第二章 第34話「怪物の煙」
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ラクシュナが頽れる光景を目の当たりにして、マズダーの内心に怒りはあれど焦りはなかった。
(なにを慣れたと事も無げに。その全てが神業だ……!)
怒りの矛先は、今まさに同僚を屠った美剣士ビカムへと向いていた。
確かにマズダーにとって、ラクシュナは単純で扱いやすい存在だった。直情径行を絵に描いたような戦闘狂者。面倒臭い暗殺は言葉を弄してよく押し付けてもいた。
しかし、決して彼女を見下していたわけではない――むしろ間違ってもそんな邪念を抱かないよう、立場は対等であると常々自らに言い聞かせてきたくらいだ。
奸計謀略ならいざ知らず、こと戦闘において翻弄できる相手ではない、と。
突き抜けた破壊力は暴虐の嵐。イカサマじみた再生力は悪夢そのもの。いかにマズダーとて、そして十全に魔法を用いたとしても、本気で殺し合えば死にかねないと理解していた。
――それを剣一本でいなし、あまつさえ恐怖で縛り付け身動きさせぬまま斬り殺すなど、常人の為しうる結果ではない。
だがラクシュナは十分な仕事を果たした――あのビカムから時間を奪うという大仕事を!
既に、印は組み終えた。
「――さあ見せてください、貴方の恐怖を!」
マズダーの魔法がビカムの深層心理を読み解く……!
〝鬼術師〟マズダーが最も好む、最も悪辣な魔法。
――対象が心の底から恐怖する存在を再現する。
犬が怖いというなら狂暴な犬を、虫が怖いというなら夥しい虫を。
竜が怖いというなら――想像しうる限り凶悪な竜を。
何が出てくるかはマズダーにも知りえないが、それは問題ではなかった。相手の心に恐怖を思い出させ、精神的優勢を得た後でじわじわと追い詰め、味わうように嬲り殺すことを目的とするこの男にとっては。
悪逆非道に生き、他者を害する。
それこそがこの世界への復讐なのだから。
そして恐怖が、顕現する――
「…………!」
「こ、これは……!」
現れたものに、マズダーは驚愕を帯びた声を漏らした。
予想では想像を絶する強大な存在――それこそ、百五十年前に魔獣を束ねて人類を侵略した魔王すら呼び出せるのではないかと半ば期待していた。
しかし、結果は予想を裏切ったものであった。
――人。
人、人、人、人――
人間がいる、獣人がいる、鳥人がいる、蜥蜴人がいる、鉱窟人がいる、エルフがいる、見たこともない知らない種族もいた。
種族も、性別も、年齢も、格好も、何もかも統一されていない無数の人類。
彼らが、美剣士ビカムと〝鬼術師〟マズダーを取り囲むように立ち尽くしていた。その輪の中心に自分たちがいた。
統一感のない彼らに唯一共通しているのは、一様にこちらへ視線を投げかけていること。
マズダーは理屈も理由もなく悟った。
この人間どもは皆、ビカムだけを見つめている。
(何だ……? こんな事は初めてだ。意味が分からない。まさか、こんなものが怖いとでも? あの英雄ビカムが。ただ佇むだけの、無力な者を――)
――そこまで思考し、マズダーは辿り着いてしまった。
背筋の芯から凍るような、恐怖を抱かずにはいられない真実を。
「ま、まさか――ありえない‼ 自分が最も恐怖する存在を――無害な一般人だと、咄嗟に思い込んだのか……ッ⁉」
不可能か可能かで言えば、可能なのだろう。
自己暗示と呼ばれる行為がある以上、自分を騙し、偽りや虚構が本当であると疑いなく思い込ませることは、理論上出来るのだろう。
咄嗟に、土壇場で、魔法の効果を見抜いたうえで……そんな枕言葉が付かない限りは。
時間を費やして組み上げた魔法が無に帰した瞬間だった。
(まさかこんな攻略法が……。いや、こんなものを弱点と呼んでたまるか! とんだ術師泣かせがあったものよ!)
