第二章 第35話「シン・シャドー・スタイル」
白刃と黒刃が空中で軌跡を結ぶたび、逢瀬を証明するように迸る閃光。その数は一瞬にして十を超えた。
ビカムとラクシュナの対決が柔と剛であるならば、リンと〝黒鬼士〟の対決は技と技の比べ合いであった。
相手と自分、どちらの積み重ねが優れているか証明する。同じ土俵、同じルールで競う以上、言い訳など存在しない。ともすれば向こうの戦いより勝敗は残酷なのかもしれなかった。
苦悶が垣間見えるのは……リンの方か。
〝黒鬼士〟の表情が見えないがゆえ、そう分析するほかないかもしれないが、リンが苦しんでいることは紛れもない事実だった。
(――まったく隙が無い!)
一言で評するなら、理想的効率の化身。
教本が、指導者が、古文書が伝え述べた武の極致。
心身の迷いを消し、無の境地に至って初めて修めうるという究極。無駄を完全に削ぎ落とした美しき引き算の解。
〝黒鬼士〟はまさにそれを成しえたように思える。
ただし――人間性の排除というおぞましさによって。
正確無慈悲な挙動からは剣術の達人であるという匂いがしない。代わりに漂ってくるのはプログラミングされた機械の鉄臭さ。リンに一対一の立ち合いを挑んだ時が嘘のように、黒刃からは感情というものを感じなかった。
「――ッ!」
頬の真横をかすめた刃。はらはらと髪の毛が紙一重に舞う。
「はあッ!」
被弾ギリギリのリスクを取った反撃は、あっさりと受け止められた。
(強すぎる……!)
その手強さを、リンは認めざるをえなかった。
たとえ機械じみた動き、感情の乗らない刃だろうと、生殺与奪には何の差し障りもなく……重要なのは、相手を斬れるか否かだ。その割り切りと、冷徹な彼我の比較ができなければ、勝つことなど不可能だろう。
単純な剣術の腕前は、自分の方が一段劣る。
加えて、あの得体のしれない黒いアーマー。
ただ防御力を高めるだけ、などという貧相な役割ではないはず。最低でもリンの強化外骨格と同じく筋力補助機能ぐらいはあるだろう。もしかすると、脊椎に外科手術でプラグユニットを増設して中枢神経とアーマーを接続させることにより、肉体の動きに反応してアーマーにも同じ動作をトレースさせて反応速度を極限まで高める処置も行っているかもしれない。
攻撃を際どく避けながらも、しかしリンはまだ死んでいなかった。
腕前にも装備にも明確な差があると自覚しながら、なお生を手放していない。
その理由を彼女自身は言語化できなかったが、一つには、ビカムが戦闘前にかけた魔法の効果が未だ持続していることにあった。
負傷継続回復、精神攻撃耐性、持久力向上、動体視力向上、思考高速化……これらの極まった効果が、少女の実力を大幅に底上げしている。
もう一つの理由。
熾烈な王獅子戦から間もない今――リンの精神と肉体は、一種の覚醒状態に突入していた。
今まで経験したことのない戦いを経たことで、少女の奥底に眠っていた剣士の才覚が引き出されようとしている。
(――分かる)
(分かるだけじゃ遅い)
(次に何が来るか、数秒先の未来を予感しろ――!)
〝黒鬼士〟がブレードを振るう度、リンの動きが洗練されていく。まるで黒刃が、少女の動きの無駄な部分を斬り落としていくかのごとく。
〝四鬼天〟は、王獅子戦直後の疲弊状態を突いたつもりなのだろう。だが、大きな悪手を打ったと言わざるをえない。
きっと休憩を挟んでいたら、リンは覚醒の兆しなく命を散らしていた。
「…………」
〝黒鬼士〟は何も応えない。少女の剣閃が急速に勢いと鋭さを増していこうが、焦りも疑問も露わにすることない。
ただ機械的に、次の一手を繰り出すのみ。
「……才羽流抜刀術」
――大きく後退すると同時に、高周波ブレードを鞘に納める。
「――〝目臥〟」
神速の抜刀、三半規管を狂わせる振動が鞘口から放たれる。
「……ッッッ!」
だが――おお! 見えない振動を視界に捉えたとでもいうのかっ、リンは咄嗟に首を傾げて回避してみせた。
直感、悪寒……いや、何でもいい。人間には科学でも解明できない超感覚が備わっていることを現実は時にほのめかせる。
(才羽流――聞いたことのない流派)
(でも、今の技を空振りさせたのは大きい!)
今まで見せてこなかった技らしい技を、初めて〝黒鬼士〟は使った。その初見というアドバンテージを無価値にできたのはリンの上手であろう。
加えて〝才羽流〟という相手の持ち札を引きずり出せた。特定の構え、体の溜め……注意深く観察することにより、動作の起こりから才羽流の技を予測することができる。
今の自分なら――出来る。
そして〝黒鬼士〟よ。技を修めたのが、まさか己だけとは思うまい?
「シン・シャドー・スタイル:――」
少女の握った高周波ブレードが唸る!
