は用済みのようなもの。私も今さら奴が何を為そうがどうでもよい。ゆえに気にする必要はない」」」
「……後悔しても知らないがな(契約解除しても守秘義務は継続することが多いのだぞ)」
敵に塩を送るラクシュナに、決して油断していないと表明するようにビカムは目を細めた。
剣呑さを帯びだした空気の中……リンは気まずそうに手を挙げて、
「その前に……隠してくれないかしら、その、色々と見えてるから」
「「「美剣士が我と一緒に衣服も細切れにしたのだ」」」
魔法の収納袋から無言で布を取り出すビカム。
特に恥じる様子もなく腰にそれを巻くラクシュナ。
「「「……と言っても、我もそこまで詳しく聞いたわけではない」」」
そう前置いて、
「「「たった一度だけ、戯れに奴と言葉を交わしたことがあった」」」
いつもは秘書を介して仕事の指示を受ける〝四鬼天〟だったが、いかなる運命が働いたのか、ある時シン・セントタワー最上階にあるマーカスの執務室を訪れる機会があった……当然他の社員と鉢合わせないように道中も人払いされたうえで。
画面越しの映像ではなく直接対峙したマーカスはラクシュナに怯えも驕りも見せず、拍子抜けするほど淡々としていた。
その気になれば片手で首をねじ切れる異世界の鬼を前にして、そんな未来は絶対にありえないと確信したような男の振る舞い。チキュウの人間にしてはなかなかの胆力だと見直すラクシュナを余所に、マーカスは全面ガラスの向こう側――足元に広がる都市の夜景を見下ろしていた。
実に……忌々しそうな目で。
「「「〝この都市は酷く不完全だ〟――そう呟いた奴に我は問いかけたのだ。ここまで満ち足りて完成された楽園は地上にまたとないだろう、とな。そしたらこう宣った」」」
〝――卵の殻の中で育った鳥は、どれだけ大きくなろうと雛のままだ。美しい花も鉢植えの外まで根は伸びない。どんな動物も檻の大きさが成長の限界となる……〟
多分に抽象的な独白であった。
それが意味するところを当時のラクシュナは分からなかったが、マーカスが良くない事を考えていることだけは理解した。
シティに生きる多くの者にとって、良くない事を。
「「「……その直後だ、ジャガンと企業の社員どもが活発に行動し始めたのは。ジャガンは〝四鬼天〟の中でも潜入や諜報に秀でていて使いやすかったのだろう。アイツは直接マーカスと話しながら何かを探しているようだったな」」」
「それが〝聖書〟……」
これで知っている事は全部だと、ラクシュナは視線を切ることで表現した。
リンは沈思し、今得た情報を頭の中で並べていく。
繁栄と破壊。
卵の殻と雛鳥。
鉢植えの花の根。
動物の成長と檻――
これらの対比が核心を突く何かと紐づこうとするも、激戦の疲労から頭が上手く働かない。逆に今これ以上考えても正解には至らない確信があった。
「ビカム……ここからは……」
父、〝聖書〟、マーカスの狙い。
様々な事柄が絡み合ってリンの脳内を占拠する。
次に自分たちはどう動くべきか……その答えを縋るようにビカムへ求める。
だが、美剣士は彼女の問いを、あえてそのまま投げ返した。
「――我々が為すべきことは何だ、リン殿?(教えてくれリン殿! 何から手を付ければいいんだ? マーカスはなんであの本が必要なんだ? コーイチロー殿を救出するのはいいが、どうやって……?)」
「……ッ‼」
それは迷いなき者の眼だった。
進むべき道を既に捉えた碧眼が物語る。
我々の前に課題は山積している、だが為すべきことは変わらない。
――バルキロアCEO、マーカス・ハーディを倒し、野望を打ち砕く。
それさえ見失わなければ心配することなど何もないのだ。
「……(いや、そうだな、分からないよな。急に言われても……。とりあえずチキュウに戻るか……)」
ロングコートを翻し無言で歩き出した美身を、リンは慌てて追いかける。美剣士の決然たる行進に、畏れと頼もしさを感じながら。
歩くにつれてリンの心中からは、リンダリアル世界に来たばかりの時の心許なさは消えていった。
父を救う――
確固たる意志を抱きなおした、美剣士の隣を歩むに相応しい剣士がそこにいた。
二人の姿が見えなくなるまで見送ったラクシュナはやがて踵を返し、最後に一度だけ振り返ると、彼女もまた幻霧山のある方角へと歩いていった……。
かくして恐るべき刺客たちは打ち倒された。
だがビカムとリンに安息は訪れない。
ついに露わになった黒幕、マーカス・ハーディ。
機械仕掛けの神、シティ運営管理統括AI、エデン。
そしてリンの父、コーイチローにして最後の〝四鬼天〟――〝黒鬼士〟。
楽園の完成の意味と、その鍵を握る〝聖書〟とは……?
さすらいの〝異界渡り〟とサムライガールの物語も最終局面。
舞台は決戦の地アキツ・シティへと再び舞い戻る――!




