第二章 第33話「恐ろしき剣」
***
戦いは一方的な展開で進んでいた。
ラクシュナの棍棒による暴力の権化のごとき連撃を、ビカムは霊剣フェーレを巧みに用いて受け流し、マズダーの召喚する生物の横槍を魔法で対処する。
「どうした、避けてばかりいては勝てんぞ!」
棍棒の一撃が大地を抉り、礫は散弾と化して撒き散らされる。
あのビカムが防戦一方……。霊剣は未だその身を敵の血で汚すことなく燦然と陽の光を反射している。
剣劇の合間に挟まる噴炎は、ラクシュナの得物から生じていた。
ラクシュナがマーカスに雇われて以降、実験的に製作された武器『DIAMOND・CRUSHER』。
棍棒の片面縦一列に噴射口を備えたソレはラクシュナのスイングに合わせて内蔵燃料を燃焼・噴射し、尋常ならざる膂力にさらなる破壊エネルギーを添加する。
噴射口の反対、打撃面には最新科学の超合金を採用。企業秘密の成分比に基づき配合された鋼とレアアースが驚異的な強度と靭性を備えた合金を生み出し、ラクシュナの人知を超えた一撃にも耐える性能を実現させた。
さらにダメ押しとばかりに身体強化の魔法も使用済み。鬼は正面からの殴り合いを尊ぶ種族であるが、だからといって魔法に造詣が無いわけではない。闘争をより過激に加熱する方法にはむしろ勤勉で貪欲だ。
「英雄の看板が偽りならば、我が虚飾を引き剥がしてくれよう!」
久方ぶりの骨のある獲物に相対し、ラクシュナは興奮を抑えられない。
しかしそれは攻撃が浮つくことを意味せず。
むしろ、かつてないほどに冴え渡っている。棍棒を振るう度、己の中の眠っていた技量が花開いていくような高揚感が湧きあがる。
なるほど、自分は戦いの腕を磨こうとしているのに、足下の虫を踏み潰すことに懸命になっていたのか――餓えた鬼はようやく自身の間違いと好敵手の意味に気づいた。
「……(これは、まともに打ち合ったら力で押し込まれる……!)」
ビカムは無言のまま霊剣を振るい続ける。表情には苦悶も焦燥もない。あの破壊の嵐に相対して、それは驚異的なことであった。
わずかに足裏が地を離れた瞬間を逃さず、ラクシュナの棍棒がビカムを打ち据え、突風が巻き起こる。
当然それはビカムに防がれたわけだが、予想に反した手応えの弱さにラクシュナは舌打ちしつつ着物の袖の中をまさぐった。先の風は、おそらく風魔法で進行方向に体を押し出すことで衝撃を削いだのであろう。
粗雑に取り出した物の包装を牙で噛み破り、中身を咀嚼する。それはラクシュナ専用に作られたエネルギーバー『CY・BAR―LimitBreak!―』である。
鬼族の欠点の一つは燃費の悪さ。絶大な戦闘力を発揮するために莫大なエネルギーを欲する彼ら。基礎代謝量自体も高いため、飲まず食わずで餓死する危険性は他種族の比ではない。
その問題の解決にチキュウ科学が手を差し伸べた。
仕事に娯楽に忙しいシティ市民から不動の人気を獲得する、高速栄養調整食品『CY・BAR』シリーズ。
異なる日常シーンや様々な味の要望に応える形でたくさんの種類が製造されているが、『LimitBreak!』は唯一市販されていない。
それもそのはず、シティがわざわざラクシュナのためだけにメーカーに命じて開発させたそれは、何と一本で驚異の一万キロカロリー! 取り出し、噛み砕き、嚥下するわずか十秒以内で彼女が一日に必要な摂取カロリーの半分を賄える。
これがラクシュナの強さを支える最後のピース。狩りと食事の煩わしさから完全に解放された彼女を闘争から阻む障害はもう存在しない。
再び鬼の影が躍る。
「ははは! ハハハハハハハハハハ‼」
抑えきれない歓喜が哄笑となって漏れる。
棍棒を振るう度に心の澱が吐き出されていくのを感じる。
己はここまで世の中に飽いていたのか――!
ずっと、ずっと戦い続けていたい。伝説の美剣士と命のやり取りを終わらせたくない。永遠に戦いに身を置きたい!