「――カットダウン・ストライク!」
上段から繰り出される〝黒鬼士〟のブレードを、同じく真っ向から振り下ろし撃墜せしめた。
力で撃ち落とすのではなく、相手との間合い、速度、呼吸……それら全てを読み、術理をもって制したのだ。
シン・シャドー・スタイル……文化復興運動で濁流のごとく押し寄せた情報の海から、現代の剣豪アイアン・ワタナベが再発見したムロマチ・エラ起源の古流剣術、そこへさらに様々な剣術のエッセンスを組み合わせて再構築した新興流派である。
その経緯ゆえ誕生してまだ八年しか経過していないが、リンはその極意を享受された一期生だった。アイアン・ワタナベから直接――ARによるウェブ講座で――薫陶を受けた弟子なのだ!
「シン・シャドー・スタイル:プロミネンス・グルマ!」
快進撃は止まらない。今度は燃え盛る炎のような怒涛の連撃。
反撃を許さないほど絶え間のない刃が、黒いアーマーに幾筋も傷を付けていく。声の力強さがそのまま威力に転じているかのような勢いである。
なお、旧時代ではシン・シャドー・スタイルに限らず技を繰り出す際、技名を叫ぶのが自然であったそうだ。マンガでは誰もが叫んでいた。理由は不明だが多分気合が入るのだろう。
実力は完全に拮抗。いや、もはや……
(今なら出来る!)
形のない自信がリンの心に湧き上がる。
かつてアイアン師範がその術理を示せども、ついぞ弟子の誰一人体得できなかった技。この土壇場で、まさか挑もうというのか。
いや――今だからこそなのか、リンよ!
自分の全力をぶつけられる好敵手がいる、この瞬間だからこそ!
「…………」
「シン・シャドー・スタイル:――」
――ウェポン・クズシ!
発声と共に放たれた妙技が、相迎え撃った〝黒鬼士〟の黒刃を破壊した。
相手の得物の脆い点を攻め、破壊する……相手の動きを完全に見抜く眼、寸分違わず弱点に一撃を当てる技量、武器を破壊できる威力にまで研ぎ澄まされた技の冴え、どれか一つでも欠けていれば不発に終わっていた。
カイデン・キュウ・メンキョだ――そう呟く師範の声が聞こえた気がした。
花吹雪に代わってリンの成功を彩らんと、粉々に砕けた黒刃の破片が宙を舞う。
先のウェポン・クズシが一撃目なら、リンは既に二撃目に入っている。
倒したと思った瞬間こそ気を引き締めねばならない。相手は未だ健在である。武器を失った途端、無防備にも立ち尽くすような手合いではないはず。
油断慢心の一切無く、逆袈裟斬りに高周波ブレードの刃を、
――パリィン!
三回目の、ガラスが砕けるような音。
そして、
――リンの体から血飛沫が上がった。
「え……?」
左肩から右脇にかけて、冷たい何かが通り抜けた感触。
冷たいものが通過した軌道は一秒と間を置かず熱を帯び――そこからグロテスクなほど赤い液体を世界にぶちまけた。
「が、あ……ッ⁉」
斬られた――それはありえないと思考は否定するが、肉体が発する種々の警報は覆らない事実を突きつける。
足から力が抜け、両膝を突く。
掌を胸に這わせれば、べったりと温かい紅が。
眼前に掲げた己の手。
焦点は自然と、掌の向こう側で佇んだ〝黒鬼士〟に結ばれる。
強烈な一閃に耐えかね、粉々に砕け散ったはずの黒い刃――
鍔から先を失ったはずのソレは今、少女の鮮血を被ったことにより、たとえるなら透明な物体に塗料をぶちまけたように輪郭を現出させていた。
(なん、で……)
リンに油断慢心の類は一切無かった。
足りなかったのは洞察力。
ウェポン・クズシを受けた黒刃が、折れるのではなく粉々に砕けるという不自然な壊れ方をしたことに気を配るべきだったのだ。
〝黒鬼士〟が遣う黒刃は単純な高周波ブレードではなかった。
それは刀の鍛造……軟らかい芯金を、硬い皮金で包む方法に、開発の着想を得ていた。
高周波であらゆる物質を切断する外殻の黒い刃。
――それを剥離することで現れる、色の無い第二の刃。
背後の風景と同化することで視覚的なカモフラージュ効果を得るその技術は、チキュウ世界において光学迷彩と呼ばれている。
素材的理由により、第二の刃の耐久性は低い。
しかし、これは剣術勝負を繰り広げるためのものにあらず。
二度は通用しない――「武器を破壊した」と相手の一度限りの油断へ必殺を叩き込むための牙である。
「才羽流奥義――〝欺牙〟」
そしてビカムが三回重ねがけした致命傷回避魔法。
王獅子戦で一つ目、〝四鬼天〟の奇襲で二つ目を既に消費している。
最後の三つ目はまさしく発動した。リンが直前に聞いたのは役目を果たし効果が切れた際の音だ。
それはつまり〝黒鬼士〟が、リンの察知できないほど速い二の太刀を放ったということに他ならない。
後隙が生じるのを承知の上で放つ、まるで斬撃が網目のごとく敵を覆いつくす連続剣技。
その技は――
「才羽流絶技――〝手羅〟」
名を告げる〝黒鬼士〟の声を聞きながら、リンの体は真っ赤な大地に沈んだ。