心中で思いつく限りの悪罵を吐きながら、その手は素早く動き、首元の鎖の留め金を外す。
マズダーが首から提げていた香炉。
いつの間にか火の灯されたソレは既に怪しげな紫煙をくゆらせていた。
さらに頭上で回転翼のごとく振り回され、香炉は空気と反応し激しく煙を上げる。
「……【道に果て無し、空に蓋無し、追いすがる風は無窮のごとし】」
煙と見るや否や、ビカムの魔法が唱えられた。王獅子の霧を吹き飛ばした、暴威の追い風。
――だが激しい風が吹きすさぼうと、その紫の煙だけは何の影響も受けず揺蕩っている。
「……ほう(何だアレ)」
「ククク、貴方にはお見通しでしょうが、分かったところでどうにもできない。そういう類のものですよ、これは」
これこそがマズダーの有する三つの切り札、そのうちの二つ目。
最初の一つ、恐怖具象化の魔法は無為となった。
ならばこれは、より暴力的手段に訴えるものである。
紫の煙がビカムの周囲を取り囲んだ。
こういう時こそ冷静さに深みが増すのは、いかなる人生を歩んできたのか……余人なら忙しなく周囲を見回すところを、ビカムは純粋に佇むのみ。あえて隙を曝しているとしか思えない泰然自若ぶりだ。
美剣士の読み通り、その美しき背の後ろで煙は不自然に凝り、巨大な狼の顎と化して迫る――!
暗闇を裂くような黄金の一閃が、次の瞬間には顎を上下に斬断する。美しい。振り向きざまに剣を薙ぐ姿は艶すら帯びているのではないか。
「……(あッッッぶな――⁉)」
あっけなく不意打ちを防がれたマズダーに驚愕の様相はない。
これが彼の切り札、マズダーが手ずから生み出した魔法生物……『怪物の煙』。
魔法生物とは人類が人工的に創造した、魔法によって編まれ、魔力をエネルギーとする生き物。
百二十年前、〝魔法生物原器〟が発明されたことにより、それをベースに誰もが自由に魔法生物を創り出すことが可能になった。
魔法生物とはいったものの、その在り方は精霊とは異なる。
むしろ近しいのは、チキュウ世界の低級AIだ。創造の際に組み込まれた使命を遂行するため、ある程度柔軟な自律思考が可能だが、自我と呼べるほどの感情は持たない。
ならば、この『怪物の煙』に吹き込まれた使命とは何なのか?
それを雄弁に物語るために、周囲の煙は次々と凝集し禍々しいものを作り出していく――あるいは湾曲した鉤爪、あるいは飢えた嘴、あるいは昆虫の鎌、そして涎を溢れさせた顎。
すなわち、解析、再現、そして記憶。
過去に読み取った恐怖の象をストックし、複数同時に顕現させる。
「さあさあ、遠慮なく馳走に与ってください。斬るそばから湧く恐怖の巣、退屈はさせませんよ!」
マズダーの声を合図にして、それらは一斉に襲いかかる。
全方位がビカムの敵となった。
***
――時は少し遡る。
ビカム、〝鬼術師〟、〝鬼怒女〟から十分離れた位置に、二人の剣士は立っていた。
サムライ、リン・ツカモト。
シティの刺客、〝黒鬼士〟。
互いに遮るものがない平野にて、尋常ならざる剣気が充溢していた。
長い黒髪を後頭部で一つ結びにしたリンは、首から下の全身を密着して覆うレザースーツに強化外骨格を纏った格好。得物は高周波ブレード。少女の若々しさと凛々しさが同居した出で立ち。
対する〝黒鬼士〟は一分の隙も無く全身をアーマーで鎧っている。その意匠はかつて歴史に実在した武者鎧に酷似しており、総毛立つような威圧感を放射していた。同じく手には高周波ブレード。しかしこちらの刃は黒く塗りつぶされている。
どちらも無言のまま佇み、風が身を撫でるに任せている。
否、既に戦いは始まっていた――どちらとも、相手の集中が切れたわずかな隙を切り裂かんと、気という刃を鍔迫り合わせている。
大地を揺るがす振動。ビカムの戦いが始まった。
――次の瞬間、二人の距離はゼロとなり、高周波ブレード同士の接触点から激しい火花が迸っていた。