……ああ、でも、この男もどうせ壊れてしまう。
最後は血塗れの私が、独り大地に立つ。
〝――汝の行く末に慈悲を示そう〟
誰一人として、この無聊を完全に終わらせる者は――
〝――願わくば、恐怖を乗り越え、見事なる昇華に至らんことを〟
――黄金の軌跡が、ラクシュナの腹を一閃した。
「……?」
こぼれ落ちる腸。
それを見ながらラクシュナは疑問に首を傾げる。
負傷は問題ない、すぐに再生する。現に動画を逆再生するように内蔵はずるずると腹腔へと引きずり込まれていき、たちまち傷は塞がった。
昂りのあまりビカムの剣筋を見逃したか――常人では致命的なミスも、常識離れした再生力の持ち主であるラクシュナには些末な事である。すぐに棍棒と霊剣の応酬は再開する。
左頬を斬り裂かれる。――再生する。
右太腿を斬り裂かれる。――再生する。
左腕が肘から切断される。――反対の手で断面を押し付けて繋げる。
右目を抉られる。――目だったものを引き抜いて再生する。
喉笛を斬り裂かれる。――血を飲み下す。再生する。
攻撃が……ビカムの攻撃が体を刻み始めた。
こちらの攻撃は魔法のように当たらない。落ちる木の葉を斬りつけようとして剣の巻き起こす風圧が遠ざけてしまうように、ひらひらと流麗に美剣士は躱してしまう。
「この……ッ」
数えるのも屈辱なほど棍棒は素振りのごとく空を打ち、黄金の剣が身体に軌跡を生んでいく。
「やめろッ――」
ラクシュナは思わず口走っていた。
何を? 躱すのを、それとも反撃を……?
自分は敵に……まさか……懇願しているのか……?
「やめろッ――!」
やめさせる方法は確信している。
この棍棒を打ち下ろすのを止めればいい。チキュウ科学の技術が存分に詰め込まれた、目の前の敵すら潰せないこの役立たずの棒を手放せば。
代わりにその行為が打ち砕くのが、己の矜持であることを除けば。
「やめ――」
碧い瞳が、鬼を射抜いた。
ラクシュナの体は『DIAMOND・CRUSHER』を振り上げたまま、彫像のごとく固まった。
(怖い)
それは呪いのような未来。自分が攻撃せんとすれば、相手の刃は必ず自分を切り刻む。
ビカムは霊剣の切っ先を地面に落とし、左半身をこちらに向け、ともすれば悠然と感じられるほど力みなく佇んでいる。
しかし、ラクシュナがその気になって身動ぎしようものなら、知覚する間もなくあの刃は我が身を裂くに違いない。自分はそれを防ぐことも避けることもできないだろう。
(怖い)
今さらになってズキズキと全身が痛む。外傷は癒えているが、記憶を再生しているかのように黄金の剣が薙いだ部位が激痛を訴える。
これを最早戦いとは認識できなかった。戦いが成立していると自分自身が認められなかった。
こんなものは……棍棒を振るえば体を斬られるという、遊戯だ。
(怖い)
(怖い)
(戦うのが――怖い)
「……来ないのか?(急に止まった……⁉)」
「ひっ……!」
清涼な呟きが風に乗ってラクシュナの耳朶を打ち、しかし彼女は耳元で猛獣の唸り声を聞いたかのように狼狽し、戦いの前の凛々しさが嘘のようにみっともなく後ずさった。
「なっ、なんでっ、当たらない……? 我だけ……斬られる……?」
当然の疑問。
美しきビカムは、それに当然の回答を与える。
「(なんでと言われれば、まあ)……慣れた(あれだけ打ち合っていたら)」
(慣、れ――?)
(そんなふざけた、理由で――?)
この闘争の天才とも言うべき鬼にとって、その返答は理解の範疇の外にあった。
ことラクシュナにおいては無理からぬ話であった。
何を隠そう今日に至るまで……ラクシュナとまともに渡り合えた敵はビカム以外にいなかったのだ。
技の冴え、戦闘の経験値……確かにラクシュナを上回る、彼女より格上の相手はいたのだろう。
しかし、規格外の膂力と人外じみた再生力、闘争を尊ぶ鬼の本能を前にして命を長らえた敵はいなかった。
文字通り肉を切らせて骨を断つカウンターに倒れた強者たち……彼らが本領を発揮できていたならラクシュナの戦闘経験もまた違っていたかもしれない。
だが恵まれた肉体と天性の才能が、挫折の経験を積むことを許さなかった。
ゆえに戦闘中において当然に起きる事――相手の攻撃の癖を掴み、隙を突くという戦法を理解していなかったのだ。
「何をしているのです、〝鬼怒女〟!」マズダーの叱咤が飛んだ。「臆したか! 忌み鬼子の名が聞いて呆れますぞ!」
何を言われようとしかし、ラクシュナの足は縫い付けられたように動かなかった。普段なら激昂するような嘲りも、恐怖に凍り付いた心には届かない。
そんな隙を美剣士が見逃すわけもなし。
「……来ないならば――行くぞ(よく分からないが、今のうちに……!)」
元より多対一。状況も、経緯も、動機も、敵に汲むべき事情も無い。
正々堂々ならざる戦いに、慈悲は一片も存在しなかった。
「あ……」
ラクシュナの双眸はその網膜に黄金の軌跡を映し出す。
直後、噴き上がった鮮血が視界を真っ赤に染めた。
顔面を縦に割られた彼女が、ドサリと力なく膝を着く音が響いた。




